■  2  夕暮の贈り物


時計の針は、夜の十一時を、回ろうとしていた。
玄関の開く音で、うとうととしていた少女は、はっと覚醒した。
遠慮がちな足取りで出迎えた少女は、既に廊下に充満しつつあったアルコールの匂いに、心中顔をしかめた。
「また、お酒、飲んできたの……?」
会社の付き合いだから仕方がないんだよと、逆に悪態をつかれた少女は、コップに水を注いで、差し出した。
「水じゃなくて、お酒……?駄目だよ、そんな」
間髪入れずに飛んできたビールの空の缶が、少女の額に当たってから、廊下を転がった。
少女は、さして驚いたふうでもなく、何事もなかったかのように、黙ったまま、そっと缶を拾い上げて、流し場で中を濯いでから、ゴミ袋に、入れた。
「……早く、帰ってきてくれないかな、パパ……」
ぽつりと、自分に言い聞かせるように、少女は、呟いた。


御月佳苗は、朝川家の雇われ家政婦である。
週に三度程来て、家事全般をこなし、日曜日には、一週間分の買い出しに出掛けてくれている。
また、御月佳苗は、御月七色の母である。
廊下で、彼方は、七色に、呼び止められた
「朝川……さん」
覚えのある透き通った声に、彼方は、立ち止まって、
「あ、御月さん、おはよう」
「はい」
透き通った瞳は、彼方を真っ直ぐに捉えていて、無機質な感じさえ受けた。
「今度の日曜日の買い出しは、朝川君と行くようにと、言われています」
と、事務的な調子で、七色が、言った。
「え?」
「母から、メールが、ありませんでしたか?」
彼方は、そう言われてチェックしてみると、確かに、早苗から、メールが届いていた。
『彼方君へ。いつもお世話になっています。今度の日曜日の買い出しは、七色と一緒に行って下さい。』
「ええと……確かに、メールがきているね。と、続きが、あるみたいだ」
『理由?偶には、さぼりたいからです。てへ☆』
思わず、脱力した彼方は、
「……お仕事放棄ですよ、佳苗さん」


「で、何なんだ?」
彼方は、教科書を、鞄から出しているところで、級友の乃木新谷に、声をかけられた。
「おはよう、新谷。何なんだって、何が?」
「おいおい。知らないとは、言わせないぜ」
「僕が、知らないって?」
「どうした、テンション低いみたいだが」
と、新谷は、肩をすくめた。
「新谷みたいに、能天気な性分じゃないしね」
「お前、偶に、さらっとキツイこと言うのな。お前らしいって言えば、そうなんだろうけどさ」
新谷は、にやっと笑って、
「さっき話し込んでいただろう」
新谷は、肘で、彼方を、突っついた。
「御月さんだよ。“クールビューティ”と、そんなに親しかったっけ?」
「挨拶をしただけだよ」
と、彼方は、言った。
「最近、御月さんと、良く話してるじゃねーか」
「そんなことないよ」
「そんなことあるって。大体、挨拶だけって、その挨拶だけでも凄いっての。あの美少女特有の近寄りがたさをものにしない、っていうのがさ」
新谷は、続けて、
「例えば、隣のクラスの糸川、知ってるだろう」
「ああ、うん」
「あのプレイボーイと名高い糸川さ。面食いのアイツが、珍しく本気で御月さんに告白するも、『興味ないです』のクールな一言で、五秒で撃沈されたそうだぜ。さすが、御月さん、激可愛いだけでなく、格好良いよなー」
それは、良く色々と色恋沙汰の噂を耳にする糸川自身に、問題があるように思えたが、七色のその返答は、彼女っぽいと思えて、彼方は、内心苦笑した。
「だから、そんな羨ましいお前には、放課後何か俺に奢るの刑だ」
「本当に、挨拶ぐらいさ」
「なんだ」
少し興味を失ったように、つまらなそうな表情になった新谷は、
