** 小泉今日子 **

 山口百恵の後継者は、聖子や明菜ではなく彼女だ!

山口百恵の引退後、数多くの女性アイドルがデビューし、「その中で百恵の後継者は誰?」という類の議論はこれまでにも随分あった。 その結果、「後継者は松田聖子か中森明菜」というのが衆目の一致する意見である。
しかし、僕が考えるに、真の百恵後継者は小泉今日子ではないのか?と思う。

もちろん、両者のキャラクター・芸風は全く異なる。 正反対と云ってもイイくらいだ。
結婚後の進退だって、2人はそれぞれ異なった選択をしているし。
じゃあ何が共通するのか?と言うと、それは「セルフ・プロデュース能力」である。
「セルフ・プロデュース」とは云っても、音楽の話ではなく、ここでは芸能人としての自己演出を指す。
そういう意味なら、聖子や明菜だって各々セルフ・プロデュースをしているわけだが、百恵・小泉の場合、聖子・明菜のそれとは全く質が異なる。
聖子・明菜型は「自分のやりたい事をやりたいようにやる!」というスタンスでのセルフ・プロデュース、すなわち「自己主張タイプ」だが、百恵・小泉型は、スタッフが定めた商品イメージを逸脱することなく、商品としての役割に徹する、という「自己抑制タイプ」なのだ。
例えば、百恵の場合は彼女の基本コンセプトである「芯の強さ」「冷静さ」といったものを、常に言動を通じて体現してきたわけで。 ラストコンサートでマイクをそっとステージに置いて、カーテンコールを迎えたとか。
芸能人交遊録裁判での毅然たる立ち居振舞いとか。
「女の子の一番大切なモノとは?」との問いに対し、「まごころです」って答えたりとか。
かように百恵は、自身の商品イメージを絶対に損なわないよう、自身の言動には常に気を配っていた。
その強固な自制心を、ここでは「自己抑制」と名付けてみた次第。

まぁ百恵はともかく、小泉が自己抑制だというのは、たぶん納得できないかもしれない。
理性的どころか、時代の先端で旗振ってたイメージだし、アイドル時代はかなり過激な発言をしてきたのも事実だ。
でも、あれだって「元気印」「新人類」という"キョンキョン基本コンセプト"の範疇である。
さすがに90年代は年齢に応じて、カドの取れたキャラクターにシフトして来たが、言動もやはりそれに応じて丸くなってるし。 その時代時代でイメージをマイナーチェンジしてきた彼女。
しかし、いつでも決してそのイメージからは、逸脱することのない言動。
逸脱どころか、発言の際は商品イメージの枠内で慎重に言葉を選んで、なお且つ、その発言による波及効果をも考えて発言している感すらある。 しかも、それをごく自然にしている(ように見せてる)のがスゴイ!
まぁスタッフが敷いたレールの上を歩くんだから、ある意味ラクではあるんだろうけど、それにしても、自由奔放な言動を、しかし、明確なコンセプトに従った形で自然に執る、ってなかなか出来ることではない。
それもこんなに長期間に渡って。 まさに卓越した「自己抑制型セルフプロデュース能力」の成せるワザ。
普通、どっかしらボロが出たり、無理が生じたりするものだけど。
アイドルを卒業した途端、キャラ作るのが面倒臭くなって楽な自然体(もしくは傍若無人)へ逃げる輩が多い中、やはりたいしたものだ。
その点は百恵も同様である(彼女の場合は、引退後もずっと「山口百恵」の商品イメージ損なう事無く貫き通してるのだから、心底恐れ入る)。

そういった舵取り能力あってこそ、2人はブレイク以降、無事平穏にスター街道を歩んで来れたのだろう。
対して聖子や明菜なんて、その時代時代でイメージを変化させてはいるが、その言動は「商品イメージなぞ何処吹く風!」と言わんばかりに、野放図そのもの。 こっちのほうが見ていて面白くはあるけど。
唯我独尊・自我ゴリ押しで見果てぬ地平を目指して、遮二無二イバラの道を掻き分けて突進しているようなお二人。
まぁそれはそれで立派だとは思うが。
逆に言えば、小泉は聖子・明菜と違って、独立してフリーでやるには向かないタイプではあるかも。

とまぁ、かように見事な小泉ではあるが、最近(結婚以降)は見ていてちょっと辛い。
どうも、キョンキョンのイメージはそのままにして、「なごみ系」「やすらぎ系」へシフトしたがっているように思える。
それ自体は構わないのだが、ただ「キョンキョンのイメージそのまま」ってのがどうも・・・
30過ぎて急に老けこんできた彼女が、いつまでも「キョンキョン」で居続けることの違和感がねぇ。
さすがに無理が出てきたように思うけど。
また本人がその役割を、例によって忠実に演じようとするから、余計に違和感が増すのかも。
僕としては、それこそ百恵のように結婚を機に引退して欲しかったのだ。
もう芸能人として、やれることは全部やったように思うし。 正直言って、女優には向かないと思うしなぁ。
役によって芝居を使い分けられるタイプじゃないし、「何を演っても小泉今日子」状態だもん。
まぁ使うほうもそれでヨシ!としてるんだろうけど。
歌手活動にしても、「オトコのコ・オンナのコ」なんて声量ガタ落ちで見る影も無し!って有様だった。
今後もこのペースで芸能活動続けていくんだろうけど・・・・かといって、これ以上イメージ変えるのもなぁ。
出産でもない限り、もう手詰まりだろうし。 やっぱ辛いなぁ。

