「螺旋の七人」第二話

 

西脇司の意識は、まず最初に「痛み」を認識していた。まだ殆どが暗いままの意識の中で、自分の頭のてっぺんから鼻の奥のあたりまで、一本の長い釘が刺さっている。更にその釘には、定期的にハンマーが振り下ろされている。がつん、がつん、がつん。そんな痛みが、司を徐々に覚醒させていった。そして意識は、自分が今までおかれていた状況を反芻するように、断片的なイメージをコポリ、コポリと浮き上がらせていく。

はじめて恐怖に叫んだ自分の声。アスファルトに塗り固められたように動かない、自分の身体。見たくないもの。忘れようとしていたイメージ。目の前に迫る、黒い「なにか」。虚無の穴。まばゆい光。学ランを着た男。ものすごい跳躍。あれはいったい誰だったんだろうか。なぜ。なにと。あの黒い影はなんだ。ああ、頭が痛い。あの光はなんだったんだろう。木刀を持ったあの少女は?何で学生服がロングコートになったんだろう。「黒い何か」のイメージを拾い上げた瞬間、堰を切るように「なぜ」「なにが」「どうして」「どうやって」が意識の全てをとらえた。

そうだ。いったい何が起こっているんだ?!

 

そこに思い至って、司の意識は完全に覚醒した。どうやら自分は、どこかに横たわっているらしい。身を起こそうとする。が、足腰が「ギシリ」とひずんだ音を立ててから激痛が走った。

「うッ…」

思わずうめき声が漏れる。閉じたままのまぶたから、やわらかい光が見える。身体はまだ、言う事を聞かない。あいかわらず頭上ではハンマーが釘を打ち据えている。司は目をゆっくり開けようとしたが、光に慣れていないためになかなか開かない。

その時、ふっと視界に影がさした。急に、司の視界にあふれていた光が弱くなり、目をあけるのが楽になる。誰かが司のことを覗き込んでいる。その誰かの頭が、司の目から光をさえぎっているのだ。一瞬、あの「黒い何か」が脳裏をかすめた。

「うわっ!」

司は反射的に飛び起きていた。

「おおっと!危ないなあ」

司を覗き込んでいた影は、聞きなれた声を発した。

司の目の前には、なぜか図書室司書の杉村綾乃がいたのだ。

「え?!

司は既に第二のパニック状態になりつつあった。綾乃さんとはさっき昇降口で別れたばかりで…そもそも、俺は家に帰ろうとしていたわけで…でも。って言うより、ここはどこだ?!俺は外の駐輪場にいたはずなのに…。と、考えがそこにいたり、司は今更のように自分の置かれている状況を確認し始めた。自分が今いるところ…。ついさっきまでいたはずの、ここは。螺旋二高の図書室だ。司は利用者が使うソファーを横に繋げた即席ベッドの上で身を起こしている。目の前には、パイプ椅子に座った綾乃が司の事を見ている。

「やっと起きたねー西脇君」

綾乃がニヤニヤしながら言った。やっと起きたねーって。図書室で居眠りでもしてたのかな。そう思った瞬間、司の抱いていたいままでの疑問が、一気に氷解した。なんだ。あれは夢だったのか。いつの間にか本を読みながら寝ちゃったんだな。司は、綾乃に寝顔を見られたことが急に恥ずかしくなってきた。

「綾乃さん…黙って見てないで起こしてくださいよ…」

「何回も起こそうとはしたわよ。でもま、木刀の直撃くらってそう簡単には回復しないわねえ。しかも脳天に喰らったんだから、命があるだけ儲けもんだったわね。西脇君も悪運が強いわ」

「は?!」

木刀直撃?何の話をしてるんだこの人…

「おーい、鳥羽さーん!西脇くん起きたよー!」

綾乃が、図書室奥に位置する司書室にむかって呼びかけた。すると。

すいませええええええええん!!!」

ばがん!とものすごい勢いで司書室の扉が開いて、一人の少女が飛び出してきた。

「すいません、本当にごめんなさい、許してくださいいいい」

扉に負けず劣らずの勢いで、その少女は何故かあらん限りの謝罪の言葉を口走りつつ、司に駆け寄って来た。手に持っているのは…木刀?!

