BACK ♦♦20数年ぶりの友との再会と世界遺産を訪ねて♦♦
  某月某日(金)晴れ、時々にわか雨
  いよいよコペンハーゲンで3泊した最後の朝、友との再会の日がやってきた。そもそもの最初の出会いといえば、1990年6月に参加したヨーロッパ旅行に遡る。ドイツの中央部を全長1320キロあるライン川が南北に流れている。ドイツのマインツからコブレンツにかけての中部流域の65キロには、古城や古い町並み、聖堂や修道院、ブドウ畑が集中しており、中世来の美しい景観を残している。現在、その価値が認められ、2002年に「ライン渓谷中流上部」として世界遺産に登録されている。

  今から約21年前、この「ライン渓谷中流上部」を遊覧船で川下りをした時のことである。詩人ハイネで有名な「ローレライの岩」と書かれた白い文字、山に建つ古城、修道院、ブドウ畑など次々とよみがえってくる。遊覧船が小さな村に着く頃には夕闇もせまり、明かりが灯りワイン祭が開催されていた。われわれの団体客もこれに加わるとことになった。ワインの勢いからか、あちらこちらで国際色豊かな話の輪が出来ていた。

  私たちはどちらともなく英語で話が始まったのであるが、ご夫妻はスウェーデン人で、子どもたちはホテルに残してワイン祭りに来ていたのである。約1時間の短い会話であったが、このままではお互いに別れがたく、住所を交換するなどして、その後手紙のやりとりが始まった。同じ年頃の子供を持つ親として、子供の成長を願い、悩みや生活状況など、お互いに励まし合って来たことが昨日のように思い出される。

  ご夫妻には男の子が2人、私たちには子供3人、それぞれ既に結婚して生計を立てている。中でもご夫妻の長男は子供の時からの医者になる夢を実現し、現在、勤務医として働いている。彼は日本に来たことはないが、日本に興味を持ち、柔術も2段の腕前、子供(孫)たちも3人もわれわれに会うのを楽しみにしているという。

  今回の旅行は最初にストックホルム(スウェーデン)のホテルに4泊、次にコペンハーゲン(デンマーク)のホテルに3泊、そして再びスウェーデンに戻り、ホガナス(Hoganas)のご夫妻宅に3泊、全部で12日間の旅である。
コペンハーゲンに3泊した朝、ご夫妻は車でスウェーデンのホガナス(Hoganas)から直線距離で約130キロ、国境を越えてエーレ海峡をフェリーで渡り、やって来たので2時間は要したであろうか。

  コペンハーゲン市内の多くの裏道路には白線が引かれて車が駐車出来るようになっている。車に荷物を積み込むと、相棒のゴ―ラン氏が運転席、私が助手席に、女性たちは後方座席に座わると車は走り出した。市内観光で見たような道をしばらくのろのろと走り、ヨーロッパハイウェイE47に出た。これからヘルシノア(Helsingor)にある世界遺産のクロンボー城へ向かう。
  
  ヨーロッパハイウェイE47は海岸線に沿って北に向かって走っている。車は直ぐに120キロのスピードになる、右側にはエーレ海峡の青い海、左側は黄色く咲いた菜の花畑が続き、まるであたりの景色は人家のない日本の道路を走っている感じである。途中、ヨットハーバーに立ち寄ったが、別荘には人影もなく岸に繋がれたヨットが激しく揺れていた。海岸の散歩は海から吹いてくる風が冷たく早々に車に戻った。この地帯は北海からの季節風が吹く関係で、あちこちに風力発電の塔が見られる。

  車が走り出すと間もなく天気が急変し雨が降り出した。うす暗くなった雨の中をしばらく走ったであろうか、前方に高い塔を持つ教会や煉瓦作りの重厚な感じのする大きな建物が見えて来た。ヘルシノア(Helsingor)の市内に入って来たようだ。右奥に霞んで小さく見えているのが、これから行く世界遺産のクロンボー城だとゴ―ラン氏が話す。

  クロンボー城前の駐車場に着くころには雨は止んでいたが、用心に傘を持って城の正門に向かって歩き出した。外堀を行く道には大きな木が茂っており、その間から高い塔を持ったクロンボー城が大きく見えて来た。敷地の高台には古い時代の大砲がずらりと並んで海に向かっている。ずいぶん物騒な感じがする城ですねーと云うと。これを聞いたゴ―ラン氏が、一言で言うと、あの大砲で北海からバルト海に通過する外国船を脅して、通行税を徴収してデンマーク王国は栄えたのだと話す。

