螺旋の七人・第三話
12月24日。今日は螺旋二校の終業式の日だった。試験休みが終わり、これからが本当の冬休み。普通の高校生ならば心躍るこの時期に、司は小指さえ踊る気配はなかった。終業式のほかに、今日はもうひとつのイベントがある。それは答案返却だ。学生が試験休みを謳歌している間、螺旋二校の教師たちが睡眠時間返上で採点した、ある種の怨念がこもっているといえなくもない期末試験・答案。終業式が終わったあとのホームルームで、ひとまとめになった答案の束をめくるうちに、司は放心状態になっていった。
「ねえ!あんた全然勉強してないとか言ってなによ、この点数!あはははは」
「ほんとにやってなかったんだってー」
すぐ脇を二人組みの女子が談笑しながら通り抜けていく。否。断じて否だッ!テスト前に於いて、「勉強やってないんだよねー」とかいうやつは絶対に得点がいい。ひそかに仕込んでいるのだ。友を欺いてまで、出し抜いてまで高得点が取りたいか、この偏差値に憑かれた体制の犬どもめ…!!俺か?…フッ、俺はそんな軟弱なことはしない!今なお消えないこの偏差値と得点優先の教育体制に反旗を翻し、人間が真の価値のみで判断される社会を作ってやるのだ!勉強していないとみせかけて、自分は少しでも教師と親と偏差値のポイントを上げんとするその捻じ曲がった根性!まさに人にあらざるなり!俺は周囲に「勉強なんかしてないよお(ヘラヘラ)」などと吹聴したりはしない!
「…で、この点数だったわけか」
ため息とともに仁が答案を手渡した。司がホームルームが終わってから真っ先に図書室へ行くと、仁、悟、剛の三人が先に集まっていた。
「あーあ。司ちゃんもついにやっちまったよ」
一緒に覗き込んだ剛が満面の笑みで言う。
「今回だけで赤二つとったてめーに言われたくない!」
「お前だって赤点『じゃなかった』て程度の点数じゃんか」
司の必死の抵抗もむなしく、仁が言い放つ。
「まあテスト直前であんなことになっちゃったんだから、ま、しょうがないだろ」
悟が、読んでいた「月刊・武術」を書架に戻しながら言った。当の司はそれですむ問題ではない。司の両親は司を成績でしか判断しない親だった。家にいても一切喋らずに部屋にこもっている息子なのだから、判断材料が成績しかない、というのもしょうがないことだったのだが。
「おーす!みんなきてんね」
学期末でロッカーの中身を一気に持って帰ろうと、肩掛けバッグをパツンパツンにふくらませた祐介が現れた。ホームルームの終わる時間がクラスによってまちまちのために、みんなと一緒に帰ろうと図書室で待ち合わせすることになっている。祐介が来たので、あとは尚志とリコの二人だけだ。
「テストどうだったー?」
剛が本日何度目かわからないその質問を祐介にぶつけてみる。
「んー?アー大丈夫だよ、ぜんぜんできなかったから」
安堵の表情の司と剛。
「まったくみんな情けないわねー」
蔵書点検をしていた綾乃が書庫から出てきた。長期休みに入る前の図書館司書は忙しい。
「そういうけどね、こいつはすげーですよ」
「おいなにスンだよ!」
悟が仁の答案の束を奪取して綾乃の目の前まで持っていく。
「…なになに数学Uが…105点?なにこの点数!誰のよこれ!」
「あそこにいる仁君でえす」
「何で100点以上取ってんの」
「ああ、なんかね。期末試験の点数に小テストの点数を加算するってことでね。生徒への救済のつもりだったらしくて10点満点の小テストに対して95点満点の期末試験作ったんだって。でも俺はどっちも満点取っちゃったからこのとおりなわけよ」
仁が悟から答案を奪い返しながら言う。仁は、数学にかけては天才的だった。英語の勉強の気分転換に数学の問題をやり始めて徹夜してしまう、なんてこともしばしばのいわゆる「数学バカ」という奴である。しかし全教科の平均点は他の連中と大して変わらない。
「しかしお前ってさ、高得点なの数学だけだよな、ほんとに…。うわっ国語なんて56点じゃないか!英語もぎりぎりだし…偏ったやつだ」
悟がつくづくという。悟は体育会のようにも見えるがその実、こういった「学生の本分」の類を決しておろそかにしないやつだったので、常に安定した好成績をキープしている。力配分が非常にうまいのだ。
「終わったよーッ!」
突然、図書室内に元気な声が響く。リコだ。後ろには相変わらず物静かにニコニコしている尚志がいる。
「アレ…なんでお二人さん?」