司は、なにが起こったのか良く理解できていない。そもそも、

「この人…どなたですか?」

目の前の床にへたり込んで土下座しそうな勢いで謝る少女を尻目に、司は恐る恐る、綾乃に聞いてみた。

「ああ、この子ね、西脇君を昏倒させた張本人」

昏倒?!

「すいませんんんん」

綾乃の言葉にトドメをさされたかのように、少女は更に謝りの言葉を司に向ける。

「ちょっと、あの、綾乃さん?いったい何がどおしたんですか?!」

「ああ、ちょっと、話せば長くなるんだけど…」

綾乃がそこまで言いかけたときに、奥で再び司書室の扉が開いた。

「そいつが『あれ』を叩っ斬るときに、勢いあまって木刀がお前の脳天にヒットしちまったんだよ」

そう言いながら司書室から出てきたのは、割と長身で学ランを着た男だ。その声は澄んだテノールで、大声を出しているわけでもないのによく響くので、司のいるところまで難なく聞こえてくる。

「え?え?あの…」

ますます事態が複雑化したように見えた司の混乱は増すばかりだった。綾乃は目の前でずっとニヤニヤしている。その隣では床に座り込んで困っている()少女。その後ろから悠然と歩いてくる学ラン野郎。ああ、いつもこうだよ。と司は思う。他のみんなは知っているのに、俺だけ知らない。俺が何も知らないままで事態がどんどん先へ進んでいく…

「いったい何が」

心持ち、ほんの少しだけ語気が荒くなって、司は言った。言ってから「しまった」と思う。

「まあ、まずは落ち着きなさい…急には無理かもしれないけど。とりあえず、私の話を聞いて。最初から話すから」

それまで黙ってニヤついていた綾乃が、司の言葉をさえぎるように話し始めた。

「…まず初めに言っておくけど。キミは居眠りしていたわけじゃないの。だから、西脇君が体験した事は、夢じゃない。現実に起こったことよ。にわかには信じられないかもしれないけど…」

そういうと、綾乃は無言で司の右腕に視線を送った。司の上着と学ランは、毛布代わりに司にかかっていた。司はワイシャツの右の袖をゆっくりとまくってみる。…ひじのすぐ上くらいまで袖を捲り上げたとき、司は小さく悲鳴を上げた。上腕の部分をぐるりと取り巻くように青黒い痣が出来ている。司は、あの「何か」に腕をつかまれたときの冷たい感覚を思い出していた。あの感触…つかまれたような、この痣。…そうだ、夢なんかでは、断じてない。なにが起こったかを思い出そうとしている司を確認して、綾乃が続ける。

「…今日の放課後、図書室を閉めた後、西脇君はそのまま帰ろうとしたでしょう?それで駐輪場まできたときに、『あれ』に襲われた」

「あの、『あれ』って」

「君が見たものが全てよ。キミもわかったでしょう。人でもない、獣でもない。そもそもがこの世のものではないモノ。でもその存在は幻なんかじゃなくて、確実に『そこに居る』モノ…」

まさかあ、と笑って流す事が司には出来ない。今まで夢だと思っていたが、思い返してみれば、司の全ての感覚器があの「何か」の存在を身体に刻み込んでいた。あの「何か」は、間違いなく司に襲いかかって来た。そしてそれは、司が知っているどんな生き物でもない。

「お化けみたいな…モノですか」

半ば自分の考えをを否定しつつも、口にだしてみる。

「そう…ひらたく言えばそうかもしれないわね。でも、本当のところ、『あれ』がなんなのか、私達にも解らないの」

…私達?!話をしている綾乃の目を見たとき、司は彼女がいつもの「司書の綾乃さん」ではなくなっていることに気付いた。もっとなにか、組織に属するような人間の印象を受けたのである。

