| ★★★★★≪世界遺産≫ 21世紀にふさわしい心ゆたかなシニアをめざして |
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| メキシコ国立博物館展示:「ケツァルコアトルの神殿複製」 「太陽の円盤 太陽のピラミッド前で発見」 「球枝場で使った球」 |
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| ◆失われた文明を訪ねて(その2)◆ |
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メキシコ・シティに3連泊して、アステカ文明の残した遺跡など4ヶ所の世界遺産の見学が終わると、今度はマヤ遺跡の拠点であるメリダに飛んだ。空港検査が厳しく国内線でも集合時間が2時間半前である。空港6時20分の出発でモーニングコールは3時半と朝が早い。
メリダまで約2時間のフライトであったが、空から見たユカタン半島には川らしきものは見当たらない。広大な大地は石灰岩でカルスト地形が発達していて、降った雨は土にしみ込んで地下水脈にながれ、地上には川は流れていない。(左写真:ユカタ半島と世界遺産)
地下水の一部が湧き出し、大小さまざまなセノーテ(泉)が見られる。その数、約3000ヶ所もあり、マヤ文明はこの緑深い森林地帯のセノーテ(泉)の近くに都市国家が生まれ、発展した。
現在、マヤの遺跡は考古学的な調査によって、数百もの遺跡が記録され、全体で判明している遺跡の数は4400ヶ所を超えているという。
中でもマヤの考古学上重要な世界遺産として、メキシコにはウシュマル(1996年登録)、カラクルム(2002年登録)、チチェン・イツァ(1988年登録)、バレンケ(1987年登録)など4ヶ所、グアテマラではキグリア(2002年登録)とティカル(1979年登録)の2ヶ所、その他、ホンジュラスのコパン(1980年登録)とエルサルバドルのホヤ・デ・セレン(1993年)などがある。
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付記:メリダ
現在、メリダは70万人が住むマヤ遺跡の観光拠点。1542年にフランシスコ・モンテホが率いるスペイン軍がメキシコの先住民を制圧し、カトリックに改宗させる基地となった。街の中心部には植民時代のスペインの建物が残る。
また野口英世博士が1919年から1920年にかけて黄熱病の研究を行った地であり、彼の銅像がオーラン病院の入口に建っている。 |
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| 世界遺産「ウシュウマルの古代都市」 文化遺産/1996登録 |
写真左から
1)「魔法使いのピラミッド」 高さ約37m
楕円形で長さ約73m、幅約37m
118段の階段を上がると、頂上に神殿がある
2「尼僧院」 広大な中庭を4つの建物で囲んでいる
建物は小部屋を持つ
3)「総督の宮殿」 高さ約8m
横96m 奥行き12m |
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世界遺産「ウシュマルの古代都市」はメリダの南方78kmにある遺跡で南北に約1km、東西に約600mの長方形でジャングルに囲まれている。ウシュマルは古いマヤ語の名称と考えられ、「三度にわたって建てられた町」という意味である。大部分の建物は、一般のマヤ様式と違って、プウク様式という独特の建築様式の建物が15棟程残る。ウシュマルは何代にもわたってシウ家によって支配され、7〜10世紀かけて繁栄し人口は約2万5千人に達した。
この地域の強力な都市国家としてチチェン・イツァと同盟を結び北部ユカタン全域を支配していた。紀元1200年以降は新たな建築はなく、シウ家が、マニへ首都を移すと人口は減少していった。1521年、スペインの征服があったが、1550年代までは人々が住み、その後はスペイン風の建物は建てられずウシュマルは放棄された。
一方、日本では、同じころ、1543年にポルトガルからの鉄砲伝来、1555年の川名島の戦い、1560年の桶狭間の戦いなど戦国時代にあった。。
付記:プウク様式
通常のマヤ建築とは異なり、壁にはコンクリートが用いられ、方形で平らな屋根の建物の、壁面の半分にだけにモザイク装飾を施すのが特徴。 |
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| 世界遺産「チチェン・イツァの古代都市」 文化遺産/1988登録 |
写真左から
1)「カラコル天文台」 南北67m 東西52m
約9mの岩に高さ約13m
2)現在、復元の「エル・カスティーリョ」
高さ24m 基底部159mX159m
頂上部には「ククルカンの神殿」あり