「ま、冷静に考えりゃ、そうだよな。彼方みたいな、ごくごく普通の一学生風情が、あの御月さんとお近づきになれるわけもなし」
「……」
「ああっ!また、『新谷が馬鹿なこと言ってるから無視しよう』的な態度に落ち着くんじゃない!」
「……良くわかってるね」
「彼方のその台詞その冷静さが、たった今、俺の心を深く抉ったぞ」
とにかく、と新谷は、続けて、
「話せない故に、ミステリアス。そんなところも、御月さんの魅力だとは、思うけどな」
彼方は、席につきながら、
(御月さんのことを……知らない……か)
ほんの数週間前までは、彼方も、新谷と同じような認識しか、持ち合わせていなかった。
高嶺の花と呼ばれている同級生、それが、御月七色だった。
この前の出会いで、それが、呆気なく覆った。
(……“月詠みの巫女”……か)
教室の窓の外の朝の光に目を細めた彼方だったが、否応なしに、あの眩いイチョウ色の光が思い出されて、“爛”の存在が、頭の中で、ちらついた。


日曜日だけあって、また晴天ということもあるのだろう、樋野川駅前は、人で溢れていた。
駅前ロータリーは、二層構造になっていて、下の層は、タクシーとバスの発着場があり、上の層が、デパート等の商業施設やオフィスビルに繋がるメインストリートになっている。
彼方と七色は、人の流れに沿う様な形で、進んでいった。
「何処に行こうか、御月さん」
と、彼方は、七色に歩調を合わせながら、訊いた。
七色は、葉坂学園の制服ではなく、私服で、白のワンピースという恰好だった。
え、と七色は、少し不思議そうな顔をして、
「夕食の材料の買出しに行くのですよね」
と、言った。
「そうだね」
今日は、七色が、家の用事を引き受けてくれるというので、折角だからと、少し早めの、買い出しに誘ってみたのだった。
「でしたら、スーパーかと」
「や、それは分かっているよ。でも、まだ午後の二時だ」
「はい」
と、七色は、短く応えた。
「時間に余裕もあるんだし、偶には、少しぶらぶらしてみるのも良いんじゃないかな」
うん、と頷いた彼方は、
「三時とか、何か美味しいものでも……」
ふと、七色の足が、止まった。
ファンシーショップの前だった。
ショーウィンドウの中の、紫色と白色の格子の可愛らしいシートの上に、丁寧に並べられたぬいぐるみは、男の彼方から見ても、女の子らしい可愛さを備えたものが、揃っていた。
中でも、七色の目に留まったのは、小さな白い猫のぬいぐるみだったようで、じっと見つめていた。
「……」
「御月さん。入ってみる?」
彼方が、言った。
「……良いのですか?」
「僕も、少し見てみたいしね」
店内に入ると、女の子然とした可愛らしい店内はもとより、大きさや種類の多彩なぬいぐるみの数に、彼方は、圧倒されそうになった。
「や。色々あるね」
「いらっしゃいませ」
声が、掛かる。
店員なのだろう、ふわりと微笑んだ少女は、歳も彼方達とあまり変わらなそうだが、漆黒を思わせる黒髪と少し憂いを湛えたような瞳が、落ち着いた感じと大人びた印象を、少女に、与えていた。
「何をお求めかしら?」
透き通るような声で、少女は、訊いてきた。
「……って、杏朱じゃないか!」
彼方は、思わず、声をあげた。
「あら、今頃、気付いたのかしら」
にっこりと微笑んだ少女は、彼方と同級生の、好峰杏朱だった。
「こんなところで、何をやっているの?」
「見ての通り、バイトね」
「それは見れば、わかるけれども、バイトしているなんて、聞いたこともなかったし」
「訊かれなかったから、話さなかっただけよ」
「……」
七色は、一点を見つめていた。
視線の先を追うと、先程のぬいぐるみの色違いのものが、置かれていた。
「ふふ。御目が高いのね。」
「そんなにすごいものなの?」