「で、『あれ』に襲われてるところを、俺たちが助けたってわけだ」

いつの間にか綾乃の隣に椅子を持ってきて、あの学ランが座っていた。その言葉を聞いて、今まで座り込んでいた少女が立ち上がった。

「もう少し遅かったら、『あれ』に乗っ取られちゃうところだったんですよ」

今までとうって変わって、少女が「えっへん」とでも言わんばかりの勢いで持っていた木刀をゴン、と床に突き立てるような姿勢をとる。

「俺たちが『あれ』のことを祓わなければな」

締めくくるように学ランが言った。司の頭脳はフル回転してこの状況を理解しようとしていた。説明された事はわかる。それが実際起こったということもわかる。そして「あれ」を倒して、自分を救ってくれたのは、どうやら目の前にいる二人の…学生?そうだ、今ごろ気がついたが少女も螺旋二高の制服を着ているではないか。制服というあまりに見慣れた姿なので、違和感を感じることが出来なかったのである。…要約すると、こうなる。

「学校に巣食う化け物を倒す高校生」

全てが目の前で起こったことであるにもかかわらず、司が状況を理解できないでいるのは、この平井和正の学園SFのような設定を直には信じられないからであった。

「あの、…それで…?」

必死の脳内検索の結果、司の口を出た言葉はそれだけであった。助けを請うように司は綾乃に視線を送るが。

「それでって、それで終り。あとは、『あれ』にトドメを刺そうとした鳥羽さんの木刀が、ついでに西脇君にまでトドメを刺しちゃって、慌ててここに運び込んで休ませてた、てこと」

「あの…鳥羽さん、というのは…?」

そう言いながら、司は木刀を持ったまま再び申し訳なさそうにしている少女の方を見る。身長はそんなに小さい方ではない。ショートカットに眼鏡をかけている、ごく普通の螺旋二高の生徒に見える。ただし、床に突き立てている木刀を除いて。その木刀には、なにかよく解らない文字がビッチリと書かれた御札がぐるぐると何枚も巻きつけられていた。

「んー、じゃあ君たち自己紹介でもしててよ」

そういって綾乃は立ち上がると、司書室のほうに行ってしまった。残された二人はチラ、と少しのあいだ互いに目配せしてから、学ランのほうが立ち上って言った。

「俺は古河仁。えーっと、28組だ。で、こっちの木刀女が」

「だからすいませんって言ってるじゃないですかッ!」

少女がすかさず仁に突っ込みを入れる。謝る相手を間違ってるような気もするが。

「…木刀でお前を昏倒させたこの女が、鳥羽リコ。こいつは一年生」

「うー…。(司に向き直り)本当に申し訳ありませんでした。あの…お怪我はなかったですか?まだコレのコントロールが甘くて…」

リコが手にした木刀を少しだけ掲げて見せる。しかし言葉が進むにつれて音量が下がっていってしまう。

「お怪我も何も気絶させてんじゃねーかよ。ヘタしてクモ膜下出血でも起こしてたらどうするんだ」

こともなげに仁が突っ込む。被害者・司を前にしてさらりと物騒な事を言い出す。なんなんだこいつら…!司がそう思ったところで急に仁が司の方を見て一言。

「で、お前は?」

「ハイ?」

急に話を振られて司は答えに窮した。

「あの、なにって、あ、に。西脇司といいます…」

そこまでやっと司が口に出したとき、司書室から綾乃が出てきた。小ぶりなトレーの上にマグカップが四つ乗っている。しどろもどろの司に助け舟を出すように綾乃が続ける。

「西脇君て、実は図書館常連だよ。いつも一番窓側の本棚の奥に潜んでるから誰も気付かないけどね。…二年生だっけ?」

「あ、ハイ」思わず返事してしまう。

「なんだ、俺とタメか」

仁が再び椅子に座りながら言う。同じ二年生なのに司が仁のことをほとんど知らないのは、クラスが別棟だからだ。仁は8組と言っていたので、北側のB棟。司は4組なので南側のA棟に教室がある。同じ学年でも一本の渡り廊下でつながっているだけでお互いの棟では殆ど交流がない。ましてや他クラスに知り合いなど一人もいない司は、休み時間でも教室を出る理由など図書館へ行くこと以外まったく無い。同じ学年の仁を知らないのも当たり前だ。