(1999.12.6)

 


私の16才

作詞:真樹のり子 作曲:たきのえいじ 編曲:神保正明


 初期のアナクロ路線は松本伊代との差別化

小泉今日子のデビュー曲。
オリジナル作品ではなく、70年代のB級アイドル、森まどかの「ねぇねぇねぇ」のカバーだそうだ。
「だそうだ」というのは、僕は元歌も森まどかの事も、全く知らないから。
よって、元歌と比較してこの作品がどうこう論ずることは、私にはできない。 恥ずかしいけど。

曲・歌詞は典型的な70年代アイドル歌謡だ。
ただ、アレンジはそのメロディとは無関係に、「ジンギスカン」のようなコーラス(♪ハッハッハッハ〜)が入っていたり、オリエンタルなフレーズのストリングスが多用されているのが耳を引く。
イントロもメロディそのものや弦楽器(バラライカ?)などが、ボニーM「怪僧ラスプーチン」っぽかったりして。
まぁだからって別に違和感は感じないけど。
70年代後半は、強引にディスコサウンドを取り入れてる歌謡曲って多かったし。 そんなに悪い作品じゃないと思う。
ただ、こうしたサウンド面から検証すると、元歌は78〜79年頃の作品かと推測されるわけだが(アレンジが元歌を踏襲している、とすればの話)。

僕にとってはこの作品が云々よりも、なぜ大手事務所・大手レコード会社所属の新人アイドルが、こんなB級アイドル歌謡のカバーでデビューする必要があったのか。 そっちのほうが気になる。
別に売り出しにあたって、手を抜いたわけでも、彼女をないがしろにしていたわけでもなく、真相は知らないが、おそらく同期で同じビクター所属の松本伊代との差別化だったのだと、僕は思う。
さすがに同じレコード会社でデビューする新人同士、キャラが被るのはマズいし。
ディレクターも2人は同じ飯田久彦だったのだから、余計にキャラを明確に分ける必要があったのだろう。
(確か小泉もデビュー時は飯田ディレクターだったハズ。 うろ覚えなのだが・・・・違ったらスミマセン)
確かに、伊代と小泉を2人並べて、キャラクターをどう色分けをするかを考えれば、「伊代=活発・個性派路線」「小泉=純情・地味路線」という選択にはなると思う。
伊代のほうがルックス・声質ともに、小泉と比べれば明らかに特異だし。
よく、「デビュー時の売りだしがイマイチだったから、小泉はブレイクが遅れた」といった意見が聞かれるが、レコード会社がビクターであった以上、この売り出し方は当然の成り行きだったと思う。
で、実際この歌は、アイドルのデビュー曲にしては、まぁまぁ売れたわけだし、やはりベストな選択であった。

(1999.12.6)

 

素敵なラブリーボーイ 

作詞:千家和也 作曲:穂口雄右 編曲:矢野立美


 アメリカンなセンス漂う、"チアガール歌謡"の秀作

またしてもオリジナル作品ではなく、今度は林寛子の同名曲のカバーである。
この元歌も僕は知らないので、比較対象できないのが辛いところなのだが。 情けないけど。

作品自体はなかなかの出来栄え。 曲は頭サビで始まるメジャー調で、穂口メロディの典型。
デビュー曲がマイナー調だったから、今度は同じコンセプトでメジャー調のモノを探した、ってことか。
ただ、♪唇も黒髪も〜 の部分が、ちょっとメロディが不自然な気がするけど。 その点に眼を瞑ればイイ曲である。

アレンジは70年代洋楽風なチアガール(?)サウンド。 賑やかではあるが、無駄を省いたシンプルな仕上がり。
ただ、頭サビから歌い出しへの導入箇所が弱い気もするが。
曲とアレンジをトータルして考察すると、アナクロではあるが、アメリカン・ポップスの香り漂う、センスある秀作だと思う。 何となく、ベイ・シティ・ローラーズっぽい要素もあって(これはUKバンドだが)。

歌詞はいかにも70年代アイドル歌謡。 ただ、前作とは違って、結構おしゃまな内容だ。
この作品は歌詞がおしゃまで、楽曲は快活。
となると、『おしゃまで快活』というアイドル時代の林寛子のイメージそのまんま。
いかにこの作品が林寛子向けに作られた楽曲であるのかが、手に取るように判る。
そうなると、元歌も一度聞いてみたくなるなぁ。

