10/22〜11/2までまた中国に行ってきました。

 

最初に忠のまじめに現代ギター誌原稿 後半淑恵の少しくだけた旅行記です

 

 

中国ギター界の将来とアンサンブル

石田 忠

2001年の10/22から11/2まで6回目の中国公演を石田 忠・淑恵ギターデュオリサイタルという形でおこないました。

今回は江蘇省の南京市2回・鎮江市・張家港市・常州市でのリサイタルでした。最近の中国のギターアンサンブルに対する関心は高く、鎮江市での演奏は日本のNHKにあたる中国中央電子台が中国全土に放送するべくリサイタルを収録してくれました。また張家港市・常州市でも地元テレビ局が収録し放送されました。主な曲目は以下の通りです。

六つの対話風小二重奏曲よりラルゴとロンドop34ー2(カルリ) ロシアの思い出(ソル)  ロケベンドラ(ピアソラ) ソナタ(スカルラッティー) ゴリウォーグのケークウォーク(ドビュッシー) タランテラ(プティー) トッカータ(プティー) はかなき人生よりスペイン舞曲(ファリャ)他5曲。

 

私は南京の飛音ギター音楽学校の名誉校長をしている関係で学生のレッスンや演奏に接する機会も多く、毎回訪中して思うことは演奏者のレベルの向上です。数年前に中国の女性が東京国際ギターコンクールで1位になったことは皆さんも覚えておいででしょう。独奏の世界では一部ではあっても相当なレベルに達しています。日本で流行しているクラシックギター曲はこの情報化社会にあって中国でも同時に演奏されているといっても過言ではありません。今回、南京で中国で著名な趙長貴さんを中心としたカルテットを聞くことができましたが、そのレベルは相当高く呼吸法などもよくできていました。もともと中国の民謡などを胡弓でたっぷり唄うという民族性の人たちですから、西洋音楽的の基礎の上に情感豊かな表現と中国琵琶に通じる驚異的なテクニックでアンサンブルをしたら素晴らしい音楽が表現できるでしょう。その予感をさせる音楽会でした。

 

正直に言って9年前に初めて中国で聴いた全体的なギターのレベルはそんなに高いものではなかったのですが、今では日本のギター界の歩んだ何倍ものスピードで日本を追いかけています。

中国では経済発展が著しく日本の不景気とは対照的です。経済の発展と同様に文化・芸術もいろいろな面で向上しています。経済が良くなればゆとりもでき、高級なギターなども売れ初めているようです。私たちが使っているロマニロスの楽器にもずいぶん興味をもっていましたし、日本やその他の国から輸入された楽器を使っている人もだいぶ多くなりました。9年前には考えられないことでした。アンサンブルの世界でも中国人ギタリストのグループが世界的に活躍するのもそんなに遠くないことでしょう。日中やその他の混合でのアンサンブルができれば、また楽しいことです。

 

今、日本のギター教室の生徒年齢は中高年が中心ではないでしょうか。

中国のギターの先生とも何人か知り合いがいますが生徒さんは小学生の子供が圧倒的に多いということです。数年前までは大学生が多かったのですが、現在では一人っ子政策ということもあって親の子供にかける教育はとても熱心で、演奏会にも親と同伴で来ている子供も多かったのが印象的です。あと5年から10年もしてこの子供たちの中から優秀なギタリストが出るかと思うと、とても楽しみです。

このたび中国政府機関の鎮江市群星芸術学校から客員教授に招かれました。今後私がこの経済・文化芸術に発展著しい中国ギター界の為に何らかのお手伝いができることは身の引き締まる思いであると共に、微力ではありますが私のアンサンブルの経験が生かされればと思っています。








 

淑恵の中国日記

 

今回は12日間の中国滞在になってしまいました。実は飛行機のチケットが取れなかったので予定より2日延びてしまったのです。

遠いし、荷物は重いし、成田エキスプレスは衣笠まで来ないし、と羽田待望論に賛成したくなりながら着いた成田空港は、テロの影響で、お客さんの姿がいつもより少なくゆったりしていましたが、荷物検査は今までになくしっかり、時間を取っていましたし、飛行機に乗り込むときにももう一度検査があって、ギターの中まで開けさせられ、やはりぴりぴりしていました。どう見ても善良そうな私たちに係りの人はすまなそうにしているので怒るわけにもいきませんが、ハンドバックの中も見るし、中に入っていた銀紙に包まれたチョコレートがしっかり反応してくれて時間が掛かるしでやきもきしました。

新しくなった上海の空港は2度目ですが、周りの高速道路が縦横無尽に走っていて、成田の周りがひどく貧弱に思えてきます。(2年後には空港から上海までリニアモーターカーで8分で着くようになるとの事です)

夜遅くに常州市という上海と南京の間くらいにある車で2時間半の友人の通訳さんのお宅に着き、次の日は一日ゆっくりして(この日、‘本物のお金持ちの家’というお宅拝見をしてきました。中国は一人っ子政策ですからどこの家も皆3人家族です。御主人の会社社長はちょうど夕食の支度をしている最中でした。勿論立派な家でしたが、中国では社長さんがご飯を作るんだ!と感激してしまいました。)

