イエス・キリストは、AD30年の春に十字架刑に処せられ、三日目に復活し、40日の間
多くの弟子たちと生活を共にした後、昇天された様子が聖書に記録されている。これは、
イエスの謂わば初臨の目的であり、かつ最後の姿でもあったが、それは“迷える羊”た
る人類を救済すべく、神が恵みによって救世主をこの世に遣わした一連の出来事の終幕
であった。そして今日の時代はと云えば、聖霊の支配下にあっての恵の日、救いの時代
として位置付けられている。しかしここでキリストの福音は終わっているわけではない。
むしろ上記の出来事はスタート・ラインであり、今日はレースの最中といってよい。
必ず終点即ちゴールがあると教えられている。それは、この世の終末とキリストの再
臨である。クリスチャンでなくとも、この世の現状を視ていると、特に人間の手による
環境破壊とその絶えない欲望が、地球を破滅させつつあると危惧する向きが多いが、
大昔から一貫して終末を預言し、イエス・キリストの再臨を厳かに警告し続けて
いるのが聖書である。
キリストの再臨は、旧約聖書時代の預言者たちの重要な主題であった。聖書全体では、
その教えは最初の来臨に関する記事に比して、数倍もあるといわれている。勿論、イ
エス自身も”わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなた
がたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたもおらせるため
です(ヨハネ14:3)” との趣旨の約束をあちこちでしておられる。使徒たちも強く
証言している。それはクリスチャンにとっての大きな望みであり、待望すること自体
が即大いなる喜びでもある(内村鑑三)。それは又、クリスチャン生活の大きな励みで
あり、パウロのことばに従えば、既に永眠した者との再会という点で、大きな慰めで
もある。(W..Evans)
これまでにキリストの再臨を何年何月何日であると設定して失敗した人たちが史上に多く
居る。聖書を知らないからだ。 イエスは言われた”その日、その時がいつである
かは、誰も知りません。天の御使いたちも子(イエスのこと)も知りません。
ただ父(神)だけが知っておられます(マタイ24:36)“。 それは明日かも知れ
ないし、或いは、十万年後かも分からない。我々の地上的な尺度では判らない。しかし
初臨がそうであったように、再臨も確実に来る。 それが預言の内容である。しかも突発的
に訪れる。キリストは偉大なる栄光を伴ってこの地上に再臨すると聖書は教える。
”そのとき、人々は、人の子(イエスのこと)が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って
来るのを見るのです(マルコ13:26)”
キリストの再臨は、初臨の時の静かで謙虚な姿とは対照的に、王としてである。それは
まだまだ先のことだと考え惰眠をむさぼっていてはいけないと厳しく警告されている。
手許の聖書を紐解くと、終末の前兆についての色々な現象が例示されていて興味深い。
主イエスは二千年の昔に、あたかも終末を透視するかのごとく、終末が近づくと、、戦争、
地震、飢饉などが頻発し、エルサレムが世界規模で攻撃を受けるという。また宗教界には
反キリストの強力な出現や、われこそ救世主なりとするにせ預言者””の台頭など、人心の
荒廃に加えて地上に大混乱が満つる。自然現象にも異常が現れ、天体は揺り動かされると
表現されいる。まさにこの世も終わりかなと思わせるような世相になるのだろうと想像される。
注目すべきは、此の時点までにキリストの福音が、地の果てにまで、即ち異邦人たる諸民族
に宣べ伝えられていることである。こんな聖書の記事を学んでいると、我々の地球は、
大きな区切りで見て、既に終末期に突入しているのではないかとさえ思わせられる。
そんな社会情勢が訪れたときに、キリストは突然再臨する。これが、再臨に関する聖書の
預言の大要である。
具体的に、キリストの再臨はどんなふうに起こると啓示されているのだろうか。
福音書や黙示録によると、キリストは聖徒と共に地上に再臨されるが、それに先行して、
この教会時代に永眠した信者および生存中のクリスチャンを迎えるための空中再臨がある。
一般に「空中携挙」といわれる現象である。そして、限定期間だが患難時代が来る。
そうして地上再臨されたキリストは、地上に千年王国を樹立るが、同時に信者、未信者を問
わず、全人類の審判者ともなる。“最後の審判”という言葉はここから出ている。また死
が滅ぼされる時ともなる。その後、新天新地が誕生する。これが聖書の啓示する終末の
アウトラインである。
堅苦しい話になってしまったが、一般に「キリスト教」ということばで我々に啓示されて
いる創造主たる神の叡智・永遠の世界をのぞき見ると、誠に驚嘆する以外にない。時間と
空間を超越し、あらゆる被造物を包含しつつ、最高の霊長類である人類の個々の魂を丁寧に
救済し、生きる希望を強く与える。 キリストはもう一度この地に来られるという。
それは夢物語なのか、はたまた気休めに過ぎないのか、或いは、この時点では、人間の
理解力を超えた次元の真実なのか、一人ひとりが答えを持つことを求められている。
こと再臨に関しては、キリストの初臨と自分との関わりについて、充分の考察と決断が
できれば、すんなり納得のいく命題だと思われます。
(イエス・キリストのことばから)
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることが
ありません。
人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
See you soon