無事12年めを迎える・・・尿路結石顛末記

原因不明の腹痛から始まる
2001年8月24日(金)夕方
横腹がちょっと痛む。が、よくある下痢の前兆と思い夜には「吉野家」特盛り弁当を食べる。(意味無し!)午後11時頃より痛みが激しくなりだす。「これは腹をコワしたな」と、特盛りを食べたコトを後悔する。しかし、下痢もしてないし吐き気もないのでおとなしくしていれば収まるかと考える。0時頃、さらに激しい痛みになり、2〜3歩歩くとパタッと倒れてしまう。(倒れてもイタイのだが)近くの病院まで歩いても5分位なのだが歩けない!どうしようもないので救急車を呼ぶ。激しい痛みの中、「救急車の乗り心地はかなりソフト、きっと立派なエアサスがついているんだろーな・・・」と考える。病院(ちょっと離れている夜間当番病院)につき看護婦さんの最初のコトバ「あら〜、大きい人だこと」。はいはい、大きいですよ(175cmしかないけど質量がスゴイ?)、でもね、すごくイタイから早くなんとかしてちょうだい。診察台で注射と点滴を受けると少しラクになる。結局これだけで帰宅。
8月25日(土)
痛みは全く無くなる。朝イチで近くの病院に診察を受けに行きレントゲン、尿検査を受ける。最初の問診は院長先生。ひとこと「石かもしれないですね」・・・しかしその後若い先生にバトンタッチされ、腸炎の疑いが強いと診断を受ける。(これが後の地獄のはじまり?)何故そのような診断結果になったか後で理解できた。それは血尿がでていなかったから。
8月25日(日)
今日も痛みが無い。今週の仕事はハードなので、あれこれ手順などを考える。しかしまたもや深夜0時頃、今度は腰がもの凄く痛みだす。昔煩ったギックリ腰の痛みかなと考えるがどんどん痛みが増してくる。やはり尋常じゃない状態はアタマの中で瞬時に判断できるようです。おとといの事もあるので今回は動けるうちに昨日の病院に辿り着こうと考え車に飛び乗る。この頃になると痛みは腹部に変わる。当直の先生は内科担当ではないけど痛み止めの注射を2〜3本うってくれる。が!全然痛みが治まらない。先生の判断で救急手配。病院から病院へ搬送となりました。この時点で入院決定だろうと言われる。(痛さと初入院の期待と明日からの仕事の事をグルグルと考える)救急隊員の人が自分の顔を見て「この前の人ですね」。覚えていてくれてありがとう(痛いよ〜)。
今晩の担当医は女性。自分を見るなり「大きいですね」って、なんでみんな同じコト言うのか!レントゲン撮影をするが痛み止めは、さっきの病院でぎりぎりまで使ったとのことで今は使えないらしい。
カーテンの向こうには事故で運ばれた人がいる。そのやりとりがスゴイ。
「足動かすけどちょっと痛いですよ」
「・・痛いんですか・・(泣)痛い痛い!!!」
「だから痛いですよって言ったでしょ。あー、膝が完全に粉々になってるよ」
「痛いですぅ〜っ!!!!!!!」
もしかして彼の方が凄く痛いのかも。

5日間の入院
8月27日(月)
明け方痛み止めの「座薬」を使用。午前中は完全にのびていた。痛みのせいで体力を消耗しきってしまう。
午後、泌尿器科で診察を受ける。ここで正式に「尿路結石」の疑いが強いとの診察結果。
8月28日(火)
午前中、少し痛みがでる。座薬をもらい使用するとラクになる。
8月29日(水)
午後、外出許可をもらい仕事の打ち合わせに行く。もちろん座薬を携帯する。痛みは終日なし。
8月30日(木)
午後、腎臓造影検査。右側尿管に石があることが判る。約8ミリ位の大きさで「大丈夫。出ますよ」とお墨付きをもらう。
8月31日(金)
痛みがないのなら、と夕方退院。
夜になるとまた痛み出すのではないかとビクビクする日がしばらく続く。

退院後、漢方人体実験
すぐに愛用のiBookの電源を入れ、結石に関して検索。こういう時にインターネットの有り難さを感じますね〜。
退院翌日、883で「ウワウルシ」を探しに出掛ける。最初にマツキヨに行った自分はバカモノです(笑)。町田の“駆け足通り”にある専門店にて購入。1,700円位。数日後は「ウラジロガシ」を東急田園都市線青葉台にある専門店にて購入。3,000円位だったかな

