グレアム・チャップマン(Graham Chapman)

ソロ活動は管理人未見のため無しです。すみません。

 身長192センチと、メンバーで二番目に大柄。
 ケンブリッジ大学で医学を学んでいます。

 インターン時代には組合幹事で、大学の伝統あるコメディ・サークル、フットライツでの講演旅行でニュージーランドへ行くことを、インターンを続けさせたい両親に反対されますが、皇太后が聖バーソロミュー病院の新棟落成式にいらっしゃった時のお茶会で、「公演でニュージーランドへ行くかもしれない」と話し、皇太后からは「お行きなさい、美しい国ですよ」との答を貰い、両親にそれを王室命令だと告げて許可を得て、そのまま笑いの道を進みます。

 『ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』では主役を演じました。アーサー王と円卓の騎士で有名な、英国の伝説の勇者であるアーサー王と、キリストの生まれた馬小屋のとなりで生まれ、普通の男なのに救世主と間違われるブライアンの役。
 14歳から酒を飲んでいた彼はアル中の時期もありました。テレビシリーズ時代には、酒のせいでものすごいスケールの回数でNGを出したこともあったのだとか。セットの裏に彼の飲み残したジン&トニックが置いてあったり、第2シリーズ以降には台詞を忘れるというハプニングも多くなりがちに。

 ジョンによれば、「彼は不安で、それを打ち消すために飲んでいたが、それが記憶機関を駄目にしてしまった」そうで、しまいには台詞を忘れるかもしれないという不安からさらに飲むという悪循環に陥って、午前に書いたものを午後には忘れてしまうほどになったそうです。
 ジョンがグレアムの飲酒癖が深刻だと気付いたのは、最初の映画、1971年撮影の「アンド・ナウ」のロケの時だったそう。

 みんなが台本を忘れてきたことがあり、「グレアムのブリーフケースに台本が入っていた」とケースを開けたマイケルが唖然としてしまったことがあって、カバンの中には半分からになったジンの瓶が入っていたのだそう。誰かが「どうした?」と尋ねると、「朝はいっぱいだったのに」という答が返って来て、鞄を開けたのもまだ朝の10時でしかなかったということがあって、深刻にのめりこんでしまったのだと理解したそうです。一日にジンを2リットル飲むことさえあったそう。
 しかし1977年のクリスマス・イブ、お酒のせいでした大怪我のあとには、アルコール中毒を治す会などに行くこともなく、きっぱりやめられたそうです。「ライフ・オブ・ブライアン」の脚本を作っていた頃には深刻だった症状も、撮影時には完全にアルコールの悪影響からははなれることに成功していました。

 グレアムは酒のせいで遅刻することも多く、ジョンとのコンビ間での仕事時も、「グレアムと組む時には80パーセントかそれ以上は」ジョンがやらなければならなかったそうですが、みんなの目にそんな風に映っていながらも、演技やひらめきを全員が高く評価しており、予測不能な面白さを持つ人だったそうです。

 医師資格を生かして、医療ドラマの脚本を書いてもいるそう。
 主なソロ出演は、夫婦喧嘩から発展して行く、ロンドンを舞台にした洒脱なブラック・コメディとして評価の高い『オッド・ジョブ』、ピーター・クックたちと脚本を仕上げ主演した、『チーチー&マリン/イエロー・パイレイツ』。他にも、『サタデー・ナイト・ライブ』などのアメリカのTV番組や、アメリカやカナダの大学での講演活動を行ったりしています。

 ゲイであることを公言していて、ゲイの人権運動に積極的に関わった人でもあります。
 恋人とは長年連れ添い、家出少年を養子に貰って家庭を築いていました。

 ちなみに、ゲイであることを公言する以前には婚約した女性もおり、カミングアウトのパーティには、その婚約者も呼ばれていたそうです。なぜかグレアムはそのパーティーでの公言によって、エリックには意味が分からずショックを受けていた、というようなことを語りますが、後に恋人のデイビッド・シャーロック氏が語るところによれば、それはちょっとしたジョークで、でもエリックはそういうことには真面目に向きあうほうなので、グレアムはあとからそれを後悔していたらしいです。

 危険なスポーツ愛好会というものに所属していたこともあり、ランナーであったり、ロッククライミングや山登り、ラグビーなどもこなすスポーツマンの面もあったそうです。
 二十周年を迎える前夜に、癌で他界されています。死の際し彼は枕元にジョンを呼び、「君は自分を誇りに思うべきだよ! 初めてテレビでshitと言ったんだからな! だがな、ジョン、オレはおまえに、王室記念式典の最中に、fuckと言って欲しいんだ」と囁いたのだそうです。

 彼のお葬式で悼辞を読み上げるジョンを、DVD『モンティ・パイソン・アンソロジー』の「パイソン・ナイト」で見ることが出来ます。

 ちなみにアメリカ合衆国コロラド州で行われた『USコメディ・アーツ・フェスティバル』の表彰イベントには、遺灰(?)で出演。

  参考資料
「モンティ・パイソン大全」
「モンティ・パイソン・スピークス!」
「パイソン・ナイト」
「テリーギリアム映像大全」  など