この作品で小泉も初のオリコン20位以内をマーク。
作品が彼女にフィットしていたのかどうかは、彼女自身、イメージがまだ曖昧だったため判断が難しいが、純粋に作品の良さで好セールスに結びついたのだろう。

(1999.12.6)

 

ひとり街角

作詞:三浦徳子 作曲:馬飼野康二 編曲:竜崎考路


 アレンジだけが妙に気忙しいアナクロ歌謡

第3弾シングルにして、やっとオリジナル作品をリリース。 さすがに気が引けたのか、単なるネタ切れか。
今回はアナクロ路線の彼女らしからぬ、三浦徳子・馬飼野康二という、80年代らしい作家陣だ。
しかし、出来あがった作品はやはりアナクロ。 どことなく「私の16才」っぽいメロディだし。
まぁおそらく、そういう路線での発注だったのだろうからしょうがないけど。
タイトルの"街角"なんて、飯田ディレクターが昔、自分で歌ってた(ですよね?)「悲しき街角」とかを彷彿とさせる。
70年代どころか、60年代にまで遡ったようなタイトル。

歌詞は結構難解。 主題は「渚のデイトを思い出しながら、どこか別れの予感が漂う少女の微妙な心理」?
う〜ん、今一つピンと来ない内容だなぁ。 曲と全然マッチしない主題だと思うけど。
 ♪揺れる揺れる揺れる街角〜 もかなり唐突だし。 脈絡なく突然"街角"と言われても。
タイトルが先に決まってて、無理矢理メロディに"街角"を嵌めたのか?
♪消えちゃいそうでこわい〜 の部分は見事に曲に嵌まっててサスガ!なのだが。

曲もねぇ・・・・悪くはないが、平坦なメロディだ。 特にサビが起伏無さすぎる。
しかし、アレンジは曲の欠点を補うかのような慌しい仕上がり。
ストリングスの符割りの細かさ、リズムセクションのスピーディーさもさることながら、気になるのはサビでのシンセベース(?)っぽい音。 これがホント細かい(というか、慌しい)のだ。
いささか取って付けたかのようだが、おかげで、サビは平坦なメロディの割にはまぁまぁ賑やかにはなった。

でも、このテクノっぽい隠し味って、アナクロな世界観で統一されている作品の中で、竜崎孝路一人だけが気を吐いて「今風な仕事してやる!」とアレンジャー魂を見せた、ささやかな反骨なのかも(違うか)。

(1999.12.6)

 

春風の誘惑

作詞:篠原ひとし 作曲:緑一二三 編曲:萩田光雄


 「私の16才」+「ひとり街角」÷2=「春風の誘惑」

この作品で気になるのは作家陣。 誰?篠原ひとしって。 誰?緑一二三って。
前作でのメジャーなスタッフとは打って変わって、今回は極端にマイナーな布陣。(もちろん萩田光雄は除く)
どこでどう、このような人選になったのか。
緑は後に同じ小泉の「常夏娘」では作詞を担当しているが、作詞も作曲もこなせるとは、もともとはシンガーソングライター? あ、でも作詞家の森雪之丞も作曲とかしていたし、一概にシンガーソングライターとは断定できないか。
松宮恭子・宮下智という作詞・作曲をこなす謎の作家も80年代活躍してたし。
緑一二三について何かご存知の方、ご一報下さい(ついでに篠原ひとし情報も)。

で、この作品なんだけど、まぁ表題で示したとおりの感想です。
曲は頭サビで始まるし、「私の〜」とも「ひとり〜」ともそんなに似てないけど、マイナー調でアナクロな雰囲気は共通している。 歌詞もキャンディーズの「春一番」を思わせる内容で、やはりそのアナクロさが「私の〜」「ひとり〜」と共通。 しかし、一番似ているのはアレンジだ。
そのオリエンタルなストリングスの調べが「私の〜」風だし、慌しいリズムセクションが「ひとり〜」風なのだ。
確かこの作品を最後にディレクターが交替したハズだが、そういう意味でこれまでの作品を総括した集大成にしたかったのか? よく知らないけど。 ただ、似ているといっても、そのリズムの慌しさは「ひとり〜」以上だ。
いくら歌詞で♪心がなぜか急ぎ出すわ〜 と言ってるからって、ねぇ。 ここまで慌てんでも。
でも、この凝ったアレンジだけで聴いてて結構楽しめる。
おかげで無個性な歌詞・曲なのに、まぁまぁ聴ける作品には仕上がった。

それはそうと、この作品で小泉は初のオリコントップ10入りを果たした。
デビュー時から着実に、そして順調にステップアップしている。
考えてみたら、当時ドメスティックでアナクロな歌謡曲を歌うアイドルって、彼女くらいしか居なかったし、そうした70年代的アイドルのニーズを、彼女が一手に引きうけていたのか?
もちろん、小泉自身のアイドルとしての資質の良さも、人気を集めた要因だけど。
アナクロなら柏原芳恵とかいたけど、ややニューミュージック寄りだったし。
まぁそんなに大きな需要でもなかったんだけど。