思わず、そう訊いてしまった彼方には、ごく普通の猫のぬいぐるみにしか見えなかった。
「あら。知らないの?」
少し驚いたように、瞳を瞬いた杏朱は、言った。
「有名なんだ」
「有名もなにも、かの著名なイタリアのデザイナー、グレゴリア・ルースと、日本の新進気鋭のイラストレーター、加納禎との、コラボレーション作品なのよ?」
彼方は、加納禎というデザイナーの名前は聞いたことがあったので、
「そんなに凄いの?」
「冗談よ」
くすりと、杏主は、微笑んだ。
「……あのね」
「……『なご猫』って言うんです」
と、七色は、言った。
「なごねこ?」
どこかで見聞きしたことのあるフレーズだが、曖昧なイメージは拭えずに、彼方は、鸚鵡返しに聞いた。
「和んでいる猫、省略して、『なご猫』です」
七色は、生真面目な顔をして、彼方に、解説をした。
「和んでいる、ねえ」
言われてみれば、確かに、そんな感じのする造形ではある。
「えっと……ほわほわしてる感じがするじゃないですか」
「まあ。とにかく、女の子には、人気の高いシリーズかしらね」
と、杏朱は、微笑んだ。
「こっちが、プルシャ君、そちらが、ミレイちゃん、あちらが、リリー君で……」
「随分と種類があるんだね。道理で、色違いのものが、多い訳だ」
「色違いではなくて、別キャラです。良く見てください、顔が、全然違います」
普段の七色からは想像つかないツッコミに、彼方は、苦笑した。
「最近のトレンドくらいはおさえておかないとね、朝川君」
細い指を顎にそえる仕草で、杏朱は、言った。
「トレンド、か。覚えておくよ」
「今なら、お安くしておくけれど?」
「杏朱に、値下げ交渉の決定権なんてあるの?」
「ふふ。販売実績から、店長に、一任されているわ」
「そいつは、凄いな」
「冗談よ」
「……」
「でも、今なら、セールで少しお買い得なのは、本当よ?」
「じゃあ、それを頼むよ」
「朝川さん……?」
「今日は、僕の買い物に付き合ってくれてるんだから、お礼くらいさせてよ」
と、彼方は、微笑んだ。
「はい。どうもありがとう」
杏朱は、素早く、丁寧にラッピングを施して、七色に、手渡した。
ふふ、と柔らかな笑みを浮かべた杏朱は、
「良かったわね」
「……」
七色は、俯いていた。
「……『えっと、御月さん?』『これって、何だか……デート……みたいです』みたい、じゃないんだが、と心で思う彼方だったが、改めてそのデートという単語を頭で考えると、妙に気恥ずかしくなり、自然と誤魔化す方向に傾いてしまう……」
「って、杏朱!変な独白をするんじゃない!」


公園の広場にさしかかって、彼方は、
「少し休んでいこうか」
と、誘った。
自販機で飲み物を買って、ベンチに腰掛けた。
「今日は、どうもありがとうございました」
と、七色が、言った。
「や。僕の方こそ、色々と買い出しを手伝ってもらっちゃって、助かったよ。ありがとう、御月さん」
「いえ」
七色は、オレンジジュースを少し飲んでから、
「あの、先程のお店の店員さんは……」
「お店の店員……?」
綺麗にラッピングされた包装袋が、かさりと音を立てた。
「ああ。僕と同じ天文部の生徒でね、杏朱、好峰杏朱」
「好峰……杏朱……さん」
七色は、呟くように、言った。
「少し、冗談が行き過ぎるところもあるけれどもね」
と、彼方は、苦笑した。
「そう、ですか」
「杏朱が、どうかしたの?」
「いえ」
彼方に訊かれた七色は、少し俯いた。
「名字じゃなかったので……」
七色は、遠慮がちに、彼方を見た。
「ああ、名前の方で呼んでいるってこと?いつの間にか、そんな感じになっていてね」
「……良いな……」
「何か、言った?」
「……いいえ」
