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五十嵐浩晃 / 愛は風まかせ

作詞:ちあき哲也 作曲:五十嵐浩晃 編曲:鈴木茂


 凡作だが、男性歌手による和製ボサノバのヒット曲は貴重

五十嵐浩晃といえば、何と言っても「ペガサスの朝」(オリコン3位/42.3万枚)が有名だが、私は「ペガサス〜」よりも、この「愛は風まかせ」が好きだったので、今回はこちらを取り上げたい。
「ペガサス〜」に先んじる事半年前、清涼飲料水『スプライト』のCMタイアップでリリースされたのがこの作品である。
オリコン最高位45位・売上6.2万枚という、大ヒットとは言えないが、この小ヒットで五十嵐はとりあえず脚光を浴びた。 売上が低い割には、コマソンだっただけに、知名度は高いように思う。 カラオケにも入ってるし。

曲は「A→A’→B→A’」というシンプルな構成で、マイナー調が軸だが、Bメロはメジャー加味。
Bメロが高音域で盛り上げるという仕掛けはあるものの、曲構成としては頭サビである。
A・A’メロはなかなか物憂げな旋律で、結構ムードあるサビメロだと思うが、Bメロがどうにも取って付けたような、繋ぎとしてテキトーな旋律なのが残念。
頭サビ以外大したメロディじゃないのは、「ペガサス〜」にも共通する特性(?)であり、正直、五十嵐は優れたメロディメーカーとは言えないかも。

アレンジは物憂げな旋律を生かすべく、アコギ・ラテンパーカッションを主体にシンコペーションを刻むという、ボサノバ・タッチ。 これにフルート(?)、女性コーラス、エレキギターが加わり、サウンドに厚みを与えている。
エンディングでのエレキギターのソロがアクセントとなり、全体としてはAOR/シティポップス系の雰囲気。
いずれにしても、かなり洋楽センスに富んでいて、「ペガサス〜」と比べれば、格段にオシャレなサウンドである。
『スプライト』のコマソンとしては、いささかメランコリックだけど、五十嵐のヴォーカルが、変に気取る事無く、いつもの調子で淡々と爽やかに歌ってるので、さほど違和感は無いかもしれない。

歌詞は主題を特に設けておらず、なんとなく気だるい雰囲気が出ればイイかな?といった按配。
プレイボーイ(?)が午後に一人でボーッとしてたら、昨夜出会った女を思い出した・・・内容はそれだけ。
ラム酒や推理小説を小道具に、スカした描写をしているが、結局は ♪どうせ一粒の砂にも似たような出会いだし〜 と、何の執着も無し。
かように無意味な歌詞だが、サウンドにマッチはしているので、まぁまぁ気分良く聴ける。 五十嵐のビジュアルを思い描かなければ、だが。 所詮はCMソングだし、こんな程度で充分だろう。
雰囲気主体の割には、英語詩を一切使用していない点は好感が持てる。
でも、『スプライト』なのに、何でラムなの? いいのか?

この作品、結構ファッショナブルで、ムード溢れる楽曲ではあるが、傑作と云うレベルでも無い。
ただ女性歌手による和製ボサノバのヒット曲は、ユーミン「あの日に帰りたい」・丸山圭子「どうぞこのまま」・尾崎亜美「マイピュアレディ」など色々あるが、男性歌手となると、この曲くらいがせいぜいで、他には思い付かない(ヒット曲とはいえ6万枚だが)。
しかも、ボサノバがシティポップス系として上手く消化されたヒット曲としては、太田裕美「恋愛遊戯」と対を成す楽曲という見方も出来るし、そういう意味ではちょっと無視出来ない作品かも。

五十嵐は「ペガサス〜」以降、コレといったヒットに恵まれず、地道に音楽活動を続けていたものの、一発屋の典型として世間には認知されてしまったようだ。
一時は音楽稼業を断念して、故郷の北海道に戻ったという話も訊いたが、90年代に入り、突如「街は恋人」をスマッシュヒットさせ(オリコン36位/8.8万枚)、ようやく復帰か?と期待させたが、結局後が続かず、現在の消息は如何に? 1980年作品。

(2000.7.29)

 

小林麻美 / 雨音はショパンの調べ

作詞・作曲:Gazebo P.L.Giombini
日本語詩:松任谷由実 編曲:新川博


 原曲をベースに個性を出す事に成功した、洋楽カバーの理想形

元々アイドルとしてデビューした小林麻美であるが、70年代中盤以降は活躍の場をモデル業へとシフトし、80年代になると女優業との両立で、「同性が憧れる女性」の代表格として注目を集めるようになり、こうして再脚光を浴び始めた頃に、およそ8年ぶり(!)でシングルリリースされたのがこの曲である。
言うまでも無く、この曲は洋楽のカバー盤で、元歌はガゼボ「アイ・ライク・ショパン」。
先にヒットしたのはガゼボ盤で(オリコン9位/20.4万枚)、曲が世間に浸透しつつある最中、つられて小林盤もヒットしたような形であった。

曲構成はオリジナルをそのまま流用していて、「A→B→C」の構成で、Cメロがサビ。 
A・Bメロは譜割が大雑把で緩やかなメロディラインだが(往々にして洋楽は譜割が大雑把なんだけど)、サビメロでは徐々に譜割も細かくなって、次第に高音域で盛り上げる構成。
全編メジャー調だが、サビメロが微妙に哀愁漂う旋律で、高音で盛り上げるわりには、作風を格調高いモノにしている。
ちなみに、元歌はエンディングが主音で終わらず、その点が聴後に独特の余韻を残すのだが、小林盤では♪Ah〜 と、違った意味での余韻を歌唱で加えつつ、実は何気に主音で締めるという、小技をカマしているのも見逃せない。 全体としては、品格がありながら親しみやすいという、非常に優れたメロディだと思う。
しかも覚え易いし。

一方アレンジだが、旋律そのものは元歌に倣っているし、イントロでのシンセ音こそ違えど、打ちこみ主体に生ピアノ加味という、楽器構成もリズムセクションも元歌にほぼ倣っている。
しかし、ガゼボ盤がメリハリを利かせた低音強調の重厚なアレンジを施してるのに対し、小林盤は軽めの処理で抑えているため、全体としての雰囲気はかなり違う。
元歌はアレンジも曲同様に格調高い雰囲気だが、小林盤はアンニュイ。 ところで、このアレンジはタイトルが"ショパン"なだけあって、ピアノの旋律が秀でている。
イントロ・間奏でのソロ部分が、主旋律と全然違うメロディなのも偉いが、Bメロでの♪止めて〜 ♪あのショパン〜 それぞれ後には空白が続くものの、この空白部分にピアノを当てこんでいるので、繋ぎとして違和感が無く、それどころか、ココでのピアノが作品全体を締めるアクセントとして、非常に大きな効果を上げてるように思う。

小林盤の訳詞はユーミンが担当しているが、元歌の大意を大まかな骨組としながらも、独自性をキチンと発揮している。
先述のように、メロディは譜割が大雑把なので、日本語は載せにくいハズだが、そこはサスガにユーミンで、センス良く日本語詩を嵌めこんでいて、特に譜割の大きいAメロ部分が秀逸だが、Bメロの♪あのショパン〜 部分もなかなか。
ココは元歌の♪I Like Chopin〜 に当たるのだが、どうにも韻を踏んでる感じなのだ。
ちょっと笑える気もするけど。
主題は特に無く、雨の日を舞台に、ショパンの調べを聴きながら"彼"との想い出に浸るという、その様子を抽象的に描いてるだけなのだが、日本語との相性が悪いメロなだけに、変に歌詞に意味を持たせるよりは、こうして雰囲気だけの演出に留めたほうが無難ではある。

また、小林の歌唱が、こうした訳詞の特性を遺憾無く発揮させてるように思える。
アイドル時代とは打って変わって、ココでは息絶え絶えなアンニュイ唱法を披露しているが(ジェーン・バーキンを意識か?)、決して上手い歌唱とは言えないものの、むしろ気取った主題がオシャレに表現出来てるし、"聴かせる"手段に訴えることなく、大雑把な訳詞を淡々と歌うおかげで、語感をリスナーに意識させないのも正解。
一種BGMとして機能させる事に成功しているのだ。

この作品、サウンド・歌詞の両面で、元歌をベースにしつつ、全く異なる個性を醸し出す事に成功している。
完成度も高いし、カバー盤として理想的な仕上がりだと思う。
しかし、今作の一番の勝因は、なんといっても小林麻美に歌わせた事だろう。
というのも、こうした格調高いユーロサウンド(しかも日本語向けじゃない)を、日本語で男が歌っても、イマイチしっくり来ないと思うのだ。
オリジナルのガゼボは男性歌手だが、イタリア人だし英詩なので、格調高さがダンディズムと上手く合致するのであって、これが日本人の男性歌手が訳詞でカバーしてみた所で、オリジナル同様の雰囲気はまず再現できないだろう。 ダンディズムどころか、キザ芸のギャグにしかならないかも。
それならいっその事、女性歌手にカバーさせたらどうか?という発想だったと思うが、コレは理に適っている。
格調高さは、女性特有のアンニュイ・ロマンティックとの相性が良いハズだし、日本人女性でも無難にこなせるラインだから。 そういう観点では、当時の小林麻美というのはベストな人選である。 よくぞ再び歌ってくれた。
事実、彼女にとっても、この大ヒット(オリコン1位/52万枚)により、狭い枠でのカリスマから脱却し、幅広い層に存在をアピールすることに成功したわけだし、まさにハマリ役だった(役じゃないが)。
一度もTVで歌ってくれなかったのは残念だが(プロモは嫌というほど観たけど)。 
でも、この戦略も彼女の場合は正解なのだが。 1984年作品。

(2000.8.2)

 

Gazebo / Lunatic

作詞・作曲:Gazebo P.L.Giombini


 退廃したデカダンス漂う、香気溢れたイタリアンポップス

「雨音はショパンの調べ」ついでに、オリジナル歌手であるガゼボも一曲。
今回ご紹介したいのは「アイ・ライク・ショパン」ではなく、こちら。
邦題は「ルナティック 〜狂った優雅」で、母国のイタリアでは「アイ・ライク〜」に続き、ヒットを記録(イタリア3位)。
日本でも「アイ・ライク〜」の大ヒットを受けて、こちらもシングル発売されたハズだが、ラジオ・MTV番組ではよく流れてたにもかかわらず、オリコンにはチャートインしていない。
しかし、両曲が収録されたアルバム、『幻想のガゼボ』は好セールスを記録したのだから、購買がシングルではなくアルバムに流れたと言うことか。

