お施餓鬼の話

 毎日暑い日が続いてをります。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われておりますが、今の此の暑さが地球温暖化の表れであるとすれば、言い習わされてゐるこの言葉も通用しない時が来てゐるのではないかと不安になります。人間がただただ生活の快適さを求めた結果が、人類の滅亡に通じるとしたらそれは恐ろしいことである、と私たちは深く反省しなくてはならないと思っております。

 私の所ではご案内の通り九月十八日に施餓鬼法会(せがきほうえ)を行います。簡単に「お施餓鬼」の由来についてお話致します。
 法会(ほうえ)のいわれは、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)」という経典に説かれている阿難尊者(あなんそんじゃ:釈尊の十大弟子の一人)の物語に由来します。現在では餓鬼だけではなく、先祖の霊や弔う人のない無縁の霊、不慮の災難で亡くなった人の霊などを供養する法会となってをります。

                   『阿難尊者の物語』
 お釈迦様に阿難という弟子がをりました。阿難はお釈迦様の従弟に当たります。侍者として長い間お釈迦様に仕え誰よりもお釈迦様の教えを多く又熱心に聞いたことから「多聞第一」と呼ばれました。
 或る夜のことです。阿難がいつものように「瞑想修行」をしてゐると、口から炎を吐く恐ろしげな「焔口餓鬼(えんくがき)」が現れ、「お前は三日後に死ぬだろう」と告げました。阿難は驚いて「その苦から逃れるにはどうすればよいのか」と尋ねると、餓鬼は「明日中に餓鬼道に住むすべての餓鬼のために飲み物食べ物を用意せよ。そして佛(ほとけ :釈迦)・法(ほう :佛の教え)・僧(そう :教えを実行する教団や僧侶)の三宝に供養するのだ。そうすれば、わしを始め多くの餓鬼が救われ天界に生まれ変わることが出来る。お前も餓鬼道に堕ちる苦から逃れ寿命ものびるだろう」と言いました。これを聞いた阿難は夜が明けると早速お釈迦様に教えを乞いました。お釈迦様は、「阿難よ、お前は誰よりも多く私の話を聞いている。しかし餓鬼道に堕ちた者達を救うすべを知らない。施餓鬼という供養の方法を教えよう」と言われ、その方法を授けられました。阿難は早速に一鉢の食を設けお釈迦様から教えられた「陀羅尼(だらに :御経のひとつ)」を唱えました。すると忽ちその一鉢の食は無量の飲食となり、すべての餓鬼が食を得て飢えや渇きを癒すことが出来ました。阿難も災難から逃れ、寿命も延びたということです。


 以上が、お施餓鬼の由来として今日に残ってをります。さて餓鬼とは何なのでしょうか。一般的に餓鬼とは、子供を罵る時に使われますが、佛教では飢えや渇きに苦しむ亡者のことを言います。昔から多くの餓鬼の姿が経典などに書かれてあります。例えば、平安時代後期の「餓鬼草紙(がきぞうし)」には、
食糞餓鬼(じきふんがき)・・・貪欲で布施を行わなかった報いで糞尿しか食べられない餓鬼。
食吐餓鬼(じきとがき)・・・自分だけ美食に耽った報いで人の吐いたものしか食べられない。
曠野餓鬼(こうやがき)・・・追い剥ぎの報いで食物を求め荒野をさまよい逆に獣に食われる。
疾行餓鬼(しつぎょうがき)・・・病人の食べ物を奪った報いで墓場をうろつき死体しか食べられない。
等が描かれてをります。餓鬼の姿を現代に見るとすれば時折テレビなどで写し出される、食べ物がなくて手足は細くやせて胸の肋骨が現われ、喉は細く腹だけふくれてゐる子供の姿などが、それに近いイメージです。しかし心の餓鬼は中々見ることが出来ません。私たちが貪りの心に気づかず「もっと欲しい、もっと欲しい」とガツガツしてゐる中にあるのです。佛教では、「少欲知足(しょうよくちそく)」という教えがあります。足るを知って満足するということです。このお施餓鬼の法会において大事なのは、そのような心の餓鬼を知り自分を反省することにもあります。
 お施餓鬼は、現在お盆に行われることが多いようですが、随時行って良い法会です。「お施餓鬼」と「お盆」は或る意味では、よく似た法会です。お施餓鬼は前述のように阿難尊者が餓鬼のために供養し寿命を延べた話から行われる法会です。お盆は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」に説かれ、目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救うために僧侶に供養した話が源になってをります。どちらも餓鬼道に堕ちた霊を救う点では同じですが、その由来を知っておくのもよいのではないかと思います。                                        合掌

老尼のお話の部屋
妙心寺教会
施餓鬼会