「あー、ちょうど入り口のトコで一緒になったから。…なに、ジンさんまたエライ点数取ったの?」
図書室に入りながら一目で状況を読み取った尚志がさっそく小走りでこっちに来た。今日はいつもの習字セットを持ってきていない。
「うわー相変わらず極端というかなんというか…ジンさんてさあ、ほんっとに自分の興味のあることしかやらないよねえ…」
仁の答案をめくりながら尚志が嘆息した。…自分の興味のあることしかしないというのなら、ここいる人間全員が全員そうだといえばそのとおりなのだが…その中にあっても仁の一直線的行動パターンは特にわかりやすい。
「それもいいんじゃないですか?どうせここで注意したところで直りませんよ、先輩方」
「そうも言ってはおれんのだよ、鳥羽クン…」
楽天的発想のリコに、剛がため息をつきながら応える。
「俺らも来年になったら進路決めなきゃいけねーし、そもそも授業も選択性だからね。ジンさんみてーに好きな事だけやってるわけにもいかんのよ。受験ってやつで」
祐介の一言で、現役二年生の男子勢が急にため息をつく。そうだ。来年は俺も三年生になるんだ。受験とか何とか、まためんどくさい事が増えるな。しかしそれ以上に、司は親と面と向かって話さなければならない事を考えると、気が重くなったのだった。やりたい事がないわけではない。しかし親がそれを受け入れてくれるのかどうか。そもそも一年前に拳を当てて以来ろくなコミュニケーションもとっていない父親と、普通の会話ができるのかということさえ不安だった。お互い、相手の話なんか聞かない人間だからな…。司は、今日の成績もあいまって、ますます親と顔を合わせたくない気分になっていた。
「先輩方も少しは考えてるんですね♪」
「少しは、とは何だよ」
「でもジンさん、大学とかどうすんの?さすがに数学イッコだけで入れる大学なんて無いんじゃないの…?」
尚志がゆっくりと仁に尋ねた。仁は答案をぐしゃっとそのままかばんに押し込むと、仁のほうに向き直っていった。
「…俺か?俺はねえ、数学者になるのよ」
もう既に決まっているような口ぶりだった。
「オイオイ、将来の夢じゃなくて大学のこと聞いてんだよ、ひっしーは」
「だから、大学院まで行ってずっと大学で数学の研究よ。もう死ぬまで」
「イカン、頭痛くなってきた」
尚志にフォローを出したはずの祐介が数学漬けの毎日を想像して撃沈する。
「そもそも『数学者』って職業なのかって話が」
司が代わって突っ込む。
「いや、別に仕事とか関係ないから。お金儲けとかさ。もう死ぬまで数に埋もれて暮らせりゃそれでいい」
「うおお、俺まで頭痛が」
流れ弾で剛も撃沈。
「飢え死にしちゃうよ。数学で喰って行けんのかって」
「だからそういう社会的な問題じゃないんだって。情熱よ。俺のパッションの前にそんなものは関係ない!」
「こいつ重症だわ…」
司も、仁にこれ以上突っ込むのはやめた。敵わない。ただ、そこまで何かに突っ走る事ができる仁が、正直羨ましかった。きっとこいつは、これから先もぶち当たる沢山の壁を、そうやって思いっきり突っ走って、飛び越えないで壁をぶっ壊しながら前進していくんだろうな。そんな、突き動かされるようなもの、自分の将来を不安にさせないくらい強い信頼感のもてるものに、司は強く憧れた。俺もいつかはこういうものに出会えるんだろうか。
「でも大学行ったてさあ、大抵就職先のデータなんか見るとほとんどサービス業、とかだよね。学者、て項目あんまり見ないなあ」
尚志が一人で燃え上がっている仁を冷まそうと軽いツッコミから入る。
「なんだおまえ。大学にまで行って『サービス業』がやりたいんか」
「そういうことじゃないけどさ…」
「大体おまえ後継いで住職だろ?」
仁に言われて、一瞬尚志の顔が曇ったように司は感じたが、改めて見ようと思ったときにはその表情は尚志の顔からは消えていた。
「まあね…そう考えりゃ楽っちゃ楽なんだけどね。…そう言えばみんなはどうなのよ、進路に関してはさー」
「んー別に俺は理系でテキトーに受けるよ。それよりさー、見てよこれ!」
尚志のネタ振りをかわして剛がきゅうにカバンから一枚の紙切れを出す。そこには
飯塚真弓・大晦日カウントダウンライヴ!ひまわり1999 to 2000
なる文字がでかでかと載っている…チケットだ。
「俺は行くぞ!将来の事よりマーたんと共に過ごす新たな一年の夜明けの事を考えねばなあ…ククク、こりゃ寝袋とダンボール持参かあ〜?」
