** 原田知世 **

 "女優兼歌手"で歌手主導というのは珍しい存在

原田知世について考える時、僕がいつも不思議に思うのは、彼女のパブリック・イメージである。
一応、肩書きとしては"女優兼歌手"であろう。
女優と歌手の両立は、デビュー当時から一貫しており、現在も継続中なのだから、まぁその通りである。
しかし、角川時代の知世は、あくまでも女優業がメインだったのに対し、現状はその仕事量から鑑みると、「女優業=歌手業」、もしくは「女優業<歌手業」なのだ。 年1作ペースで順当にCDリリースしてるし。
気が付けば、女優と歌手の比率が拮抗(もしくは逆転)していたわけだが、こういう人は珍しいと思う。
"女優兼歌手"といえば、桃井かおり・藤谷美和子みたいに、歌手は余技であるのが普通なのに。
歌手に力を入れてた中山美穂にしても、徐々に「女優>歌手」へとシフトして行ったわけだし。
強いて挙げれば、今井美樹が知世に近いスタンスか。 ちょっと女優の仕事が少なすぎるけど。

知世の場合、「どうしてますか」で主演映画のタイアップが外れたあたりから、本格的な歌手への転身(?)が始まったわけだが、この展開は薬師丸ひろ子も同じである。
でも、薬師丸の場合は、「時代」とか歌ってた頃は歌手主導であったが、すぐに女優業へと戻って行った。
映画『病院へ行こう』などの主演作が好評を博したからだ。
知世も歌手業に力を入れる傍ら、映画『黒いドレスの女』等、女優業も地道にこなしていたが、今一つパッとしなかった。
このまま普通の歌手になってしまうのかと思いきや、映画『私をスキーに連れてって』の大ヒットに恵まれる。
続編的な『彼女が水着に着替えたら』の主演も含め、再び女優としても脚光を浴びるようになったわけだが、『私を〜』の起用については、「ユーミン音楽が最も似合う若手女優」との理由で選ばれたハズである。
つまり、女優としての実績・実力というより、歌手としてのイメージで起用されたのだと思う。

この事は、今後知世が歌手業メインで芸能界に居続ける事を示唆する、重要な事件であった。
まぁ当時は、本人も含めて、誰もそんな事は考えもしなかっただろうが。
単純に「映画女優・原田知世の復活」みたいなノリで賞賛していたのだから。
でも実際、彼女は薬師丸のように女優メインに戻ることは無かった。
というのも、これ以降、彼女の女優やTVの仕事は、「シンガー原田知世」のイメージに付随するものばかりなのだ。
具体的には「フレンチポップスや鈴木慶一作品を歌う、オシャレでナチュラルな"渋谷系歌手"」というイメージであるが、世間が捉える"渋谷系"のイメージって、ガーデニング・アロマテラピーみたいな、自然派志向のキーワードとシンクロしているように思う。 実態は違うだろうけど。
で、『JA』『植物物語』『ザ・カルシウム』等のCM起用も、そうしたイメージで選ばれたはずだし、久々の連ドラ主演となった『デッサン』にしたって、歌手としてのアーティスト性を買われて企画されたのだろうし。

かように知世は、歌手としての仕事を主軸にしながら、女優・CMタレントを両立させているわけだが、肝心の歌手業がそれほど一般には認知されてないのが、これまた不思議なのだ。
トーレ・ヨハンソンにプロデュースされたり、久々にアルバムがトップ10入りしたりと、間違い無く歌手業は充実しているのだが、それらは物凄く狭いマーケットでの話で、CMやドラマを見ている一般視聴者は、たぶんそんな事は知らないと思う。
一連の事象を評価しているのは、玄人筋と業界関係者だけであり、となると、知世の仕事の現状は、「クリエイティブなCDをリリース → 通からの高い支持 → オシャレの象徴としてCM・映画・ドラマに起用」という3段階で流れが循環している事になろうが、世間はこの最終段階しか知らないんである。
オシャレの根拠なぞ鑑みず、「それっぽい露出をしてるから」という結果だけで、世間は「知世ってオシャレでイイ感じだよねー」的なノリで、女優・CMタレントとして彼女を消費しているわけだが、そう考えると、知世の芸能活動って、実態の無い(あるんだけど)完全なイメージ戦略の上に成り立っているとも云えるか。

考えてみたら、こうした現象って、『時をかける少女』の昔から、既に端を発してはいたのだが。
とりみき・ゆうきまさみ等、一部の知識階級の支持を得た事により、サブカル好きな連中もこれに追従し、一種のカリスマにまで上り詰めたわけで。
要するに、「知識人 → サブカル好き → 世間一般」という、ピラミッド型のイメージ流布の図式であるが、これは知世にとってはオイシイ戦略だと思う。
ちまちまと小さな仕事で世間に存在をアピールするよりは、対象を少数文化人に絞ったほうが労力的に楽だし、しかも、小さな投資で大きな見返りが期待できるわけで、個人事務所で細々と生業を営む知世にとっては、まさに打ってつけな方法論である。
CDを出す際、彼女の場合はヒットを狙うよりも、通好みの佳作を制作する事のほうが重要なのだ。
もちろん、芸能の才能が伴わなきゃ、一切の努力は無駄骨なんだけど。
見方を変えれば、彼女は日々「隙あらば文化人の懐に飛び込まん」、もしくは「"お文化"な自分を懸命にアピール」しているとも取れるわけで、これってナチュラルとは逆座標に位置する、超あざといメンタリティであろう。
しかし、知世は世間にその遂行工程を見せない事で、アクの強さを上手く隠蔽している。
"女優兼歌手"ではないが、彼女の他には、渡辺満里奈もこれに近い戦略で"お文化"な己をアピールしてるが、満里奈の場合は全工程が丸見えだもんで、世間もそのあざとさを察知して、満里奈には反感を抱くのだが

(2000.2.25)

 


悲しいくらいほんとの話

作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:星勝


 凡作だが、楽曲制作の意向が反映されている歌詞は興味深い

原田知世のデビュー曲で、TVドラマ『セーラー服と機関銃』の主題歌。
映画版主題歌、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」と全く同じスタッフ。
薬師丸の「セーラー服〜」は、元々が来生たかおの自演予定で楽曲制作されたために、アイドルっぽさが非常に希薄な作品だったが、この「悲しいくらいほんとの話」は、最初から知世向けに制作されており、その点、割とアイドル的な作品に仕上がっている。
ただ、いくら知世が薬師丸に続く"角川アイドル第二弾"だとは言え、薬師丸の大ヒット映画をTVドラマで再現し、しかも、レコード制作まで同じ路線を踏襲するとは、素人目にも極めて安易な展開だと思うが。

曲はマイナー調。 低音域から始まり、サビでは高音域で盛りあげる作りで、いかにも来生たかおらしい曲。
その点は「セーラー服〜」と似ているが、今作はBメロが散漫なうえに、サビもそれほどキャッチーとは言えず、メロウなムード漂う上品な楽曲ではあるのだが、ヒットを狙うにはいささか弱いメロディだ。
アレンジは、所々リズムを変化させたりするものの、まぁコレといった特徴のない、ニューミュージックテイストで手堅い作りだ。
「セーラー服〜」と比べたら、曲と合わせてサウンド面は凡庸で、可も無く不可も無く、といった按配。
それにしても、イントロで"ピコピコ"サウンドを使って、歌詞のSF感覚を表現するセンスは、どうにも安っぽい気がする。 こうした安っぽさ・凡庸さが、映画版とTV版の違いという事なのか?

