■ 虚像と実像がシンクロした、悲劇の正統派アイドル 岡田有希子、彼女が投身自殺をしてから、今年(2000年)ではや14年の月日が経過したが、昨年は13回忌のメモリアルとしてCDボックスが発売されたり、彼女が所属していた芸能事務所「サンミュージック」も、死後封印して来た彼女の生前映像をTVで解禁したりと、未だファンの関心は衰える事を知らない。 かように、今でも多くの支持を集める有希子だが、支持される理由としては、「可愛らしい」「純情可憐」「謙虚」「控えめ」「素直」「優等生」「歌が上手い」といったファクターで様々だろうが、いずれにせよ、俗に言う"正統派アイドル"としての魅力である事は間違い無く、しかも、評価としては「最後の正統派アイドル」との見解で衆目の一致を見るようである。 こうした現象を鑑みると、有希子は名実ともに「最後の正統派アイドル」の評価に相応しくあるが、よくよく考えてみると、正統派・正攻法でブレイクしたアイドルというのは、決して彼女が最後ではないのだ。 それから彼女自身、正統派アイドルとしての資質が非常に特殊だったことも、"ラスト然"たる評価には大きく寄与していると思われる。 しかし、こうした「正統派でありながら虚実が一致」という、芸能的には不健康とも言える状態が、そう長続きするとは考えづらい。 それにしても、もし、あのまま彼女が死なずにアイドル稼業を続けていたらどうなってたであろうか? (2000.06.16.) |
■ 詞の内容から考えれば、竹内まりやの集大成 岡田有希子のデビュー曲。 作家陣には職業作家ではなく、シンガーソングライターの竹内まりやが起用された。 そんな有希子のデビュー曲であるが、スタッフの気合が空回りする事無く、実際に完成度の高い楽曲に仕上がっている。 曲は「A→B→A→B'→C」という構成で、マイナー調主体で進行するが、Cメロでメジャーに転調。 この作品、歌詞・サウンド・歌唱、全ての面でハイレベルな出来映えである。 (2000.6.16.) |
■ 初期有希子作品は、60年代ティーンポップへの回帰 今回も作詞・作曲は竹内まりや。 前作と同じくデートが舞台で、竹内的には「ファースト・デイト」の続編なのかも。 曲は「A→B→A→B'→C」という前作とほぼ同じ構成で、その構成や曲調を鑑みれば、今回も基本は’60sなのだが、「ファースト〜」と比べれば歌いやすい作りであり、しかも、今回はCメロをサビにして、歌謡曲っぽく"聴かせる"作りもしている。 どことなく「ラバーズ・コンチェルト」っぽいけど。 この作品、サウンドが’60sで、歌詞がアナクロ。 「ファースト・デイト」以上に古臭いし、出来としても凡庸に感じる。 (2000.6.16.) |
■ 岡田有希子の最高傑作 またしても作詞・作曲が竹内まりやで、今作で"竹内まりや三部作"は一応完結する。 曲は前作同様にメジャー調で、「A→A'→B→A'」という、三部作の中では最も歌謡曲的な構成となった。 この作品、歌詞・曲・アレンジ・歌唱、全ての面で特に欠点が見当たらない。 それにしても、何故に’60sへの回帰なのか。 (2000.6.16.) |
■ ユニークな設定を生かせなかった歌詞が残念 今回は作曲を尾崎亜美が、作詞を夏目純がそれぞれ担当。 で、こうした諸々の狙いが見え隠れする「二人だけ〜」であるが、確かに"まりや三部作"とは異なる作風である。 有希子の歌唱も、今回は竹内作品とは異なる面を見せている。 夏目による歌詞も、これまでの少女染みた恋愛感情から一歩進んで、実際に恋人とキスまで漕ぎつけてしまう大胆さを見せている。 この作品、有希子にとっては、あらゆる面でステップアップとなった作品であるが、歌詞の中途半端さで損をした。 (2000.6.16.) |
■ モロ"聖子調"だが、2年目でこのアダルティな作風は異色 作曲は前作同様、尾崎亜美だが、今回は作詞も尾崎が兼任。 主題は特に無く、「夏の渚で繰り広げられる恋愛模様」を淡々と綴っている感じで、まぁアイドル歌謡にはありがちなパターン。 曲は「A→B→C→A」という構成で、前作同様メジャー調だが、キーは低めで調性も変化しないし、前作よりもかなりオーソドックスな作り。 この作品、特にサウンド面がアダルティな仕上がりで、かなりアイドル離れしているが、素晴らしい出来栄えだと思う。 (2000.6.16.)
