サクラ サクラ
今年は開花予想が二転三転して、東京では三月末前後に満開の絶好期を迎えた。丁度
その折
海外の友人一家が桜見物に来日したので、期せずして案内方々新宿御苑、上野恩賜
園、
千鳥が淵の桜を観る機会に恵まれた。いづれの日も、お天気・開花状況共に最高で、
その
素晴らしさに感動したが、同時に、わが国特有の物凄い人波と無礼講の騒々しさに、
外国人
ならずとも我々も大いに戸惑った
 
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 斉藤正二著「日本人とサクラ」によれば、日本の桜のうち日本の古来種であるヤマサクラ
別にして、70%はソメイヨシノだそうで、米国ワシントンのポトマック河畔のそれも
有名です。

ヨーロッパでも、八重桜を中心に、オランダやイギリスを始めあちこちに桜の名所がある
が、
質的にはもはや本家の日本を凌駕していると書かれている。これらの国々は、なにせ
自然を大切に
する。“樹木も花もみんなのもの”との考えが一般化している。昔ロンドン
に下宿していた頃、
その家の屋敷内にある一本の木を切る許可が出ないため、自宅内に自
前のガレージが作れず、この家は
半永久的に路上駐車をしていた。それでもみんな納得し
ていた。日本では考えられないことだ。

自然の美しさは、自然を愛する国民性の賜物であり、欧米の自然の素晴らしさは、彼ら自
身が
長い年月をかけて生み出しているのである。

他方で、前記の文献では日本の桜が衰弱している由、これも同じく人間のわざである。大
いに
反省すべき点だ。日本も歴史を紐解けば、ごく最近まで昔の人々は大いに桜を愛でた
し、自然
そのものを今日以上に大切にしたと思う。今は国を挙げて経済優先だ。大型バス
が通るとなれば
桜のトンネルもバッサリやる。平気で住宅優先で伐採する。だから“桜
並木通り”と言っても
歯抜け状態。地元の景観を台無しにしながら、シーズンになると、
特別保護区的な存在の
新宿御苑や上野公園に怒涛のごとく押し寄せる。そして本当の桜
愛好者を尻目に、あの酒と騒ぎ
と翌日のゴミの山。他に楽しみの無かった江戸時代の
町人達じゃあるまいし、飲食は自宅やレス
トランで済ませてから来てはどうなのか。
宴会場ではないと思うが・・・、
 

 桜は美しい花を咲かせるとアッという間に散る。短命だ。その散りぎわの美しさという
か、潔さ
(いさぎよさ)が往時の侍社会や戦時中の兵士達に美徳として教育された。いざ
という場合、
桜が潔く散るように、お国のため、陛下のために命を捨てよと教えられ、
多くが散っていった。



この一世紀、サクラへの思いを歌に見る 

日本古謡

   さくら さくら 弥生の空は 見渡す限り 霞か雲か 匂いぞ出ずる

   いざや いざや 観に行かん  

日本軍歌(同期の桜)  西条八十 大村能章

   貴様と俺とは 同期の桜 咲いた花なら 散るのは覚悟

   みごと散りましょ 国のため 

日本現代

さくら (森山直太朗)

僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を さくら並木の道の上で 手を振り
ぶよ   どんなに苦しい時も 君は笑っているから 挫けそうになりかけても 
頑張れる気がしたよ
 
  
さくら さくら 今咲き誇る刹那に散り行くさだめと知った

さらば 友よ 旅立ちの時   変わらないその想いを今

 

さくら (ケツメイシ

  さくら舞い散る中に 忘れた記憶と君の声が戻ってくる 吹き止まない春の風
  あの頃のままで 君が風に舞う髪かき分けた時の 淡い香りが戻ってくる

  二人約束したあの頃のままで  ヒュルリーラ ヒュルリーラ