対して、歌詞はちょっと興味深い作りである。
 ♪まるで自分が不思議だんだん変化する〜 ♪トランポリンのように体は浮いたまま〜
 ♪ちょっと夢と現実区別がつかないの〜 ♪スリルめいた毎日時間が飛んで行く〜
と、少女が抱く恋心を、SFチックに描写するというのは、アイドル歌謡にはありがちなパターンだが、
 ♪恋の気分も知らないのに 心はざわざわ暴れるばかり〜
 ♪恋の気配に揺られたまま 心のスピード驚くばかり〜
主人公は戸惑っているばかりで、挙句の果てに
 ♪どこの誰だかあなた私の心触らないで〜 ♪きっとどこかであなた私に暗示をかけている〜
 ♪自分で自分が恐くなる〜 ♪自分で自分がわからない〜
肯定とも否定ともつかない感情でまとめている。
普通、SFチックな恋愛物だと、"ルンルン"気分で描写するパターンが多い中、こういったシリアス(というかナーバス)な展開は珍しいかも。

これはおそらく、知世のアイドルっぽさと、ドラマ『セーラー服〜』のバイオレンス性(大した事はないが)を折衷した結果だと思われる。
 「とりあえずアイドルのデビュー曲なんだから、ラブソング歌わないと」
 「でも、『セーラー服と機関銃』なんだから、あんまり可愛いのもマズイでしょう」
という、相反する意見の妥協ではないかと。 たぶん。
"悲しい"を冠したタイトルにも、そうしたスタッフの意向が反映されているように思えるし、原作とは無関係なSFを取り入れたのも、得体の知れないナーバスさを醸し出して、可愛らしさを掻き消すための手段かも。
この作品、歌詞を考察するといろいろ面白くはあるのだが、作品自体は凡作。
もっとも、これに限らず、スタッフの総意が折衷・妥協された着地点というのは、往々にしてつまらないものだと相場は決まっているが。

(2000.2.25)

 

ときめきのアクシデント

作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:星勝


 来生姉弟が織り成す「擬似・松任谷由実」?

TVドラマ『ねらわれた学園』主題歌。 前作同様、こちらも薬師丸ひろ子主演映画のTV版だ。
前作「悲しいくらいほんとの話」は、映画版主題歌「セーラー服と機関銃」を、同じスタッフで、TVナイズに縮小再生産したような趣きがあったが、今回もそれに近いモノがある。
映画版『ねらわれた学園』の主題歌は、松任谷由実「守ってあげたい」だったが、スタッフは何故か前作と同じ。
本家ユーミンに断られたのかどうかは知らないが、結論から言えば、今回はユーミンに代って(?)、来生姉弟がユーミン世界を再現しているかのようなのだ。

歌詞は前作同様、恋愛感情をSFチックに描写しているが、今回はナーバスさを醸し出すための手段ではなく、純粋に『ねらわれた学園』のテーマである"超能力バトル"に追従した結果である。
ただし、原作(というかドラマ自体)にバイオレンス性が低いため、今回はさほどナーバスさはない。
 ♪嵐が来るような予感がする〜 ♪空想ゲームから抜け出せない〜
 ♪風になってあなたの部屋に忍び込みたい〜 ♪ときめきのアクシデント仕掛けたいの〜
主人公が恋心に戸惑ってはいるのは前作と同じだが、今回は恋愛感情には肯定的で、その点は普通のアイドル歌謡っぽい。 しかし、興味深いのは、来生えつ子が織り成す"ユーミン的世界観"である。
 ♪日向のガラスの街 モザイクの箱庭〜 という情景描写もユーミンぽいが、それ以上に
 ♪あなたの心全部覗いてみたい気分 ハート型の鏡なら映せるかしら〜
というくだりは、そのまんま「魔法の鏡」だろう。

さらに来生たかおの曲は、歌詞以上にユーミン的で、お馴染みの"来生性"が希薄なメロディだと思う。
まぁ来生たかおの作品は、ヒットしたものしか知らないんだけど。
今回、来生には珍しくメジャー調だが、河合奈保子「ストロータッチの恋」・西村知美「見えてますか、夢」・斉藤由貴「ORACION」など、メジャー調楽曲でもいくつかヒットを出している。
いずれもアクの無いシンプルな旋律だが、この「ときめきの〜」は例外で、結構複雑な曲作りをしている。
マイナー加味は前述作品も同様だが、今回は音程のアップダウンが結構激しいうえに、普通思い付かないような、独特のコード進行・メロディ展開をしている。
サビ以降、その特徴が顕著で、上手く言葉で表現できないのだが、具体的にはユーミンの「中央フリーウェイ」「タワーサイド・メモリー」等に近いセンスなのだ。 来生らしくない。

アレンジは前作に比べれば相当に凝っている。
"ピコピコ"したキーボードと、重量感あるベース・ピアノが織り成すイントロから、既にSF的世界観を表現していて、出だしから一気に作品世界に引き込まれる。
同じ"ピコピコ"でも、前作のような安っぽさはそれほど感じられず、ロマンティックでムード溢れるイントロに仕上がった。 いずれにしても、SF感を"ピコピコ"で表現したがる星の発想は安易ではあるが。
その後も、スウィングする独特なベースラインを基調に、様々なキーボード類・ピアノ等が加わり、上品で厚みのあるサウンドを聴かせてくれる。
サウンドに関しては、曲・アレンジ、いずれの面でも問題は無く、傑作といえるだろう。

この作品、ユーミン的な歌詞・曲で、しかもSFチックな主題という、まるで"裏「時をかける少女」"といった趣きがある。 まぁこちらのほうが早いリリースなのだから、「時かけ」こそ"裏「ときめきのアクシデント」"なんだけど。 
じゃあ"プレ「時かけ」"か。 ショートカットのジャケ写も、既に「時かけ」っぽいし。
そう、彼女は『ねらわれた学園』で、これまでロングヘアだった髪型をショートにしているのだが、この髪型の変化に関しては、昔から色々と考察されており、その結果、「ユニセックスの追求・先駆け」ということで一応の結論は出たようである。
しかし、知世の売りだし方針が、歌・ドラマの両面で、薬師丸ひろ子の安易な縮小再生産だったことを考えれば、彼女のショートカット攻勢はとりわけ深い意味なぞ無く、ただ単純に 「ロングで売れなかったのだから、先輩の薬師丸ひろ子と同じショートにすれば売れるかも」という、これまた安易な再生産だったのではないかと思うが。