(1999.12.6)

 

まっ赤な女の子

作詞:康珍化 作曲:筒美京平 編曲:佐久間正英


 70年代アイドル歌謡を、80年代的解釈でここに再現

結論から言ってしまうと、「ひとり街角」や「春風の誘惑」では、「私の16才」をモチーフに、70年代アイドル歌謡をやや80年代的な味付けで再現したような趣きがあったのだが、この「まっ赤な女の子」では、「素敵なラブリーボーイ」をモチーフに、完全に80年代的な解釈で70年代アイドル歌謡を再現しているのだ。 僕にはそう取れる。

具体的に言うと、曲・アレンジはまさに「素敵な〜」風のチアガールサウンドだ。
ただし、全編にシンセドラムっぽい打ちこみサウンドを施したり、♪ジリジリ〜 のコーラス部分にヴォコーダーを使用したりと、アレンジはテクノポップ仕立てで、完全に80年代ヴァージョン。
「素敵な〜」に比べると、相当に凝ったアレンジだし。
ただ、筒美京平のテクノ歌謡で、これほどメロディが歌謡曲っぽいモノは結構珍しいのでは?
普通、メロディも前衛的な洋楽っぽい作品が多いのに。
榊原郁恵「ロボット」、早見優「夏色のナンシー」、河合奈保子「UNバランス」とか。
そういう意味では貴重な実験作なのかも知れない。
歌謡曲純度の高いテクノポップという点では、この作品、柏原芳恵「ト・レ・モ・ロ」やC−C−B「Romanticが止まらない」の先駆けとも言えるかも。 その手の中でも、これは最高傑作に入る作品だろう。

歌詞も「素敵な〜」風のおしゃま路線を踏襲。
しかし、こちらの方が渚を舞台にしている分、お色気度の高い内容だ(大したことはないが)。
♪ドッキリ〜 とか聴かせ所も多いし。
♪つかまえてなきゃぁ〜 とか、♪瞬間ウキウーキ とか「泣き(?)」も多用していたり。
小泉にとって、歌詞の面では(というか、歌唱面か)結構新境地となった。
でも、おかげで彼女自身、これまでの優等生的なイメージを打破して、「元気&コケティッシュ」という新キャラ開拓に成功した。 といっても、これまでのファンが面食らわない程度の、ソフトなイメチェンではあるが。

かようにこの作品では、典型的な70年代アイドル歌謡を、時代に即した形で無理なく再現することに成功。
そのおかげで、従来路線支持者の期待を裏切ることなく、新しいファン層の拡大にも成功して、結果大ヒットとなり、トップアイドルの仲間入りを果たした記念碑的作品となった。
同時期に髪の毛をショートカットにしたことも、「新生・小泉今日子」をアピールするのに役立った。
ナイスなタイミングである。

(1999.12.6)

 

半分少女

作詞:橋本淳 作曲:筒美京平 編曲:川村栄二


 80年代筒美作品の中では最重要作品のひとつ

前作「まっ赤な女の子」ではテクノポップ調に挑戦した小泉だが、この作品では再びアナクロ路線へ。
なんでも「まっ赤な〜」の過激さに筒美京平が危惧して、安全策のような形でこの作品を提供したのだとか。
別に「まっ赤な〜」がそんなに過激だとは思わないけど。
そんな事言ったら、筒美自身が手がけた松本伊代の立場は?
「TVの国からキラキラ」だの「オトナじゃないの」だの、あんなにブッ飛んでたというのに。
その後なんらフォロー無かったし。
まぁそれはともかく、同じアナクロでありながらもデビュー時とは全く異なった作風である。
「私の16才」における中近東ディスコ歌謡(?)とも、「素敵なラブリーボーイ」におけるチアガール歌謡とも違った、フォーク調サウンドだ。 そういう意味ではちょっと新鮮ではあるか。

曲は典型的な70年代アイドル歌謡だ。 目新しいモノは何一つ無いが、手堅い作り。 歌詞も同様である。
いや、同様どころか、これまでアナクロ路線でリリースされたどの作品よりも、アナクロ度が高い歌詞だ。
♪かなしくしく〜 だの ♪うれしくしく〜 なんてフレーズ。
83年リリース当時でも、かなり時代錯誤な印象を持った。
まぁ判り易くてよく出来た歌詞だとは思うし、足を引っ張るほどの欠点ではないけど。

むしろ、小泉の歌唱が一番のウィークポイントだと思う。
色気を出すのはイイが、媚を売りすぎていてあまりにも粘着質。
そのせいで音程もずれてるし、かなり耳障りだ。 普通に歌ってれば、作品の良さはもっと引き出されたであろうに。

しかし、この作品の特徴はアレンジにある。
全体はフォーク調で、ノスタルジックな印象だが、よーく聴くとデジタルサウンドなのだ。
この一聴すると懐古的だけど、実はデジタル仕立てという「温故知新」なコンセプトは、後に筒美京平が多作するジャンルである。
小泉自身の「魔女」「夜明けのMEW」や、薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」、斉藤由貴「卒業」「初戀」などなど。 この「半分少女」はその手の先駆けなのだ。 まだデジタル度は低いけど。
筒美伝説では、ほとんど振りかえられることのないこの作品。 しかし、そう考えるとこの作品は結構重要である。

(1999.12.6)

 

艶姿ナミダ娘

作詞:康珍化 作曲・編曲:馬飼野康二


 小泉からコイズミへ、「ブッ飛び路線」がようやく解禁?