「うーんでも葵ちゃん(CV:飯塚)よかマルチ(CV:堀江)だろうな、やっぱり・・・」
真剣なまなざしでチケットを見ながら、祐介が独りうなづく。司はネタがわかってしまう自分に少しだけ嫌気がさした。
「たけちゃんらに聞いた俺が無謀だったよ・・・。そうだ、西脇くんはなんかある?将来とか大学とかさ」
急に話を振られてビックリした司は、慌てて返事をしようと思ったが、一瞬、何も考えられなくなって黙ってしまった。…俺、なにがやりたいんだろう。どこの大学に入りたいんだろう。
「うーん、なんかなあ。俺さ、子供んときから特撮とか好きだから…そっち方面に行きたいなあ。そんでさあ、ロバート・ロドリゲスみたいなバカ映画たくさん撮るってのどう?」
本当に適当にこたえた。しかし、言いながら心のどこかでは本当にそうなりたいと思っていた。口からでまかせの割には、ある意味自分の本音だったのかもしれない、と司は思った。
「おお!監督か!すごいなー西脇君は」
司の言葉を間に受けたのか、尚志はひとしきり感心している。
「ロドリゲスってあたりが司らしいというかなんと言うか・・・」
そのテには詳しい仁がニタニタ笑いながら言う。
「いまの日本にはバカ映画が必要なの!」
仁が自分のジョークを理解した事がわかり、司は嬉しくなった。
「わたしはまだ決めてませんよ〜。そんな先のことなんて。今を乗り切るんで精一杯ですから」
リコが最後に正直に言う。
「…そうだよなあ」
祐介がそういって、一同はもう一度深くため息をついた。
「なーなー。俺のことは聞いてくれネーノ?」
今までずっと黙って聞いているだけだった悟が、目を期待に輝かせながら尚志に聞いた。
「あー、天ちゃんの将来なんて聞く事も無いでしょ」
もういいよ、と言った風に尚志が言う。
「どうせ、将来の夢は『世界最強』の格闘家、でしょ」
「よく分かってんじゃない」
「悟も仁と同じで、解り易過ぎるんだろ」
あきらめた調子で、剛が眼鏡を押し上げながら言う。
「俺ら以上にわかりやすいだろうが、貴様は!」
「んーキミら単細胞と一緒にされちゃあ困るなあ。この藝術の探求者たる私と」
「探求じゃなくて単なる追っかけだー!」
「オタクです!みんな立派なオタクです!」
学期末の図書室にいつもの喧騒が戻っていた。ちなみにこの七人しか図書室内にいないはずなのに「いつもの喧騒」が戻ってきたのであった。
冬の日が暮れるのは早い。司たちが高校を出るころには、太陽がずいぶんとのその身を大地に近づけていた。ほほを照らす西日が、リンと張り詰めた冬の空気の中でぬくぬくと気持ちよかった。七人もいる大所帯なので、集団は大体二分割されていた。
「おーい、どうせ今日で終りなんだからさ、忘年会もかねてどっかで食って行かん?」
先頭を歩く仁が後続にも聞こえる大声で言った。
「あーいくいく」
「まあ…ファミレス程度なら」
「そもそもこの辺にファミレス以上の高級な飲食店など存在しないって」
「…じゃあ決定でいいな!」
司のお財布事情は少々厳しかったが、夕飯代となれば親に請求できるし、何より友人と一緒に夕飯を食うなんて事はうまれてこのかた初めてだったので、もちろん司は二つ返事で賛成した。
駅前までゾロゾロ歩いて(司は自転車を押しながら)、結局一同が入ったのは焼肉食べ放題の店であった。よく食べるといっても女の子なリコは「費用対効果に見合わない」といって最後まで焼肉を拒否し続けたが、多数決(6対1)で焼肉屋に強制連行された。餓えた男子高校生の胃袋は誰にも止められない。司たちが来店した時間は、ちょうどディナータイムの料金だったので少し高くついたが、座らないうちから一同はひたすら肉に突進した。毎回さらにはおよそ度し難いほどの肉の花束が咲き乱れ、食えるのかという危惧を残しつつ順調に消化されていく。そして誰も飲酒していないのに、焼肉の鉄板の温度上昇にともなってテンションのあがる七人。スパイラルとして活動していないかぎりに於いては、このメンバーはただのオタク集団でしかなく、周囲の視線と飛び散る油を気にもせず、メンバーの肉驀進劇は進んでいった。わけても、剛の「ケーキに始まりケーキに終わる(もちろんその間には肉)」究極の甘党セレクションには誰もが賞賛を通り越した吐き気を催したが、偉大な歴史として刻まれた(焼肉チェーン「江戸前」見原駅前店においてのみ)。