(2000.2.25)

 

時をかける少女

作詞・作曲:松任谷由実 編曲:松任谷正隆


 原田知世の最高傑作

知世の同名初主演映画の主題歌である。 
前作では来生姉弟が、ユーミンに成り代わって"ユーミン世界"を再現したが、今回はようやく(?)本家本元が登場。 やはり映画はTVよりも強し、ということか。 今では勢力が逆転しているような気もするが。

曲はメジャー調で、「A→A'→B→C」という構成。
♪消えたりしないでねぇ〜 ♪私は私は〜 などで、突然音域がUPする点や、サビでマイナーに転調するも、すぐにメジャーに戻ってそのまま締めくくるセンスなど、すごくユーミンっぽい。
しかし、ちゃんと知世向けに作られたメロディでもあるのだ。
知世は結構音程はイイが、ヴォーカルに声量・表現力、ともに欠けるキライがあり、あまり歌い上げるようなメロディは不向きだと思う。
その点、この曲は、高音域でサビが盛りあがるものの、「歌い上げる」というよりは「突き抜ける」ような作りなので、知世のか細い個性にはマッチしている。
アレンジは、ユーミンらしいシンプルなニューミュージックテイストを基盤としながらも、「ド#・シ・シ・シ・ラ・ラ・シ・ラ・シ」のキャッチーな旋律を、キーボードやギターで延々と奏でているのが、なんといっても耳を引く。
所々リズムを変化させているうえに、Aメロでは多少フォーキーな、もしくはボサノバっぽい雰囲気もあったりするし、A'メロではサビに向かって、コーラス・ストリングス等で次第に盛り上がって行く作りで、シンプルながらもかなり凝ったアレンジだ。 間奏・エンディングのフュージョンっぽいサックスは、当時の松任谷正隆の常套パターン。

歌詞はタイトル通り、恋愛感情をSFチックに描写している。 
デビュー以来、3作連続SFチックで「またしても」という感じだが、"SF三部作"のなかでも、この「時かけ」が最もSF色が強い。
おそらく、発注の時点で、タイトルを歌詞に組みこむ事が条件として提示されたのだと思うが、このモロにSFなタイトルを主人公に仕立て、
 ♪過去も未来も星座も越えるから 抱きとめて〜 ♪褪せた写真のあなたのかたわらに飛んで行く〜
という具合に、「時空・空間をも超越する愛情の一途さ」として昇華することで、条件をクリアしているのは見事。
しかも、前2作品のように、「不思議」「謎」「ミステリー」「呪文」といったSFなキーワードを一切使用せずに。
さすがは本家。 来生えつことの技量の差は一目瞭然。

この作品、サウンド・歌詞、いずれの面でも完成度が高く、全く欠点が見当たらない。
知世の力弱い歌唱は好みが割れるだろうが、とりあえず作品世界を表現するには、過不足無い歌唱ではあるし、最高傑作と云って構わないだろう。
唯一の不満は、作者のユーミンがセルフカバーしたことくらいか(僕は勘弁して欲しかった)。

(2000.2.25)

 

愛情物語

作詞:康珍化 作曲:林哲司 編曲:萩田光雄


 AORを女性アイドル向けに再構築した意欲作

前作に引き続き、知世が主演した同名映画の主題歌。
この作品、一聴する分には、スローテンポで可愛らしいアイドル歌謡だが、よく聴くとかなり渋い作品だ。
デビュー以来、ずっとニューミュージック路線を一貫してきたが、その志向がこの作品でピークに達したと云える。

歌詞に「愛情物語」はフレーズとして出てこないが、『足ながおじさん』をモチーフとした原作のテイストは、一応表現されている。
 ♪はじめて逢うのに想い出のような人〜 ♪あなたですか 出会う前からずっと 胸の中で私を呼んでた〜
 ♪必ず迎えに来てくれる 信じてた〜 ♪姿見えない優しさ 信じているのは〜
しかし、寓話をアイドル歌謡として完全に消化しきれず、主題もよく判らないし、全体としてはラブソングとも文芸路線ともつかない、まとまりに欠けて中途半端な印象である。
でも、この歌詞の中途半端ぶりが、映画本編の出来の悪さと地下水脈で共通していて、見方を変えれば、本編の内容を如実に体現する優れた主題歌と言えなくもないけど(鬼か)。

曲はメジャー調のスローテンポで、サビ前でマイナー調加味。
単純な曲構成のうえに、サビもちょっと弱いが、とりあえず女性アイドル向けの可愛らしい、上品なメロディだとは思う。 覚え易い楽曲だし、知世の個性にもマッチしていて、そんなに悪くない出来だ。
しかし、この曲はよく聴くと、杉山清貴&オメガトライブ「サイレンスがいっぱい」をメジャー調で展開させたかのような楽曲で、基盤はAORなのだ。 AOR調のメロディを、女性アイドル向けに可愛らしく再構築した作品、という解釈もできる。 そういう意味では意欲作だし、林哲司の本領が十二分に発揮された仕事とも言えよう。

アレンジはAOR風のメロディを引き立てながらも、アイドル歌謡としての体裁を配慮した作り。
ドラムス・ベースのリズムセクション、エレピアノの音色は、あきらかにAORのそれなのだが、ギターをほとんど使用せず、可愛らしくて上品なシンセ類・キーボードでサウンドに厚みを加えているので、サウンドだけでも、ちゃんと女性アイドル歌謡として成立している。
所々、キラキラしたような音を導入していたり、どこか郷愁を誘うような旋律だったりするのは、アイドルっぽさの啓蒙という以上に、歌詞の"足ながおじさん性"(なんだそれは)を意識し、ある種の憧憬を表現する仕掛けだと思う。 このキラキラした感じが、4月リリースという、初夏を先取りする季節感とも絶妙にマッチしている。
夏っぽいサウンドというのも、これまたオメガ的だったりするのだが。

女性アイドルでオメガっぽい作品と言えば、なんといっても菊池桃子だが、彼女の場合は、「Summer Eyes」「Broken Sunset」「Nile in Blue」等のように、曲も含めて、アイドル向けにサウンドをリアレンジすることなく、そのまんまオメガ風に再現したような楽曲が多い。
それに対して、この作品の曲・アレンジは、桃子作品と比べれば、同傾向でありながらも、格段にアイドル指数が高い仕上がりで、モロAOR(もしくはフュージョン)な"桃子型"に比べると、AORをアイドル歌謡として消化する"知世型"は、色々と趣向を凝らさなければ難しいだけに、こっちのほうが志としては崇高だろうし、とりあえず完成品として結晶しているのだから、この作品は傑作と言ってイイだろう。

