BACK
♦♦クロアチアの世界遺産を訪ねて♦♦

 
独自の社会主義路線を推進したチトー大統領が死去(1980年)し、連邦政府への求心力を失うと、民族間の対立が噴出し、1991年スロべニアとクロアチアが独立を宣言した。それ以降激しい内戦が繰り広げられた。クロアチアはアドリア海に長い海岸線をもち、その面積は九州の約1.5倍、人口は約444万人が住んでいる。世界遺産は文化遺産が5件、自然遺産が1件、計6件が登録されている。

特徴と言えば
ドゥブロブニクの旧市街とプリトヴィツェ湖群国立公園は1979年に同時に世界遺産に登録となったが、内戦による徹底的な破壊により、1991年、1992年と続いて危機遺産≪これについては左側のメニューから(危機遺産リスト)の登録要因となる主な7項目の説明をお読み下さい≫の登録となった。紛争が終わる1995年から、市民は街の修復に取りかかった。以前と同じ色、同じ形の屋根瓦を作り、破壊された教会の彫像は同じ石材を探し、昔の道具を使って見事に再現し1997~1998年にかけて、両者とも危機遺産から見事に脱したのである。

今回の旅では世界遺産を5ヶ所を観て廻ったのであるが、やはり印象に残ったのはドゥブロブニクの旧市街であろうか?城壁の中にピレ門から入るとプラッツァの目抜き通り、長さは300m程で店が並び、道が終わる広場にはスポンザ宮殿など華やぎに満ちている。しかし道の壁の片隅には内戦の痕跡である大砲の弾丸の跡が残っていた。

城壁に上がってみると、城壁の上は全長2キロの遊歩道があり回遊できる。そこから広がる海の青と屋根瓦のオレンジ色との調和が何とも美しい光景だ。「ドゥブロブニクを見ずして天国を語るなかれ」とは94才(1856~1950)で亡くなったイギリスの劇作家※)バーナード・ショウーの言葉である。昔の姿を取り戻したアドリア海の真珠、城塞都市は、青空のもと美しく輝いていた。
小川 隆雄
※George Bernard shaw(ジョージ・バーナード・ショウ)
イギリス近代演劇の確立者。イプセンの研究から出発し、戯曲『ウォレン夫人の職業』『シーザーとクレオパトラ』『人と超人』『悲しみの家』などで世界的な戯曲家となった。1925年ノーベル文学賞を受賞。彼は「フェビアン協会」に属する社会主義者でもあった。(18561950)
     
                         ≪写真は全て拡大してご覧になれます≫              写真撮影 2008/3月        

●ドゥブロヴニクの旧市街(正式名称)
  世界遺産   文化遺産/1979年登録 

「アドリア海の真珠」と謳われたアドリア海に面した城塞都市。15~16世紀には地中海の海上貿易で繁栄。聖堂や宮殿が建ち並び、赤い瓦屋根と白壁が陽光に輝く中世の町。1979年に文化遺産として登録された。しかし、1990年代の内戦で砲弾や爆弾2000発を浴びたといわれ町は壊滅状態に陥り、1991年に危機遺産に登録された。 1995年以降、市民たちが再建に着手。めざましい復旧の末、1998年に危機遺産から解除された。だが、完全復旧には相当の時間と経済援助が必要とされる。城壁の高さは25mを超す、全長2キロ

●プリトヴィツェ湖群国立公園
(正式名称)
  世界遺産   自然遺産/2000年登録


階段状に形成された大小16の湖が92の滝で繋がれた珍しい景観。湖周辺の森林地帯にはヒグマやオオカミなどの希少動物や126種の鳥類が生息する。1979年に自然遺産として登録された。1992年になり、内戦の影響で危機遺産に、その後1997年に解除された。

写真左)散策した湖、このようなものが大小16湖ある
写真右)至るところに大小の滝があった

●スプリトのディオクレティアヌスの宮殿と歴史的建造物(正式名称)

 
世界遺産   文化遺産/1979年登録 

古代ローマの宮殿が市民の住居になっているユニークな歴史をもつ。
写真左)列柱広場には皇帝が3世紀にエジプト遠征から持ち帰ったスフィンクス
写真右)およそ200m四方の城壁に囲まれた宮殿。建造したのはローマ皇帝ディオクレティアヌス。完成は4世紀初頭

トロギルの歴史地区(正式名称)
  世界遺産   文化遺産/1997年登録


橋によって本土とつながっており、廻りを城壁に囲まれた小さな街トロギルである。聖堂の鐘楼から街を見下ろすと絶景。

写真左)遥か遠方にトロギルの街並みを見る
写真右)聖ロヴロ大聖堂


シベニクの聖ヤコブ聖堂(正式名称)
   世界遺産   文化遺産/2000年登録


著名な建築家オルシーニは教会に貢献した市民の功績を残そうと外観と洗礼堂に71人の頭像をつくった。

写真左)大聖堂の東側の壁に71人のシベニク市民の顔が飾られて、市民の願いが込められている。 その願いとは?
写真右)聖ヤコブ大聖堂