BACK ♦♦チェコの世界遺産を訪ねて♦♦
  チェコやプラハといえば一番に≪プラハの春≫ということばを思いだす方が多いのではないでしょうか?一生懸命努力してもなかなか結果(春)がついてこない、そんな苦い経験をどなたも長い人生の中で、一つや二つお持ちのことでしょう。

  チェコがスロバキアと連邦政府であった当時の1968年、春から夏にかけてスロバキア出身のドブチェク第一書記の下、自由化政策が推進され、「プラハの春」がようやく訪れようとしていたのである。しかしこの民主化の動きに対して、8月には、旧ソ連軍と東欧の社会主義国の連合軍20万人が軍事介入し、改革指導者等をソ連に連行するという、いわゆるチェコ事件が起き、訪れようとした春は遠のいてしまった。   

  このころ世界では、パリの5月革命、ベトナム戦争と反戦運動、中国の文化大革命、日本では大学紛争が盛んなっていた。1989年の民主革命後のスロバキアに於けるナショナルリズムの高揚を背景にチェコは1993年になると、スロバキアとの連邦制を平和的に解消し独立した。その後約15年が経過し、この9月にはユーロへの加盟が予定されるなど、民主的、経済的にも本当の春が近づいてきているようだ。

  首都プラハは14世紀に神聖ローマ帝国の首都として、学問やヨーロッパ文化の中心として栄え、「黄金のプラハ」と謳われるほど繁栄を見せた。他国から侵略や干渉を受けやすいヨーロッパの中央にありながら、町並みや文化が昔のまま残っている。

  世界遺産である≪プラハの歴史地区≫には、主なものとしては【プラハ城】、【聖ヴィート大聖堂】、【旧市庁舎】、【カレル橋】【国民劇場】などがあり、全部で1540棟が歴史的、文化的な価値があるという。

  このプラハではヴルタヴァ川(モルダウ)の中洲にある、古いホテルに2泊して観光することになったが、朝からあいにくの雨、午後はどんよりとした、くもり空の下での観光となった。
  
  カレル橋を歩いてみると、両側に歴史的な聖人やチェコの英雄の像が15体ずつ、計30体が行儀よく立ち並んでいる。中には日本人によく知られているフランシスコザビエルの像もある。これらは17世紀から19世紀にかけて設置されたものである。

●プラハの歴史地区       文化遺産/1992年登録
★カレル橋はヴルタヴァ川(モルダウ)にかかる最古の石橋       2009/4月撮影
★ヴルタヴァ川西岸の小高い丘の上に立つプラハ城とカレル橋を見る
 ★天文時計のある旧市庁舎
★聖人ヤンメポムツキー像
 *カレル橋の真ん中に≪聖人のヤンメポムツキー像≫がある。この像にタッチして帰ると、再び訪れることができるとのジンクスがある。
 *多くの人のタッチでピカピカに光っているところがあり、無論わたしもタッチしたのだが、果たしてこの年で再びプラハに来ることができるだろうか?
 
 *ローマの「トレビの泉」にも同じようなジンクス≪うしろを向いてコインを泉に投げ入れると再び訪れられる≫があり、再び訪れることが出来たのだが。
チェコは4ヶ国と国境を接する
≪補足説明≫    
チェコは面積7.8万平方キロ(日本の約1/5倍)で、人口は約1、030.6万人(チェコ系94%、、その他スロバキア人)が住む。世界遺産は12件、すべて文化遺産である。


日本の14ヶ所に比較すれば狭い国土に多くの世界遺産を有している。今回、このうち2ヶ所を訪ねた。
◆チェコ人が日本人を不思議に思っているお天気の話◆
 日本人は天気予報を気にしすぎるのでは?  
チェコの人たちは基本的に天気をあまり気にしないし、ましてや天気予報を聞いたり、見たりするなどしないという。なんで日本人はそんなに天気や予報を気にするのか、理解に苦しむという。

  チェコでは一般の家庭に傘はないのが普通で、あっても1~2本しか置いていないという。朝、雨が降っていても傘をささずに洋服についているフードをかぶって家を出るのが普通で、ザーザー降りのときはしかたなく傘をさして出かけるという。こういう生活環境から見れば、確かに日本人は彼らの眼には天気や予報を気にしすぎる不思議な民族に映るのかも知れない。 これが異文化? 
カレル橋を散策したとき、雨でも傘をささない人を多く見かけたのはこんな背景があったのかも。
◆因みに東京とプラハの年間降水量を比較すると、
◆東京の年間降水量は約1500mm  ◆プラの年間降水量は約1000mm ▲500mm  と大差はないがプラハは乾燥している?

チェスキー・シュテルンンベルグ城(世界遺産にあらず)◆
   プラハから世界遺産の古都チェスキー・クロムロフへ向かう途中でチェコで最も古いお城の一つである≪チェスキー・シュテルンンベルグ城≫に立ち寄った。共産主義体制から独立後、240年の歴史を持つシュテンベルク(Šternberk)家の元貴族の女性が、城の所有権を回復し、現在、この古城でひとりで生活をしているという。城内では、美術品や貴重品が昔のまま展示され、当時の古城の生活が、周りの美しい景色と調和して一層優雅に感じられた。
★チェスキー・シュテルンンベルグ城に向かって坂道を登る
★当時のままの美術品や貴重品が展示されている
★古城からサーザバ川にかかる橋を挟んで広がる南ボへミアの農村風景
★古城の窓からみた町を結ぶ鉄道と菜の花畑

●チェスキー・クルムロフの歴史地区   文化遺産/1992年登録
  プラハから約170キロ、バスで走ると南ボへミアの森を流れるヴルダヴァ川(モルダウ)がS字型に湾曲するところにある小さな町に着いた。中世の面影を色濃く残す世界遺産の古都チェスキー・クロムロフである。人口は1万4千人と小さな町であるが、日中は近くの村から働きにくる人たちと、観光客で賑わいを見せていた。

★チェスキー・クルムロフ町を見晴らし台より撮る
★森に囲まれたヴルタヴァ川(モルダウ)が町をS字型に囲む
★陸橋よりチェスキー・クルムロフ城を大きく撮る