次の朝、24日(水)の朝、南京へ車で向かいました。南京飛音ギター学校の校長、趙長貴さんと広州の江さんと私達と4人での演奏会のはずだったんです。宣伝も行き届き、チケットもしっかり完売していて。それが何と!許可が下りない・・・?ということになっていました。まだ外国人の演奏会は難しいのだそうです。それがまたアジア的というのかホール(江蘇州一番の、出来たばかりの素晴らしいホールでした)の館長が内緒でOKをだしてくれ、ゲストとして演奏する事が出来ました。広州から高級ギター専門の楽器店の人も来てして、淑恵のロマニロスが注目を浴びました。(勿論演奏もです)大きなホールで、こういう所ではロマニロスのような楽器の信頼度は絶大で他の追随を許さないといった感じです。自分でいうのも何ですがこの日の演奏はめちゃくちゃ良くて、他の人の演奏は身体に届くが石田の演奏は心に届くと言われたりして(当り前ですが中国語です。)このまま日本に帰ってきたら一年中気分良く過ごせそうな感じだったんです。で、次の日25()、長旅の疲れと宴会だのレッスン(忠だけですが)だのと言葉はわからないし、今回は本当に忙しくて練習もままならずの緊張で、前日よりは気に入らない演奏になってしまいました。テンションもちょっぴり下がってきました。まっ、いいか。と宴会を楽しみながら気を取り直して次の26日(金)に望みます。張家港市というところです。ここは10年位前に新しく出来た物流の中心地で中国で一番衛生的できれいな市と言われているそうです。ここのホテルは4つ星ホテルで、高そうで主催者に申し訳ない思いでいっぱいです。楽器店が新しく作った演奏会用のホールで、テレビ局が取材の来てくれ、演奏と共にインタビュー、公開レッスンも収録してくれました。演奏の前はいつものように中国語で暗記した忠の言葉と、町並みやホールを誉め、家内が3ヶ月位ここで住んでみたいと言っている等通訳さんに言われるままのことを言って挨拶をしました。さて次の27()の朝は早く起き、車で鎮江市へ。今回の演奏会はここの先生の招待だったのです。ペン先生は当局と上手く計らってくれ、演奏会の許可は勿論、今回の訪問そのものが正式の政府招待ということになっていました。このあたり、よくわからない国です。鎮江市は4回目の訪問ということもあり、忠は中国政府鎮江市群星芸術学校の客員教授にして貰いました。因みにノーギャラの名誉職です。北京などの有名教授に続き4人目だそうです。会見があるので良い服で来いと言われた鎮江市群星芸術館では教育委員会の他、中国中央テレビ、新聞も来てくれ堅苦しい挨拶やインタビューがありましたが、夜の演奏会や公開レッスンと合わせて編集し、衛星放送で世界中に配信するとのことでした。うれしいけれど我家はBSがはいらないんです。いよいよ最後の28()朝、高速バスに乗って常州市(人口400万人)に戻ってきました。以前演奏した工人文化宮という所に、新しいホールが出来、そこでの演奏です。この日は午後の演奏会で、テレビ局の取材でのインタビューは簡単でしたが、編集されたものは結構良かったそうです。その晩放映されましたが(見ていないんです)終わった途端、通訳さんの家には電話がジャーンと鳴り響き、言葉のわからない私達は疎外感に苛まれていました。不思議にテレビの取材があるとうれしくなってしまって、演奏の方もまあまあ、いい感じになります。そしてこの日で演奏終わりという開放感でホッとしました。5日続けて違う場所に移動しながら5回の演奏は、正直しんどいです。ちょっと懲りました。(内緒ですが最後の方はもうどうでもいいといった気分でした。ごめんなさい)

次の日からのんびり過ごすことにして予定を入れないで置くつもりでしたが、結局食事の招待が多くて、言葉のわからない私達は食べるのが専門になってしまいます。さぞかし太って帰国するのだろうと、思っていたほど体重は増えていなかったので安心。日本に留学する人、居た事がある人等、日本人を見たい人の招待ですと日本語を話す人がいて助かります。地ビールはどこも美味しく、上海ガニは今がシーズンだそうで素晴らしく、日本にはない野菜など、しっかり食べてきました。

食後は家に案内してくれ、どの人も皆、中を見せてくれます。中国ではどこに家も例外なくダブルベッド、靴を脱ぐ玄関のたたきのような所はないのにスリッパに履き替えるようになってどこの家もきれーいになっていてしかも広い。開発中の郊外の高級住宅も見学に行ってきました。アメリカ映画に出てきそうな家ばかりで、3階建ての住宅にはメードさんの部屋まで付いていて、1階部分だけでも衣笠の我家より広く充実していました。こんな家を誰が買うのだろうと、余計な心配をしてきた中国の家探訪。記念に即日完売の高級マンションのチラシを持っての帰国でした。そうそう交通事故にも遭いそうになりました。片側3車線の真中で前を走っていたオートバイが、知合いを見かけたらしく、急に停車したんです。普通は歩道の方に寄せてから停まるでしょ、それが2車線またいで停まってその人を乗せて悠然と発車したのには驚きました。だって後ろの車は停まれたけれどその後ろの車はブレーキが間に合わず、追突してしまい、両方の運転手は降りて被害状況の確認をしているのに、知らん振りして2車線後続の車に迷惑をかけているのだもの。日本人なんぞは中国で運転をしては絶対いけないと強く感じました。忠はスクーターに乗りました。特に左折が難しいそうです。(あちらは日本と逆の右側を走ります)もう2度と乗らないと言っています。ところで上海ガニですが、全部食べるのには随分時間が掛かります。せっかちさんには向かないかも・・、かに味噌は絶品です。北京など北の方に比べ、南京のあたりの料理は油が少なく食べやすいのですが、上海に近い常州、鎮江、張家港は更に美味しいです。レストランではウェイトレスさんがナフキンの端をお皿の下にはさんでひざに掛けてくれたり食事のマナーも少し違うみたいです。私達は割合何でも食べられる方なので困る事は全くありません。四川料理はより美味しいと聞きました。行ってみようかしら・・・

 

 

 

 

 

 

 

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