人数が大所帯のために、司たちは四人・三人に分かれてテーブルについている。司のテーブルには尚志と悟の三人が座っていたが、悟は一番隣のテーブルに近い席だったため、隣の仁たちと話している。自然、司と尚志が向き合って、というスタイルになった。そう言えば今まであまり尚志とはこうして面と向かって話すことがなかったな、と司は今更のように気が付いた。尚志はいつもスパイラルの作戦行動に於いてはバックアップにまわる事が殆どで、いつも前衛の司とは直接的に話すことはあまりなかったのである。
「…みんな熱いよねえ…」
鉄板に目を落としたままで、尚志が不意につぶやいた。そのつぶやきが、あまりにもこの喧騒から浮き立っていたので、司は一瞬、尚志と二人っきりになっているような錯覚を覚えた。隣のテーブルでは、剛が某声優の素晴らしさを力説し、仁が数学の講釈を垂れ流している。
「ん?ああ。まあね。あの勢いはすごいわ」
司が応えて言うと、尚志はふっと隣を見て、普段細い目をさらに細めていった。
「僕さ、あそこまで熱くなれるなにかって、ないんだよね…」
「え?」
「今日さ、テストの答案の事でいろいろ話してたじゃん。進路とか。ほんというとね、将来なにになるなんて決めてないんだ、ぜんぜん。なにがやりたいとか、そんなのわかんないよな」
司は虚を突かれた。尚志のほうから話し掛けてくるなんて事は稀だったし、こんな事を言う尚志を見るのも初めてだった。
「僕もみんなもさ、なんかこう、周囲から浮いちゃってる人たちばっかじゃない。この集団って。でも、あの人たち見てると、そんな事を簡単に吹き飛ばしちゃうようなこう…情熱というか…突っ走ってるんだよね。だからきっと独りでもさびしくないんだよね」
司は黙って聞く事しか出来ない。尚志が言っている事は、自分も考えていた事だったからだ。司がスパイラルに入ったのはごく最近のことだが、すぐに馴染んでしまった一方で、どこか彼らに「引け目」を感じる事もあった。それが尚志の言っている「熱いところ」だった。あいつらのように生きられるのか。そう思うと、いつも自分がとても小さい人間に思えてしまった。
「僕はさ、独りになるのがいやだったんだ。普通の人に混じって、普通にやっていきたいってずっと思ってる。でも自分はいつもノンキで、周りの会話に入っていけなくて、必死に話題を見つけようとしても、結局無視されてるんだよね」
同じだ。尚志は俺と同じだ。直感的に、司は確信していた。
「俺もだよ。俺なんかもう諦めてるから、こっちから関わりをぶちきってるもん」
「そこまで潔く慣れればいいんだけどね」
違う、いさぎいいんじゃない、恐いだけなんだ。
「でも僕はダメだな。西脇君みたいに強くないんだ。友達がほしかった。一緒につるめる人が欲しかった。でも、こんな駄目人間じゃ、誰も近寄ってこないんだよね。なにかの役にたてるわけでもないやつと、誰が友達になるかって」
少し笑ってから、尚志が焼けた肉を皿のタレにつける。でも食べる事はしないで、ずっとタレを絡ませながら肉をもてあそんでいる。
「ああ…」
司は「そんな事ないよ!」と尚志を励ますことが出来ない。なぜなら自分も同じ想いをしてきたからだ。
「だからさ、綾乃さんにスパイラルの誘いを受けたときに、すごく嬉しかったんだ。仲間ができるって。自分が役にたてる場所が出来たって。みんなも見てのとおり良い奴らばっかりだし、ここなら僕も大丈夫かなって思ったんだ」
「…俺も、そうだったよ。おかげで素敵な連中とお知り合いになれたわけだし。すごく感謝してるよ、みんなには」
「そうだよ。そうだけど、みんなは俺のことどう思ってるのか、気にならない?」
尚志の言葉を聞いて、司は軽い衝撃を受けた。考えた事もなかった。いままで外の世界に対してあれほど「どう思われているか」に敏感だった司は、仲間として認識している他の六人に対して、「自分はどう思われているか」なんて考えた事もなかったのだ。
「西脇君はさ、前衛っていう大切なポジションが…」
尚志がそう言いかけた時、急に引き締まった表情の仁が大声でいった。
「おい!なんか呼ばれたぞ俺たち!綾乃さんに」
「えっ」
「どういうことだ?」
その場の雰囲気がどんどん張られたテントのようにキツくなっていく。仁によると、今さっき綾乃から電話があり、帰っていなければ帰り途中でもいいから高校に来るようお達しがきたのだという。もちろん『アレ』が現れたためだ。生徒がさっさと帰った今日に限って、なぜ出現するのか。それはまったく不明だと綾乃は言った。