「まー西脇君も大変だったねー。ハイ、二人もどうぞ。これ飲んだらさっさと帰るんだよ」

綾乃が熱いミルクティーの入ったマグカップをもって、三人の間に割って入った。すいません、といいながらマグカップを受け取って、一口目を飲もうかな、としたその時。司は最大の疑問に思い至った。

「なんで、綾乃さんが…あの、どういう関係で…?その『あれ』とか…」

うまく言葉にならなかった。落ち着き始めていた「疑問符の嵐」がまた吹き荒れてくる…。ゆっくり綾乃の顔に視線を向けると、綾乃はまるでいたずらを追及された子供のように「やっぱり言わなきゃダメ?」という顔になった。

「うーん。イキナリ説明を求められると困るんだけどね…。今日、西脇君のことをおそった『あれ』みたいなのが、実はこの螺旋二高にはまだまだいるの。何故か最近になって、『あれ』みたいな正体不明の化け物がここの学生を襲う、て事件が相次いでね。…あ、情報はものの見事に隠蔽されてるから、一般の生徒や父兄に知れ渡る事はないけど…君も噂にくらいは聞いてるでしょう?」

司は、徐々に状況を受け入れつつあった。襲われたのは自分だけではない。被害者である司は、信じるしかないのだ。そして、いわれてみれば、思いあたるふしが無いではなかった。いくら交友関係が皆無で校内のスキャンダルに疎い司でも、クラスの女子が大声でしゃべくっている噂話を聞いたことがあるのだ。「五組の誰々という生徒が、二週間も欠席しているのは、入院でも登校拒否でもなく、失踪したからだ」「ナントカ部の主将が精神に異常をきたして学校を辞めた」「誰もいない学校に一人でいると、鏡の中の自分と入れ替わってしまう」などなど。もちろんこういった噂話を聞くのはごく稀ではあるが、しかし決して途絶える事は無かった。しかし…それらは単なる噂に過ぎなかったのではないのか。現に殆どの生徒はそんな噂など聞き流し、忘れていくものだ。だが。火の無いところに煙はたたない、ということわざもある。噂の元になる「何か」は、確実に起こっているのだ。この螺旋二高の中で。一拍おいて綾乃がミルクティーをすすってから続ける。

「で、そういう『わけのわからないものが起こす不祥事』ってのを未然に防ぐために、ここのお上…巻島グループが直接、対策委員会を組んで、委員を巻島系列の各学校に派遣してるの。…つまり、こういうことが起こってるのは二高だけじゃなくて、一高も三高も…もっといえば、過去にも何度か、こういう事件があったらしいの。でも、なんでそのお上さんがたが『化け物』なんてものを信じて、真面目に対処しようとしているのかはよくわからないわ。もちろん『お化けが出た』ってだけで不祥事には違いないんだから、学校側はなるべく隠蔽しようとする…でも、さっきも話したけれど『噂』という形をとってやっぱり広まってしまうものなの。生徒の噂話まで管理する能力なんて、教師には無いから。で、化け物退治からその後の尻拭いまでを、当事者である学生達自身に、任せる事にした。もちろん、信頼のおける生徒で尚且つ…これといって他人と深いかかわりを持たない生徒を選んで、ね。この学校にも、そうやって選ばれた生徒が6人いるの。ここにいる古河君と鳥羽さんはその『選ばれた生徒』のうちの二人ってわけ。で、その六人を率いて『わけのわからない不祥事』を対策しなきゃいけない責任者って言うのが…」

「綾乃さんってこと、ですか…」

司が、言葉の意味を確かめるようにゆっくりと言った。話を聞いている間、仁とリコは黙ってミルクティーを飲んでいた。仁もリコも、なんだか感慨深げな面持ちで、かすかに微笑んでさえいるように見える。飲み終わったマグをトレーに戻した仁が、急にニッコリ笑顔で喋りだした。