3)1840年に描かれた「エル・カスティーリョ」 ※※
(その当時は風化で形は崩れ木が茂っていた)
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※※
1839〜1841にかけて、イギリス人建築家で画家でもあったフレデリック・キャザウッド(Frederick Catherwood)とアメリカ人弁護士で外交官でもあったジョン・スチーブンス(John Lloyd Stephens)がマヤの共同探検を行った。1843年に『ユカタンの旅の事物記』を出版、キャザウッドがリトグラフ(銅版画)で描いたチチン・イツァの「ククルカンのピラミッド」の絵で当時は風化で形は崩れて木が生い茂っていた様子がわかる。 |
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1)「戦士の神殿」3層の基壇をもつ神殿の周辺を戦士 の石柱群が囲む(千本柱の神殿とも呼ばれている)
2)「球技場」 縦168m 横70m 壁の高さ8m
壁の中央にまるい穴のあいたものに、球を通す球技
3)「セノーテ(聖なる泉)」
縦横50m〜60m 深さ約20m
陸から水面まで約20m
ユカタ半島にはセノーテが約3000ヶ所点在する
ここ「チチェン・イツァ」には2ヶ所のセノーテあり |
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世界遺産「チチェン・イツァの古代都市」はメリダの東方120kmにあり、マヤ語で「泉のほとりの水の魔術師」を意味するとおり、この都市は、セノーテと呼ばれる天然の泉の近くに築かれた。年代別の繁栄から「旧チチェン」と「新チチェン」時代の遺跡があり、合せた総面積は6平方キロと広大な面積となっている。
「旧チチェン」はイツァ族によって450年頃から築かれ、天体観測に使われたカラコルなどを残して、7世紀末に突然にこの場所を去っていった。 その後ここを支配したのはトルテカ族で、新しい都市国家「新チチェン」を築き、9〜10世紀には国際都市として発展し、繁栄した。しかしその後12世紀頃にはマヤパンの支配下に置かれ、また衰退してしまった。
現在、「新チチェン」時代の遺跡が多く残っており、写真で紹介しているような「エル・カスティーリョ」や「戦士の神殿」、「球技場」、「セノーテ」などがある。
中心となる「エル・カスティーリョ」の遺跡は9段の大きな階層からなり、91段の急な階段を4面に配置して、最上段に「ククルカンの神殿」が建っている。91段の4面の数は全部で364段になる、これに最上段の1段を加えると、丁度365段で365日になる。また9段の階層は階段で分断されているので合計18段となる。
これはマヤの暦の1年(18ヶ月365日)を表すことから、別名「暦のミラミッド」とも呼ばれている。北面の91段の最下段にククルカンの頭部の大きな彫刻がり、春分の日・秋分の日の太陽の沈む時刻によって、真西から照らされた階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が見られることで有名で、この光景を見るために4〜5万人の見物人が集まっている。
エル・カスティーリョに西側にある「戦士の神殿」では太陽の消滅を防ぐためには人間の新鮮な心臓を神に奉げる儀式を行っていた。頂上部にあった神殿入口にはチャクモール像が置かれ、戦争で生け捕りされた捕虜たちを生贄として奉げた。平和になり、生きた捕虜が捕獲できなくなると「球技場」で宗教の儀式を行い、7人が一つの組になって穴に球を通す競技で負けた組は、生贄として心臓がえぐりとられ神への供え物となったという。
1885年メキシコ駐在のアメリカ領事に任命されたH.トムソンは100平方マイルのジャングルを75米ドルで買いあげた。この中にチチェン・イツァの遺跡も入っていたので遺跡を自分の住み家に、いろいろの採掘を行っている。ハバード大学の博物館に働きかけて、セノーテ(聖の泉)写真にダイバーたちを潜水させ、40人の遺骨と何千もの美術工芸品を引き上げた。この中にはマヤとアスカ時代で最も珍重された翡翠の工芸品が3400個も発見され、メキシコ人類博物館に陳列されている。
足元に見えるセノーテ(聖の泉)は失われた文明のすべてのみこんでしまったかのように、深くなった静かな水面をルビー色に染めていた。
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紀行文(その2)で訪れた世界遺産一覧表
「ウシュマルの古代都市」 文化遺産/1996年登録
「チチェン・イツァの古代都市」 文化遺産/1988年登録
失われた文明(その2)は終わります |
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