ESWL〜衝撃石粉砕療法〜を受ける
9月7日(金)
退院1週間後の検査。単なる問診のみでいささか拍子抜け。
9月11日(火)
夜、腰に痛みが。じわじわとあの忌まわしい痛さが来る。しばらく考えてから、最終兵器・座薬を使用する。30分位後に効果が出始め、ラクになる。ただ、体力の消耗は激しいみたい。痛みをモルヒネで誤魔化しているだけだから。
9月14日(金)
定期検査。2回目の腎臓造影検査を受ける。結果、石の場所は入院時とまったく同じ。ようするに動いてない。早く治したい旨伝えると、「じゃあ、割り(ESWL・衝撃石粉砕)に行きますか」と紹介状を書いてくれた。(この病院にはその設備はない)
9月17日(月)
早速紹介された病院へ行く。持参したレントゲン写真を見て、ESWLを受ける日を決めていただく。おぉ!今週の金曜日。あと数日の辛抱だと思うと元気になってくる。
9月18日(火)
私はやはりバカでした。病院から渡された書類をよくよく見ると、ESWLを受けるのは来週の金曜であることが判った。途端にブルーになる。
9月28日(金)・ESの日
期待と不安の日。「施術後には入院もしくは安静が必要になる場合がある。車は本人が運転するべからず」との注意書きをもらっていたが、絶対にすぐ帰るつもりなので車で向かう。8:30受付。尿検査後レントゲンを撮る。そして着替え。服をすべて脱ぎT字帯(いわゆる“ふんどし”のようなもの)と診察用のガウンのみになる。ほどなく施術室にはいり診療台に仰向けに寝る。どういうコトをするのかなぁとワクワクドキドキ。看護婦さん(鈴木沙理奈似)が座薬を入れてくれる。ここまでくるともう好きにして。って感じの俎の上の鯉状態。続いて右肩に筋肉注射。痛み止めを2種類もするのか!とちょっと不安になる。点滴と心電図のセッティング。背中に水枕のようなものが押しつけられ、腹の上にはカメラのような機械が位置決めのためウニョウニョ動く。自分は、体全体が動かないようにベルトできつく固定されている。「それでは始めます」の言葉のあと、「カンカンカン・・・・」とアメリカン・クラッカー(古!)そっくりな音に併せて背中にズンズン衝撃が伝わってくる。皮膚を通り越して肉がふるえているのが判る。いろいろな角度から石に向かって衝撃波を与えているのか、微妙に機械が動くが、座骨の辺りにそれが来るとちょっと痛い。1時間程それが続き、レントゲンをもう一度撮り問診を受ける。施術後のレントゲン写真は、石の像が心持ち薄く写っていて、砕かれた証拠との事。別段気分が悪い事もないのでそのまま仕事に直行!11:30には病院をあとにする。

ES後
治療を受けた日の夕方、膀胱付近からなんともいえない痛さというか、くすぐったさというか・・・変な感触。すぐトイレに駆け込むと1粒黒い石が落ちていた。おぉ!待望の石のお出まし!ピンセットで拾い出す。その後2回目のトイレでも2粒出てくる。いいぞ!この調子!と思っていたら、その後は出なくなる。血尿も全然なし。ちょっとばかり不安になる。
10月5日(金)・ES1週間後
レントゲン写真を見ると、石は見あたらないらしい。(でも、入院前のレントゲン写真にも写ってないから安心できないなぁ)2週間後に腎臓造影をして、尿の流れを検査する。ということで診察終了。
10月19日(金)・腎臓造影検査・3回目
前回検査から今まで、なんの変化もなし。背中のある部分にちょっと痛みを感じるだけで血尿もない。
この病院の造影検査機器はスゴイ。入院していた病院の機械は撮影位置を特定する方法は半アナログ的であったのに対し、ここのはフルオートマティック。どちらがいいのかは判りませんが、両病院とも検査技師の人は丁寧で安心できた。でもって結果は、
「石がない。腎臓から膀胱まできれいに(尿が)流れている」とのこと。
本日をもって治療終了。とのコト。でも手放しで喜べないのは、背中の痛みが消えていないから・・・

2002年6月
とりあえず問題なく過ごしています。時折胃や背中などがチクチク痛む時もあるが、結石によるものなのか、ただの胃痛(それもモンダイだが)とか神経痛なのかはわかりません。ただ、毎日しっかりと「ウラジロガシ茶」(我が家では「ウラジロック」と命名した)を大量摂取してます。
2003年4月現在
2月に人間ドックに入り、超音波検診をうけました。腎臓、胆嚢ともに石はなさそうという結果がでてひと安心。毎日のお茶、水の大量摂取とウラジロガシのおかげでしょうか。缶コーヒーやコーラは殆ど飲まなくなりました。
2004年2月現在
希に膀胱付近でチクチクする痛みを感じることがありますが、結石との因果関係は不明です。
2004年9月現在
今年の夏も無事でした。
2005年3月現在
以前のような不摂生な生活に戻りつつある事を反省しつつ、何事もない。
2006年
何事もなく1年が過ぎた。相変わらず「ウラジロガシ」は飲み続けています。
2011年
「ウラジロガシ」の飲用頻度は、ここ2年程少なくなりました。水分補給は心がけております。
2013年
きわめて普通に生活しています。清涼飲料水関係はたまに飲んでしまいます。