(2000.2.25)

 

天国にいちばん近い島

作詞:康珍化 作曲:林哲司 編曲:萩田光雄


 ヒット狙いのあざとさを隠蔽するアレンジが見事

今回も同名の知世主演映画の主題歌。
前作と全く同じスタッフだが、極めてニューミュージック度の高かった前作に対し、今回は一転して歌謡曲っぽい作品に仕上がった。
これは前作「愛情物語」が前々作「時をかける少女」に比べてセールスが激減した結果を受けて、危機感を抱いたスタッフ陣が、売上を挽回すべくヒットを狙った商魂の顕れだと思う。
まぁ前作のセールスダウンは、楽曲の出来映えが云々よりも、映画本編の失敗が一番の要因だと思うけど。
で、今回は気合満々でヒットを狙った割には、作品の出来は今一つなのだ。

曲は「A→A'→B→サビ」という構成。
AA'メロは林哲司らしいメジャー調でニューミュージック風の旋律だが、サビではマイナーに転調し、非常にキャッチーでドメスティック。 前半とは打って変わって、明らかに"売れ線"を意識した歌謡曲っぽいサビメロである。
トータルのメロディはそんなに悪くないのだが、展開は結構強引だろう。
おいしいサビメロを引き立てるための仕掛け、という作りでも無いように思うし。
しかも、サビは高音域なうえに、歌い上げて盛り上げるタイプの作りなので、知世のヴォーカルにもマッチしていないのだ。 彼女のヴォーカルでは線が細すぎて、この手の高音で"聴かせる"タイプの曲には役不足。
太田裕美のように、ヴォーカルのか細さが"切なさ"として昇華されているわけでもないし。
それどころか、サビでの♪Let's Stay Together〜 の発音は凄い。 物凄いジャパニーズ・イングリッシュ。
英語の発音のヒドさは、石川秀美「ゆれて湘南」の♪Hold Your Hand〜 に匹敵するかも。
でも、知世の場合、他の歌ではそれほど英語の発音は悪くないので、やはりこのサビメロは彼女には難しかったのだろう。

歌詞は「時かけ」同様、タイトルの「天国にいちばん近い島」をフレーズとして押さえている。
 ♪恋した時みんな 出会う自分だけの神様〜 と、自分の彼氏を神様に例えて、
 ♪誰よりも 天国にあなた いちばん近い島〜
という具合に、タイトルコールで終結させているのだが、あまりしっくり来ない。
彼氏の懐の大きさを"島"に例えるという、その狙いもまぁ判らなくはないんだけど、いくらなんでも人間を島に置き換えるのは無理があると思うが。 まさか「天国にいちばん近い人」とは書けないだろうけど。 それじゃ発禁だ。
南洋の孤島である、ニューカレドニアのイメージも多少表現はしているが、無茶な締めくくりでぶち壊し。
全体として主題も今一つ不透明で、つかみ所が無い歌詞だ。
「愛情物語」でも、康の歌詞が作品の足を引っ張っていたが、今回も康の仕事は良くない。
同時期の小泉今日子には傑作ばかり提供しているし、決して女性アイドルが苦手なわけでも、スランプだったわけでも無いと思うが。 なんだろ? 康、文芸路線は不得手なのか?

かようにこの作品はイマイチなのだが、アレンジは優れている。
ニューカレドニアのゆったりとしたリゾート感覚を表現すべく、全体のテイストはフォーク調。
アコギの優しい音色に、ストリングス、穏やかなブラス、様々なキーボードが重なり、上品で癒し系(?)な音作りをしている。 手堅いコーラスワークを含めて、派手な仕掛けは無いものの、逆に安心して聴く事が出来るサウンドだ。
曲・歌詞のいびつさを、上手くオブラートに包むようなアレンジで、まるで、強烈な酸性を優しいアルカリ性で中和しているような感じ。

この作品、曲・歌詞の両面で売れ線を狙いすぎて、気合が空回りした感が強いのだが、萩田のアレンジがそれらの欠点をカバーしていて、作品全体としては一応鑑賞に堪えうる仕上がりとなった。
赤子の手を捻るかの如く、若手の暴走を意図も容易く終結させる、見事なクロージング能力。 さすがは御大。

(2000.2.25)

 

早春物語

作詞:康珍化 作曲:中崎英也 編曲:大村雅朗


 地味な歌詞・曲を救う、斬新な社交ダンスアレンジ

またしても、同名の知世主演映画の主題歌。
映画『早春物語』が、"脱・アイドル"を図るべく、知世が中年男性(林隆三)とのラブロマンスに挑んだ作品だった事を受けて、この主題歌も本編に合わせて"脱・アイドル"の意向が反映された楽曲に仕上がった。
そう言えば、この『早春物語』、後に荻野目洋子が主演したTVドラマ版(相手役・北大路欣也)というのもあった。
『おさな妻』の類も含めて、TV・映画における"中年男との恋愛"という主題は、女性アイドルのステップアップとしてお手頃なのかも。
相手役が中年なら、ファンもさほど反感は抱かないだろうし、ベテラン男優と絡む事で女優として"箔"が付くし、演技開眼も期待できるわけだから。

それはともかく、歌詞は"愛する人に逢いたいのに、逢えないもどかしさ"が主題で、アイドル歌謡にはありがちだが、英単語や造語等は一切使用せず、ごくありふれた言葉だけを用いて主題を表現した、極めて渋めの作り。
これは"脱・アイドル"を意識した戦略だと思うが、結果的には"渋い"というよりも、なぜか"地味"な印象。
 ♪逢いたくて逢いたくて逢いたくて〜
という、三連コール(?)は面白くはあるが、それ以外、とりたてて目新しさが見受けられないうえに、
 ♪想う気持は海の底まで〜 ♪胸の切なさ空の上まで〜 と、彼氏に対する愛情の熱量を、海や空で表現するくだりも、これまでのSFチックな描写と比較すれば、文学性にも欠けるし、極めて幼稚で安易。
虚構性をなるべく排除して渋さを追求する手法も、"脱・アイドル"の狙いとしては、まぁ判らなくもないのだが、康珍化に担当させるんじゃ、もうちょっとアイドル歌謡らしい作りにしてもよかったのでは?
こういうのって、松本隆の得意分野だろうし。
まぁ薬師丸ひろ子との差別化を図る以上、おいそれと松本を起用するわけにもいかなかったんだろうけど。
「愛情物語」「天国にいちばん近い島」「早春物語」、知世の康珍化三部作は、いずれも出来があまり良くない。
もうここまで来ると、作品の出来が云々というよりも、康珍化の起用自体が、ハナっから采配ミスという気がする。
オメガの一連のヒット曲で、林哲司との相性の良さが買われての起用だったと思うが、女性アイドルでこういう仕事をするには不向きな人選だった。