曲は明かに「アイ・ライク〜」の系譜であり、「A→B→サビ」という構成も同じだし、A・Bメロはメジャー調だが、サビはマイナー加味して哀愁漂うという曲想も前作同様。
さらには、高音で盛り上げるサビメロ、しかも、主音で締めないという仕掛けまで共通。
早い話、二番煎じなわけだが、「アイ・ライク〜」同様、格調高くてムードある旋律ではあるのだ。 悪い曲ではない。
アレンジも前作同様、「打ちこみ主体にピアノをプラス」のコンセプトであるが、全体的にテンポは速いし、ストリングスの絡みも多く、しかも、イントロでは「ジャーン」と、ピアノをショッキングに導入したり、随所にチョッパーベースが炸裂したりと、前作には見られないハードな仕掛けに富んでいるし、やや肌合いの異なる仕上がりとなった。
サウンド面は格調高さを軸としながらも、多少スリリングな印象である。

「アイ・ライク〜」が中学生の英作文の如く、稚拙な歌詞だったのに対し(いかにもヨーロッパ人が作った英詩って感じ)、こちらの歌詞は難解。
別に文法が難易度高いわけではなく、使ってる単語がちょっと特殊・・・というか異様で、意味が難解。
まず、タイトルからして lunatic(狂人)なのだが、他にも masquerade(仮面舞踏会)・nostradamus(ノストラダムス)・aristocratic(貴族階級)・casanova(道楽者)・ill with sexomania(セックス依存症?)などなど、怪しげなフレーズがてんこ盛り。 訳詞が手元に無くて恐縮だが、おそらくは貴族社会の自堕落な官能を、怪奇小説風に描写していると思われる。たぶん。 かなりエグい歌詞内容であるのは確実。
プロモビデオではガゼボが狼男とかに変身してたし。

この作品、優雅なサウンドに載せて、エグい官能を"怪奇"をモチーフに表現している風情で、洋楽全体を通しても珍しいコンセプトだと思われる。 一種の退廃的なデカダンスであるが、やっぱりヨーロッパならではの感性という気がする。
マイケル・ジャクソン「スリラー」は、また全然違うジャンルだろうし、日本人にも、ちょっとポップスでは表現できないセンスかも。
ただ、哀愁味漂うサウンドで、おどろおどろしいラブソングという発想では、安全地帯「プルシアンブルーの肖像」なんかが割合近いような。
「ルナティック」に比べればハードなサウンドだけど、もしかしたら、影響受けてるのかなぁ?
随所にピアノ入ってるし。 ちなみに、小林麻美のカバー盤もアリ(またか)。 タイトルは「月影のパラノイア」。

それから、先述のアルバム『幻想のガゼボ』であるが、収録曲はいずれも似通った作風ばかりである。
良く言えばコンセプト・アルバムだろうが、早い話、全部「アイ・ライク〜」の二番煎じ・三番煎じだらけ。
「アイ・ライク〜」が好きな人にはお薦めだけど、そうじゃない人には辛いかも。 佳曲揃いではあるんだけど・・・
そんなパッチモンだらけの作品群において、この「ルナティック」だけは完成度が高い。
1stアルバムにて早くもワンパターンぶりを披露し、作曲能力の限界を露呈したガゼボであるが、当然後が続かず、そのまま消えてしまった。 1983年作品。

(2000.8.4)

 

奥村チヨ / ごめんネ・・・ジロー

作詞:多木比佐夫 作曲・編曲:津野陽二


 ある意味、和製フレンチポップスの正解とも云える作品

"和製シルヴィ・バルタン"をキャッチフレーズに掲げ、昭和40年、直球勝負にバルタンのカバー「私を愛して」でデビューした奥村チヨであるが、第1弾は小ヒットに留まり、オリジナル作品となる、第2弾「ごめんネ・・・ジロー」でブレイクを果たした。
デビュー時において、衣装・髪型等、何から何までバルタンもどきだったビジュアル面も、「ごめんネ〜」のジャケ写を見る限りでは、オリジナルなだけあって幾分独自性が出ている。
それでも、楽曲の作風としては"和製バルタン"のコンセプトを多少引きずってはいるのだが。

まず曲は「A→A'→B→A''」という珍しい構成で、全編メジャー調のバラードタッチ。
Aメロを軸にした同系のバリエーションが続くので、おいしいサビメロを設けて"聴かせる"構成では無いものの、A系統全てに♪ごめんネ・・・ジロー〜 のタイトルコールが共通していて(2番は♪愛して・・・ジロー〜だが)、これが結構インパクトあるので、全編キャッチーな作りではある。
しかも、各バリエーション毎に微妙な変化を与えて、曲の進行に伴い、徐々に盛りあがる構成となっているうえに、2番ではキーもUPするし。
旋律自体にフレンチっぽさは余り感じないものの、テンポや調性、♪ごめんネ・・・ジロー〜 部分でリズムをブレイクさせるくだりなんかは、前作「私を〜」をベースにはしてるかも。
岸洋子「夜明けの歌」っぽい雰囲気もあるが。

歌詞の主題は、愛しいジローへの求愛であるが、コレといったストーリー展開は無く、ただ闇雲にラブコールを送ってるだけ。 
主題は前作「私を〜」と同じなのだが、♪ごめんネ・・・ジロー〜 のタイトルコールが何度と無く出てくるし、描写は至って歌謡曲調で、かなり泥臭い印象。 彼氏の名前がジローってのも、これまた垢抜けないし。
「ごめんネ・・・ジロー」というゴロは絶妙だけど。
しかし、過剰なタイトルコール&求愛の連呼という構成は、かなり覚えやすくてキャッチーなのも事実で、それが今回ヒットした要因だろう。
当時18才の奥村にとっては、いささか大人びた歌詞だが、「恋の奴隷」以降顕著になる、例の"お色気唱法"はまだ萌芽しておらず、可愛らしく清冽に歌い上げていて、そのギャップが一種の魅力になっていると思う。
歌唱力もあるし滑舌も明瞭なので、聴いていて陳腐な感じはしないし。
ただ♪ごめんネ〜 での鼻に掛かった発声テクは、既に相当色っぽくはある。

アレンジはドラム・ベース・チェンバロを主体に、スウィングするムーディーなテンポを緩やかに刻み、コレにサックス・ピアノ・アコーディオン等がソフトに絡む按配。
どことなく「私を〜」っぽい雰囲気もあって、曲以上にアレンジがフレンチっぽい印象で、当時の歌謡曲にしては、結構オシャレなサウンドだと思う。
しかも、所々リズムをブレイクさせたり、1番と2番で多少旋律を変えたりと、趣向も凝らしている。
ただ、イントロでのトランペットや、エンディングでの♪ジャン!(なんの楽器?)は、本編と無関係な楽器なので、ちょっと唐突な気がするけど。

この作品、サウンドや主題面で明かにバルタンを意識した向きがある一方、詩の描写やタイトル等では、相反して泥臭い雰囲気が漂う。
つまり、フレンチポップス的な洗練と、歌謡曲のダサさが絶妙にブレンドされた感じで、これこそ、奥村が標榜した"和製バルタン"の正解という気がする。
単に本家をカバーするよりは、こういう形のオリジナルで勝負するほうが、間違い無く高度なアプローチだと思うし。
考えてみたら、アイドルが(奥村も当時はアイドルでしょう)フレンチポップス風サウンドに挑んでヒットしたのは、おそらくコレが最初じゃないかなぁ。 カバー盤では色々あったけど、オリジナルでは、たぶん。
そういう意味では、"渋谷系"の始祖とも言えるのか? 作り手にはそんな意識なぞ無かっただろうが。
単なるトレンドの便乗だったハズだし(当時、フレンチはごく普通に日本でヒットしていたから)。 1965年作品。

(2000.8.7)

 

奥村チヨ / 北国の青い空

作詞:橋本淳 作曲:ベンチャーズ 編曲:川口真


 ベンチャーズらしからぬ"低エレキ度数"で曲の良さが表出

「ごめんネ・・・ジロー」でブレイクを果たした奥村チヨであるが、名は上げたもののヒット連発とはいかず、2年後に発売された「北国の青い空」で、ようやく再ヒットの陽の目を見た。
鳴りを潜めた流行歌手が再び前線に返り咲く場合、往々にして代表曲とは違ったイメージでカムバックすることが多いが、奥村もご多聞に洩れず、この「北国の〜」は「ごめんネ〜」とは全く異なる作風である。
まぁカムバックと銘打つほど、低迷してたわけでもないんだろうけど。

作曲はなんとベンチャーズで、原題が「Hokkaido Skies」(!)という、要するにカバー盤である(ですよね?書き下ろしじゃないと思う)。
構成は「A→A'→B→A」のマイナー調で、「雨の御堂筋」「京都の恋」「二人の銀座」等、いわゆる"ベンチャーズ歌謡"の典型パターン。
曲調もベンチャーズ歌謡の例に違わず、ドメスティックな歌謡曲調で、カバー盤であるにもかかわらず、オリジナルだった「ごめんネ〜」以上に歌謡曲っぽい旋律。
ただし、テンポは先述の諸作品とは異なり、ビートニックでは無くスローバラードである。
ベンチャーズ歌謡でバラードとは珍しいが、旋律自体は音域が広いうえに、音程のアップダウンが激しく、Bメロでのいきなりハイキーで盛り上げるくだり等、「やはりギタリストが作ったメロディだな」という雰囲気は漂う。
譜割りが大きく、どちらかと言えばギター演奏向けで、あまりヴォーカル向けの曲ではないと思うが、それにしてもイイ曲である。
ベンチャーズ歌謡は名曲揃いだが、いずれもビートに頼った曲作りをしている中、コレはビートに頼らずともメロディ自体が素晴らしく、白眉の出来だと思う。
覚え易くてキャッチーだし、日本人好みの哀愁も漂わせて、文句の付けようが無い。
「二人の銀座」に続き、ベンチャーズ歌謡のヒットとしては2作目であるが、「二人〜」以上に、歌謡曲というものを咀嚼している印象。 それにしても、一体コレのどこが北海道なんだろう?
大らかな譜割が北海道の雄大さとシンクロしなくも無いけど・・・
60年代の北海道って、こんなに物悲しいイメージだったのかなぁ? 他にも「霧の摩周湖」とかあったし。
別にベンチャーズも北海道をイメージして曲作ったわけじゃないだろうし(おそらく日本自体をイメージ)、どうせタイトル後付けだろうから(たぶん)、日本国内ならどこでも良かったんだろうけど。

