NHK教育テレビの「心の時代」でノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんは「一つの麦が地に落ちます。それがやが芽がでて実を結ぶ」これは「私が死にます。この死をどうか無駄にしないでください。私の命に代わって、どこかで誰かを生かしてください。」という意味だとおっしゃっています。
 この麦のたとえは、北條さんもおっしゃっていました。一つの種が地に落ち、水をやり、日光に当て、大切に育てるとやがて多くの実を結ぶ。これは一人の命がなくなってしまっても、愛する人を亡くし残された人が、命のはかなさ、形あるものはやがて壊れることを思い知らされることで「生きる」意味を真剣に考え、命ある今を一生懸命生きぬくことだと。
 空未のかけがえのない命が亡くなってしまったけれど、私たち残された人が命の大切さに気付かされ、残された人たちの生き抜く力となる。このことで初めて実を結んだことになるのだと思います。
空未の「ハピネスについて」は、もしかして麦のたとえ話しの意味ではなかったかと思われます。空未は教会の日曜学校でこの「ひと粒の麦」の話しを聞いていたのかもしれません。
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