1945年4月7日 坊ノ岬沖海戦



この海戦は大和特攻とも言われている。
おそらく、真珠湾攻撃に次いで有名な戦いではないかと思う。

作戦としては、アメリカ軍が沖縄に侵攻してくるため、防御として、
世界最大の46cm砲を使い、敵艦艇を粉砕するという、意味である。

しかし、この作戦の司令長官「伊藤中将」はこの無謀な作戦に強く反対する。

それもそのはず、沖縄につくまでに、間違いなく敵の圧倒的多数の航空機の攻撃を受ける為で
あり、無事に沖縄まで辿り着けないからである。

が、日本の象徴でもある、「大和」を温存しておいては、特攻の意味も薄れるし、
また、1億総特攻のさきがけになってもらいたい、と強く依頼されたため、引き受ける。

日本の陣容は、
戦艦 「大和」
軽巡洋艦 「矢矧」
駆逐艦 「冬月」「涼月」「朝霜」「初霜」「霞」「浜風」「磯風」「雪風」の10隻である。

また、大和のみ、片道燃料の搭載での出航。

大和隊は すぐに敵策敵機に見つかる。
そして、アメリカのスプルアンス大将は、戦艦で邀撃したいと思い、また戦艦対決をしたいとは思ったが、戦艦同士の打ち合いよりも、航空機のほうが、被害も少なく、また、確実であると踏み
航空攻撃にする。

最初に、「朝霜」が機関の故障により、艦隊からはぐれる。
と、その朝霜から入電。
「ワレ テキトコウセンス」

はぐれた艦の運命はそこで決まる。
朝霜は乗組員全員と共に運命を共にする。

次に、本隊への第1波攻撃隊が押し寄せる。
空襲開始後、わずか1分で「浜風」が爆弾を喰らい、轟沈。

大和も46cm砲9門、12,7cm高角砲24門、機銃152門と激しい対空戦闘を開始。

「矢矧」は爆弾を受け、航行不能状態、「霞」「涼月」も爆弾を受け、被害を受ける。
一方、大和は魚雷1本と爆弾2発の軽微な損傷にとどまる。

この第1波攻撃で大和の被害が少ないため、沖縄まで辿り着けるという、乗組員にも希望が出てくる。
以後、第2波攻撃隊が殺到する。
大和への攻撃は左舷を集中的に狙ってくるものである。

つまりは、レイテ沖で同型艦の「武蔵」がなかなか沈まず、ならば、片方に魚雷を集中させ、転覆させようとの考え

これにより、左へ魚雷を多数受け、傾斜が15度まで傾く。
傾くと、弾薬庫からの弾薬の供給が出来なくなり、弾が撃てないのである。
右側へ、わざと魚雷を当てさせたり、不要な部分への注水をし、傾斜を改善しようと、努力はするが、なかなか回復しない。。。

他の艦艇は、航行不能に陥った矢矧の救助に向かった霞が爆弾を受け大破し、これまた
航行不能。
「磯風」も大破される。

軽巡洋艦の「矢矧」は第一波攻撃により、航行不能になっていたが、
大和に次ぐ、大きい艦船。
無駄に?攻撃を受け、
魚雷7本、爆弾12発を受け、14時5分に沈没。 通常軽巡洋艦は魚雷2本で沈みます。
いかにアメリカの攻撃がすさまじいかを物語るのです。


さて、大和は、爆弾多数、左舷に魚雷11本右舷に魚雷2本を受ける。
大和は、爆弾ならいくら受けても沈みません。
が、爆弾で対空砲を破壊します。
次に、魚雷を当て、撃沈させるのが、大型艦攻略のセオリーです。

大和は、左傾斜から、転覆と同時に主砲搭の弾薬が誘爆し、巨大なキノコ雲を発し
大爆発を起こし沈没。
伊藤中将も大和と共に運命をともにする。

これにて、大艦巨砲主義が完全に集結。
なお、この「大和隊」の戦果は
敵機を10機撃墜のみ終わる。

航行不能状態になり、漂流中の霞は同じく大破ながらも自力航行可能な冬月に乗組員は
救助され、冬月の魚雷により、処分。
磯風は雪風の砲撃により処分。

残った駆逐艦「雪風」「初霜」「冬月」「涼月」は沖縄に向かうのは無理と断念し、乗組員の救助をし、佐世保港に寄港。

なお、日本の中で一番有名な「雪風」
これは、アニメの「宇宙戦艦ヤマト」や、架空戦記などの大和が出てくる場合で、必ず登場します。
しかも、他の艦がやられても最後まで残ります。

それは、今まで被害を受けたこともなければ、この海戦でも、戦死者0という快挙?を
成し遂げた最強駆逐艦だからです。

のちに雪風は賠償間として、香港に引き取られ、昭和45年まで現役で残りました。
冬月と涼月は、福島の どっかの堤防として、船体のみ現在でも使用されているはずです。





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