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21世紀にふさわしい心ゆたかなシニアをめざして |
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| みどりと環境を |
越谷市(市役所全景 花田苑 2009/4月撮影 |
| 大きなテーマとして |
シニアネット越谷 Senior Net Koshigaya |
| シニアネット越谷(Senior Net Koshigaya Association) |
| ◆徳川家康と越ヶ谷御殿跡 ◆ |
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※≪越谷御殿の跡≫碑ガ立つ ※川から見た現在の≪御殿跡≫
(写真拡大) |
人々に語り継がれる『御殿町』という地名にその名を残して、御殿の面影を偲ばせるものは何も残っていなかった。久伊豆神社前の元荒川べりの一角にあり、当時、その面積は六町歩(約6ヘクタール)あったという。。
徳川家康は慶長七年(1602)奥州道を公道に指定し、越谷宿を取り立てた慶長九年(1604)には増林にあった御茶屋御殿を越谷郷土豪会田出羽資久の敷地内(元荒川べり)に移し、壮大な御殿を建造したのである。
家康は民情視察を兼ねた鷹狩でしばしばこの越ヶ谷御殿を訪れている、特に慶長十八年(1613)には三度も来て,十九羽の鶴を捕らえたとごきげんであったという。
≪越谷の空にはいつも鶴が舞っている、想像するだけでも楽しくなりますね。≫
一方で私たちがテーマにしている≪みどりと環境≫を大きなテーマとして、、、、昔と現在とを比較すると環境の変化に考えさせられますね!
その後44年が経過した、明暦三年(1657)の一月なると、江戸に大火があり江戸城が全焼した。このため急遽、越谷御殿は解体され、江戸城二の丸の将軍の仮行居館として移設されてしまったのである。 江戸城二の丸に移設さえた『越ケ谷御殿』は今どうなっているでしょうか?確認したいものである。
この御殿の跡地は全て畑や住宅地になり、上記の写真のように御殿は跡かたもない。≪御殿≫の地名だけは消えず現在に伝えられている。すなわち元荒川べりの御殿場町である。しかし、この地名を残したのは真に当時の越ヶ谷住民の英知であったと思う。
現在、都市合併が益々進んで歴史的な地名が失われてゆくのは残念である。何でもドイツでは法律で歴史的地名は残すというから羨ましいかぎりである。
参考文献:わが町の歴史越谷 越谷風土記
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