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■ 作家の弱点が露呈した、中途半端な"ロック歌謡" 編曲は前作同様、松任谷正隆が担当しているが、作詞・作曲は尾崎亜美が外れ、竹内まりやに戻された。 まずは曲だが、「A→B→C→A」という前作と同じ構成で、しかも、同様の頭サビ形式ではあるが、調性は正反対のマイナー調で、今回はちゃんと高音域で聴かせるサビメロにしている。 さらに、今回は歌詞の出来もあまり良くない。 タイトルからも察しが付くように、今回のテーマは"失恋"で、 一体どうしたと言うのだろう? 竹内のアベレージからすれば、ちょっと信じ難いレベルの低さなのだが。 この作品は、竹内の作詞家としての弱点が露呈してしまった作品であり、しかも、アレンジも中途半端で、あまりイイ出来とは言えない。 佳曲ではあるし、有希子も初の"ロック歌謡"を上手く歌いこなしているんだけど。 (2000.6.16.) |
■ 完成度は高いが、突飛な印象が拭えない"エロ歌謡" 今回は作詞・作曲を、ムーンライダースのかしぶち哲郎が担当。 まずは曲だが、「A→B→C」という構成で、マイナー調基本だが、Cメロではメジャーに転調。 かように独特なサウンドだが、この作品で最も特徴的なのは歌詞で、主題は存在せず、散文詩の如く、イメージの羅列に終始しているんである。 そう書くと、まるで井上陽水みたいに、崇高な文学性を内包してるのかと思いきや、そんなことは無く、 この作品、歌詞が正統派らしからぬキワモノぶりで、ハッキリ言って怪作である。 (2000.6.16.) |
■ 良くも悪くも、彼女にとっては転機となったはず 今回は化粧品CMソングというタイアップが付いたため、話題性を重視してか、作詞に松田聖子・作曲に坂本龍一という、豪華異色スタッフを揃えた。 編曲で松任谷正隆が外れ、前作で作詞・作曲を担当していた、かしぶち哲郎がアレンジを担当。 まず曲だが、「A→B→C→A→D」という構成で、ほぼ全編メジャー調。 歌詞は化粧品のコマソンらしく、主題は特に設けていない。 この作品、特にサウンド面で、これまでに無くシンプルでオーソドックスな作風なので、その点が物足りなく感じられてか、凡作と位置付ける向きが多いが、僕はそんなに悪い作品とは思わない。 なのに・・・なのに、これがラストシングルになってしまったのだ。 (2000.6.16.) |
■ 模索を経て、"聖子調"を独自に咀嚼しきった傑作 有希子のシングル盤は、前作「くちびるNetwork」を最後に発売されていないが、この「花のイマージュ」は、次回作として1986年5月に発売が決定しており、彼女が逝去する前から、早々と各種メディア媒体を通じて宣伝されていた。 今回は作詞・作曲・編曲を、かしぶち哲郎が一人で担当している。 まずは曲だが、「A→B→A→B→C」という構成で、A・Bメロはマイナー調だが、Cメロではメジャーに転調する。 歌詞は「Love Fair」同様の散文詩形式で、主題は特に存在しない。 この作品、「Summer Beach」以降顕著になってきた、「有希子の松田聖子化」という方針が、様々な模索を経た結果、独自のスタイルで咀嚼しきった、有希子なりの回答だと思う。 (2000.6.16.) |