曲は、前作「天国にいちばん近い島」の歌謡曲調とは打って変わって、今回はニューミュージックテイスト。
構成は「サビ→A→B→サビ」のマイナー調で、来生たかお作品にも通じる雰囲気がある。
ただ、頭サビというのは、来生作品ではあまり見られない傾向ではあるし、この頭サビという構成が、妙に歌謡曲っぽかったりするのだが。 その辺りは、やはりシングル盤としてヒットを意識した構成だろう。
サビメロはそこそこキャッチーな旋律だが、サビ以外のメロディは地味で凡庸。
しかし「天国〜」とは異なり、今回はメロディ展開にさほど違和感が無く、まぁまぁサビを引き立てるような作りではある。
全体のキー設定を、これまでに無く低めにしているのも、"脱・アイドル"の意図だろうが、知世にとっては、生来の音域にフィットしていて歌い易かったハズだ。
おかげで安心して聴けるヴォーカルではあるし、適度な大人っぽさがあって、悪い曲でもないのだが、サビ以外での仕掛けや起伏に乏しい分、物足りなさは否めないだろう。

地味で仕掛けにも乏しい歌詞・曲に対し、アレンジはなかなか面白い。 なんと今回は「タンゴ&ワルツ」。
イントロでの多重弦楽器(?)による♪ジャンジャンジャン〜 はモロにタンゴだが、歌が始まると、リズムセクションは"ズンタッター"のワルツ風。
早い話、ソシアルダンス系の要素をチャンポンしたような音作りなのだが、全然ダンサブルではない。
所々チェンバロを導入したりと、それっぽい洗練された仕掛けも施してはいるが、ギター・ベース・キーボードという楽器編成を含め、サウンドの基盤はあくまでもニューミュージック。
こうした処理のせいで、タンゴ特有の高揚感や、ワルツが醸し出す優雅さも希薄で、なかなか渋いサウンドに仕上がった。
でも、タンゴ・ワルツに偏らなかったおかげで、むしろ切ない主題にはマッチしたし、こうしたサウンドは、佐藤隆などニューミュージック系では馴染みがあるが、アイドル歌謡としては非常に斬新だと思う。
画期的なうえに完成度も高く、このアレンジは"買い"だ。

この作品、"脱・アイドル志向"を追及しすぎて歌詞・曲が地味になってしまったが、ソシアルダンス風という、個性的で秀逸なアレンジのおかげで、凡作には陥らなかった。 これで普通のアレンジをしてたら、退屈な作品になってたと思う。
アレンジが作品を救ったという点では、「天国に〜」と同様だが、「天国に〜」がヒット狙いの俗っぽさをストイックさでカバーしたのに対し、今回は逆にストイックさを俗っぽくデコレートしたような感じで、動機としては全く正反対なのが面白い。

(2000.2.25)

 

どうしてますか

作詞:田口俊 作曲:林哲司 編曲:大村雅朗


 歌手・原田知世が目指した世界は「初期・松田聖子」

これまでのシングルは、全て自身が主演した映画・TVの主題歌だったが、今回はそうしたタイアップの呪縛から外れる。もっとも、CMとのタイアップではあるのだが、とりあえず、このシングルで彼女は本格的に歌手業に挑んだと言えよう。
そういう意味では、先輩の薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」と同義のシングルである。
で、歌手業に本腰を入れるにあたって、薬師丸が選択したのは「筒美京平&松本隆」という超セメントな歌謡曲路線であったが、今回知世が選択したのは、ズバリ「初期・松田聖子」。
聖子が結婚休業していた85〜86年は、主が居ないのをいい事に(?)、松本隆・財津和夫・呉田軽穂・大村雅朗といった聖子ブレーンの手により、フォロワー的楽曲が多数制作されたが、この「どうしてますか」も、その現象の一端であろう(新田恵利「恋のロープをほどかないで」なんかも、聖子ブレーン抜きで制作されたフォロワー楽曲である)。

おそらく、今回の楽曲制作に関しては、スタッフの間で、以下のようなやりとりがあったと推測される。

 「薬師丸が歌謡曲路線だったら、うちはロック・ニューミュージック調で対抗しようよ」
 「となると、やっぱユーミンにお願いするのが無難かなぁ」
 「でも、『時かけ』と同じ事してもしょうがないから、ここは違う作家で行きましょう」
 「じゃあユーミン繋がりで、聖子っぽい楽曲狙います? 今、聖子休んでるから結構穴場かも」
 「でも、松本隆は薬師丸と仕事しちゃってるから、作詞はユーミンと関わりが深い、田口俊なんてどう?」
 「いいね、新顔だし。 じゃあアレンジは聖子作品ではベテランの大村さんにお願いしましょう」
 「そうだね、新人とベテランで組ませりゃ、そこそこ斬新で手堅い"聖子ワールド"が再現出来るかも」
 「となると、作曲は? 財津和夫や尾崎亜美はいろんな人とやってるし、大滝詠一じゃ薬師丸っぽいし」
 「う〜ん、それならいっそのこと林哲司ってのは? あんまし聖子の真似ばっかしても気が引けるしさ」
 「そだねー、じゃ今回はそれで決まり!」

たぶん。 ここまでお手軽じゃ無かっただろうけど。 またしても、誇大妄想極まりないが。
この邪推が本当だとしたら、あまりにも安易な発想だが、聖子も知世も「ユーミン作品との相性がイイ」という共通項があるので、「だったら知世が聖子チックな世界を目指しても違和感無いだろう」という論理は成り立つ。
そう考えると、今回は意外と手堅い戦略ではあるのか。 ある意味正解とも言える。

実際、田口の歌詞は「赤いスィートピー」と「制服」を足して2で割ったような感じ。
「ポケットに去年の切符を見つけて、過ぎ去った恋を懐古する」という主題だが、
 ♪春色の去年の服〜 ♪あの頃はあなたの駅〜 ♪急行の通過待ちが〜
といった、春色・駅・汽車(急行)というキーワードを用いて描写している点が「赤い〜」っぽいし、
 ♪花吹雪舞う 陽炎の径〜 ♪あなたを愛してた事 悩んでた事 やっと笑顔で思い出せる〜
「桜の季節に大切だったものに気がつく」というくだりも、「制服」のシチュエーションと類似している。
オリジナリティには欠けるものの、康珍化による前三作の歌詞が凡庸だったせいで、今回の文学性溢れる歌詞は、結構清冽に感じる。

アレンジもやはり初期・聖子風で、ロック調をベースにしながらも、ストリングス・キーボード類の導入で、洗練された音作りをしているのが「チェリー・ブラッサム」「夏の扉」なんかと共通している。
ただ、今回はマドンナ「ライク・ア・ヴァージン」を彷彿とさせる、ギターのカッティングを取り入れている点が新機軸ではある。
イントロでのエレピとストリングスの絡み等、要所要所、可愛らしくはあるのだが、聖子作品に比べると、シンセ・キーボード類のオカズが少なく、全体のトーンとしては大人しめで、正直、物足りないアレンジである。
中山美穂「クローズ・アップ」等、この頃の大村作品はいずれもタイトな音作りで、アイドルらしい高揚感に欠けている。 聖子作品との差別化を図る狙いがあったのかも知れないが、いささか地味すぎるのだ。
なんでだろ、当時バンドが流行ってたからか?