  観光シーズンにはまだ早いためであろうか、城の開門は11時と遅い。しかも今日はウィークデーなので観光客は少なく、ゆっくりと見学が出来そうである。ゴ―ラン氏が4人分の入場料260DKK(約¥2800)を払ってくれたのでそのまま入城した。

  クロンボー城は1429年、デンマーク王エーリク7世が北海からバルト海へのエーレ海峡を通過する外国船に対して、勝手に通行税を取ろうと大砲を持つ城を築いたのが始まりである。ロシアやバルト三国などの船舶に対して海峡を往来する度に通行税を払わせたのである。この通行税の徴収でデンマーク王室の財政は潤ったのは言うまでもない。

  地理的条件を勝手に利用して、通行税をとることを思いついたエーリク7世はデンマークにとっては偉大な王であったであろうが、近隣諸国との関係を悪化させ、幾多の戦乱を巻き起こした王とも云えよう。

  岬に造られたクロンボー城はほぼ4角型になっており、北棟は王の住居、西棟は王妃の住居、東棟は王族の部屋や厨房、南棟は教会などがある。内部は1574年のフレデリク王時代のもので装飾されている。また城の地下には兵舎や地下牢などがあり、そばにはデンマークの国民的英雄ホルガー・ダンスクの像がある。

  伝説によれば彼は遠いスペインの戦いからデンマークに帰り、眠りについてしまったが、デンマークが危機に陥った時は、眠りからさめてデンマークのために戦ったという。驚いたことに同じ地下牢には日本から「三年寝太郎」が展示パネルとなって飾られている。日本の民話の1つで、3年間眠り続けた、一見するとただの怠け者の男が、突然起き出した末に灌漑など大きいことをするという同じような伝説からであろう。

  他にも英雄・伝説5人が展示パネルとなって飾られていたが、残念ながらどんな伝説か解らずじまいに終わってしまった。北棟の入口の向かいの壁にはこの城を訪れたことないシェークスピアの像が建てられている。クロンボー城はシェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台になったことで、その名が知られているためだという。
城内で約2時間の見学が終わって外に出ると雨はもうすっかり止んでいた。
スウェーデンの一般事情
1)面積:約45万平方キロメ^トル(日本の約1.2倍)
2)人口:930万人(日本の約14分の1)
3)首都:ストックホルム(市の人口約83万人、都市圏約200万人)
4)GDB:世界7位 (日本19位)         
5)言語:スウェーデン語
6)消費税:25% (生活用品25%、食料品12%、ホテル12%、新聞6%)
7)その他:18才まで医療無料、大学授業料は無料
8)世界遺産:文化遺産12ヶ所、自然遺産1ヶ所、複合遺産1ヶ所 合計14ヶ所

●原発事情
地震や津波は心配ない国だが、1980年の国民投票で「脱原発」を決定したが、現在、10基のを上限に設置されている。電力会社が原発を新設したければ古い原発は廃炉、政府は一切援助はしない。日本の原発絡みの援助の「常識」はこの国では通用しない。
「発電」と「送電」は別会社で発電者の参入は容易で電力事情の自由化は進んでいる。

写真左から

1)外堀から見たクロンボー城

2)正門から中に入りるご夫妻と妻

3)海峡に向けて並ぶ大砲群
  城を後にして15分程北に向かって走ると小さな村があり、森と池に囲まれたかやぶき屋根のレストランに午後1時半に着いた。やや遅い昼食は再会の話から始まり楽しい食事となった。   

  これから車ごとフェリーに乗り再びスウェーデンに入国することになった。約200台の車がフェリーに乗り終わると、船はゆっくりとヘルシンボリ(Helsingborg)に向かって動き出した。デッキには青空の下、海峡の美しい景色を見ようと大勢の人が集まっている。相棒のゴ―ラン氏が海上に浮かんでいるブイを見つけると、あれが国境の標識だと叫ぶ。フェリーのデッキから見るクロンボー城は波に浮かんだ軍艦島のようだ。

  城の敷地にずらりと並べられた大砲はすぐ近くに見える、しかも銃口が航行する船に向けられているので、当時ここを航行する船にとっては大きな脅威となったのであろう。現在、EUの仲間として面倒な入国手続きはなくなく往来は自由である。しかもデンマークはアルコール類が安いので、スウェーデンからフェリーを利用してわざわざ買い物に来る人が多いという。
写真左から

1昼食を食べた)森と池に囲まれたレストラン

2)フェリーの船上から見たコロンボー城

3)遠方に見るクロンボー
  幅約7キロしかない海峡を渡るフェリーからの眺めは約10分で終わり、スウェーデンのヘンシンボリ(Helsingborg)に上陸した。今度はエーレ海峡を左にしながら、海岸沿いを走る国道111号で更に北に向かった。5キロ程走ると、美しいSofiero 宮殿と庭園があったので立ち寄った。公園内には王の別荘、レストラン、絵画の展示室などがあり、2001年にヨーロッパで最も美しい公園に認定されたという。

