BACK ♦♦屋久島縄文杉を訪ねて♦♦

  屋久島固有のスギの中で樹齢1000年以上のものを「屋久杉」といい、現在、屋久杉は2000本以上あり、なかでも、標高1300mの地点で、1966(昭和41)年に発見された「縄文杉」は、樹高30m、根回り43mの巨木である。樹齢は幹の生育と気象から算出した7200年説、この島が火山才砕屑物に埋まった年代以降の発芽説からと見た6300年説のほか、放射性炭素を使った測定法から2170年とする説など諸説がある。
  
  屋久島の特異の環境下で育った優れた耐久性と細かく美しい木目を持つ屋久杉が、木材として珍重され、16世紀半ばごろになると、伐採の記録が見られるようになり、江戸時代に入ると本格的な伐採が始まった。木目が通り加工しやすい屋久杉だけが切られ、コブだらけで複雑な幹を持った縄文杉などは、加工が難しく、使い道がないとして伐採を免れて生き残ったという。人間が作り出した皮肉な運命というべきであろうか。
  
  世界遺産の登録(1993年)で縄文杉の存在を知らされた時から、一度、この目で見たいとの思いが、年を重ねるごとに高まっていった。しかし、ツアーを好まない自分には、なかなかチャンスが訪れず、結局、ひとり旅での決行となった。
5月17日
  モーニングコールを4時半に依頼して就眠したが、気が高ぶっていたためか3時半には目が覚めてしまった。天気予報は曇りとあったが窓にあたる雨の音がする。しばらく床の中で決行を今日にするか、明日にするかを考えているうちに4時半になってしまった。しかし、頼んだモーニングコールが鳴らない。原因は装置の故障との説明であったが困ったものである。
  フロントで屋久島の天気を確認すると、朝の雨なので日中には止み、予報通り曇りになるでしょうとのこと、しかし「荒川登山口」に行っても雨が止まなければ、そこで完全な雨具の装備が必要であるとのアドバイス。
  
  バス亭は近くにありますよと云われて、一人で暗い夜道を歩いてホテルを出たが、バス停で時刻表5時23分を確認したものの、バスが来るまでは心配であった。空は明るくなったものの、真っ赤な朝やけ、朝焼けは雨の兆候か。「屋久杉自然館」でエコーバス(5時40分)に乗り換え、今度は「荒川登山口」に向ったが、止んでいた雨がまた降り出した。到着時間の6時25分頃になると本格的な土砂降りの雨、ツアー客を乗せたバス3台が到着すると、雨具の着替えで狭い小屋とトイレは大混雑である。

  激しい雨に縄文杉登山は断念しようかとの邪念が生まれたが、これ以上の気象条件は悪化しないであろうと、前向きに考え、朝食のおにぎりを食べると、すぐに6時35分「荒川登山口」を出発した。最初の8キロの道はトロッコ軌道の平坦な道なので、完全装備に携帯傘をさして歩くことが出来るのであまり雨に濡れない。

  しかし、40分程歩くと土砂崩れで、アルミの滑りやすい階段と岩がごろごろした山道を登る迂回道になっており、トロッコ軌道に出るまでの30分間はキツイ道であった。ガヤガヤとおしゃべりをしたハイキングクラブの女性たち6名が予定時刻より遅れていると追い越して行ったが、まだまだ激しい雨と一人歩きが続く。

  「三代杉」を通り過ぎると、突然、木の上の方で木を揺すぶるガヤガヤした音、見上げると猿の一団が移動している。木に覆われた道になると、激しい雨も木の枝で遮られ歩き易くなり、遠方を見ながら歩く余裕も出てきた。今度は黒い大きなものの動くのが見える、鹿のお出ましである。ひとり歩きの山道には、いろいろな動物との出会いが待っている。

  平坦な道を3時間歩いてようやく、「大株歩道入口」に到着、いよいよここから本格的な山登りの開始である。まだ雨は降り続いている、深呼吸をしながらゆっくりしたペースで40分程登ると、「扇杉」、「ウイルソン株」との出会いである。ここまで登ってくると雨も止んだので、重い雨具のズボンを脱ぐと、何となく足が軽くなったので登る元気が出てきた。

  道は木を傷めないようにつくられた木の階段を登ったり、下ったりの木道が続く。「大王杉」、「夫婦杉」と次々と巨木が現れる。しかし縄文杉は一向に見えてこない、既に縄文杉を見て降りてくる人に尋ねると、もうすぐというが、きびしい上がり下りの山道が続く。遂に木でつくられた櫓が見えてきた、どうやらその向こうにあるらしい、残り40数段の階段を登りきれば縄文杉に会えるのだ。約5時間の歩行時間であったが、木で作られた舞台から、縄文杉との対面で疲れは飛んでしまった。

  この世に釈尊やキリストより早く生まれ、流転の世界を見てきたことに違いない偉大な老木は厳しい環境の中で生き抜いてますます威光を放ち、異彩とともに圧倒的な雄姿を見せていた。確かに縄文杉の樹齢の長さに比べれば、人間の命など一瞬に過ぎなく、はかないもの、それがお互いに遭遇出来たのは奇跡と言っても過言ではなかろう。
  
  縄文杉が与えてくれた感動とすべてのものに感謝したい心境は、自分の足でしっかりと、忍耐強く片道5時間の山道を一歩一歩と登って来た人たちのみに与えられる特権なのであろうか。自分にとって最初で最後の忘れられない縄文杉との出会いとなった。

補足:
① 杉の長寿の秘密は厳しい環境の贈り物。つまり島の大部分は花崗岩からなるため土地が痩せており、杉の成長が遅く、硬く詰まった木目となる。通常の杉より樹脂が多く、抗菌・防虫効果があり、多雨で湿気の多い環境下でも木を腐食から守られ、長く成長するという。
② 縄文杉:
③ 放射性炭素測定法:
樹齢を測定方法で、木に含まれる炭素14という原子の数から樹齢を割り出す。
④ ウイルソン株:
巨大な切り株で、世界に最初に屋久島を紹介したアメリカの植物学者ウイルソンの名にちなんで名付けられた。天正14年(1586)豊臣秀吉が島津氏に命じて伐採された木材は、京都の方広寺の建材に使われたと云われ、その切り株をいう。


屋久島
自然遺産/1993年登録


写真左から

1)櫓の左から見た縄文杉
2)櫓の中央から
3)登山の証拠写真


写真左から

1)ウイルソンの切り株
2)夫婦杉
3)紀元杉(一般の観光バスでれる