これらに対して、曲はそれほど聖子っぽさは無い。
基本はメジャー調だが、サビ前はマイナー調加味で、桜の季節特有の"爽やかさ"と"切なさ"が、メロディで上手く表現されている。
前作とは異なり、サビは比較的高音域で"突き抜ける"ような作りにしており、知世のヴォーカルも心地よく、聴いていて退屈しない。 しかし、いろいろな仕掛けはあるものの、全体のメロディは、さほどキャッチーとは言えないと思う。 それをカバーする意味でも、やっぱり、もうちょっとアレンジに色々とオカズを加えたほうが良かった。

この作品、聖子的楽曲でオリジナリティに欠けるうえに、アレンジも今一つパッとしない。
正直、傑作とは言い難いのだが、作品世界やメロディラインが知世の個性にはフィットしていて、一概に駄作とも言いきれないのだ。
そう言う意味では、かなり微妙な作品なのだが、「聖子≒知世」というスタッフの読みが正解だったのは確かだし、結果として、前作のニューミュージックっぽさと、次作のロックっぽさを上手くブリッジする作品になった。

(2000.2.25)

 

雨のプラネタリウム

作詞:秋元康 作曲・編曲:後藤次利


 声高にロックを目指した女性アイドルの先駆け

この作品は車のCMソング。
今回はより一層アーティスト性を追及した成果なのか、前作以上にロック色の強い仕上がり。
歌番組の出演も多かったし、ウエーブを掛けたロングヘアーに、バックバンドを従えたビジュアル面の戦略も、声高に「知世・アーティスト宣言」を主張しているかのようで、なんだかもう後戻り出来ないかのような、並々ならぬ気合が感じ取れた。
菊池桃子や本田美奈子がロックに走る2年も前に、女性アイドルとしては先陣を切ってロックを目指していたわけだが、知世のスタッフ陣はなかなか時流に敏感といえる。
これ以前にも、ロックっぽいアイドル歌謡は存在したが、A級アイドルがイメチェンを宣言して(実際に宣言はしなくとも、世間がそう受け取った、という意味で)ロックに手を染めたのは、たぶんこれが最初ではなかろうか?
アン・ルイスなんかは、また全然意味が違うと思うし。

歌詞は、これまでになく大人びた内容になっていて、恋人との別れの心象を、雨模様の都会の風景と照らし合わせて描写している。
割りとありがちな主題だが、プラネタリウム・星・銀河など、天空がらみなキーワードを多数用いて表現しているのは、「時をかける少女」に象徴される、彼女が従来より十八番とする"SF感"をちりばめる事で、リスキーなアーティスト路線断行の保険にしているような気がする。 うがちすぎかも知れないけど。
車のコマソンらしく、"車のルーフ""Car-radio"といった、カー用語もきちんと押さえている。

曲はマイナー調のアップテンポ。 後の国生さゆり「あの夏のバイク」にも通じる曲作りで、後藤次利らしい曲だ。
中音域がメインで、知世に合ったキー設定がなされているが、サビでは高音域で歌い上げる作りをしている。
今まではこうした"聴かせる"曲作りに、知世の歌唱力が追い付かない感があったが、今回はちゃんと歌いこなしているし、全体的に表現力もUPしていて、歌手としての成長を感じさせるヴォーカルを聴かせてくれる。
そう言う意味では、今回のアーティスト志向(大した事はないが)は"機が熟した"とも言えるのか。

アレンジはゴッキーらしく、エレキギターを強調したハードなロックテイストだが、シンセ類・キーボードを多用したり、硬質なエレピの旋律等で洗練された音作りをしている点は、a-ha「シャイン・オン・TV」あたりをモチーフにしていると思う。
ロック志向でも、アメリカではなく北欧系を参考にするあたり、センスの良さを感じるし、実際、こうした音作りは、雨の都会を舞台にした歌詞にもマッチしている。
さらに、所々リズムを変化させていたり(特に♪優しくするのはやめてもうこれ以上〜 の部分は圧巻)、歌い締めではエコー(ではないか)を効かせたりと、仕掛けも満載で充実の仕上がり。
しかし、イントロのごちゃごちゃしたアバンギャルド(?)なキーボードや、エンディングの訳のわからん終息はどうにもいただけないが。

この作品で、知世がロックを目指した事は、当時私にとっては結構衝撃的だった。
その衝撃は「よくやった!」という賞賛よりも、どちらかと言えば、「何故?」「身に付いちゃいねぇよ」という否定的な感情なのだが。
しかし、菊池桃子・本田美奈子の時とは違って、世間一般では路線変更に対する拒否反応はさほど無かったようだ(従来からのコアなファンは除く)。
これは、桃子の「ラ・ムー」、美奈子の「ワイルドキャッツ」とは違って、知世はバンドという形態を強調しなかった事が最大の理由だと思うが、彼女の声質・キャラクターが、ハードなロック調サウンドに嵌まらなかった事も大きく起因していると思う。
嵌まらないが故に受け入れられた、というのも逆説的だが、要するに声質・キャラの透明感が、ロックの熱さ・泥臭さを中和して、完成品としては丁度いい按配に仕上がったということだ。
そういう意味では、この作品、彼女の個性を逆手に取った傑作である。

(2000.2.25)

 

空に抱かれながら

作詞:秋元康 作曲・編曲:後藤次利


 アレンジが曲・歌詞とはマッチしてない失敗作

前作「雨のプラネタリウム」でのアーティスト志向が、まぁまぁ好感触だった事を受けてか、今回もスタッフは全く同じ。 まぁ今回も引き続き、車のCMソングだったこともあるけど。
しかし、安全パイを狙ったはずの人選なのに、今回は采配が裏目に出て大失敗となった。

