北條さんとの不思議なご縁

2000年5月頃のこのと

 初めて北條不可思さんの名前を知ったのはメルマガの「なあむ・サンガ」です。
5月25日に東京芸術劇場で縁絆(えんばん)コンサートのお知らせです。北條不可思さんのプロフィールを読むと、「相模原市在住」「子育てをする生活の中で〜」「東京・築地本願寺」など、私との共通点がまるでキーワードのように目に入りました。

 築地本願寺は学生時代、学校よりもよく通った築地仏教青年会があるところです。信仰深い祖母が、四国から大学に行くため上京する時に「東京に行ったら。築地本願寺さんに行きなさい。」と言われました。それで、言われた通り築地本願寺に行ったところ、本願寺の中にある仏教青年会を紹介してもらい、その日にすぐ入会しました。
仏教青年会はとっても居心地がよくて、学生時代の半分は築地本願寺に入り浸りでした。

 空未は友達に誘われて、近所のキリスト教の教会の日曜学校やサマーキャンプに行っているけど、教会もいいけど、できればお念仏をいただける浄土真宗の日曜学校やキャンプがあれば行かせたいと思い、北條さんのお寺に問い合わせました。そしたら、毎月6日午後一時半から法話会はやっといるけど、子どもを対象にした会はやっていないとのこと。平日は空未は学校があるし、私ひとり行っても空未が家に帰る迄に戻れない。6日が休日になったときにでも行こうと、その時は思っていました。そしてその思いは空未が亡くなる日まで、忙しい日常の中ですっかり忘れ去ってしまいました。

2000年7月頃のこと

 私はMacの仕事を空未をつれて、近所の印刷屋さんのハマさんに教えてもらいに行っていました。亡くなる2ヶ月ほど前から、ハマさんの所に行く度に「ハマさんより、ずっと良い先生、北條さんが伊勢丹の隣にいるよ。ハマさんの所は行かない方がいい。北條さんに変えたほうがいいよ。北條さんはハマさんの所より近いし、Macもハマさんよりよくわかっていて優しい先生だよ。」とデタラメを言います。ハマさんも優しい先生なのですが。

 その頃私は、北條さんのお名前はすっかり記憶になく忘れていたし、空未にも北條さんの名前を出したことは一度もありませんでした。もちろん、二人とも北條という名前の知人もいません。ハマさんの所で、私がパソコンを教えてもらっている間、待つのが嫌で、デタラメを言っているのだと思って、その時私も「そうか、じゃあ北條さんの所へ連れて行って。」と、デタラメの話しに乗って、伊勢丹の前で「おかしいな、ここにあるはずなのにね。」なんて言って遊んでいました。

2000年11月13日のこと

 北里大学病院で空未は息を引き取りました。「御臨終です。」の言葉の後に現れたのは葬儀屋さんです。
「お葬儀はどちらの宗教でなさいますか?」と聞かれ、一瞬とまどいましたが、その時メルマガで見つけた相模原在住、子育てをする築地本願寺仏教学院を出られたお坊さんを思い出しました。その時は、お寺の名前も、北條さんという名前もすっかり忘れていました。
 空未は毎日、私と一緒に阿弥陀如来像と亡くなった私の祖母の写真に向かって「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、おばあちゃん、今日もありがとう。」と言ってから寝ていました。17日の祖母の月の命日には一緒にお教をあげていました。だからできれば浄土真宗のお寺さんにお願いしたいと思いました。このことを主人や主人の両親に話したところ、気持よく「うちの墓は別の宗教だけど、空未のように信仰深くないから、空未が信じる宗教でいいよ。」と言ってくれました。それでメルマガで見つけたお坊さんにお願いしようと決めました。葬儀屋さんには「お願いしたいお寺さんがあるけど、連絡先がわからないので、うちに帰って調べて明日お返事します。」と答えておきました。

2000年11月16日のこと

 お通夜も葬儀も終わって空未のお骨と一緒に家に戻ってきました。ほっとして、御会葬者芳名簿をみながら「凄い沢山お別れに来てくれたね。大阪の去年の担任の先生も来てくれたし、千葉からもハマさんの友達も来てくれた。そういえば、空未はハマさんの所に行くの嫌がっていたよ、ハマさんよりもっといいMacの先生がいる、北條さんって・・・北條さん、って御葬式してもらったお坊さん・・・」この時、身体中がゾックとしました。なんと不思議なこと、空未が夏頃、ハマさんのところに行く度に「ハマさんはやめて北條さんに教えてもらいなよ。」と言っていたことをここで初めて思い出しました。御葬式のお願いするため、メールを開いて北條さんに電話した時は、空未が突然死んでしまい、気が動転して何が何やらわからないまま腑抜けの状態でした。「北條さん」「蓮向寺」と目で追っても全然思い出しませんでした。

今思うこと

 空未が言った北條さんとは、まさに北條不可思さんのことではなかったのか?デタラメだと思っていた「北條さん所に行った方がいい。」の言葉は亡くなった信仰深い祖母が言わせていたのかとも思えてなりません。空未が亡くなる日の朝、空未は「お母さん、かわいい」と私の頭をなでて、今迄一度も言ったことのないような優しい言葉をかけてくれました。亡くなった祖母は、私のこと「かわいい。かわいい。」と言って母親かわりに育ててくれていました。亡くなった祖母が私を導くために空未に不思議なことを喋らせていたようにも思えるし、北條さんとのご縁も祖母のお導きだったと思えてならないのです。全く関係ないのですが、祖母も北條さんと同じ10月14日生まれです。
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