この歌の目玉は、なんといってもタイトルだ。 「艶姿ナミダ娘」って・・・・シブがき隊顔負けのブッ飛びぶりだ。
おそらく、これはタイトルが最初に決まっていて、このコンセプトに基づいて楽曲が制作されたに違いない。
だとしたら、完全に企画の勝利だ。 タイトル勝ちか。

で、作品についてだけど、曲は特に洋楽っぽさは感じられないが、歌い出しのメロディがマイケル・センベロ「マニアック」的かも。
アレンジはSEを多用した、アース・ウィンド&ファイア調の70年代ディスコサウンドで、とにかくカラフルで派手な作り。 女性コーラスも目いっぱいハデハデ。
間奏のコーラス部分を英語のセリフに仕立ててるあたりなど、馬飼野先生、「まっ赤な女の子」における筒美陣営を意識しての労作であることは確実。

康珍化の歌詞は意外にマトモ。 要所要所で"お色気"を醸し出してはいるものの、特に過激さは見受けられない。
インパクトがあるのは、あくまでもサビ部分のみ。
このサビでのインパクトに目くらましされて、なんとなく過激な印象が定着してるのでは?

それにしても、このいきなりの「ブッ飛び路線」。
これはイメージチェンジというよりも、私はこの歌で「ブッ飛び路線」を松本伊代から継承したのだと思う。
これまで同じビクターで"ブッ飛び路線"を担っていた松本伊代が、夏リリースの「恋のバイオリズム」で、従来路線を卒業してニューミュージック路線へとシフトした。
その空席を埋めるべく、小泉が伊代の路線を継承したのではなかろうか?
ただ、伊代と違って、小泉の場合は"お色気"を全面に押し出した所が新機軸ではあるが。

もっと穿った見方をすれば、継承というよりも、実際は2年目でディレクターが替わって、それを機に「まっ赤な女の子」で思いきったイメチェンを図りたかったのだろうが、それは従来路線を支持してきたファンを裏切ることにもなりかねないし、その路線は同じビクターで松本伊代の専売特許だったから、キャラが被る事をも懸念して、今一つ躊躇してしまったのかも。 それが、ここに来て解禁、というのが本音では?
こうして"ブッ飛び路線"は、同じビクター内で途切れることなく、しかも、被ることなく続いて行ったのである。

・・・・とまぁここまで来ると、かなり妄想が入っていて、実情なぞ知る由もないのだが。
でも結果的に、「まっ赤な〜」での"ソフトぶっ飛び"(なんなんだ)で地ならしをしておいてから、段階を踏んで「艶姿〜」で過激にイメチェンをしたおかげで、従来路線の支持者が脱落することなく、よりスケールアップしたビッグアイドルに成長できたことは事実だ。 結果、30万枚を超える大ヒットとなったし。
中森明菜以外は横並び状態だった82年組の中で、この作品で小泉も頭一つ抜けた。

(1999.12.6)

 

クライマックス御一緒に

作詞:森雪之丞 作曲・編曲:井上大輔


 単なる企画モノ扱いでは、あまりにもったいない傑作

フジTV系『月曜ドラマランド・あんみつ姫』の主題歌。
『あんみつ姫』は小泉本人が主演した、『月曜ドラマランド』屈指の人気シリーズ。
ただし、厳密に言うと、これは小泉今日子のシングルではなく、"あんみつ姫"名義でリリースされた企画盤である。
確かこの歌は企画盤であることを理由に、TVの歌番組では一度も歌われたことがなかったハズだ。
おかげで、この歌を知らない人は意外に多い。
しかし、そんな悪条件下でのリリースだったにもかかわらず、20万枚の好セールスを記録。
これは、当時の小泉人気や『あんみつ姫』の高視聴率を受けての結果であることは当然なのだが、作品自体が傑作だったことも大きいと思う。

まずは曲だが、井上大輔らしい、ミディアムテンポでキャッチーなメジャー系。
いささかサビが弱い気がするけど、全体がムラ無く良いメロディなので救われている。
アレンジも井上が担当。 これも井上らしいアレンジだ。
特に間奏部分が同時期にリリースされた井上アレンジ、倉沢淳美「プロフィール」のエンディング部分と酷似しているのが興味深い。 姉妹作か?それとも単なる類型パターンの産物か? 全体的にはソフトな印象だ。
ハデハデだった「艶姿ナミダ娘」と比べると、ちょっと物足りない感じもするが、まぁ『あんみつ姫』の主題歌だし、こんなもんだろう。