電話から20分後、スパイラルの七人は螺旋二高図書室に全員集合していた。
「あんたたちがそろってご飯食べてて良かったわ。今回のは、話から察するにたぶんまだ実体化してない奴だから、悪いんだけどぱっぱとやっちゃって。あとでお詫びにおごるから!」
最後の言葉を号令にしたかのように、一斉に七人が準備をはじめた。司は司書室の引き出しの中から、あずけっぱなしの専用ガスガンM93Rを取り出す。尚志が作り貯めておいてくれた怨霊調伏の印がこめられている特殊な6oBB弾を、マガジンに入れていく。リコも専用の木刀を取りに司書室へやってくる。御札の破れがないかひとしきり確認すると、司書室で軽く振って持っていく。全弾込めたマガジンをもどしスライドを引いて「コンバット・ロード(すぐ撃てる状態)」にして腰のベルトに差し込み、司書室を出る。
司書室の外―図書室の一般閲覧のコーナーでは、すでにヴァリアブルスーツを着込んだ仁と悟がいる。リコと司は二人の下に駆け寄ると、簡単な作戦会議をした。
「今回の奴は…たぶん一体だけだと思う。気も微弱だし、前回ほどは苦労しないよきっと」
そんな四人に祐介が「スキャン」しながら声をかける。手ぶらだったので図書室備え付けのパソコンのみで支援ソフトを立ち上げた剛が、仁と悟に使用に望ましい経路を示していく。司はそのあわただしさの中で、ちらりとさっきまで話していた尚志を見た。尚志は、学期末で習字道具は家に持って帰ってしまっている。「自分が役にたてる場所が出来た」そういう尚志を思い出してしまった。御札を作って護法を書ける、という尚志の役割は、習字道具や紙を持ってきていない今は無意味といっていい。準備するメンバーの中で、尚志だけが動けずにいた。
「尚志くんは今日御札作れない?」
綾乃が声をかけた。
「あ、すんません。道具一式もって帰っちゃって…墨汁が自家製で特殊なもんで、アレじゃないと効果のあるやつ作れないんすよ」
尚志は、それでもいつもの温和な感じのまま、申し訳なさそうにうつむいた。
「でも今回のは弱そうなんだろ。尚志の御札のストックも何枚かあるし、今回は大丈夫だよ。今日は見学してろや」
仁がコート状のスーツを翻して出て行く。慌てて司も後に続いた。そういわれた尚志の顔を、司は何故か見ることが出来なかった。
「…オッケ。今回は高みの見物だね」
そういう尚志の言葉が背後で聞こえた。
『アレ』は祐介のスキャンのおかげで驚くほど簡単に見つかった。今回の目標は、移動のスピードが恐ろしく遅い。体育館に続く廊下を走りぬけ、シャッターのしまった食堂前で『アレ』と対峙した時、司は一瞬拍子抜けた。月明りを受け入れない黒いもやはぼんやりと人らしき形を留めていたが、その存在は弱々しく、例えるならば、何かの拍子に無人の遊園地に放り込まれた迷子のような頼りない印象だった。
「…おい、俺が先制する」
小声だが、前衛皆に行き渡る低い声で仁が言った。無言の目線でそれに答えたのを確認すると、仁は一気に黒い影に踊りこんでいった。
しゃああっ
仁が影に接触すると同時に風を斬る音と火花が散り、影の鋭い悲鳴が聞こえる。焼けたフライパンに落とした水滴のように、ジュワッと音を立てて影が消える。
「…アレ?」
仁があたりを見回す。
「やっちまったってか…」
悟が言いかけたときに、インカムから剛の通信が入った。
「祐介ちゃんはまだそいつの気を感じてるって!そいつは単に拡散してるだけだ!」
通信が終わらないうちに、リコの目の前に影が現れた。
「はっ」
突然近距離に現れたため、一瞬リコの動きが遅れる。その隙を逃さず、リコに絡み付こうとする影。影がリコの周囲に一気に回りこむ。
「てえイッ」
ずばん!気合と共にリコが真正面から断ち切った影が、音と共にまた消える。
「次はどこだ…?」
「奴の拡散を止めりゃいいんだろ?」
仁がスーツを脱ぎながら言った。
「まあそういうことになるが…一体何のまねだ?」
悟が仁の意図を図りかねている。
「悟、おまえのスーツにも尚志が呪をこめてたよな?てことはだ。そのグローブであの影を『掴む』事ができるんじゃないか?」
「…そうか!外がわへ向かう『対魔』の力を掌の方で解放すれば、たぶん」
「今度奴が『ひとまとまり』で出てきたら、おまえはそいつの事を掴め。二秒あればいい。そしたらおれがこのコートを『アレ』にかぶせる。リコと司はアレが拡散する前に、コートの中へトドメをブチ込む。それでいいな?」
