末廣神社 <中央区>
平成23年8月27日奉拝
慶長元年(1596)にはすでに稲荷祠が鎮座していたそうです
末廣の名は、延宝3年(1675)に社殿を修復した際、本殿から
中啓(末廣扇)が出たことに因むという言われています
末広神社は、江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)が
この地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、
産土神として信仰されていました。明暦の大火で吉原が移転、
してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の
四ヶ所の氏神として信仰されていたそうです