足元に、サッカーボールが、転がってきた。
彼方が、前方を見やると、どうやらサッカーに興じていた少年達のものらしかった。
「はい」
一人の少年が、元気良く駆けて来たので、彼方は、ボールを、少年に手渡した。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「全く、お前の必殺シュートは、かっ飛び過ぎるんだよ」
対して悪びれる様子もなく、少年は、笑いながら、
「悪い悪い」
「必殺シュート、か」
「そうだよ。俺の必殺シュート。この前の学校の試合でも、四点も入れたんだからな」
「そいつは、凄いね。四点か」
「そうそう。俺の『レッドドラゴンローリング』を止められるキーパーなんて、いないぜ」
七色は、さして表情を変えていないようにも見えたが、少し微笑んでいるようにも見えた。
「そうだ」
少年は、思いついたように、言った。
「お兄ちゃん達にも、俺の必殺技を見せてやるよ」
「うん、見せてみて」
テレビのヒーロー物の必殺技の真似事でもするのだろうか、と彼方は、微笑んだ。
「いくぜ……!最終奥義……必殺……」
少年が、低く腰を沈めて、構えをとった。
「ギャラクシー……スカート……ブレイカー!!」
一陣の風が舞ったかと思うと、七色の服が、綺麗に捲れてしまっていた。
「……!」
七色の白のワンピースが、ふわっと動いたかと思うと、白い肌色が目に映って、それが、七色の脚だとわかるのに、数秒かかって、直ぐに、純白の色が、彼方の目に、自然と映った。
一瞬時が停まったかのような沈黙は、少年の改心の一声で、破られた。
「……よし、成功だぜ!」
七色は、放心したように小さく口を開いていたものの、我に返って、紅潮した顔のまま、ワンピースの裾を押さえた。
「さすがだぜ!大人のお姉ちゃん相手でも、容赦なしかよ!」
「やるな!」
周りの少年達の喝采に、少年も、満足そうに頷いていた。
「……」
一方の七色は、呆然とした様子で、一言も発しなかった。
「こらー!」
幼い怒号が、彼方達の前方から、飛んできた。
「うわっ、春野!?」
少年達と同じくらいの歳の少女だった。
「また、悪戯したんでしょっ!」
「違うって、必殺技を……」
「それを悪戯って言うの!」
間髪入れず、ぽかりと少女のチョップが、少年の頭に突き刺さった。
少女は、彼方達に、向き直って、
「ごめんなさい、お兄さんお姉さん。春野美香って言います。こいつの、いえ、この南条聡君の同級生です。この度は、南条君が、ご迷惑をおかけして……本当に、ごめんなさい!」
ぺこりと頭を下げた。
「アンタも早く謝りなさいよね」
少女に窘められた南条少年は、面倒そうに、
「うるさいんだよなー、春野は」
「南条君!」
少女の大きな声に気圧される感じになった少年は、わかったよ、と肩を竦めた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ごめんなさい」
「本当に、ごめんなさい」
少女は、一言添えて、少年の腕を引っ張っていった。
「……ありゃあ、いつものお説教コースだぜ」
「さすがの南条も、学級委員長の春野さんには、頭があがらないみたいだからな」
「アンタ達も、同罪だからね!」
「……」
顔を見合わせた周りの少年達も、順次解散していった。
気付けば、先程のまでの騒がしさは嘘のように消え去った公園の空は、もう夕暮の色に染まっていた。
「御月さん」
と、彼方は、話しかけた。
「……」
「あの、御月さん」
彼方は、もう一度、話しかけた。
「何でしょうか?」
「や。僕が、何も見ていないから」
「……」
「えと……御月さん?」
七色は、彼方の方を向かずに、