で、森雪之丞の歌詞だけど、なかなか良く出来た歌詞だと思う。
夢見る少女の空想を小説に見立てて、恋愛プロセスをワンシーンづつ表現した『起承転結』型。
さらに、恋人が結ばれる瞬間を「クライマックス」と表現するくだりなど、コンセプトを含めて上出来である。
しかも、♪ドドドッキン〜 ♪バババッキン〜 とか
♪クライマックス御一緒に〜アハン などなど、「艶姿〜」以上にお色気満載で、聴かせ所も多い充実の仕上がり。

う〜ん、やっぱりこれは歌番組で見てみたかったなぁ。 露出が多かったら、30万枚前後のヒットになったのでは?
ソフトなアレンジも、元旦リリースという事を考えれば、春先の季節感に程好くマッチしてるわけだし、前作「艶姿〜」と次回作「渚のはいから人魚」のつなぎとしても、特に問題ない作品なのだから。
確かに「艶姿〜」との間隔が2ヶ月しかないのは、サイクル的にキツいけど。
しかし過去には、CMソングを緊急リリースした形の作品だった、田原俊彦の「悲しみ2ヤング」が、前作との間隔が2ヶ月しか無かったのにもかかわらず、実際に正規盤として発売されて何の支障も無かったのに。
すごく残念である。

ちなみに、この作品は「森雪之丞&井上大輔」という、シブがき隊ではおなじみのコンビ。
「艶姿〜」がシブがきっぽいなぁ、と思っていた所で、いかにもなこの人選。

"ブッ飛び路線"で行くなら、確かにベストな布陣ではあるかも。

(1999.12.6)

 

渚のはいから人魚

作詞:康珍化 作曲・編曲:馬飼野康二


 バラバラなメロディを無理矢理つなげる強引さが見事

これは面白い作品だなぁ。
歌詞も含めて、タイトル・コーラス等の全体的な"ブッ飛び"加減が、「艶姿〜」に比べると加速度的に進行している。
♪ズッキンドッキン〜 とか、♪ABC SEASIDE GIRL〜 とか。 アレンジもハデハデでカラフルだし。
これで往年の松本伊代と同じ地平に並んだか?(というか、まさに"女シブがき")

しかし、一番面白いのはメロディだ。
大雑把な構成は「サビ→A→B→C→サビ」となっているのだが、それぞれのメロディがてんでんバラバラ。
脈絡なぞありゃしない。 かといって、組曲仕立てなのかというと、そうでもないし。
パッチワークとか接木に近い感じで、このバラバラなメロディを、アレンジと歌詞で強引に結び付けているのが最大特徴。

まずは「サビ→A」。 まぁこれはそんなにズレたメロディではないか。
歌い出しはまぁまぁスムーズで違和感無しだ。
次の「A→B」だが、♪Oh,ダーリン とお茶目な歌詞で、ブツ切り状態でAメロを終わらせたと思ったら、(ジャカジャン!)♪やったね〜 と、唐突にAメロとは全く違ったBメロが始まる。
それにしても、「やったね」は上手い! 目くらましして誤魔化すには最適な煙幕フレーズだろう。
で、「B→C」だが、♪ウワキな人ね〜 と、まるで続きがあるかのようなメロディラインなのだが、やはりここでも突然Bメロが終わって、(ジャ・ジャ・ジャ)♪こっそりビーチで〜
と、コケティッシュな小泉の歌唱とせわしないアレンジで、またしても全然違うCメロが唐突にスタート。
最後の「C→サビ」だが、これはメロディ的には違和感無くブリッジできるハズなのだが、なぜかアレンジが邪魔して違和感を発生させてる。 ♪すこし悪い方がいいの〜(ズンドコズンドコズンドコズンドコ) なーぎさの〜
なんなんだ、この"ズンドコ"は。
イントロでもサビに入る導入部分で、この"ズンドコ"を使ってるからしょうがないのか。 それにしても強引だなぁ。

とまぁ、かようにユニークな作品ではあるが、ボーッと聴いている分には不思議と違和感は感じないのだ。
全体のハデハデさとカラフルさで、一気に「勢い」で聴かせてしまっているような感じ。
有無も言わせぬ強引さ。 冷静に聴くと、思わずのけぞってしまうような珍作だけど。 勢いってスゴイな。

(1999.12.6)

 