歌詞は前作と同様に、失恋を大人っぽく描写している。
 ♪受話器から聞える5回目の呼び出しコール〜 ♪答えずにいる事があなたの優しさなのね〜
 ♪少しづつすれ違ったタイミング〜 ♪接吻の意味さえ 日常の句読点になっていた〜
大人のムードは前作以上であるが、サビの内容がちょっと難解。
 ♪空に抱かれながら 愛の痛みを受け止めるみたいに〜 
 ♪空に抱かれながら 街を歩けば 肩が少し寒い〜
なんとなく言いたい事は判るのだが、今一つしっくり来ない。

曲は前作同様、マイナー調でアップテンポ。
サビ前まではそこそこ良いメロディだが、肝心のサビメロが今一つ。
歌い上げて盛りたてる作りなのだが、キャッチーさに欠けるのだ。
♪ハートに・・・黄昏〜 の締め方が、物凄くゴッキー的なのは面白いが。
でも、全体的に覚えにくいし、あまり良い曲とは言えないだろう。

アレンジは前作同様、ロックテイストだが、今回は何故かファンキー調が加味されている。
哀愁漂う曲であるにもかかわらず、ノリの良い仕上がりになっているのだ。
この曲でこの歌詞だったら、もっとシットリとしたアレンジにするのが普通の感覚だと思うが。
ハッキリ言えば、今回は後藤自身がほとんど趣味に走ったかのようなアレンジなのだ。
実際、イントロから凄まじいチョッパー・ベースの嵐で、「これでもか!」と言わんばかりの"後藤性"。
間奏もゴッキーお馴染みのグチャグチャしたアレンジだし(アレンジャー後藤次利の最大の欠点は、間奏をいい加減に処理する事だと思う)。 なんでブラスを導入してまで、わざわざ盛り上げようとするか?
盛り上げてどうするよ。 とにかく全編に渡って、曲・歌詞とは無関係なアレンジにひたすら終始。

この作品、曲と歌詞はイメージがそこそこ一致するものの、アレンジが曲・歌詞に全然マッチしていない大失敗作である。
おそらくは楽曲先で制作されたと思うが、このサウンドに失恋の主題を乗せるのは、いくら秋元康と言えども難しかったと思う。 歌詞が今一つしっくり来ないのも、まぁしょうがないかも。
アーティスト性を追求するべく、ロック色を強化したのだろうが、アンバランスなことこの上無い。
一生懸命ハードなサウンドをビジュアルで表現しようと、知世も歌番組では激しい振り付けを披露したが、完全に空回り。 ハートに・・・黄昏。

(2000.2.25)

 

逢えるかもしれない

作詞:澤田直子・松本隆 作曲・編曲:後藤次利


 結構気になる、後藤次利と山下達郎&竹内まりや夫妻の相関性

今回もタイアップ付きで、なんとJRのイメージソング(CMソングではなかったと記憶する)。
それにしても、どうして知世にこんな渋い仕事が回って来るのか。
どちらかと言えば、彼女は都会的で私鉄っぽい雰囲気だし、全然JR向けだとは思えないけど。
たぶんJRサイドは、「山口百恵に一番近いタレントでここは一発!」という算段があったと思う。
しかし、最も近しいイメージの中森明菜だと、旅情を掻きたてるというよりは、別世界への旅立ちになりそうだし。
「それなら百恵と同じ"女優兼歌手"である原田知世で」、という安易な起用ではなかろうか。
だったら、薬師丸ひろ子のほうがJRっぽいだろう、とは思うが、あの歌声だとメッセージソングとしては少々重たいかも。 お手軽な国内旅行を消費者に啓蒙する分には、知世のラフな声質は案外最適なのかもしれない。
で今回は、「いい日旅立ち」をもう一度!と言わんばかりに、気合満々に楽曲制作されたはずだが(ホントか)、完成品は今一つパッとしない。

歌詞は一般公募して選出された作品を、松本隆が手直しした代物(最近、一般公募の歌詞って無いなぁ)。
特に主題は存在しないが、遮二無二、故郷への憧憬・旅先での郷愁をイメージさせるようなフレーズで全編を綴っている。
 ♪青い麦 光る風 銀紙の海〜 ♪遠い街 近い街 景色が変わる〜
 ♪瓦屋根 板張りの古い学校〜 ♪縄跳びをする少女 あれは私ね〜
JRというよりは、あからさまに国鉄っぽいが。
全体としては、百恵の「いい日旅立ち」同様、深い意味がありそうで実は無い!という、いかにもなJR賛歌に仕上がった。
ただこの歌詞、どの部分が素人作で、どの箇所が松本作なのか、そのパート分け・役割分担がちょっと判りづらい。 おそらく、サビ前までが素人作で、サビが松本作だと、僕は推測しているのだが。

しかし、この作品で最も気になるのはサウンド面。
偶然だか意図的だか知らないが、サウンドに関しては何故か竹内まりやっぽいのだ。
曲は「いい日旅立ち」同様に、スローテンポなマイナー調で、「A→B→サビ」という構成なのだが、このAメロが、まりやが牧瀬里穂に提供した「Miracle Love」のAメロ部分と酷似している。
まりやと似ているのは曲のみならず、アレンジもまりやの「駅」っぽい。
特にサビ前まではよく似ていて、テンポ自体も近いが、ドラムスを極力押さえたリズムセクションや、エレピ等のキーボード類で淡々と展開するくだりなんかはそっくり。
どちらも"駅"を舞台にした歌詞展開がなされているので、共通する作品世界の表現をそれぞれに追求した結果、似たようなアレンジになってしまった、という好意的な解釈も出来るのだが、それにしても似ているゾ。

後藤(職業作家)とまりや(シンガーソングライター)のパブリックイメージから考えると、ゴッキーがまりやをパクってるように思えるが、先述のまりや作品よりも、この「逢えるかもしれない」のほうが早いリリースなのだ。
まりやの「駅」に関しては、夫の山下達郎がアレンジを手掛けているのだが、この夫婦、「うちは洋楽志向ですので、歌謡曲は筒美京平と漣健児以外、興味はございません」というスカした顔をしていながら(知らないけど)、何気にミーハーなゴッキーサウンドにも着目していたのか?
歌謡曲仕事をする際、ヒット戦略として参考にしていたのだろうか?
そもそも「駅」のアレンジは、曲が内包する歌謡曲性を、なるべく排除する形でサウンド作りを試みた、と達郎が述懐していたと記憶するが、この「逢えるかも〜」と対比する限りでは、思いっきり発言と仕事が矛盾しているんだけど。

この作品、サウンドから推測される、ゴッキーとまりや&達郎夫妻の相関性については、色々と興味が尽きないのだが、作品自体は冒頭で述べたように凡作。
曲もサビメロが弱いうえに全体的にキャッチーとも言えず、歌詞も「いい日旅立ち」と比べたら凡庸極まりない。

(2000.2.25)

 