「……そういうことは、言わないでいただけると、助かります」
「……ごめん」
「行こうか、御月さん」
「……はい」
言葉少なに答えた七色は、目を細めていた。
何となく気まずい雰囲気を二人で抱え込みながら、帰途についた彼方達だったが、
あ、と七色は、言い淀んだ。
「どうしたの?」
と、彼方は、言った。
「この気配……近い」
七色の口調に、緊張を感じた彼方は、
「まさか……“爛” ……?」
静かに頷いた七色に向かって、彼方は、
「わかった。一緒に行こう」
と、言った。


日は、すっかりと落ちていた。
住宅街から少し外れた場所に位置する土手に辿り着いた七色は、無言で、進んだ。
草の揺れる音と川のせせらぎが、はっきりと聞こえる程、辺りは、静寂に包まれていた。
先程会ったばかりの少女が、棒立ちになっていて、その前には、三十代と思しきスーツ姿の男性が、尻餅をついていた。
「そんな……」
七色は、呻くように、言った。
少女の方に見覚えのある彼方も、七色のその声に、言葉を失った。
「あの子から、“爛”の気配……」
それでも、七色は、二人の間に入ると、
「大丈夫ですか?」
訊かれた男性は、首を縦に振るのが、やっとの様子だった。
「何で邪魔をするの、お姉ちゃん」
険のある声が、夜風に、響いた。
「……」
答えない七色の代わりに、彼方は、前に進み出て、
「春野……美香ちゃん、だっけ。どうして君が……」
「何で、私の名前を知ってるの?」
訝しげな少女に、彼方も、戸惑ってしまった。
「どうしてって、さっき会ったばかりじゃないか」
「会ったばかり?私は、お兄さん達なんか知らない」
少女は、頭を振って、
「邪魔だから、そこをどいてよ」
「……これは……」
少女の様子が、おかしいのは、明白だった。
「あの子は、願いに侵食されてしまっている。自身の記憶さえ、蝕まれはじめている」
「記憶を失ってしまっている、ということ?」
彼方に訊かれた七色は、頷いた。
「願い?」
小首を傾げた少女は、にっこりと笑った。
「うん、あるよ、パパに、昔の優しいパパに戻ってもらうこと」
少女が右手を開くと同時に、砂利が、竜巻のように舞い上がった。
「ああああああああああああああああああーーーーっ!」
尻餅をついて、立ち上がれない男。
少女の服は、破れかけていて、肌が、顕になっていた。
胸や腹には、所々に、痛々しい痣が、あった。
「私は、お星様に、お願いしただけ!」
竜巻が、一層大きくなった。
「ママが、死んじゃって、とっても寂しかった!でも、パパが優しくしてくれた……でも、パパは変わっちゃった!」
進み出た七色に、彼方は、
「待って!御月さん、女の子なんだ……何か他に方法は……!」
「彼女は、“爛”、です」
七色の手には、剣が、握られていた。
「“爛”としての顕現に、身体が耐えられなくなっています。この子の自我は、もう消えてしまう」
「どいてよね、お姉さん」
七色は、答えずに、双剣を、構えた。
「私はね、パパを懲らしめようとしているだけなんだよ?悪い悪いパパをね。それなのに、どうして邪魔をするの?」
「そして、既に暴走してしまった“爛”は、斬るしかありません」
「御月さん、それは……!」
「……それしかないんです!」
七色の大声に、彼方は、驚いて、言葉を失っていた。
七色は、そのまま、目の前の“爛”に向かって、駆け込んでいた。
短く息を吐いた七色は、横薙ぎを、放ったが、少女に届く前に、その一閃が、停まった。
「……これは」
「透明な護り手……この自由自在に操れる見えない壁のことを、そう呼んでるの」
「……そう、ですか」
続けて放った、縦薙ぎも、不可視の壁に、簡単に弾き返された。