歌詞は「空」「湖」「野バラ」をモチーフにして、一人の女が北国を舞台に悲恋に浸る様子を描いている。
原題の北海道(の自然)と、物悲しい曲調を上手く折衷したような感じだが、内容はテキトー。
深い意味は無いけど、曲が短くストーリー展開もしづらいだろうから、まぁこんなモンだろう。
主題は純愛悲恋なのに、奥村の歌唱は主題とは逆座標に官能的なのが見所。
♪かぁぜぇんにぃぃんまっかぁれったぁぁ(風に巻かれた)〜 あんなったんのぉぉかぁみぃにぃぃ(あなたの髪に)〜 と、必要以上に"泣き節"が炸裂していて、歌い出しからアクセル全開。
主題からすれば、普通に歌ったほうが理に適ってるハズなのに、何故にこんな調子で最後まで押し通すのかが不思議である。
で、色々考えてみたのだが、これは官能の表現ではなく、エレキギターの"泣き"をヴォーカルで表現してるのではなかろうか。
というのも、先述のように、この曲はヴォーカルよりもギター演奏向けの楽曲なので、ただ普通に歌うだけでは作品として物足りないだろう。 それゆえに、ギターの代用としての"泣き節"ヴォーカルではなかろうか?
そう解釈すれば、この矛盾にも納得が行くのだが。
大人への脱皮という目的だったら、楽曲そのものをアダルティにすればいいわけだし。

事実、アレンジも、この独特な歌唱を邪魔しないよう配慮されている。
イントロこそスリリングでインパクト大だが、ベンチャーズ歌謡とはいえ、エレキギターは前奏・間奏でソロがある程度で、あとはほとんどフィーチャーされてないし、ストリングス・キーボード類、リズムセクション等、いずれも必要最低限で、特に趣向は凝らしていない。
変わった点と言えば、♪ヒュゥゥ〜ンという、ホラー調の不気味なオカズが随所に流れる程度で、あくまでも奥村の歌唱を引き立て役に徹したアレンジなのだ。
♪恋よ〜 恋よ〜 では、ヴォーカルを二重構成に仕立てて、しっかり歌声を"聴かせる"細工もされてるし。
でも、サスガ引き立てられるだけあって、奥村の歌唱は見事である。
音域が広くアップダウンも激しい曲なのに、音程は崩れないし、これほど奔放に泣きを多用しながら、滑舌は明瞭で声量も豊かなのだから。

エレキ歌謡の名作として名高い「北国の〜」であるが、サウンド面でのエレキ度数は低く、ベンチャーズ名義がなければ、エレキ歌謡として成立すらしないだろう。 ベンチャーズブランドに目くらましされてしまうが、魅力の本質は優れたメロディラインと、独特の歌唱である。
まぁこの歌唱にしたって、所詮はメロディを生かすべく計算された演出だろうし、やはり曲の良さがダントツ!
奥村もこの独特な歌唱の成功により、後の「恋の奴隷」等、お色気路線の布石となったのは確実だろうし、ベンチャーズにとっても、この成功により、ヒットメーカーとしてのステイタスが確立されたわけで、この「北国の〜」は両者にとって転機となった重要作と言える。 1967年作品。

(2000.8.8)

 

奥村チヨ / 恋の奴隷

作詞:なかにし礼 作曲:鈴木邦彦 編曲:川口真


 洗練されたサウンドと、屈折した官能の見事な融合

「北国の青い空」で久々にヒットを放った奥村チヨであるが、コレ以降、「涙いろの恋」(オリコン21位/11.3万枚)の小ヒットはあったものの、チャート上では再び低迷。
当時の歌謡曲歌手の慣例からすれば、一旦大ヒットを放てば、しばらくは余勢でヒットが続くものなのに、奥村の場合は例外的で、ホントにその後が鳴かず飛ばずだった。
で、「北国の〜」から2年経って、三たび飛ばした大ヒットがこの「恋の奴隷」(オリコン2位/52万枚)であるが、以降は順当にヒット連発して、ようやくトップ歌手の仲間入りを果たした。
これまではヒット曲の出来の良さや歌唱力に頼りすぎて、キャラクターが固められなかった嫌いがあったが(と思う。リアルタイムで"チヨ体験"していないので、断言し難いが)、「恋の〜」により、ようやく奥村の個性が全面開花したということであろう。
その個性を一言で表現すれば「コケティッシュ爆弾」((C)みうらじゅん)であるが、やはり、カラーTV全盛を向かえた当時、歌手と言えどもプロモーション戦略はイメージ重視で、ピンでキャラが立たなければ今後の展開はままならなかったのでは? 弘田三枝子にしたって、それ故にビジュアルを"改造"したんだろうし。
実際、後の楽曲は「恋の〜」と同様の路線で当たりをとってるわけだし。
そんな奥村にとっては新たな鉱脈となった「恋の奴隷」であるが、確かに強烈な個性を有する楽曲に仕上がった。

大雑把な曲構成は「A→B→C」で、全編マイナー調。
おそらく詩先で制作されたと思うが、言葉の嵌めこみが上手くて非常にノリ易い。
旋律自体も覚えやすくてキャッチーだし、「北国の〜」と比べれば明らかに歌唱向けの曲である。
これまでに無く"売れセン"な歌謡曲調メロディで、どちらかと言えば洋楽志向だった従来路線をかなぐり捨てて、真っ向から勝負に挑んだ感がある。 でも、ドメスティックではあるが、さほど下品な感じはしない。
アレンジは、ジャジーな楽器編成で独特のシンコペーションを刻み、これにサックス・ストリングス・ピアノ等が適宜被さる按配。
主旋律と同じメロを奏でる間奏部分や、適当に終わらせた風情のエンディング等は垢抜けない気もするが、全体としてはクール・ジャズ風のサウンドで、ドメスティックな曲とは対照的に、非常に都会的で洗練された印象。

サウンドだけでも相当ハイレベルであるが、最も優れているのは歌詞だろう。
主題は「隷属してまで彼氏に愛されたい」と願う女心。

♪あなたの膝に絡みつく 子犬のように〜 ♪だからいつもそばに置いてね 邪魔しないから 悪い時はどうぞぶってね〜  ♪右と言われりゃ右向いて とても幸せ〜
♪あなただけに言われたいの 可愛いやつと 好きなように私を変えて〜

NHKでは放送禁止の憂き目に遭ったという、当時としてはインモラルなエグい内容ながらも、どこか文学的香気が漂い、凄く深みのある歌詞だと思う
 判りやすい言葉で屈折した心理を余すところ無く表現しているうえに、歌詞がメロディにキッチリ嵌まっているのだから文句無しだ。 それにしても、「夜と朝のあいだに」等、なかにし礼の"犬観"は独特。
なかにしにとって、犬は隷属のシンボルなのか? その辺の"犬観"を考えると、より一層エグ味が増す気がする。 

この作品、キャッチーな曲・洗練されたアレンジ・画期的な主題と、全ての面で水準の高い、高品質な作品である。 それらに加えて、奥村が主題の屈折した官能を、歌唱で上手く表現してると思う。
「北国の〜」同様、普通には歌っていないものの、「北国の〜」ではビブラート多用しまくりの"泣き節"唱法だったのに対し、こちらは小唄調。
しかし、よく聴くと、要所要所で鼻にかけたり、吐息交じりで粘着質だったり、Bメロではカンツォーネ風に高らかに歌い上げたりと、いろんなテクニックを駆使しているのが判る。
奥村と言えば、「30年前と寸分違わぬスリーサイズ」とか、先述の「コケティッシュ爆弾」といった、フェロモン要素ばかりが話題になるが、実は相当に歌唱力・表現力に長けた人だと思う。 同時期に活躍した、弘田三枝子・由紀さおり等と、充分に張り合えるレベルなのでは?
要するに、実力者として語られる事があまり無いわけであるが、それだけ「恋の〜」で確立されたキャラが強烈だったという事だろう。
でも、そのおかげで、奥村も大人の歌手として脱皮できたし(ですよね?)、約20年の時を経てカルトな再評価までされたのだから、やはりフェロモン路線は正解であった。 「くやしいけれど幸せよ」レベルまでフェロモン歌唱が過剰になると、聴いててちょっと笑えるけど。 やりすぎ。

(2000.8.12)

 

荒木由美子 / 渚でクロス

詞:阿木耀子 作曲:宇崎竜堂 編曲:馬飼野康ニ


 百恵のボツ作品? だとしたら、これは有効な廃物利用

今回ご紹介したいのは、第1回「ホリプロ・タレント・スカウトキャラバン」準優勝者である、荒木由美子。
ただ、個人的にはTVドラマ『燃えろアタック』の印象ばかりが強くて、歌手活動はあまり記憶に無く、このデビュー曲「渚でクロス」しか覚えていない。
他にも『燃えろ〜』の劇中挿入歌だったモノ(タイトル失念)とか、怪作として評判の「ミステリアス・チャイルド」など、色々歌っていた事は覚えているのだが、それらがどんな楽曲だったか、イマイチ思い出せない。
決して歌手としてのTV露出が少なかったわけでも無いんだが。
でも、私の場合、彼女に限らず、そういうスタンスで記憶されてる70年代アイドルって、結構多いのだ。
相本久美子・木之内みどり・岡田奈々・高見知佳・香坂みゆき等、いずれも荒木と同様、ドラマ・バラエティ・CM等で、タレントとしての仕事は鮮明に記憶しているものの、歌手業に関しては、せいぜい2〜3曲程度しか(それも曖昧にしか)記憶に無いパターン。
かような彼女達への歌手業に対する印象薄は、当時私が幼稚園〜小学校低学年と、単純に幼かった事にも起因するのだが、実際にオリコンのデータを見ても、彼女等は大したヒット曲が無いわけで、こうした印象は案外、世間一般の総意ではなかろうか? なんか自分の不勉強ぶりを正当化しているみたいだけど、たぶん。
また、阿久悠も『スター誕生』出身者である片平なぎさについて、「彼女は歌手業の実績がイマイチだったせいで、『スタ誕』的には失敗という見方をされているが、女優としては成功しているのだから、『スタ誕』出身者の中では明らかに成功者なのだ」みたいな事を述べていたのだが、要するに片平も含めて、先述のアイドル達は皆、「歌手としてはB級でも、タレントとしてはA級」という、中途半端なポジションなのだ。
「A級アイドルとB級アイドルの区別は?」といった論議が取り沙汰されると、必ずそのボーダーラインで意見が割れるが、それは彼女達のような"A級且つB級"的な複合ポジションの中途半端なアイドルが大勢居るせいだと思う。 80年代になると、この手のタイプはもっと増えるし、そりゃボーダー決めるのは難しいだろう。

