趙 長貴来日公演リポート

石田 忠
石田 忠趙 長貴氏を招いて日本での公演を行った。中国のギタリストとしては日本で初めての公演である。私と趙長貴氏とのそもそもの出会いは、1992年の私と家内のデュオコンサートを常州市で行った後にひょんな事で知り合った。その縁で1994年と1996年に南京市他でリサイタルを開き、又、趙長貴氏の主宰する南京市飛音音楽学校の名誉校長に任命されるなど彼の人柄や考えに触れ友情を深める事が出来た。そして彼の演奏も聴く事が出来、ぜひこの中国のギタリストを日本に紹介しようということで今回の日本公演と相成ったわけである。
日本では東京・横浜・横須賀と三個所の演奏会で彼の滞在は8日間。前後の飛行機もろもろの時間を引けば6日という強行スケジュールであった。
4/15に私の家内と、今回の演奏会に通訳として朝から晩まで付き合っていただいた、そして友人でもある張涛氏とともに成田空港まで出迎えに行ったが、趙長貴氏も初めての海外旅行で緊張していたせいか横須賀までの3時間私の運転する車の中でせっかくの景色を見るまもなく午睡、私の地元横須賀に夕方到着。次の日の横浜での演奏会が午後の3時。
演奏会には私達といっしょのグラニャーニの3重奏があり、まず合わせの練習。打ち合わせが終わったところでようやく、一休み。
日本でのはじめての食事は家内の手料理、イタリア風で歓迎。成功を祈って乾杯です。

大倉山記念館にて

4/16横浜の大倉山記念館でコンサート。聴衆はギタリストも含め満席。趙長貴氏の演奏は昨年上海のホテルで聴いていたものの一抹の不安があったが、1部のお客さんの拍手を聴いてこれは成功間違い無しと胸をなで下ろす。
後半は私達の3重奏から始め2曲のアンコールと盛大な拍手でしめて第一夜を終了した。以下に今回の演奏曲目を記す。
S.L. ファンタジー(幻想曲) J. S. リュート組曲第1番 ホ短調 F. アルハンブラの思い出グランホタF. トリオニ長調 (三重奏) (大倉山・横須賀のみ) I. アストリアスグラナダ A. ベネズエラワルツ2・3番 A. ワルツ第4番 森に夢見る日本民謡さくら中国曲いい舞曲コユンババドメニコーニ演奏には多少荒っぽいところやテンポのゆれなど気になるところはあったが、確実な技術や歌心などで聴衆の心を捕らえたようだ。私としても彼を招待した事に満足出来た。
翌17日は私の地元横須賀市での演奏。ここでもかれは大倉山と同様に成功を収める。

横須賀市文化会館でのトリオ

翌18日演奏の合間の1日ということでゆっくりと横浜見物にでかけ休養をとり19日には東京での演奏会である。東京の演奏会はファナという高級ギター専門店での演奏会。前夜に私の方から「この演奏会はお客さんは少ないが現代ギター社より評論家が取材に来る事やプロの人が多い事」など事前に知らせていたせいか前半は少し固くなっていたが後半はいつものリラックスムードで演奏していた。アンコールも出てお客さんも喜んでいた様だ。演奏が終わってから会場でファナの社長が酒宴を催してくれ来場のギタリストと共に話が弾んだ。その席でギター店の社長らしく楽器の話が出たが「せっかくの実力にあのギターでは残念だ。もっと良いギターを購入したら」との話に趙長貴氏もギター購入の決断がついたようである。
日本での演奏会も成功裡に終わりその日は真夜中の帰宅となる。趙 長貴氏も一安心したのかその夜は一人でウイスキーを飲みすぎて二日酔。珍しく翌日はご飯もあまり食べず心配したが日本での緊張感を考えれば当然か。初めての海外演奏ということで精神的にも体力的にも大変だったと思うが一般の聴衆には彼の演奏は大変喜ばれていたようである。ただ先ほどにものべたテンポのゆれ、時にして見られるリズムの乱れなどが少し気になる。その事は彼も私の指摘に素直にうなずきこれからの勉強の指針にしたいと語っていた。趙長貴氏のこのような謙虚な態度と向学心にいっそうの成長を楽しみにしたい。

トップページに戻る