「それって…」
「お風呂で子供のころやらなかったか?タオルの中に空気ためて『クラゲさん』作るやつ」
楽譜で言うのなら4分休符。一拍おいて、影が司の三歩くらい手前に収束しだした。確認した瞬間、司の正面にいた悟が影に飛びつき、影の首のあたりを両手で掴む。ばばばばばばば!と激しい電光が、掴んだグローブの中で走りまわり、影が一瞬もがいた。が、掴んでいる!影のシルエットがいっそうぼやけた。拡散し始めようとしている。
「うらっ」
すかさず、仁が脱いだコートをシーツを引く要領でぶわりと影にかぶせる。同時に悟が手を引く。コートと影が触れ合っている内側では、やはり放電が起こっており激しくコートが跳ね上がろうとする。それを仁が抱きかかえるように両サイドから手をまわして押さえる。まるで、コートのしたには猛獣がいるかのようなあばれっぷりである。
「今だ!」
仁が抱えるように押さえ込んでいるコートの下部をめくり、少しだけ隙間を作って司がガスガンをその中にねじ込む。冷やりとした影の感触と、放電している火花の厚さがごちゃ混ぜになって司の手のひらを襲う。司は引き金を引いた。
ばらららららららららららんッ!フルオートで怨霊調伏の施されたBB弾がコートの中を爆ぜまわる。巨大なポップコーンを作っているようだった。瞬く間に弾は尽きたが、中に入っている影の気配は明らかに弱まっている。
「鳥羽さんッ!」
司は叫ぶと同時に銃を引っこ抜き、仁はコートから手を離す。
ボンッ!とコートを突き破って陰が外に出てきた瞬間―
「はアッ!」
気合と共に一閃されたリコの一太刀が、影が拡散する隙も与えずに両断する。影は木刀に斬られながらドン!という衝撃波と共に完全に消えた。
「なーんだか、今日は楽勝だったなー」
図書室でスーツを脱ぎながら悟が言った。
「まったく冬休み初日から、なんて日だ」
「しかし、アレだね。司ちゃんもだいぶ慣れてきたじゃないの、ジンさんとの連携さ」
剛がパソコンの椅子でくるくる回りながら司を見る。
「でも、俺はいっつもさいごにトドメ刺してるだけだからさ。ジンさんや天ちゃんがいないとどうしようもないって」
「謙遜、謙遜!ちゃんと機能してるじゃないですか」
リコが木刀をしまいながら言った。
「そうだな。新入りにしては良くやってるよな」
祐介がふんぞり返りながら茶化す。
「なに先輩面してんだこのヒトは」
「はーい、お疲れ、皆の衆!これどうぞ!」
マグカップ、コップ、足りない分は紙コップを駆使して、綾乃がアツアツの紅茶を持ってきてくれた。皆口々におお、とかありがたい、とか言いながらコップを取っていく。…二つ、コップがお盆に残った。ひとつは綾乃のカップ。もうひとつは…
「西脇くん、これ、お願い」
そう言うと、綾乃は無言で目配せした。視線の先には窓の外を見ている尚志がいる。司は黙って紙コップを手にとると、尚志のところへ歩いていった。
「ひっしー、紅茶だよ」
司がそれだけ言って差し出すと、窓の外を見ていた尚志が振り返った。
「おおう。ありがとう。ってなんも働いてないのにね、僕」
「いいじゃん、今日も御札のストックのおかげで」
「御札のストックなんて、今日役にたったかな?」
司を遮って、尚志がいつものあの笑顔のままで言った。
「え?」
「…僕がさ、いなくなったらどうなるのかな。御札のストック作っとけばそれでいいかな」
「おい…ひっしー、なに言って」
「僕がいなくなったら、何か変わることがあるかな。みんなちゃんとできるよね、さっきみたいに」
窓際は外の冷気が直接触れているので、結構寒い。紙コップの紅茶は、司の手の中でどんどんその熱を失っていく。司は目の前にいる尚志の気持ちが痛いほどわかる。同化していると言ってもいいくらいだ。「自分がいなくなったって、何も代わらない」。クラスで何時も独りでいる司は、周囲を心の中で見下して独りでいることが殆どだったが、心のどこかで、間違いなく、そう思っている事もあった。尚志の言葉は、そんな司の教室にいるときの不安を、一番的確に表現していた。
言葉に出来なかった。安易な慰めの言葉など、尚志には通じない事を司は知っている。自分がそうだったから。俺はやっと、このスパイラルの中で自分の居場所を見つけることが出来た。でも尚志はどうなんだろう。能力でスカウトされた尚志は、裏を返せばずっとその「能力」だけでこのチームにいるのではないか。そんな不安を隠しながら、それでもみんなとうまくやっていこうとしていた。いつかは、能力でなく自分自身を見てくれるのではないか。その気持ちは、司が親に対して抱いている気持ちにも通じるものが会った。