そんなA級だかB級だかハッキリしない荒木であるが、この作品はスタッフを見ても判るように、先輩の山口百恵を意識した楽曲で、少なくとも作品の出来に関してはA級レベルに仕上がった。
まずは曲だが、宇崎竜堂の手によるマイナーロックで、構成は「A→A’→B→A''」といった按配。
マイナーロック調というのは、宇崎の百恵提供作品と合致する作風であるが、百恵作品がメロディ主体で制作されているのに対し、こちらはリズム主体(というか、フィーリング主体)の感が強い。
特にAメロ系はその傾向がハッキリ出ていて、百恵というよりは、それこそ宇崎の母体である、ダウンタウン・ブギウギ・バンドが演っても違和感無いかもしれない。
要するに、アイドル向けとしては"歌謡曲度数"が低くて"ロック度数"が高いんであるが、Bメロでは高音で"聴かせる"作りをしてるし、Aメロ系でも要所要所でリズムをブレイクさせて、ノリ易くしているのだから、まぁ悪くないだろう。

アレンジは馬飼野康ニで、宇崎同様、百恵作品を数多く手掛けているが、シングル曲で宇崎と組んだ事は無い。
というのも、馬飼野は百恵の初期作品のスタッフで、宇崎とは時期がズレてるからだが、要するに今回の狙いとしては、「百恵の初期スタッフと後期スタッフを組ませたら、どんなプロダクトになるか?」って事だろう、きっと。
実際、完成品は、宇崎の百恵作品とは異なるアレンジである。
マイナーロックの雰囲気を生かすべく、エレキギターの旋律と、ベース・ドラムスで構成するメリハリあるリズム隊をフィーチャーする趣向は共通するものの、オカズとしてストリングス&ブラスを被せる点が異なる。
明らかに初期百恵チックなサウンド作りだ。
でも、こうした初期と後期の融合(?)は、不協和音を奏でる事無く、すんなり溶け込んでる上に新鮮味もあって、狙いは成功したと云えるだろう。
フェイドイン気味にエレキが導入される、イントロ部分も格好イイし、歌直前のベースソロもイカしてるし。

作詞は阿木耀子で、テーマは「斜に構えたオンナの、粋がった恋愛模様」(?)とでも云うべき内容で、阿木得意の世界だし、百恵作品とも共通している。
また、Aメロではタイトルの"クロス"を、Bメロでは"遠く"を縛りとしながら、1番〜3番にかけて流麗にストーリー展開していく構成も阿木っぽい。
更には、彼氏の事を"あの子""坊や"呼ばわりする姉御ぶりだが、コレも百恵の「ロックンロール・ウィドウ」なんかと似通った設定で、詳しい事情は知らないが、コレは百恵に提供してボツった作品なのか?
そう考えれば、作詞・作曲・アレンジと、何から何まで百恵色の強い人選・作風にも納得が行くのだが。
たとえ荒木がグランプリでは無いにせよ、普通、ここまでモロ二番煎じな楽曲を、わざわざ大手プロダクションが所属の新人デビュー曲にあてがったりしないだろうし。
そうだとしたら、気になるのは「なんでボツったのか?」という事であるが、考えられるのは、ロック色の強いメロディや、初期っぽいアレンジ以上に、この歌詞のせいだと思われる。 
作品世界・構成・設定と、歌詞こそあらゆる面で"百恵的"なわけだが、唯一異なるのは、主人公が"蓮っ葉"である点だと思う。
たとえ姉御という設定で共通してても、百恵作品で見られる"仇っぽさ""色っぽさ"といった、大人のオンナ要素が低いのだ。 だって渚で小石を投げ飛ばしたりするし、しかも♪親父はいない遠く遠く〜 だし。
"親父"って・・・百恵作品には無い語彙だろう、これって。
主人公のキャラ設定がやや幼かった故に、百恵のイメージとはミスマッチで、結果ボツったんだろう。
本当にボツ作品なのかどうか不明だが。

でも、その分、百恵よりもやや若い、荒木にはフィットする歌詞ではある。
百恵同様のアルトな声質は、マイナーロックにも程好くマッチするし、大人びた風貌も、斜に構えた作品世界とは肌が合うし。 というか、キャラの合致以上に、荒木が上手く歌ってると思う。
高音域のBメロではやや苦しげで、音程もズレるが(こういう歌唱指導か?)、低音域のAメロ系では音もそんなにズレないし。
微妙なコブシを利かせたりしていて、全体的に堅めではあるが、新人のデビュー曲でここまで上手く歌えれば充分だろう。
この作品、歌詞・曲・アレンジ・歌唱、全ての面で水準を超えていて、たとえ百恵でボツったとしても、決して安っぽい作品では無い。 有効な廃物利用と云えよう。

冒頭で述べた通り、私はコレ以外、彼女のシングルは覚えていないのだが、以降もこの手の百恵路線で攻めて行ったんだろうか? 湯原昌幸との結婚後は、百恵とは対照的に、夫婦揃ってTVに出て円満ぶりをアピールしていたけど。
そういえば代表作『燃えろアタック』にしても、テーマはバレーボールのスポ根なのに("ヒグマ落とし"だの定番の必殺技もあった)、一方では出生の秘密だの『赤いシリーズ』的なドロドロしたテーマも並行してたしなぁ。
そう考えると、荒木は"ポスト百恵"の本命だったのか? それとも単にホリプロはこういうのが好きなのか?

結局、私は荒木由美子に対して、歌手業のみならず、タレントとしてもさほど印象に無いわけだが、それでも今回彼女を取り上げたのには理由があって、それは「何故『スカウトキャラバン』で荒木が準優勝で、榊原郁恵が優勝したのか」、その裏事情をココでお伝えしたかったからである。
というのも、ホリプロ関係者の間では、てっきりルックスの良い荒木が優勝するもんだと思ってたらしいが、結果は郁恵が優勝してしまい、それ故に、その判定に関しては諸説紛々、未だに情報が錯綜しているんである(そんなに大袈裟でもないか)。
しかし、映画監督の西河克己が、自著『西河克己映画修行』の中で、「榊原郁恵には困った」というタイトルのコラムを寄せていて、ココで裏事情は明らかにされており、まぁ芸能史に残る裏事情だと思うので、下記に全文掲載して紹介します。

昭和51年頃、ホリプロの「スカウト・キャラバン」という行事が始められた。
全国各地で素人のオーデションを行い、その代表を東京に集めて決戦大会をテレビで中継するという企画が芸能界の話題を呼んだ。
もちろん、優勝者はホリプロの新人タレントとして売り出すわけだが、別に副賞として、百万円の現金とヨーロッパ旅行、さらに正月の山口百恵主演映画に出演させるという条件がついていた。
当時、ぼくは百恵映画の座付作家の立場にあったから、審査員として出席した。
会場は中野の「サン・プラザ」であった。 審査の結果、二人の少女が残った。 榊原郁恵と荒木由美子であった。
審査員の一人、平尾昌章委員は歌の上手い荒木を推薦したが、ぼくは動きの良い榊原を推した。
平尾委員はレッスンを引き受けてもよいと、荒木に太鼓判を押したが、彼女は九州の出身で強い関西なまりがあったので、すぐには映画には出せないとぼくは反対した。
それに引きかえ、榊原は生き生きとした動きが現代的ですぐにも映画に出せると主張した。
ついに社長裁定ということになり、堀社長は「必ず映画に出すという公約があるので、榊原郁恵にきめよう」と決断した。
そして荒木は審査員賞のかたちで準優勝ということになった。
ところが、肝心の正月映画の企画は二転三転して、『春琴抄』に決まった。 これは関西が舞台の物語である。
ちょうど、手頃な少女の役があったのだが、郁恵をそれにあてるわけにはいかなかった。
当時の郁恵は丸々と太っていて、和服も髷もまるで似合わないのであった。
扮装をしただけでスタッフが笑い出してしまう始末で、困ったすえ、ぼくは彼女を春琴の生徒で、友達と一緒にただコロコロ笑いころげるだけの役にした。
一方の貧しい少女の役は、児童劇団から関西弁の喋れる少女を探さなければならなかった。
荒木由美子にしておけばぴったりだったのになぁ、とつくづく後悔した。
その後の榊原郁恵の大活躍を見るにつけ、ぼくは複雑な心境であった。

ちなみに、この『西河克己映画修行』であるが、氏は百恵以外にも、浅丘ルリ子・吉永小百合・舟木一夫・小泉今日子など、あらゆる役者・アイドルと仕事をしており、こうした彼らの裏話やエピソードが満載で、非常に面白いです。
ただ、93年発売なので、もう一般書店には置いてないだろうけど、古本屋ではたまに見かけますので、一読の価値アリです。 ワイズ出版から発行。

(2000.10.21)

 

ビッグ・マンモス / 星物語

作詞:橋本淳 作曲・編曲:すぎやまこういち


 おニャン子クラブの先駆者、ビッグ・マンモスの代表曲

今回ご紹介する"ビッグマンモス"であるが、名前だけ聞いてもピンと来ない方が多いと思うので、このグループについて説明します。
彼らはフジテレビ系子供番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』に出演していた、番組専属の少年コーラスグループで、1975年の発足以来、番組が終了する1982年まで活動を続けた。
小中学生を対象に、オーディション選抜でメンバーは構成され、適宜構成員は入れ替わったものの、常時15〜20人程度の規模で推移。
番組ではオリジナル・カバー問わず、多彩な楽曲を歌っていたが、メンバー各人がTV向きなタレント性を有しており、単なる児童合唱団の枠を超えて、アイドル的人気も博した。
レコードが多数発売されたのはもちろん、番組以外でもイベント等の営業をこなし、ファンクラブまでもが結成された。 以上、ざっと概略を説明してみたが、言われてみて想い出す方も多いと思う。
酒井ゆきえお姉さん以降の『ピンポンパン』を観ていた世代なら。
で、彼らのオリジナル作品には「いなずまロック」「火の玉ロック」「君にタッチダウン」等多数あるが、いずれも子供向けながら、すぎやまこういち・服部克久・橋本淳・大野雄二・荒井由実(!)等、一流の職業作家・アーティストが手掛けており、その完成度は充分大人の鑑賞に堪えうるレベルなのだ。
作風としては少年らしく、快活なロック調のものが多く、唱歌・アニメソングというよりも、歌謡曲に近いかもしれない。 今回はその中でも、ファンの間で一番人気(らしい)の「星物語」を取り上げてみたい。

