我が家に スズメ 来る

この夏のこと、我が家の裏庭に、生まれて間もない一羽のスズメが、息も絶え絶えに
転がっていた。隣家の屋根に巣があるのだろう。落ちた衝撃で片足は折れ、目も充分
開いておらず、うぶ毛の姿で人の手を必死に逃れようともがいていた。

早速連れ帰り、てんやわんやの生活が始まった。ダンボール箱の仮住まい、見よう見まねで
練りえさを作り、親鳥さながら一時間毎に給餌である。こうして、三週間に及ぶ共同生活が
始まった。 三週間というのは、その頃、我が愛するチビッコは、かろうじて飛べる状態となった
に過ぎないのに、養父母(?)の目を盗んで自然に帰って行ったからである。 Short Stay だった。

後日談だが、巣立って行って二三日経った頃、数羽のスズメが庭に来た。その中に聞き慣れた
鳴き声を耳にした。スズメの鳴き声にも違いのあることは初めて経験していた。急いで庭に出ると、
一羽を除いてみんな逃げ去ったが、その一羽は樹木の中腹に手の届くところに居て、元気に
さえずり続けた。真下に近づいて手を伸べても恐れず、数分に亘ってなつかしい声で頌栄していた。
我が家の息子に違いなかった。私には、お礼に来たように思えた。最後に、捕まえようとしたが、
もはや人間の世話にはなりたくないのか、離れていった。 寂しさが、また一段と増した。

私たち夫婦は、この小さな生き物との生活で、改めていろんなことを学んだ。それは、いのち
の尊さと愛することの素晴らしさについてである。 たまたまの出会いが、消えかかっていた
生命の火を再度燃え上がらせ、わが家で成長した後、、今もどこかでさえずっている。そして、
今日もどこかで生きている。小さな動物だが、手の中のぬくもりといのちの不思議さに触れた。
また、最初は大変なお荷物が来たようにも思ったが、だんだん大きくなり、又なついて来るに
つれて、情が移るというか、可愛さが日増しに強くなり、折れた足が癒えて羽も出揃い飛翔
できる日を楽しみにするようになった。

関連して思い起こす聖書のことば

五羽の雀は二アサリオン(最小単位の銅貨)で売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、
神の御前には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな
数えられています。恐れることはありません。あなた方は、沢山の雀よりもすぐれた者です。