BACK ♦♦シリアの世界遺産を訪ねて♦♦

 国境から約20キロ走ると、バスは人口数千人の小さな街、シリアのボスラに着いた。
ボスラは紀元前85年ナバテア人の北の都となる。紀元106年ローマの属州へ。劇場は其の時のもの。12世紀に十字軍の進入に備えて要塞化された。其の為、地震にも耐えられ、保存状態も写真で見られるように良い。 37列の座席に約5000人を収容。天井はテント地のような布で覆う事が出来たようで、その跡が今でも残っている。

●世界遺産 隊商都市ボスラ 文化遺産/1980登録
地図シリアの国旗: ★中東最大≪ローマ劇場≫5000人が収容できる
●隊商都市ボスラ ★座席37列を反対側の座席から撮る 
文化遺産/1980年登録 ★舞台中央を座席最上部から撮る
  シリアの面積は18.5万平方キロ(日本の約1/2倍)で、人口は約1836万人≪アラブ人85%、クルド人10%、その他)が住む。主な輸出品は石油、石油製品などがある
世界遺産は5件あり、今回、列記下通りすべて5件を訪ねた。
  

●世界遺産 ダマスカスの旧市街 文化遺産/1979登録
●ダマスカスの旧市街 
文化遺産/1979登録
★ウマイヤド、モスク
*紀元715年に建てられた、現存、最古のモスク。メッカ、メディナ、エルサレムに継ぐ4番目の聖地である。もともとは、イスラム人の神殿『ハダテ神殿』だったが、ローマ時代には『ジュピター神殿』、ビザンチン時代には『教会』そしてウマイア朝時代にモスクとなった。
★紀元前715年に建てられたウマイヤ・モスク列柱や凱旋門など
★モスクの中には別世界
★モスクの内部でお祈り用のじゅうたんが敷き占められている

●世界遺産 古代都市パルミラ 文化遺産/1980登録
●古代都市パルミラ 
文化遺産/1980登録

 ◆クリック◆ つかぬ間 女王の帝国
Site of Palmyra
★『パルミラ』とは『なつめやし』のことで、ギリシャ語の『パルマ』から来ている。もともとこの町は『タドモル』と言い、これはヤム語の『タマル(ナツメヤシ)』と、言う説や、タトモル『包む』と、言う説などがある。紀元前19世紀には、集落が出来ていたと、カッパドキア(トルコ)で発見されたアッシリアの契約文書の中に、パルミラのことが書かれているという。 またマリで発見された、バビロニア王ハンムラビ時代の粘土板にもパルミラの集落のことが記載されているというから、古くから発展してきた都市である。

●世界遺産 アレッポの旧市街 文化遺産/1986登録
●アレッポの旧市街 
文化遺産/1986登録影

★アレッポ城
*標高440mの丘にあるアレッポ城は、昔、地元のハダト神殿があった宗教的な場所。12世紀に十字軍に攻め込まれた時は、要塞として重要な役割を演じる。入口には油落としあり、二頭のライオンの扉がある。
*アイコーブ朝の宮殿➞広間の天井には素晴らしい装飾。浴場の天井には、明り取りの丸穴が沢山ありレンズに写すとシャンデリヤの様に見えました。➞秘密通路を通って外へ。途中入口で見た『油落し』の場所にもどる。
★アレッポ城の全景  
★アレッポ城からモスクを中心に街を撮る
★旧市街の様子 (アレッポは現在シリア第2の都市)

●世界遺産 クラック・デ・シュヴァリエとサラディーン城
文化遺産/2006登録
●クラック・デ・シュヴァリエ
 文化遺産/2006登録
★クラック・デ・シュヴァリエ
Crac Des Chevaliers