まず曲は「A→B→C→D」という構成で、メジャー調を軸としながらも、ややマイナー調が加味。
一応Cメロがサビだが、ココが主音で締まるので、一旦曲が完結し、再びDメロで違う曲が始まるかのような構成。
しかも、このDメロが主音では締まらないという、作りとしてはちょっと独特なのだが、Dメロが突飛な調性では無いので、聴いていて違和感は無い。
作曲は60年代にタイガース等を手掛けた、すぎやまこういちだが、この楽曲も曲調といい構成といい、タイガース「銀河のロマンス」に近い雰囲気。
アレをメジャー主体に再構築して、テンポを速めたような感じと言えば、未聴の方にもイメージは伝わろうか?
要するにロマン溢れるメルヘンチックな旋律で、キャッチーな親しみ易さも備えているのだが、と言うことは、節度(というか品位)があって覚えやすく、児童向けとしても合格ラインだし、「星物語」というタイトルともフィットしていて、曲作りに関しては文句無しだろう。

アレンジもすぎやまが担当しており、「銀河〜」と同様、ストリングスのイントロで幕を開ける。
以降、ドラムス・ベースのリズム隊でミディアムテンポを刻み、ハープ・フルート・鉄琴系の上品なオカズを適宜絡ませながら進行して行き、更にはソフトな女性コーラスまで被さり、曲に倣って洗練されたアレンジを聴かせてくれるが、あくまでも主役はビッグ・マンモスの歌唱である。
先に彼らを「アイドル要素が強いグループ」と評したが、さすがにメンバーはオーディションを通過しただけの事はあって、皆水準の歌唱力は有しており、その能力を生かすべく、合唱あり・斉唱あり・独唱ありと、王道的なコーラスワークを披露している。
ただ独唱部分は、聴かせ処なだけにキーが高く、おかげでソリストが幾分苦しげで音程もやや乱れるのが、ちょっと残念(そうした作りも歌謡曲的)。
でもまぁ、目くじら立てる程でも無いし、アレンジが歌唱を邪魔していないのは正解。
しかし、今回のアレンジで最も耳を引くのは、導入部での男声ナレーションである。
「ごらん、神秘に満ちた銀河の星を」「あの星は宇宙の旅人なんだ」という独白であるが、コレを声優の富山敬(『タイムボカン』のナレーター、『ちびまる子ちゃん』のお爺さん役で人気だったが、惜しくも先年物故)が担当しているのだ。
冒頭で作品世界に引き込む効果は大だけど、いささか唐突な感じも・・・でも、まぁユニークなアイデアではあるか。
話は戻り、歌唱であるが、彼らの作品はたとえサウンドがロック調であろうとも、コーラスワークは合唱団的な正統派なんであるが、これはフランチャイズ番組『ピンポンパン』の"児童向け"という命題に即した、スタッフのモラル・見識の了見である。
サウンドでは冒険しても、歌唱では最低限の良識を保ち、あくまでも"子供向け"の一線は超えないという、その判断は正しい。

こうした了見は歌詞の面でも大いに反映されている。
今回は「友達と一緒の宇宙旅行を夢見る、少年のロマン」みたいなものを延々と綴るが、特にコレと言った主題は無い。
まぁこの手の「イメージ主体で実体無し」な歌詞がビッグ・マンモスには多いんであるが、それでも内容としては決してラブソングに仕立てないのが特徴。
今作にしても、♪君を連れて旅に出たい 二人だけのスペースカプセルで〜 と始まり、♪そうさ僕ら二人の夢の世界さ〜 と締めていて、どう考えても作りとしてはラブソングなのだが、この"君"というのが♪君は心の友達〜 だし、しかも♪僕らは空のフレンド星雲〜 と、あくまでも"友達関係"なのだ。 まぁ"フレンド星雲"って造語は変だが。
こうした傾向は今作に限らず、彼らの作品全般に共通する特性であり、要するに、ビッグ・マンモスの歌詞は、色恋を題材にする"アイドル歌謡"と、逆に色恋には手を染めない"唱歌"との中間に位置するんであるが、かようなスタンスも、『ピンポンパン』が児童向けであるという、絶対的な縛り故に他ならない。
ただ、そこはアイドル的存在のビッグ・マンモス。 
アイドル的色気を醸し出す配慮も欠かさず、今作を含む諸作品の歌詞には、「勇気」「希望」「信じる」といった"正義フレーズ"を散りばめる事で、彼らのアイドル性(王子様性か)をソツ無く演出しているのが心憎い。 まぁどっちつかずで中途半端とも言えるが。
ちなみに今回の作詞は橋本淳だが、作詞といい作・編曲といい、作家陣はそれこそ「銀河のロマンス」と全く同じ。
そういえば、ビッグ・マンモスは「シーサイド・バウンド」もカバーしてたし、何なんだろ?
単にスタッフがタイガースファンなのか?
蛇足だが、「シーサイド〜」のカバーでも、「恋の女神」→「僕の女神」、「恋のリズム」→「夏のリズム」とそれぞれ改変し、色恋を徹底排除してたっけ。

今作は珍しくロマンティックな作風で、"元気路線(?)"の多いビッグ・マンモスにとっては異色に属するが、その分、美しいハーモニーが堪能出来るし、旋律自体も甘美という、文句無しの音作りである。
歌詞も適度な節度を保っていながら、アイドル性もアピール出来てるし、しかもロマンにも満ちており、コレも満点の出来栄え。 故に未だ多くの支持を得ているのだろうし、公平に見て名作だと思う。
こうした優等生ぶりとアイドル性の絶妙なブレンドこそ、ビッグ・マンモスの魅力の本質かもしれない。
「アイドルほどスレて無いけど、普通の子よりは可愛い・格好良い」という微妙なサジ加減で、視聴者は彼らに親近感・シンパシーを覚えたんだろう。
先述の通り、これ以外にも彼らには名曲が多いのだが、いずれもCD復刻はなされていない。
『みんなのうた』『ひらけ!ポンキッキ』と違って、『ピンポンパン』は番組自体がとうに終了していて、悪条件なのは判るが、それでもどうにか復刻してもらいたい。
教育偏重の『みんなのうた』、企画・アイデア主導の『ポンキッキ』と比べて、ビッグ・マンモスは捻りが少なく、オーソドックスな作品が多いので、万人受けしやすいだろうし。

ここで楽曲とは別に、私が重要視している点があって、それはビッグ・マンモスの後世に与えた影響である。
これは主として演出・管理面なのだが、まず表層的には"ジャニーズJr."で、ビッグ・マンモスの「小中学生男子が大勢で歌い踊る」(踊ってもいた)という絵面は、後にジャニーズも参考にしたのではなかろうか。
あと全員揃いの衣装とか(それもチープそうな)。
もっとも、ジャニーズ事務所は歴史が古く、私も事情には疎いので、どちらが先にかような演出の雛型を開発したのか、その判断が曖昧ではあるが、それでも現在のJr.を観ていると、少なくとも「大所帯をTVナイズで効率良くさばく」という点では、多少ヒントを得たように思うのだが。
ビッグ・マンモスを知る者なら、誰しも現在のJr.を観ていて同様の感想を抱くかも。 とにかく彷彿とさせるものはある。
しかし、もっとコアな形で如実にビッグ・マンモス精神(?)を受け継いでるのが、あの"おニャン子クラブ"だと思うのだ。
まず演出面であるが、持ち歌に独唱パートを設けて、数名のソリストを擁立する編成なんて全く同じだし、しかも作品毎にソリストを変える趣向も共通している。
それから管理面でも、ビッグ・マンモスがメンバー各人に背番号を配したのに対して、おニャン子は会員番号だし、更にはオーディションによる採用方式(ビッグ・マンモスはTV非公開だが)や、適宜メンバーの卒業式を催して、グループの新陳代謝を図るなど、そのまんまと云える。
おニャン子クラブの発足、その直接的動機は"オールナイターズ"(フランチャイズ『オールナイト・フジ』)の成功だろうが、具体的な演出法・管理法をビッグ・マンモスに倣ったのは確実。
『ピンポンパン』と『夕焼けニャンニャン』でスタッフが何人ダブってるのかは知らないが、どちらもテレビ局はCXだし、意識したのは間違い無さそう。
そういう意味でも、ビッグ・マンモスは重要なグループだろうし、となると一層CD化は必要性を増すなぁ。
是非、復刻をお願いします。 1978年作品。

(2000.11.3)

 

田中美佐子 / スペインへ行きたい

作詞:阿久悠 作曲:奥慶一 編曲:萩田光雄


 百恵フォロワーというよりも、明菜路線を先取り(?)