  庭園には1万本のシャクナゲの花が満開で大勢の年配者が訪れていた。ここSofiero 宮殿からご夫妻が住むホガナス(Hoganas)までは約20キロあり、この辺一帯は北欧随一の穀倉地帯で、国道沿いはデンマークと同じように黄色い菜の花が咲いている畑と牧草地帯が続いている。

  しばらくして海岸線沿いに茶色の屋根と白い壁を持ったカラフルな家並みが見えて来た。ゴーラン氏がホガナス(Hoganas)は近いですと。街は約500年前に漁民が住み着いたのが始まりで、1800年に石炭が発見されて急速に発展し、その後化石エネルギーへの転換によって1960年には閉山、現在、セラミック工場などがあり、街の面積約80平方キロに約1万4千人が住んでいるという。

  私の住む越谷市の面積は約60平方キロに約32万6千人が住んでいます、これと比較しますと越谷市の1.3倍の広い面積に人口は少ない30分の1の人が住んでいる計算になります。広大な街の広さを感じる。海岸線に沿った街の中心道路を走ってやって来たが、街には人影もなく、また信号機などはどこにも見当たらない。聞けば子供の教育上の信号機が街の中心地にあるぐらいという。
  
  また道路沿いに建つ家と家の間隔は広く、家の前には緑の芝生が植えられ綺麗な家並みが続く。午後4時頃、海岸近くにあるご夫妻宅に到着した。
写真左から

1)sofuero宮殿と庭園

2)ホガナス(Hoganas)街並み

3)自宅前約300メールにある海岸
 某月某日(土)晴れ
  昨夜はシャンパンで乾杯し、ビールやワインをん見ながら夜遅くまで語らいが続いたので、朝10時翌、ゆっくりした時間に次の世界遺産へ向けて出発した。
  日本であれば初めての外国人に対して京都を薦めたがるように、ご夫妻はスウェーデンの古都ルンド(ホガナスから南に約80キロの距離)を案内しようと考えでいたようである。古都ルンドは、西暦990年にヴァイキング王が教会を建てられたことから始まり、デンマーク最大の造幣局、ローマ教会直属の大聖堂など12~13世紀にかけて文化、経済の中心として発展してきた。現在は北欧最大のルンド大学を中心に民族野外博物館など歴史的建造物が多くあるという。

  スウェーデンでは日本人のように世界遺産に興味を持っている人は少ないようで、ご夫妻も昨夜の私の話で、はじめて自分の国の世界遺産(スウェーデンでは14ヶ所)に関心を持たれたようである。自分の住むホガナス(Hoganas)から最も近い世界遺産に行こうということになり、北に約150キロ離れたところに世界遺産ヴァールベリ・ラジオ放送局があることがわかった。
  
  ホガナス(Hoganas)から4人を乗せた車は国道をしばらく走り、カテガット海峡に沿って走るハイウェイを北に向かってスピードを上げる。沿道の景色は昨日みたような菜の花畑と草原が続き、時々煉瓦作りの家が見えてくる。海岸線に近くなる地帯には風力電力の塔が5~6基、まとまって建っている。
1時間程走ったであろうか、アンテナ鉄塔6基が遠方に見えてきた。高さ127mの鉄塔である。広大な敷地約1100平方キロあり、牛等も放牧された牧場にもなっている。
写真左から

1)近づく車から見た6基のアンテナ鉄塔

2)ラジオ放送局の建物

3)発電機や通信機材
 某月某日(日)晴れ
午前:☆ご夫妻が何時も散歩する岬へ
    ☆近くの海岸で開催された除幕式と子供の音楽会へ
午後:☆車で約5分の所に住む長男(医者)宅で昼食パーティへ 次は次男宅へ
    ☆車で約20分のヘルシンボリ(Helsingborg)の友人宅で夜のパーティに招待あり
 某月某日(月)晴れ
 ご夫妻宅に3泊した最後の朝、ヘルシンボリ(Helsingborg)駅まで車で送ってもらう。相棒のゴ―ラン氏は2日間の休暇を取り、総ドライブ距離約700キロを運転されて、心温まるご案内をいただきありがとうございました。
ヘルシンボリ(Helsingborg)駅発の急行電車にてコペンハーゲン空港に到着、15:45発SK983にて翌朝09:35帰国。
長文の乱文を最後までお読みいただきありがとうございました。