「…俺も、俺もそうだよ」
気付くと、言葉は自然に司の口から滑り出ていた。
「俺もさ、クラスにだって居場所なくて、家に行けば成績でしか俺のこと見てくれない親だし。ぜんぜん、なんか俺の『成績』とか『出席番号』とかで俺のこと見てばっかりでサ。周りが。だから、なんだかんだと周囲と壁作ってた俺も、ほんとは自分のそのままで付き合えるやつにあこがれてた」
尚志が少し驚いたように司を見る。
「でも俺なんか、そういう仲間なんてもんには一生縁のないまま終わるんだろうな、と思っててさ。素のままの自分出して、駄目人間なのが周囲にばれたら、誰も寄り付かなくなっちゃうんじゃないかと思って。でも、スパイラルに入ってからさ、なんと言うか…初めて話が普通にできるやつといっぱい会ったんだ。話したりしてるうちに、だんだん慣れてきてさ。俺もなんとかなるんじゃないかなって思った」
「僕もはじめは…そうだったけど」
「じゃあ、それでいいんじゃないかな」
「え?」
「そのままで。本当の自分はただのひとつの役目のためだけに仲間に入れてもらってるかもしれないってことは、俺だって考えた事はいくらでもある。でも、ジンさんやみんなと話してるうちに思ったんだ。あの人達って、他人のことを有能・無能だけで考える人たちじゃない。きっと、信じ合えているからこそ仲間に入れてもらってるんだとおもう。新参者の俺が言う事じゃないかも、知れないけど」
「…ありがとう」
尚志はずっと下を向いたままで、小さくそういった。コップの中の紅茶は、既に冷たい。二人でそれを飲みほすと、尚志は仲間の下に溶け込んでいった。尚志が去ったあとも、司は自分のことが気になって気になってしょうがなかった。自分はどうなのだろう。尚志に言ったような事が、自分にも出来るのか。彼ら仲間と、自分をそのまま出して付き合えるのか。その時、彼らは俺と仲間でいてくれるのだろうか。
答えは出なかった。
司の思考を遮るようにして、図書室が低く振動をはじめたのである。司がゆれを確認してみんなのほうへ戻ると、壁がギシキジ悲鳴をあげている。そうしている間にもゆれはどんどん激しくなり、ついに書架にある本が床に落ち始めた。
「一体なんだ?」
仁が叫ぶ。
「ここ…ここの真上に、さっきのやつと同じ『気』が…でも密度が桁違いだ!実体化して出て来る!」
祐介が頭を抱えながら怒鳴った。
「さっきのはやっつけたんじゃないんですか?」
「俺にもわからん!あの影のほうが…もしかしたら本当の『影』だったのかもしれない!」
「どういうことなの?」
綾乃が近くの固定の書架につかまりながら言った。それほど揺れは激しくなっていた。
「たぶん、今から来る『これ』が本体で、アレは俺らのやり方をし…」
祐介がそこまで叫んだとき、大音響と共に図書室が大きく揺れた。まるで、図書室が自発的にジャンプしたかのような激しいショック。蛍光灯が一瞬ままたき、天井で光が踊る。書架や本の埃は揺さぶりだされ、あたりはかすんでいる。そして、床に散乱した雑誌や書籍、倒れた椅子などの瓦礫の山に、一体の化け物が立っていた。大きくせり出した胸板には、爪が食い込んだような骨が剥き出しになっていて、爬虫類のような大きな目に嘴のような口。しかし鳥と違ってそこには牙が並んでいる。腰から下はダチョウのような逆間接の足が床へ伸びていて、その足は膝の辺りまで剛毛で覆われている。背中には、食べ終わったあとフライドチキンの骨のような、肉片がずるりとまとわりついている羽の骨が生えている。天上まで軽く届く巨体。さっき倒したと思った「影」とは位が違う。
「このやろう…!」
悟が化け物に走りながら学ランの第一ボタンを捻る。が、学ランに変化は起こらない。
「…!さっき着替えちまッ」
ドコン!悟の腹に化け物の蹴りが一閃する。無言のまま吹き飛ばされた悟はそのまま図書室の出入り口まで吹き飛ばされ、カウンターに墜落したまま動かなくなった。
「綾乃さん、御札…ッ!」
仁が化け物から目線をそらさずに言う。
「司書室にまだあるはずよ!今から…!」
司書室に向かおうとした綾乃は、声にならない悲鳴をあげた。司書室の手前にあったハードカバーの置いてある書架が、ドアにもたれるようにして倒れている。司書室に入れない…!