「ぶっちゃけた話、『ゴーストハンターズ』ってわけよ、俺たちは。知ってる?カート・ラッセル主演の超B級バカ映画」

「あっ、知ってるよ、俺カーペンター好きだから」

大好きな映画監督のタイトルが出て、司は思わず答えてしまっていた。「ゴーストハンターズ」を撮ったジョン・カーペンターは、司がこよなく愛するホラーやSFアクション映画の大御所である。司は、同年代の高校生が部活やおしゃべりに費やす時間のほぼ全てを、本を読むか映画を観るかして過ごしている人間だった。

「おおっ!結構話の解るやつじゃないか、お前。そうだよなー、カーペンターの良さがわかる奴って少ないからなー」

ものすごく意外そうな声で、仁が言う。しかし、それ以上に驚いているのは司本人だった。今まで司は、こんなマイナーなB級映画ばかり見ている同級生なんて、絶対にいないと思っていたからだ。そして、そういう誰もしていないようなことをする事で、司は自分が他の有象無象高校生とは違う、と必死に自己を保ってきたのだった。「俺はオマエラとは別格なんだよ!」という想いを、スクリーンの中の異世界に求めていたのである。

そんな司の作り上げた「砦」に、いとも簡単に入ってきてしまったのだ、この古河仁という男は。しかし、自分の砦に入った侵入者を前に、司は、今までに無い心の「ワクワク」を感じていた。自分と話の通じる人間がいたのである。しかも同じ学年に。司は急に、目の前にいる「古河仁」という人間に親近感を覚えた。そんな気持ちは、司にとって久しぶりのものだった。

「なんですか、その『ゴーストハンターズ』って?」

リコが尋ねる。

「んー、なんかね、蘇った魔王を倒して彼女を助けるためにカート・ラッセルと怪しい中華集団が化け物相手に戦うの。チャイナタウンの下水道で」

「カートラッセルがわかりません」

「ニューヨーク1997って映画知らない?」

もちろん司は知っていたが、その例はあんまり一般的ではないぞ、と思っていたり。

「余計わかりませんよ…」

「まあそうだろ。木曜洋画劇場見れば解るようになるよ」

「なんですかそれ」

司は、そんな二人のやり取りをボーっと見ている。ああ、なんだか楽しそうだな、この人たち。司は、こういった「他人の会話」に入り込んでいくことが壊滅的に苦手な人種である。それはもちろん今まで全く「実地訓練」をしていないからだ。こうして楽しそうに会話ができる人間を、心底羨ましいと思っていた。さっきまで親近感が芽生えつつあった仁が、なんだか再び遠のいたような気がした。やっぱりそうだ、この人たちだって「普通の高校生」なんだもんな…

「どしたの?…やっぱり急に信じろってのも無理だよねぇ…」

急に黙ってしまった司を見て、綾乃が残りのミルクティーを一気に飲み干して言った。司は、急いで取り繕うように答える。

「いえ、あの…自分の身に起こったことだから、信じます。…でも、さっき「情報は隠蔽してる」って言ってたじゃないですか。いいんですか?俺なんかに話しちゃって…?」

「んー、まあ、はっきり言っちゃえば、こんなこと話したって誰も信じないだろうからねえ。まあこのことは秘密として、守ってほしいけど…」

守るも何も、話をする相手が司にはいない。そんなことは、休み時間にいつも図書室で一人でいることを知っている綾乃も当然知っているはずだった。司が危惧しているのは、こういった「特別な話」を司のような部外者に話してしまって、綾乃たちは大丈夫なのか、ということだった。

「信用できねーな」

急に席を立ち上がって、仁が言った。その表情はさっきまでと違い、険しい。

「え…?」

リコが焦ったように仁の方へ顔を向ける。仁は構わず続ける。

「司、とか言ったっけ?お前がこのことを秘密にしておくなんて、信用できん、というとるんじゃ」

しばしの沈黙。

当の司は、仁の言葉を聞いたとたんに、急に目の前が歪んだ様に感じた。信用されていない…そうだよな…初対面の人間相手に、そう簡単に信頼関係なんて築けるハズないもんな。そこまで考えて、司はいつもの結論にたどり着く。『やっぱりダメだな。人と関わるなんて』