昨年、Pヴァイン・レコードから『お・し・え・て・アイドル』というコンピレーションCDが発売された。
これは80年代のB級アイドルを中心に、陽の目を見ずに埋もれて行った楽曲を復刻する主旨のシリーズ物で、各レコード会社の音源毎に編集された計8枚がリリースされて、いずれも好評を博し、今回網羅できなかった音源は"リクエスト・ボックス"の形でまとめて追給する事も内定している模様。
そんな『お・し・え・て〜』であるが、確かに貴重な音源の多い魅力的なラインナップで、僕も全てでは無いが(1枚2,800円と少々高額なので)数枚を購入した。
その収録曲目の中で、個人的に最も印象に残ったのが、この「スペインへ行きたい」である。
田中美佐子の歌手業といえば、数年前に浅野ゆう子と組んだ"jelly beans"なるユニットが有名だが、それ以前にソロで「スペイン〜」をリリースしていた事は知識として見知っており、今回初めて聴いたのだが、思いがけない出来の良さに一聴して気に入ってしまった。

作詞は女性アイドルにも多数楽曲提供している阿久悠。
氏に"少女趣味"が身に付いちゃいないせいか、僕はこのジャンルでの仕事をあまり評価していないが(ピンク・レディーは除く)、その代り、大人世界の描写で抜群の冴えを見せるのは周知の事実で、「爛れた愛を絶ち切るために、スペインへ旅することを夢見るオンナ」という今回の主題も、無難に表現出来ていると思う。

 ♪死んだ蝶を見つめながら さめた愛をピンでとめて 心を翔ばしている〜
 ♪こんな暗い愛にひかれながら生きていたら いつかきっと笑い顔も見せなくなる時が来る〜
 ♪肌を寄せた時は 愛を信じ涙流し 朝になればつらく思う 孤独が理由ならいや〜

少々エグいながらも卓越した描写で、さすがの安定ぶりである。
描写のエグ味では、なかにし礼と共通する阿久であるが、当然作風の肌合いはそれぞれに異なり、その一番の違いは"湿度"だと思う。 なかにしが"湿"なら阿久は"乾"かな、と。 大雑把に云えば。
で、今作は屈折しながらもどこかドライな描写で、その点非常に阿久っぽいと云える。
かように大人びた、しかも陰鬱な作品世界であるが、1983年当時の美佐子嬢のイメージって、大体こんな感じではあった。
と云う事は、作家と歌い手の個性が合致していて高水準な出来なのだが、それにしても実際に旅立つ事無く、自分がスペインに居る事を夢想して ♪そんな姿思えば もう愛さないもう抱かれない 私の心あなたを離れ〜 ってのは変だが。
「おいおい、エラい簡単やないけ!」「だったら悩むなよ」ってな底浅いナルシスであるが、女優的な艶っぽさは出てるので不問にしておく。

作曲の奥慶一は、後に高橋真梨子「桃色吐息」(編曲)・岩崎宏美「決心」(作曲)など手掛けており、エキゾティックなサウンドには定評のある作家で、今回は一応スペインをテーマに据えているのだから、フィットした人選である。
曲構成は「A→B→A→B'→C→D」の全編マイナー調で、高音域から低音域へと階段状にスライドしたり、リズムが変化したりと、要所要所で仕掛けがあって、そこはかとなく異国ムードの漂うメロディに仕上げている。
Dメロで大らかに謳い上げる展開もラテンっぽいが、本業女優の田中に合わせて、さほど音域に広がりを与えず唄い易くしている。 全体がムラ無くキャッチーだし、音域も歌い手に即していて、曲作りも文句無しだ。
これに対して、萩田のアレンジはごくシンプル。
タンバリン以外にラテンパーカッションは取り入れず、リズムも8ビートが基調で、スパニッシュ風味は希薄。
強いて云えば、ストリングスの調べが多少それっぽいかなぁ、という程度。
ただイントロの旋律は結構印象的で、間奏・エンディングでも、この旋律を必要最低限に使い回しており、個性に欠けるが、その分手堅い作りをしている。
まぁ実際に主人公がスペインに旅立つわけでも無いので、曲が少々エキゾティックであれば、アレンジはこんなモンでOKとも云えるし、せっかくの優れたメロディを邪魔しないのも正解か。

この作品、異国情緒漂うサウンドに大人びた主題という、「美・サイレント」「謝肉祭」辺りの山口百恵を意識したであろう事は誰の目にも明白。
しかし、主題・サウンド、いずれも田中のキャラ(当時の)にはマッチしてるし、作家の個性も発揮されていて、パクリっぽくはあるが、傑作と呼んで差し支えないと思う。
ただ、アレンジに百恵作品ほどのエキゾティシズムは無く、歌詞にも百恵ばりの"凄み"よりは"気だるさ"が漂い、トータルの作風は、むしろ中森明菜に近い雰囲気。
実際、楽曲的にも「北ウィング」と「ジプシー・クィーン」を足して割ったような按配だが、それ以上に田中の歌唱が明菜チックだと思う。
アルトな声質・低音での囁き唱法・張りのある高音(田中はやや力不足だが)など、明菜のそれと感じがよく似ているのだ。 しかし、田中の歌唱はごく素直で、トーンもキーも、喋りと全く同じの地声なのだが。
となると、「意識したのは百恵じゃなくて、地声の近い明菜では?」って事だが、この作品がリリースされた1983年、既に明菜はデビューしていたものの、「北ウィング」で"脱・アイドル"を図る前なんである。
歌唱はともかく、この時点で作風がダブる事は無いわけで、両者が似ているのは全くの偶然なのだが、結果として"明菜スター路線"を先駆けているのは興味深い。 後に明菜が「スペイン〜」を意識したとは思えないけど。
でも、明菜がこれをカバーしたら面白いだろう。

ところで、田中といえば当代随一の人気女優で(まだ一応)、今や大御所とも呼べるベテランであるが、「スペイン〜」発売時は御年24才の新進女優であった。
そんな田中も、80年代末期の"トレンディドラマブーム"で波に乗り、一躍脚光を浴びて現在に至るのだが、当時の僕は、そんな彼女のブレイクを不思議な想いで傍観していた。
というのも、それまでの田中はたまにドラマの脇役で見掛ける程度で、大した人気が無かったのはもちろん、先述の通り、当時のイメージといえば、今のサバサバした姐御然たる雰囲気とは異なり、それこそ「スペイン〜」の鬱屈した世界観が良く似合う、地味で暗い感じの女優だったのだから。
当時から美人で演技力もあったが、人気者になり得る要素は低く、「次代を担う期待のホープ」と称されながらも、『ダイヤモンドは傷つかない』『丑三つの村』等、いつまで経っても映画枠でしか活躍出来なさそうなマイナー感が彼女にはあった。
自分の中では、白都真理・中村久美らと同類項として捉えていたが(今ならさしずめ鈴木砂羽あたり?)、『男女7人夏物語』の大ヒット以降、トレンディドラマの流行で、30才前後(当時)女優のニーズが急速に高まり、浅野温子・浅野ゆう子・賀来千賀子・かとうかずこ・斉藤慶子・桜田淳子など、これまでパッとしなかった女優たちにもスポットが当たり、田中もそんな一派に上手く潜り込めた。
「なぜ地味な田中がそこに?」という疑念は拭えなかったが、公平に見てスタイルの良さはかなりのものだし、身長の高さも時代に合ってか、絵面的にはすんなりトレンディドラマに馴染んでいたのが意外であった。
こうして連ドラに進出する一方、当時田中は浅井企画に所属したせいか、並行してバラエティにも意欲を見せており、『欽きらリン5:30』では萩本欽一・CHA-CHAと、『クイズ早くいってよ!』では関根勤とそれぞれ共演していたが、女優としてマイナスになる事も無く、逆に気さくな一面を茶の間にアピールする事に成功し、これまでの地味なイメージを完全に払拭した。
かようなイメチェンの結果、"好感度女優"の名を欲しいままにして、『十年愛』辺りでトップ女優に君臨して以降、さすがにバラエティ展開は撤退したものの、その後も自然体の魅力・美貌は衰えず、現在ではW浅野(死語か)以上に安定した活躍をしているのだから、人ってどう変わるか判らないと思う。
まぁこうした変化はW浅野にも云えるんだけど。
にしても、Take-2の深沢と結婚するとは。 今更話題にするのもナンだが、やはりそれが一番のビックリかも。

(2001.05.02)

 

石坂智子 / デジタル・ナイト・ララバイ

作詞・作曲:伊藤薫 編曲:大村雅朗


 歌手ならではのソングライティング術が冴え渡る傑作

先日、田中美佐子「スペインへ行きたい」を取り上げたが、それ以外にも『お・し・え・て・アイドル』シリーズには興味深い音源が幾つも収録されており、この「デジタル・ナイト・ララバイ」も、そんな筆者の琴線に触れた一曲である。
石坂智子といえば、連ドラ『ただいま放課後』の主題歌だったデビュー曲「ありがとう」が有名だが、2曲目の今作も、1980年の新人賞レースでちょくちょく披露していたおかげで、割りと耳馴染みのある作品だと思う。
てか、これは一度聴いたら忘れられない、妙にインパクトのある楽曲なのだが。

作詞・作曲の伊藤薫はシンガーソングライターで、欧陽菲菲「ラブ・イズ・オーバー」の作者として有名だが(伊藤も競作)、甲斐智枝美・香坂みゆき等、アイドルにも多数楽曲提供している。
曲構成は「A→A'→B→C→A'」で、全編マイナー調のごくありきたりな代物だが、メロディ自体は非常に独特。
というのも、同一音符を淡々と刻む完全音程がベースという、アイドル系ではあまり類を見ないタイプなのだが、要所要所でブレイクを設けている上に、高音でのアクセントも随所に加えて、かなりパンチやフックの効いた旋律に仕上げており、決して単調ではない。
下手すると"お経"っぽくなりがちなのに、かような起伏に富ませる工夫は、作曲術としてハイレベルであろうが、今作はビートルズ「You Never Give Me Your Money」を元ネタにはしてると思う。
結構有名な話だが、実際Aメロはソックリ。
で、今回の楽曲制作は、おそらくタイトルが先に決まっていたのだろう。
過程としては、「今時代はデジタル → 機械的な規則性 → 淡々とした旋律 → 『You Never Give Me Your Money』 → (何気に唄ってみて)♪デジタルナイトララバイ〜 → あ、ピッタシ(^_^) 」ではないかと推測できるが(やれやれ)、伊藤って、同じパクリ作家の筒美京平のように、頭で曲作りするタイプではなく、本来は平尾昌章のように、感性で曲作りをするタイプだと思う。
いわゆる"天性のメロディメーカー"ってやつだが、今作も明確な元ネタ・コンセプトこそあれど、そのAメロを軸に、後の残りを感覚的に紡いでいったような按配なのだ。
普通は「ここで高らかに盛り上げよう」「ここでトーンダウンするとサビが引き立つ」だの、展開に何かしら人工的な計算や作為が見えるものだが、コレにはそういう類の強引さが希薄。
要するに、唄ってみて曲展開に全く違和感が無く、流れが自然で非常に歌い易いのだが、これは伊藤自身が歌手でもある事に起因するのだろうか?
そういや平尾昌章も歌手上がりだし、歌手である井上陽水の曲作りにもかような傾向が伺えるもんなぁ。
やっぱり歌い手の曲作りって、純職業作家とは一線を画す"何か"があるな。

