越谷市の庁舎前にある駐車場の片隅に『相扶共済』と書かれた碑が立っている.。国民健康保険制度の発祥とされる『越ケ谷順正会』の功績を讃え、国民健康保険法十周年を記念して昭和23年に建立されたものである。
つまり国民健康保険制度を日本で最初に考えだした越ケ谷町民のアイデアを讃えたものである。文字は当時の厚生大臣によるもので裏面には、厚生省顧問の碑文が刻まれている。
昭和4年(1929)ニュヨークの株価暴落から始まった世界恐慌は直ぐに日本にも波及し、日本経済は混乱の渦に巻き込まれた。生糸の値崩れ、米穀、農産物は暴落し、我が越ケ谷町も商家の倒産が相次いだ。町の財政は税収の落ち込みや滞納者の激増でひっ迫した。こうしたなかで越ケ谷町は昭和5年に県立越谷高等女学校(現越谷高校)の誘致で多額の負債を抱え町財政は行きづまりを見せていた。(人材の育成で将来に夢を託すところ小泉さんの米100俵の話に共通点ありか?)
これを憂えた町の有志は、町の財政の厚生を図るため『至誠会』という無尽講を設立し、滞納税の一掃をはかった。こうした努力で町の財政が良化するきっかけとなり、また無尽講で得た利益金で貧困は病気からと今度は『順正会』の名称で医療に役立てることを決議したのである。
しかし地元医療機関の了解を取り付け県に提出したが、順正会が法人組織でないことと、資金が不安定などの理由で計画は挫折した。
その後、この企画が当時の内務省が考えていた国民健康法案に著しく類似していることがわかり内務省や県の支援で地元医師団と協定が成立し、その名を越ケ谷順正会と改称した。
やがて昭和13年国民健康保険法が成立したのを機に正式に認可を得た。国保法の成立以前に、すでに相互扶助を目的に独自に類似組合を成立させたもので越ケ谷順正会の苦難の歴史は、そのまま地方自治の真髄を発揮したもので越谷の誇りと言って過言ではなかろうか。
こんど市庁舎に行く時にこの碑をご覧になられたらいかがですか?
参考文献:わが町の歴史越谷
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