「でもな。秘密を守らざるをえなくなるようにする方法が一つだけある」

「あ、あの…」

険しい顔のままの仁と、落ち込んだ様子の司を見比べて、リコが必死に仲介しようと何かを言いかけるが、それを遮るように仁が司に向きなおった。

「西脇司!…お前が、俺たちの仲間に入ればいいんだ!」

急にニカッと笑って、仁がそう言いながらビシっと司を指差した。

「…へ…?」

あまりの展開に、司は思わず情けない声をあげてしまう。仁のすぐ横では、リコが「なーんだ」といいながらニコニコしてもとの椅子に座った。

「あのう…」

「秘密を知ったものは、即刻消すか仲間に入れる。これ、隠密活動の基本」

綾乃がすいっと人差し指をまわしながら言う。まるで、司を仲間に入れるのが当然であるかのごとく。

「でも…俺なんかで…?」

「ここまで聴いちゃったら、先輩に拒否権ありませんよ。それとも基本にのっとって、この場で消えますか

ニコニコ笑顔のままでリコが木刀を構え出した。

「なんでだーッ!!」

思わず司も突っ込みを入れてしまう。

「さっき綾乃さんが言ってただろ。俺たちは『信頼に足る』ってことより『これといって他人と深いかかわりを持たない生徒』ってことで選ばれてるんだよ。秘密が漏れないようにな。だから俺たちも…言うなればお前と一緒で、普段っから周りから孤立しまくってる人間なのさ。そんな連中が集まって、このオツトメやってんだ。このチームは」

「おかげで苦労も絶えませんけどねえ…」

仁の方をニヤニヤしながら一瞥して、リコが言う。

「…でも、俺なんかが入って、その…役に、立てるのかな…」

「細かい事は気にするな…!誰でもひとつくらい『使える所』はあるもんだ。それに…『仲間』がいるって、結構楽しいぜ」

「仲間…」

司のなかを、くうっと「何か」が駆け巡った。仁はサラリと言ってのけたが、司にとってその一言は、ずっと前にあきらめた沢山の「気持ち」を一気に引きずり戻すものだった。頭がかあっと火照る。今まで不安や戸惑いが、内側から湧き上がる心地よい「熱さ」に少しずつ変わっていく。ずっと自分の膝に落としていた視線をふっと上げると、目の前にいる仁、綾乃とリコが、司の事を見つめている。その視線には、期待の色が見える。そんな風に見られたことは今まで一回だって無かった。司は、このときばかりは衝動的に答えた。