こうした個性は、実際に石坂の歌唱を聴けば一目(聴)瞭然。
今回、ドスの効いた迫力ある歌唱(あくまでも"アイドルとしては"だが)を聴かせてくれるが、元々歌の上手い人ではあるものの、否が応でも歌唱に力が入るような曲作りを伊藤がしていると思う。 
だって唄い出しからして、いきなり一拍置いての♪(んっ)デジタルナイトラーラバーイ〜 だし。
この"溜め"はデカいだろう。
これ以外にも♪似合わないのよ (んっ)さまにならない (んっ)過去も未来も (んっ)夢物語〜 と、完全音程でメロディが単調になりがちな所で、かようなブレイクを設けているが、このブレイクが"溜め"となって、単調なメロに起伏を持たせる上に、パンチのある歌唱としても活きてくるんである。
あと、♪Touch 抱かれ そして Cry 泣いて〜 といった唐突な高音アクセントも、完全音程の後に続く事で歌唱にメリハリを与えるわけで、これらの細工も、やはり歌手ならではの感性だと思う。 だって唄ってて気持ちイイもの。
この手の仕掛けって。 作者自身が実地で唄いながら曲作りしないと、かような手応えは実感として得られないだろう。
もっとも、石坂の歌唱はスパークするだけではなく、♪背中に回す指先あやしい〜 など大人な描写の部分では、しっとりとした色香を醸し出しいるし、ラストの♪どうすればいい どうすればいい どうすればいいの〜 ではフレーズ毎に情感を高めて盛り上げて行ったりと、まぁまぁ表情豊かである。

歌詞の主題は「大人びたアバンチュールに戸惑う、勝気でウブなお姐ちゃんの心模様」で、曲に見合ったテーマだと思うが、描写は凡庸。
A'のリフでこそ、♪あなたにすれば one night わたしにすれば first night 〜 といった、ユーミンもどきな心憎いフレーズが出てくるものの、A'メロでは、♪思い違いのロンリーダンス 遊び上手なロンリーボーイ 〜 なんつーワケワカな事を綴ったりして、全体としては雰囲気重視の無意味な描写が多いのだ。
唄っててゴロが良ければそれで良し!みたいなノリで。 
まぁ実際、全編に渡ってゴロ的に違和感は無いが、この手の「文芸度 < ゴロの良さ」な作詞術も、やはり歌手的な仕事ではある。 それにしても、デビュー1年目の新人アイドルに、この手のスリリングなラブ・アフェアは時期尚早だと思うが。
前作「ありがとう」が、これまた極端にピュアだっただけに、イメージの落差が凄いのだが、ヤンキーっぽい大人びたルックスの石坂には、こっちのほうが合ってるとは云える。

大村のアレンジは、伊藤の曲・詩に忠実に追従している。
イントロ等にシンセのピコピコ音を導入したり、Aメロではラテンパーカッションによる規則的なリズムを刻んだりと、タイトル通り、デジタルチックなムードを醸し出すべく努力してるし、例の"溜め"部分でも、シンバルやバス系のタムをオカズに加えたり、ストリングスで繋いだりと、ブレイクにインパクトを与える工夫も凝らしている。
ただ全体的には生音系楽器がメインで、さほどデジタルチックでは無い。
中近東風なストリングスのオブリガートと、ドラムスとパーカッションによるリズム隊を全面に押し出す辺り、アレンジの基盤はディスコ調で、ノリの良い主旋律を生かす手堅さである。

この作品、当時の流行だった"デジタル"にこだわり過ぎて、タイトルやコンセプトはかなり痛いのだが、メロディが単調ながらも随所にメリハリが利いていたり、詩も描写が平凡ながらもゴロだけは良かったりと、伊藤のソングライティング術にシンガーならではの資質が随所に垣間見えるのが非常に興味深い。
詩の凡庸さとパクリ具合に眼を瞑れば、全体的に個性的かつハイレベルな楽曲で、石坂の歌唱も合わせて、かなりの傑作だと思う。
しかもこれは、勝気ながらも揺れ動く主人公といい、単調ながらもノリの良いメロディといい、後の中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」とも共通する手法で、そういう意味でも重要かもしれない。
まぁ歌詞で「文芸色&キャッチーさ」をキチンと両立させてる陽水のほうが、技量としては明かに格上なのだが。

(2001.05.05)

 

高見知佳 / ジャングル・ラブ

作詞:安井かずみ 作曲・編曲:加藤和彦


 斬新さは無いが、大胆な方針がインパクトを与える異色作

レアな音源が多数復刻された「お・し・え・て・アイドル」シリーズ(引っ張る引っ張る)。
僕は初聴の作品が多かったのだが、中には懐かしい作品も幾つかあって、今回取り上げる「ジャングル・ラブ」もそんな一曲である。
といっても、当時歌番組で何度か目にした程度なのだが(ちなみに初めて観たのは『3時のあなた』。
昔はワイドショーにも"歌コーナー"があって、よくB級アイドルや演歌歌手が出演していた)、あまりに楽曲のインパクトが強烈で、僅かな鑑賞にもかかわらず脳裏に焼き付いてしまい、20年もの間、ずっと忘れられずに居たのだ。 機会があれば、再聴したいナンバーの筆頭だったが、この度めでたく復刻と相成った。
で、ようやく熟聴してみて、やっぱり変わった作品だなと改めて思う。

作詞の故・安井かずみは女流作家の大御所で、手法としては主題を捻らず忠実に表現するタイプである。
「ちいさな恋」「赤い風船」など可憐なアイドル作品も多いが、いずれも表現に関しては、隠喩や含みを避けたストレートぶりで、"オシャレでフェミニンな文化人"という当人のイメージとは裏腹に、意外と作風は男性的で単純明快である。
まぁ単純明快とは云っても、その判り易さが歌謡界では"大衆的"って事でプラスに作用するわけだし、言葉の嵌め込みも上手なうえに、「難語・造語を使わない」という全うなポリシーも感じられて、職業作家としての才覚は卓越しており、決して凡庸ではないが。
で、こうした直球勝負な特質は今作でも大いに発揮されており、まず主題からしてそのまんまタイトル通りである。
普通このタイトルだと、「ジャングル → 熱帯 → 情熱的」との図式で主題は"熱愛"かと思いきや、そんな小細工は一切無く、純粋に密林での恋愛がテーマなのだ。
事実、主人公は♪裸足で駆けまわる ジャングル育ちよ〜 で、♪チーターを連れて 木洩れ陽を浴びキラキラ ジャングルを歩く〜 と、野生児丸だしなうえに、デートの誘いも♪河で水を浴び あなたが来るのを待っているとこ〜 というアマゾネス調で、恋人へのもてなしも♪赤い木の実をとり 不思議な味のする飲み物をつくる〜 という見事な未開人ぶり。
挙句の果てに、求愛までもが♪月夜の晩に歌う あなたを呼んで Uh Uh Ah〜 という(ひーっ)、主人公は100%オオカミ少女なのだ。
とまぁ、非常に変わった歌詞なのだが、こういうのって、ほとんどピンク・レディーに近いやり口であろう。
ピンク・レディーの場合も、「UFO」では主人公がホントに宇宙人だったし、「透明人間」でも主人公はそのまんま透明人間だったわけで。
いずれにせよ、アイドル系ではレアな手口だと思うが、まぁアイドルだからって、微妙な少女心理ばかりモチーフにする義務も無いから、こういう作品があっても全然構わないし、そもそも、このタイトルで深遠なる恋愛の機微を表現するなんて、初めから無茶な相談ではあるから、「だったら全開バリバリで野生児を描き切ってやろうじゃん!」という直球勝負に出るのも妥当といえば妥当。
ただ直球なだけに、今作はタイトルコールが結構しつこく、その点がクドくて難アリかも。
♪jungle love ふたり jungle love ふたりの jungle love〜 ♪jungle love ふたり jungle love ふたりの jungle love〜
楽曲を印象付ける作戦ではあろうが、それにしても唐突かつ強引なダメ押しぶりで、直球もここまで来ると芸が無いと思うが。

作曲は安井のダンナ、加藤和彦。
全編マイナー調のオールディーズテイストで、「A→A'→B→C」という構成であるが、非常に加藤らしい仕事だと思う。
というのも、曲構成が後に手掛ける高岡早紀「セザンヌ美術館」等と相似している上に、オールディーズ調も、同時期に手掛けた岡崎友紀「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」・竹内まりや「不思議なピーチパイ」等と共通するコンセプトだから。
ただ、今作はイタリアンツイストを基盤としたリズム重視型で、メロディアスな前述の作品群とは全く肌合いが異なる。
というか、リズムに頼り過ぎてて、お世辞にもキャッチーな旋律とは云えないのだ。
どのパートもメロディが似通ってるし、サビでの雄叫び(♪Uh Uh Ah〜)以外、コレといった聴かせどころも無く、ノリが良い割には変化に乏しいんである。 そういう意味では、石川秀美に提供した「あなたとハプニング」に近いかもしれない。
オールディーズ調では無いものの、独特なリズムをベースにした単調な旋律、突然♪wow〜 と盛りあがる曲構成など共通してるし。
かような個性は、以前取り上げた「デジタル・ナイト・ララバイ」(作曲は伊藤薫)と通じる部分もあるが、今作は「デジタル〜」ほど歌唱を考慮しているわけでも無いので、アレンジで工夫しないと絶対に"持たない"旋律である。
ちなみに、
s.r.p.さんも指摘されているが、この「ジャングル〜」の旋律を使い回した焼き直し盤が、岩崎良美「どきどき旅行」である。 イタリアンツイストのリズム・曲構成など、かなり似ている。

それはともかく、上記の弱点は加藤も重々承知しているのか、自身によるアレンジも相当趣向を凝らしてはいる(演奏はムーンライダースだが)。
コンガの乱れ打ちに始まり、スラップスティックなドラムス・象の鳴き声モドキなシンセ等が加わり、イントロからして既に"ジャングル気分"が満載で、随所にかような"ジャングル効果音"を導入しながら曲が進行していく。
ただ前述の通り、あくまでも曲の基盤はイタリアンツイストで、アレンジも基盤はこれに追従しているのだが。
要するに、熱帯ムードをリズムで表現するのではなく、大胆な効果音で気分を醸し出そうという手法である。
いささか安直ではあるが、効果音もここまで大胆だと、リズムの平凡さも隠蔽されるし、強引なタイトル連呼部分にも"ジャングル効果音"を被せる事で、コールのクドさを上手く紛らわしている。
さらに、今作は高見知佳のヴォーカルにも、多少機械的な処理を施しているのが特徴的。
というのも、彼女の声質には多少ハスキーな個性が見られるものの、正直、歌唱力は凡庸であり、大胆な主題・サウンドだと(しかも曲がつまんない)、普通に歌えば"歌唱負け"しかねないリスクがあって、何かしら加工することで、歌唱にも楽曲ばりの個性を与えようという目論みだろうが、これが意外と功を奏しているのだ。
これは中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」にも見られる手法であり、今作の特筆すべき美点だと思う。

