BACK ♦♦ポーランドの世界遺産を訪ねて♦♦
  ポーランドの面積は32万3千平方キロメートルで日本より小さい国(約5分の4)だが、日本と違って山岳地帯が少ないので人が住める有効面積で言えば、日本よりはるかに広大な国土を持つ農業国である。北にバルト海、周りは8ヶ国と国境を接するヨーロッパの中心的な位置にある。
  
今回、ポーランドにある13ヶ所ある世界遺産のうち、4ヶ所を訪ねたのだが、最大の見どころは何と言ってもアウシュヴィッツ強制収容所であったように思う。勿論、その他にも美しい歴史ある都市や世界遺産を観たわけであるが、特に印象に残ったもの「ここにしかないもの」となれば、やはりアウシュヴィッツ強制収容所しかないであろう。
  
  アウシュヴィッツ強制収容所は一般の世界遺産の中でも性格の異なる遺産群に属し、他に広島平和記念碑(日本)、ゴレ島(セネガル)やロベン島(南アフリカ)などがあり、「負の世界遺産」と云われている。見方を変えればあまり残したくない(これから発生させたくない遺産である)世界遺産を観られたことが、より強い印象を残したものと思う。
  
  ポーランドには首都ワルシャワと古都クラクフという二大都市があり、両方とも世界文化遺産に登録されている。首都ワルシャワは第二次世界大戦で市街地の85%が瓦礫の山と化し、市民の66%が命を落とす壊滅的な打撃を受けたという。一時は遷都まで検討されたが、市民は路地の敷石一つ、屋根瓦一枚に至るまで18世紀に画家が描き残した風景画などを参考に忠実に復元したのである。17~18世紀の美しい町並みは自国の文化を残そうとする国民が頑張った証拠であろう。

  一方の古都クラクフは国の大部分が破壊された第二次世界大戦でも、町は破壊を免れ、古都の姿を残した日本で言えば京都のような美しい街である。
  古都クラクフから車で1時間半ほどのところにアウシュヴィッツ強制収容所跡がある。
博物館としてインフオーメーションセンターやコインロッカー、レストランなどの施設があり、入館料は過去の人類の歴史的過ちを繰り返させてはならないという意図から、多くの人に見てもらう趣旨なのだろう、無料である。収容所の外観は、高圧電流を流す有刺鉄線が張り巡らされた以外は、まるで大学の煉瓦作りの校舎が並んでいるようだ。
  
  はじめはここで大量殺戮が行われたという実感はあまりなかったが、館内を巡ると殺された人々の写真、膨大な量の持ち物の展示室、ガス室に入ると天井には苦しみもがいたつめ跡、みせしめのため脱走をこころみた囚人たちの死体を展示した場所もある。これらの証拠品を次から次と目のあたりにすると、あまりの悲惨さと現実とのギャップを埋めきれない複雑な心境となってしまった。 

  アウシュヴィッツ強制収容所の3Km先に第2のアウシュヴィッツともいえる「ビルケナウ」がある。映画やドキュメンタリーで出てくる見慣れたシーンだ。古い煉瓦つくりの尖った建物とレール跡が残る鉄道の終着駅だ。アーチをくぐると、こちらは巨大な軍隊の兵舎のような建物が延々と続いている。ここに何人もの人々が鉄道で運ばれ、収容されたのだろうということが、容易に想像できる木造の棟が広大な原野に幾つも並んでいる。

  部屋には使われた3段ベッドがそのままの形で残っていた。縦2メートル、横2.5メートルの粗末な木造のベッドだ。むき出しの板敷きに9人が、狭い(ひとりあたり28センチの幅)ため体を横にして寝たという。零下20度の厳冬でも支給されたものは薄い毛布が上下2枚、ベッドから落ちた者はそのまま凍死したという。

  次の棟に入ると今度はコンクリートに大きな穴が二列に並んでいて、下には汚物が流れるトイレというよりは臭い便所だ。無論、扉や仕切りもない大部屋のトイレである。厳冬時各棟から来るトイレはさぞかし大変であったろうが、つかぬまのおしゃべりを楽しむ場所でもあったという。