「何かアレと戦えるもんはないの!」
剛が後ろにじりじり下がりながら言う。
「すいません、全部片付けちゃいました」
リコが静かに言った。普段なら褒めたいところだが、緊急時に於いては状況は逆だ。司はさっきのときに弾を全部撃ち尽くしてしまっている。万事休す、であった。
ぐるるるるるおおおおおあああああああ!!!
顎が外れんばかりの大声で雄叫びを上げた化け物が、一番手前にいた司に喰らいつこうと大きく飛び込んでくる。
「またかよーーーーーーッ!」
しかし、司に抵抗する術はない。もうだめか!
バシッ!
高圧電流がスパークするような音が、司の目の前でなった。化け物と司の間に、人が割って入っている。尚志だった。尚志は化け物が突進してきた顔面の前に、大きく拳を突き出していた。拳の先からは血が滴り落ちている。化け物は、その拳が寸止めになるような位置で固まったまま、動かない。化け物の表情は苦悶で歪んでいる。なにが起こったのか、司にはわからなかった。しかし、司にお構いなく、尚志は次の一撃のために拳を一旦腰まで引く。次の瞬間。
「あああああああああああ!」
叫び声と共に、尚志が握っていた拳をガッと開くと、思い切り突き出して化け物の眉間を掴んだ。
ズゴン!
今度こそ、周囲に思い衝撃が走った。ワンテンポ遅れて、尚志の掌でつかまれた眉間の辺りから、化け物が光り始める。その光はやがてヒビのように化け物の体中に広がり、次の瞬間。轟音と共に化け物は空中に四散した。
化け物が消え去ったあとも、掌を突き出した状態で動かなくなっていた尚志は、突然その場に崩れ落ちた。
「…おい。オイッ!ひっしー!しっかりしろ!おい!」
痛む身体も気にせず、司は尚志の元にしゃがみこんだ。必死になって瓦礫の中から尚志の半身を起こす。
「…やった、かな。僕」
尚志がそう言いながらゆっくり右手を上げてきた。その手は血と埃で汚れている。司はしっかりとその手を握った。血がぬるりと生暖かい。一瞬驚いたような司の表情を見て、尚志が力なく笑った。
「…僕んちの御札…墨に、一族の血を混ぜて…それが、魔を祓うって…。とっさに、思い出して…。手をこれで引掻いて…」
ひさしの左手には、割れたマグカップの破片があった。尚志はこの破片の切っ先を使って、自分の手に呪符を刻み込んだのだ。その傷口から流れる純度100%の血で書かれた印によって、尚志は片手一本であの化け物を「祓って」しまったのである。
「…僕も、役にたったかな。…ここにいても、いいのかな」
そう、途切れ途切れに言う尚志の元に、いつの間にかスパイラルのメンバーが全員集まっていた。一人一人の顔を、眩しそうに見る尚志。
「おい、立てるか?」
司が肩を貸すと、尚志はなんとか立ち上がる事ができた。
「ありがとう、尚志」
立ち上がった尚志に、仁が言う。
「すごかったですよ、ひっしー先輩」
リコが埃にまみれながら立ち上がり、笑顔を尚志に向ける。
「一時はどうなる事かと思ったけどねえ」
剛がカウンターのほうを見るとカウンターに半身を乗り出して気絶したままの悟がいた。
「おお、あっちも救助せねばあ!」
祐介がいち早く気付いて、瓦礫の山を飛び越えながらカウンターに向かう。
「…居場所ってさ、自分で作るもんなんだね。誰かの役にたつ、とかじゃなくて、自分に必要な仲間達のいるところに、自分もいるから、そこが、居場所なんだね、きっと」
肩を貸している司の耳元で、尚志が小声で言った。
「…ありがとう」
司は、ひさしを抱く肩に少し力を入れた。
「お礼なんて、いいよ。…仲間だから」
尚志はぐったりと疲れきった顔を司に向けたが、その瞳の中に確かな輝きが湛えられていたのを、司は見た。
螺旋の七人・第三話
完。
次回をお楽しみに。