この作品、ムーンライダースがバックという事で、一部で「ニューウェーブ歌謡の傑作」との声も訊くが、サウンド的にシンセ等を導入してはいるものの、僕はそんなに斬新だとは思わない。
"ジャングル"を冠した題名といい、直喩でそれを表現する歌詞といい、凡庸なリズムと大胆な効果音の組み合わせといい、笠置シズ子「ジャングル・ブギ」と同じだから。 
だったら同時期にイギリスでブレイクしたアダム・アントのほうが、独特の"ジャングルビート"で熱帯感を表現している分、よっぽどニューウェーブであろう。
まぁ今作は笠置のパロディなのかもしれないが、いずれにしても斬新さは無い。 けど、珍しいとは思う。
ここまで思いきった楽曲制作(歌詞・アレンジ面)してる作品なんて、80年代のアイドル歌謡ではあまり類を見ないし、それ故にリスナーには強烈なインパクトを与えているのだから、異色ながらも成功作だと云えよう。
しかも、今作は詞・曲の両面で目立つ欠点がありながら、かような思い切りの良さで、欠点を掻き消す事にも一役買ってるわけで(てか、力技でねじ伏せている感じだが)。 やはり何事も中途半端はダメって事か。

こんなに個性的な作品であるが、高見のビジュアルはそれを凌駕していた。
最近、当時のビデオを見たのだが、衣装はヒョウ柄の"ジャングル・ルック(?)"だし、振り付けも珍妙なうえに、スタジオを縦横無尽に走り回ってインパクト大賞であった。
僕が20年もの間「ジャングル〜」を忘れられずにいたのは、楽曲もさることながら、高見自身のインパクトに拠る部分が大きかった事を、今回再確認した次第。
でもまぁ、タレントとしての高見知佳のイメージも、当時はこんな按配ではあったのだが。
アイドル歌手とはいえ、主戦場はバラエティ畑だったし、しかも、下ネタをも辞さない大胆発言と、何人と対峙しようとも物怖じしない無遠慮さが彼女のウリだったのだから。
現在の榎本加奈子・山川恵里佳とかに近い雰囲気か。
高見と訊いて個人的に忘れ難いのは、名高達郎が婚約問題だかの騒動に巻き込まれた時である。
当時、名高がレギュラー出演していた『アイアイゲーム』収録中、TV局に芸能レポーターが大挙押し寄せ、この時、共演者の中尾ミエと高見が、自ら名高の護衛を買って出たのだが、両者は女番長とその手下さながらの凄みで、レポーターに対して「おらおら!邪魔なんだよ!」「どきな!通れねぇだろ!」など啖呵を切りまくっていたのが彼女らしくて印象深い。
しかし、そんなオテンバ高見も、80年代末期からは情報番組のホステスがハマリ役となり、すっかり常識人として落ち付いてしまった感がある。
でも、NHK『スタジオパークからこんにちは』では往年の大胆さをたまに垣間見せたりしてたんだけど。 1981年作品。

(2001.05.13)

 

ビッグ・マンモス / いなずまロック

作詞:石原信一 作曲・編曲:すぎやまこういち


 光GENJIの雛形(?)、男性アイドル史に残る画期的作品

先日、「2ちゃんねる」のジャニーズスレッドにて、拙サイトがネタとして取り上げられた。
僕が以前に書いた、佐藤アツヒロ(元・光GENJI)の「はなまるカフェ」出演に関する感想文について云々・・・というものだが、この感想文ってのが一年前にUPしたやつで、書いた本人がすっかり内容を忘れており、今頃俎上にのぼったところで特に所感は無いが、せっかくなので(?)、これを契機に光GENJIについて色々考えてみた。
その結果、グループとしての特性等、自分なりの考察が徐々に形成されてはきたが、まだ完全に構築されておらず、光GENJI論についてはいずれUP出来れば・・・と思う。 で、今回取り上げるビッグ・マンモス「いなずまロック」だけど、あれこれ考察してみて、これこそが光GENJIの楽曲面でのルーツになっているように思えた。 いきなり唐突な話で何だが。

まず「いなずまロック」の曲について。 構成は「A→A'→B→C」で、Bでマイナーコードが加味されるものの、他は快活なメジャー調で展開。
A・A'では細かい譜割りでスピーディーに処理しているのに対し、Bでは一転して譜割りを大きく施し、Bメロが有する哀愁味を強調している。
かような仕掛けを経て、Cでは徐々にテンポが上がって明るく幕を閉じる按配。
全編覚えやすくてキャッチーなうえに、明るさと切なさが絶妙にブレンドされて、非常に良い曲だと思う。
アレンジはロック調で、エレキとアコギを併用した明朗な音作りは、当時流行だったウエストコースト系のそれと近いかも。
これに適宜ブラスが被るので、アニメソング的な要素もあるが、さほどブラスがフィーチャーされているわけでもなく、テイストとしてはロック歌謡か。
しかし、最も印象的なのは、オープニングとエンディングにタイトルでもある稲妻音が導入される点。
この仕掛けがインパクト大だが、着想としてはカスケーズ「悲しき雨音」っぽい。
以前、このコーナーでビッグ・マンモス「星物語」を取り上げた際、BM(ビッグ・マンモスの略称)の音楽性について、 「作風としては少年らしく、快活なロック調のものが多く、唱歌・アニメソングというよりも歌謡曲に近いかもしれない」と、大まかに総括したが、今回の「いなずまロック」もまさに同系統のステロタイプな音作りである。
ユニゾン・ソロ・掛け合いなど、グループならではのコーラスワークを生かした歌唱もおなじみだし。
ここで光GENJI作品との共通性について触れると、「ロックテイスト・キャッチーな旋律・多彩なコーラスワーク」という構成因子から鑑みても、一連の光GENJI作品(アルバム『光GENJI』以降)とダブる要素は充分だが、「パラダイス銀河」「剣の舞」ではサビ前でリズムがスローになるし、「Diamondハリケーン」に至ってはオープニングに稲妻音が入るなど、とりわけ「いなずまロック」と共通している部分は多い。 しかし、こうしたBMサウンドの特質は、今作で確立されたわけではないのだ。
ロックサウンドという点では、これ以前に「火の玉ロック」があったし、オールディーズからの着想という意味では、プレスリーのカバー「こぐまのテディ」とかあったわけで。
じゃあ一体何を持って今作を光GENJI
のオリジンとするのか?というと、それは歌詞である。

今作では「君に何かあったら僕が助けに行くから、安心したまえ」みたいな事を延々と綴っているが、この「僕」ってのが
♪きみの知らせ受けて飛んできたよ〜 ♪闇をくぐりぬけて情熱的に〜  いささか人間離れしているうえに、
♪キラリ抜いた剣振りかざせば〜 ♪どんなやつらだって逃げて行くのさ〜  正義の味方然としており、
♪ごらん雨がやんで虹が掛かる〜 ♪ここは僕らだけの夢の世界さ〜  現実性を排除している。
おまけに「僕」に対する「君」も性別不詳だし、その関係性も友人なのか、恋人なのか、それとも見ず知らずの他人なのか、一切明瞭にはしておらず、とどのつまりファンタジーなのだが、これは
以前 「星物語」の稿で述べた、「イメージ主体で実体無し」「内容としては決してラブソングに仕立てない」「"正義フレーズ"を散りばめる事でアイドル性(王子様性)を演出している」というBMの歌詞特性に合致しているわけで、曲同様にステロタイプの典型である。
しかし、「いなずまロック」前の作品は、少年期の感情や腕白ぶりをユーモラスに描写したものが多く、作風としてはフィンガー5に近いものがあったが、今回は完全なる"二の線"で、BMの親しみやすさ・腕白よりも、アイドル性(カッコ良さ)に主眼を据えた演出を施しており、こうした路線は今作が元祖なのだ。
実際、振り付けもこれまでにないアイドル仕様だし、歌詞においても
♪エメラルド色の (君だけに) 勇気をあげよう (ほんとうさ)〜 と、強さのみならずロマンティック描写も盛り込んでるし。
ただこの部分って、「エメラルドの伝説」+「君だけに愛を」みたいで、どうにもGSチックな匂いがするなぁ。
それはともかく、話を光GENJIに戻すと、作品の主題としては、グループの特性である"王子様性"をコンセプトに打ち出したタイプが多いものの、その"王子様性"ってのが身近な擬似恋愛の理想像とかいうより、本当に寓話の世界の王子様(ヒーロー)で、舞台も「銀河」に「ハリケーン」とスケールがデカく、他のジャニーズ系にみられる"等身大感"や"同世代感"が希薄なのが最大特徴であり、しかも、「愛」とか「ハート」だの云ってる割には、具体的な色恋描写も避けてるわけで、ストレートなラブソングには仕立てておらず、BMの歌詞特性
と見事に符合する。

とまぁ、かようにBMと光GENJIの作風は似ているのだが、かと云って、各々グループの本質が異なる両者を結びつけるのもどうか?とは思った。 いくら大所帯同士とはいえ。 しかし、ジャニーズ系作品を俯瞰したところ、光GENJI以前に同系統の作品は見当たらないのだ。
スケールの大きさでは近しい、フォーリーブス「地球はひとつ」はメッセージ色が強いし(大した事ないけど)、田原俊彦「銀河の神話」も主題はラブソングでサウンドもアダルティだし。 また、児童向け楽曲でも同系統の作品は皆無。
「いなずまロック」の前後で、似た雰囲気を持つヒーロー物のアニソンもあるけど、主題は"強さ一辺倒"でアイドル性なぞ無いわけで。
要するに、この手のジャンル(一言で表現するのが難しいが、
吉岡さんは「少年のダンディズム」と命名)はBMで萌芽して、その後誰にも継承されないまま、光GENJIで突如再生したのである。
そう考えると、少なくとも楽曲的には、「光GENJIの始祖はBM」というのも邪推ではないわけで、その雛形となった「いなずまロック」は、児童向け作品の名作であると同時に、男性アイドル史にも残るエポックメイキングな作品と云えるのだ。
キャニオン所属のBMとポニーキャニオン所属の光GENJI、共に同系列のレコード会社なだけに、スタッフも若干被ってたりして。
ただ、光GENJIで「少年のダンディズム」路線が打ち止めになったのは残念。 またジャニーズでこういうCD出してくれないかなぁ。 その前にBMをCD化しろ!って話だが。 1977年作品。

(2002.06.18)


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