迷宮のアンドローラ

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀


 小泉今日子の最高傑作

この歌は世界的に有名な、某イラストレーターの展示会テーマソングとしてリリースされた。
さすがにそそうの無いように、今回「ブッ飛び路線」は一休みして、松本・筒美・船山という、非の打ち所が無いベストな布陣による、小泉気合の一作となった。
テクノアイドル歌謡の先駆である、榊原郁恵「ロボット」と同じスタッフであることからも察しがつくように、今回はテクノポップ。
「まっ赤な女の子」は歌謡曲純度の高いテクノポップだったが、「迷宮のアンドローラ」は展示会のテーマである"SF"に即した形で、洋楽センスをふんだんに取り入れた、SFチックでコズミックなテクノ歌謡に仕上がった。

まずアレンジだが、「艶姿〜」同様にEW&Fっぽい要素はあるけど、ディスコ調ではなく、あくまでも打ちこみ主体のテクノポップだ。
しかし軽くは無く、スペーシーな小宇宙を表現すべく、SE多用で臨場感溢れるスケールの大きい仕上がりだ。
イントロからSF感バリバリ。
静寂なオープニングから歌い出しへの導入部分なんて、まるでジェットコースターが静かに動き出して、一気に加速するかのようにスリリングな展開。 ディズニーランドの「スペースマウンテン」を彷彿とさせる、遊園地気分の面白さ。
このアトラクション感覚で、最後まで突っ走る突っ走る。
特にエンディングにかけて、次第に盛りあがって行く作りの終盤部分は、相当にエキサイティングだ。
さんざん盛り上げておいて、唐突に終わるのもジェットコースター的だし。
ただし、アトラクション感覚だといっても、コミカルではなく、結構シリアスなサウンドだ。

曲は意外とつまらない。 まぁつまらないとは言いすぎだが、少なくとも、あんまり歌い上げるような作りではない。
♪浮かぶあなた〜 の直後にひとしきりアレンジがスパークし、サビでもスピード感溢れるサウンドで疾走するものの、メロディそのものは"聴かせる"仕上がりではないし。
どちらかと言えば、スペーシーなアレンジを引き立てるかのような作りだ。
きっとこれは、最初からサウンド主体で制作する腹積もりだったのだろう。
確かにそのほうが"宇宙感"は表現しやすいだろうし。 SF映画のサントラ、もしくはゲーム音楽みたいだ。

で、松本隆の歌詞だが、「Laser Beam」「Flying Sauser」など、コズミックなキーワードてんこ盛りで、意味不明で難解な内容が展開されるが、これは別に手を抜いているのではなく、サウンド主体のコンセプトに歌唱が入っても邪魔にならないよう、配慮した作りなのだと思う。 変に内容があると、聴覚で楽しむにはかえって邪魔だし。
イメージの羅列に留めておいたのは正解。
この場合、メロディに歌詞がキチンと嵌まってるのかどうかが重要であって、そういう意味でも合格点だ。

かように、この作品は見事な傑作である。
小泉自身にとっても最高傑作に位置付けられる作品であると思うが、全筒美作品の中でも、かなりの傑作の部類に入るだろう。 ただ、実際にこの歌を歌う時の、小泉の心境はどうだったのだろうか?
歌手にとっては、歌っていてもあまり面白くないメロディだろうし。
まぁ彼女は歌を聴かせる実力派ではないし、"キョンキョン"のイメージにもそこそこマッチした楽曲だったのだから、別に問題なしか。

(1999.12.6)

 

ヤマトナデシコ七変化

作詞:康珍化 作曲:筒美京平 編曲:若草恵


 60年代歌謡を80年代アイドルで再現した意欲作

なんといっても、この奇妙奇天烈なタイトルが目を引くわけだが、作品自体、かなりの力作である。
「艶姿〜」同様、この歌もタイトルが先に決定してからの楽曲制作だったのだろうが、康の歌詞・筒美の曲・若草のアレンジ、いずれも全然タイトル負けしていない見事な頑張り様だ。
逆にこの過剰な頑張りぶりが、リスナーを疲れさせる向きも、まぁ無きにしもあらずなのだが。

それはさておき、まずは曲。 初期のアナクロ路線もビックリな、今度は60年代歌謡の趣き。 演歌調ですらある。
奥村チヨや坂本冬美あたりが歌っても、全然違和感の無いメロディだ。
まぁこの"くの一"な忍者風タイトルだったら、こういう曲を提示するのは当然の成り行きか。

次に歌詞だが、歌い出しでいきなり ♪純情・愛情・過剰に異常〜 とは。
このインパクト剥き出しなあざとさは、それこそシブがき隊状態。
その他にも ♪どっちもこっちも輝け乙女〜 だの、その「ブッ飛び」ぶりはこの作品でピークに達した(「なんてったってアイドル」はまた別モノ)。 それでいて ♪アハン〜 とか、お約束のようにお色気も押し出して。
康の頑張りぶりも相当なものだ。