「お姉さんの剣の威力は、もうわかった」
と、少女は、つまらなそうに短く言った。
「直ぐに殺してあげるよ。全然怖くなんかないよ、痛いのは、一瞬だけだから。それに、怖い思いをして欲しいのは、パパだからね」
「……」
七色は、剣を構えた。
「お姉ちゃんの攻撃は、痛くないって、何度言ったら……」
「この剣には、こういう使い方も、ある」
七色の双剣が、連結されて、薙刀状の一振りの剣となった。
「……え……?」
不可視の壁の砕ける音がして、
「護り手が……壊れ……どうして!」
七色の一閃が、少女の胸元に、届いた。
「斬撃の威力がずっと同じだったのは、引っ掛けで。春香の油断を誘うため……?」
一瞬、春香の身体が、眩い滅びの光を、放った。
「ありがとう」
少女の身体が、光に、包まれた。
「私を止めてくれて」
「……お別れだね、お姉さん……」
「……これは」
「最後に、私のわがままきいてくれるかな」
少女が、取り出したのは、薄いブルーのラッピングだった。
「良かった、これまでは、なくならないんだ……」
少女の身体がばっと燃え上がり、黄金色の残滓が弾け飛び、その欠片が、白い光となって、霧散した。
草の揺れる音が、静かに響いていた。
「お、俺だって!辛かったんだ!会社じゃ良いように扱き使われて……出世も望めないで……何もかも全然うまくいかなくて……!」
何もかもかなぐり捨てた勢いで、男は、喚いていた。
男の言うことは、多分、本当のことなのだろう。
「それは、貴方の事情です」
と、七色は、言った。
「大人の理屈に、子供を、巻き込まないで」
「……」
「後は、貴方が、自身で決めて下さい」
“爛”は、人の願いが、星に届いて、顕在化されたものだという。
人の願いは、時には、狂気となり、人を傷つける存在を、生むということなのだろうか。
(それでも)
星に届いた願いは、それがどのようなものであっても、やはり、願い、なのだ。
世界の理を護るという使命があって、その願いを断ち切るのが、“月詠みの巫女”というのなら、
(御月さん……)
彼方は、星空を仰いだ。


ベンチに、腰掛けている七色を、彼方は、見つけた。
七色は、手元の、可愛らしいラッピングを、ただ柔らかく握り締めていた。
「御月さん」
声をかけられて、ゆっくりと七色は、顔をあげて、彼方がいることに少し驚いたように目を開いたが、また俯いてしまった。
「御月さん、行こうか」
「行くって……?」
「届け物を、迷子のままにしておくことはできないからね」
と、彼方は、静かに微笑んだ。
「……朝川君……」
七色は、彼方と、目を合わせようとしなかった。
「私は、巫女なのに……」
「……」
「あの子を……!」
不意に、七色は、彼方の胸に、顔を押し付けていた。
七色の肩が震えて、小さな嗚咽が、直に響いてきた。
彼方は、そっと、七色を抱き締めた。


夕暮の公園は、人影も、疎らだった。
「兄ちゃん達は……」
少年は、サッカーボールのリフティングを中断した。
少年の質問は、もっともなことだった。
「君に、これを届けてくれるように、春香ちゃんから、頼まれてね」
「春香……?南條のこと……?」
「うん」
彼方は、薄いブルーのラッピングを、少年に差し出した。
少年にも、自分に渡されたものがどういうものなのかがわかったようで、少し照れくさそうにしながら、
「べつに、学校で、渡してくれても良いのにな。でも、何で兄ちゃん達が?」
頼まれてね、と彼方は、言った。
「少し遠くに、引越しちゃうらしくてね」
「え……?」
少年は、戸惑ったように、
「そんな話、聞いてなかったけど」
「じゃあ、僕達は、もう行くからね」
「ありがとう。兄ちゃん、姉ちゃん……」
と、少年は、言った。