彼と彼女のソネット

日本語詞:大貫妙子 作詞:C.Coper・R.Wargnier
作曲:R.Musumarra 編曲:後藤次利


 歌手・原田知世の代表作

知世初の洋楽カバーで、元歌はエルザ「T'en va pas」(通称「タンバパ」)。
エルザ盤はつい最近まで、ジーンズ「EDWIN」のCMで流れていたので、ご存知の方も多いと思う。
最初、「哀しみのアダージョ」なる邦題でリリースされたが、知世のカバーがヒットしたために、後に「彼と彼女のソネット」が副題として付けられた、という経歴がある。
ちなみに、この「タンバパ」、フランスでは80年代を代表するアイドル歌謡であり、1986年12月〜1987年1月にかけてbPを記録。

曲はメジャーを基調としながらも、所々マイナー調加味で、非常に上品な楽曲である。
サビもなかなかキャッチーだが、全体的にムラ無く綺麗な旋律なのが凄い。
フレンチポップス全体の中でも、かなりの名曲として位置付けられると思う。
爽やかながらも切ない印象で、その点は「どうしてますか」と共通する雰囲気があるのだが、やはりこちらは完全に外人のセンス。 ちょっと日本人には難しい曲作りだと思う。
ただ、元歌はサビのリフレインが多く、トータルで5分を超える大作なのだが、知世盤はコンパクトにまとめており、4分強で収めている。 その点は、知世盤のほうが整理されていて、聴きやすい仕上がりである。
ゴッキーのアレンジは、ほぼ元歌を踏襲している。
ただし、サビ前までを、ベース抜きでピアノ・キーボード・アコギというシンプルな楽器編成にしているおかげで、元歌以上にフェミニンなムードが表現されているし、間奏のアレンジも、元歌以上に凝っているのは評価できる。

対して、大貫妙子による訳詞は、元歌とは全く異なる。
元歌は、自分を棄てて家を出て行く父親に対し、「パパ、行かないで」と懇願するという、珍しい主題なのだが、知世盤はごく普通の大人のラブソング。
 ♪今の私達をもしも何かに例えるなら 朝の霧の中で道をなくした旅人のよう〜
 ♪ひとり離れた木の葉のような 心ささえたまま 乾いた風は私を運ぶ〜
 ♪懐かしい白い指に触れても ほどけてゆく 遥かな愛の想い〜
主題は凡庸だが、大貫妙子らしい、文学性に富んだ描写であるうえに、フランス語を敢えて使用しないこだわりも、この作品を格調高いものにしている。
しかし、この訳詞で面白いのは、2番のサビでの♪いつのまにか知ってる〜 の部分。
元歌は♪Nuit tu n'en finis pas〜 という歌詞なのだが、ヒアリングだと♪ヌィトゥノフィニパ〜 と聞こえる。
「いつのまにか」と「ヌィトゥノフィニパ」。
なんだか空耳をもじったかのような嵌めこみで、そこだけちょっと笑ってしまう。

この作品、アレンジは元歌をそのまんま流用しているだけだし、訳詞も描写こそ素晴らしいが、元歌に比べれば平凡な主題。 元歌本来の魅力に頼りすぎていて、さほど総意工夫に富んだカバー盤とは言えない。
早い話、企画の勝利なのだが、上品な楽曲・格調高い歌詞は、いずれも知世の個性にはマッチしている。
「地下鉄のザジ」以来、水面下で追求して来たフレンチ志向の集大成とも言える作品だし、数年前にも、トーレ・ヨハンソンによるリテイク盤がリリースされたりと、彼女にとっては代表作であると言えよう。
フレンチポップスのカバー盤ヒットという意味では、サーカス「Mr.サマータイム」以来だし、2000年2月現在、最新のフレンチカバーのヒット曲でもある。 もう、フレンチのカバーヒットは出ないのだろうか?

(2000.2.25)

 

太陽になりたい

作詞:谷穂ちろる 作曲・編曲:後藤次利


 タイアップにこだわり過ぎて、着地点を見失った怪作

車のCMソングである。 それにしても、この作品は訳がわからない。
歌詞・サウンド、どちらが先に制作されたのかは知らないが、それぞれの出来が悪いとか、不協和音を奏でているとか云々以前に、一体何をどうしたいのかが見えて来ないのである。

とりあえず、曲は「サビ→A→B→サビ」という構成で、彼女には珍しい頭サビ。
サビはマイナー調だが、それ以外はメジャーで展開される。
サビメロはまぁまぁだけど、それ以外は凡庸で、全体としては、可も無く不可も無くといった按配でしょうか。
アレンジは一応ロックを基調としながらも、「空に抱かれながら」同様、ファンキーさを加味した仕上がり。
ラテン風のピアノの旋律が耳を引くが、リズムはとりわけラテンというわけでも無い。
リズムセクション自体はとにかくスピーディーで、やたらめったら疾走感を醸し出そうとしているのは伝わる。
これは車のCMソングであることを強調しているのだとは思う。
しかし、結果としては、ラテンでファンキー調にしたいのか、ロックでスピーディーに処理したいのか、それぞれが融合される事なく、どっちつかずで散漫な印象。 エンディングの締め方も無理矢理だし。

しかし、一番理解できないのは歌詞だ。 とにかく難解で複雑な内容。
まず、主題が全然判らないのだ。 というか、主題は無いな、これは。
歌詞も車のコマソンであることを、目いっぱい強調しているのだが、
 ♪時空(とき)のハイウェイ走りつづけて〜 ♪きっとカーブを曲がれば判る事があるはず〜
 ♪風のバックミラーに恋が遠くなる〜
どうにも取って付けたかのようで、話の前後とは無関係な嵌め方。
ラテンっぽいサウンドにも、とりあえず追従してみたのか、パームツリー・籐の寝椅子といった、南国風のキーワードも出てくるが、これも唐突。
さらに、タイトルの「太陽になりたい」がフレーズとして出てくるが、どうして「太陽になりたい」のか、その動機も不透明。
 ♪太陽になりたい 今いつものしなやかさ〜 ♪太陽になりたい 今自由を抱きしめる〜
う〜む・・・太陽というスケールの大きさで、ドライブの開放感みたいなものを表現したいのだろうか?
 ♪太陽の瞳で 今 恋も言葉も仕事も みんな知らん顔だね〜  なんだそりゃ? 訳判らんよ。

この作品、サウンド・歌詞の両方で、車のCMソングという命題にこだわりすぎた感がある。
それでいて、夏リリースという季節柄をも考慮して、無理矢理"夏っぽさ"をもハメたもんだから、完成品としてはどうにも座りの悪い、ややこしい代物に仕上がった。 あれこれ欲張りすぎて、完全に着地点を見失っている。
とんでもない怪作である。

(2000.2.25)


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