となると、気になるのはアレンジだ。
ここでは演歌調の曲と、ぶっ飛んだアイドル歌詞をリンクしなくてはならないのだから。
結構難しい課題なのだが、そこは才人・若草恵。
彼女は演歌・アイドル、対極にある両ジャンルで場数を踏んでいるので、両者を結び付けることなぞ朝飯前だ。(知らないけど)
サンタ・エスメラルダというか、ボニーMというか、とにかく70年代の中近東ディスコサウンドを駆使することで見事にリンク。 SEを多用したハデハデな効果音も、歌詞の突飛な世界観とフィットしてるし。
エスニック・テイストを加味したことで、結果、ドメスティックなメロディなのに、不思議な無国籍歌謡に仕上がった。
この奇妙さが、タイトルの奇天烈さとも絶妙にマッチしている。

そういえば昔、筒美は60年代歌謡的なメロディを、ニューミュージックテイストで装い新たに、中原理恵・庄野真代あたりに歌わせて再現したことがあったけど、ここでもそのノウハウは活かされたのか。
中原の「東京ららばい」の時も、サンタ・エスメラルダとか取り入れてたわけだし。
となると、アレンジを含めたサウンド面での主導権は、今回全て筒美の手中だったということか。
だとすれば、筒美はこの作品で、今度は60年代歌謡を、ディスコサウンドで装い新たに、80年代アイドル歌謡として再現させたい・・・もしかしたら、そんな秘めたる野望があったのかも知れない。

(1999.12.6)

★ 追記 ★

アレンジャーの若草恵を「彼女」呼ばわりしましたが、氏は男性なんだそうです(^^;
年代的には萩田光雄と同じくらいで、メガネをお掛けになっててニコニコした笑顔が素敵な紳士だそうです。 GOさんより情報いただきました。 ありがとうございます。

 

The Stardust Memory

作詞:高見沢俊彦・高橋研 作曲:高見沢俊彦 編曲:井上鑑


 名作か?凡作か? その判断が微妙な作品

今回は従来の「ブッ飛び」「コズミック」「アナクロ」、どの路線にも当てはまらない、至って正統派のアイドル・ポップスだ。 初めてロック畑から作家陣を起用しているのも特徴。
これまでの企画色の強い、キャラクター重視志向だった路線を、この「The Stadust Memory」では一切かなぐり捨てて、純粋に楽曲のみで勝負に出た。 つまり、この作品で彼女は新境地に挑んだということ。
得意のお色気も抜きだし。 で、このような普通のアイドル・ポップスが彼女にフィットしたのかどうか。
結果、37万枚の大ヒットとなったのだから、この冒険は成功と見ていいだろう。
これまでの過激さに加えて、「等身大の普通さ」も彼女のキャラクターのひとつにUPされた。
新キャラ開拓にも成功したのだ。
よって、「過激な発言+普通人としての感覚」ということで、同性からの支持も高まり、より彼女のカリスマ性に磨きがかかったとも言える。 小泉自身にとって、この「Stardust〜」はキーポイントとなった最重要作品であることは確実。
この成功を受けて、後に「魔女」「夜明けのMEW」「スマイル・アゲイン」といった"等身大路線(?)"がリリースされたわけだし。 しかし、僕はこの作品自体がそれほどの名作なのかどうか。 正直、その判断に悩んでしまうのだ。

アレンジはこれまでの彼女らしからぬ、ストリングスの美しいオーケストレイションを施しているのが最大特徴。
リズムは打ちこみ系でハードな感じだが、シンセハープ(?)やピアノの音色を導入したりと、上品で洗練されたサウンドだ。
間奏のギターソロが、甘美な調和をやや乱してはいるが、全体で見ればアイドル・ポップスとしては上出来なアレンジ。

歌詞は、星空をバックに、恋の終わりを甘酸っぱく表現している。
アクの無いアイドル・ポップスの類型だが、メルヘンチックの1歩手前でブレーキを利かせて、あくまでも等身大の少女の感覚に徹しているのは好感が持てる。
このシチュエーションが、甘美で上品、それでいてハードなアレンジと見事にマッチしている。
まぁ目新しいところは、何一つない歌詞だけど。

で、曲なのだが・・・・「渚のはいから人魚」とは違って、メロディ展開も至ってスムーズだし、頭サビで始まるキャッチーな楽曲ではある。 ただ、一聴すると何の問題も無い、この"淀み無さ"が、逆に物足りないような気がするのだ。
ボーッと聴いてる分には、スムーズに流れるアクの無いきれいな旋律だけど、聴後には何も残らない、そんな感じだ。 「キャッチーな頭サビ」とは言ったけど、唸ってしまうようなレベルでもないし。
アレンジ・歌詞、いずれも洗練されててアクが無いうえに、曲までアクが無いというのは、ねぇ。
シングル曲としての尖がった箇所が、あまりに無さ過ぎると思うが。

作品自体の完成度の高さは、認めざるを得ないのだが、シングル曲としては今一つ物足りない、ハッキリ言ってしまうと「つまんない」メロディである。 その点がこの作品を、名作とも凡作とも言いきれず、評価を難しくさせるのだ。
"痛し痒し"って感じだ(用法が違うか)。

(1999.12.6)


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