  収容所は一口で言えばただ単に人を殺すことを目的に働かせ一時的に収容する施設であったのだと思う。どうしてこのような残虐なことをしたのか、人類の狂気を非難することは簡単だが、何故起こってしまったのかを理解するまでには時間と困難が伴うであろう。一体〈人間とは何か〉、生きていく人間はこれからどうすべきか考えさせられる歴史的な証拠が多く残っていた。

「夜と霧」著者:E.フランクルの翻訳の一部から。
  想像してほしい。
  
1500名は、もう何日も昼夜ぶっ通しの移送の途上にあるーその列車には貨車1台に80名ずつが乗せられ、荷物(なけなしの財産)の上にごろごろと折り重なっていた。リックや鞄が積み上げられ、窓は上の方がかろうじてのぞいているだけで、そこから明け方の空がみえる。みんながみんな、この移送団はどこかの軍事工場に向かっており、そこで強制労働が待っているのだと考えていた。

  駅の看板があるーアウシュヴィッツだ!ほかにもいろいろと見えてきた。しだいに明るさを増す朝の光のなか、路線の右にも左にも、数キロメートルにわたる巨大な収容所の輪郭がくっきりとう浮かびあがった。何重にもはりめぐらされた鉄条網は、まるでこの世の果てまで続いているかのようだ。監視塔、サーチライト、そしてぼろをまとった人間がえんえんと列なして、暗澹とした薄明のなかを、、、、、、

  それは夕方になってようやくはっきりした。わたしたちは、すべての所持品を置いて貨車からおり、男女別々に一列になって親衛隊の高級将校の前を歩け、との指示を受けた。将校は心ここにあらずという態度で立ち、右肘を左手でささえて右手をかかげ、人差し指をごく控え目にほんのわずか_こちらを見て、あるときは左に、あるときは右に、しかしたいていは左に_動かした。この人差し指のかすかな動きがなにを意味するのか、さっぱり見当がつかない_あるときは左に、あるときは右に、しかしたいていは左に。

  夜になって、わたしたちは人差し指の動きの意味を知った。それは最初の淘汰だった!
生か死の決定だったのだ。わたしたち移送団のほとんど、およそ90パーセントにとっては死の宣告だった。それは時をおかずに執行された。プラットホームのスロープから直接、焼却炉のある建物まで歩いて行った。「入浴施設」といろんなヨーロッパの言語で書かれた紙が貼ってあり、ひとびとはおのおの石けんを持たされた。そしてなにが起こったか。
それについては言わなくもおわかりいただけると、、、
      一般事情
1)面積:32万3千平方キロメ^トル(日本の約5分の4で九州と四国を除いた程度))
2)人口:約3、814万人(2008年)
3)首都:ワルシャワ(約171万人
4)民族:ポーランド人(人口の約97%)
5) 言語:ポーランド語 
6)GDP:約5674億ドル(2008年)
7)一人当たりGDP:約14,893ドル(2008年)
ポーランドには全部で11ヶ所 国境を挟んで2ヶ所計13ヶ所

★今回訪ねたのはこのうち4ヶ所
①アウシュヴィッツ強制収容所     文化遺産/1979年登録
②ワルシャワの歴史地区         文化遺産/1980年登録
③クラクフの歴史地区             文化遺産/1978年登録

④ヴェリチカの歴史地区         文化遺産/1978年登録
写真左から
●アウシュヴィッツ強制収容所
1)入口の看板 ※
ドイツ語で「ARBEIT MACHT FREI 」 (働けば自由になる)
  
2)高圧電流を流し有刺鉄線で脱走を防止
3)見せしめのため脱走を試みた囚人たちの死体を展示した場所と説明看板
入口看板「ARBEIT MACHT FREI 」(働けば自由になる)は2009年12月18日に盗難、その後5人を逮捕 3分割となって看板が戻る
 盗難対策から、いま掲げられている複製品をそのままにする案が検討されてる
写真左から
●ビルケナウ収容所

1)
ヨーロッパ各地から集められたユダヤ人の約150万人が降りた鉄道の最終駅
2)むき出しの板敷きの三段ベッド
3)汚物が一応流れる?ように作られた大部屋の便所