「…俺でよかったら…、おねがいします!」

「よッしゃ!!その意気や、良し!!」

がはははと笑いながら、仁が司の肩をバシン!と叩いた。

「そんなわけで、これからもよろしくです、先輩!」

リコがぺこりと頭を下げる。

「じゃあキマリね。明日にでも上に報告しとくわ。…あなたが七人目の『スパイラル』ね」

「あの…スパイラルってのは…?」

「それが俺たちチームの名前。他の連中には、明日にでも。他に四人いるんだよ」

「じゃあ、今日のところはもう遅いし、解散しましょうか」

綾乃が飲み終わったマグカップを回収しながら席を立つ。

「はーい」

仁とリコは、綾乃について司書室へ戻っていった。残された司は、まだ火照りの覚めない頭で今までのことを考えていた。この学校には、この世のものではない「何か」がいる。そして、人知れず化け物退治をしている、生徒たち。「スパイラル」という名の組織。俺は助けられた。守らなければならない秘密。仲間になること、つまり…あの化け物どもと、自分も戦う事。出来るのだろうか。襲われたときのイメージが、再びじわりと脳内にしみこんでくる。恐怖。身体が動かない。叫び声さえ尽きる…。しかし司は、心のどこかで今までに無い安堵を感じていた。襲われたときのことを思い出せば、それは恐い。だが、それを倒したのは自分と同じ高校生なのだ。周囲の人間には馴染めそうも無い人種。そんな自分に「仲間になれ」と言ってくれた仁。いままでクラスの中では徹底的に己の存在を抹消し、ひたすら図書館の隅で活字に没入していた司にとって、この安堵感は「自分がいてもいい場所」を見つけたことによるものだった。訳の解らない化け物と戦わねばならないことへの不安や恐怖よりも、実ははるかに、この気持ちは司の心を占めていた。かけられていた学ランと上着をゆっくり着込んで、ソファから立ち上がる。

「おーい、行くぞー」

仁が呼びかけた。見ると、もう三人は帰り支度をして図書館の出入り口に向かっている。仁の手には、司のリュックがあった。

「ハイこれ。お前の」

急いで駆け寄った司にリュックを渡す。

「あ、ごめん…ありがとー」

あ、普通だ。司はリュックを受け取りながら思った。いま自分は「普通のやり取り」をしている。こんな些細な会話なんて、自分には一生無縁なものだと思っていたのだ。そこには、クラスメイトと交わす事務内容だけのやりとりにはない、手ごたえのようなものがあった。

改めて、目の前の三人を見る。

「あの…ありがとうございましたっ!」

司は、できるだけ大きな声でそう言うと、頭を下げた。助けてもらってから今まで、説明を聞くばかりで一言も礼を言っていない事に気がついたのだ。自分を助けてくれた事、仲間に入れてくれたこと。司の、今までの心の容量に収まりきらないような出来事がいっぺんに起こった。司に言う事ができるできるお礼の言葉は、この一言だけだった。

一瞬、三人はきょとんとしていたが、仁がすぐに「なんだよ急に」と言って笑い出した。もう誰も残っていない夜の校舎に、昼間のような笑い声が遠くこだまする。そんな三人を見ていた司は、何故か急に照れくさくなって下を向いた。

 

翌日。テスト一週間前の土曜日だけあって、図書室にはたくさんの生徒が自習しに来ていた。心なしかいつもより静かな図書室に、司は足を踏み入れた。司が目標とする人物はすぐにわかった。テスト前だというのに、雑誌コーナー前のソファにたむろして楽しく歓談している学生の群れ。周囲が殆ど己のテスト勉強のために一人の世界に入り込んでいる図書室内に於いて、彼らの存在は浮き立ちまくっていた。いま、その中心にいるのが、古河仁であった。周囲と楽しそうに話をする仁に、一瞬の気の引け目を感じながらも司は仁に向かって歩み寄っていった。

「あのー…」

「おーう!来たな」

おずおずとした声にさっそく反応した仁が司に向かって声をかける。その声に合わせて周りにいた5人がいっせいに司の方を振り返った。

彼らを見た瞬間。「うわ…」司は心の中でそう漏らしていた。なぜかといえば。一目見て彼らが「そこら辺にいる真っ当な高校生」でない事がわかったからである。外見その他も十分あやしい。あやしいがそれ以上に見るものを「あーやっぱり」と納得させるオーラを放っている。昨日会ったリコはともかくとしても、ここに集まっている奴はそろいもそろって…

怪しい人・その1…冬だと言うのにワイシャツ姿で、さらに長そでを上腕までまくっている角刈り。その手には「力は美しさだ!」とコピーの載った「月刊・武術」を丸めて持っている。

怪しい人・その2…寝てるんだか起きてるんだか分からないボーっとした顔に、半日も過ぎたというのに全く直っていない寝癖。ニコニコ顔で手に持っているのは小学生のころから愛用していると思われる「習字道具セット」。

怪しい人・その3…恰幅のいい体つきに、手には三冊の電撃文庫を携えた男…その堂々たる様はどう見ても高校生に見えない。どこぞの企業の社長のようだ。よく見ると、詰め襟には校章の代わりになにかのキャラをあしらったピンバッジをつけているではないか!!

怪しい人・その4…天然パーマのおもむくままにしてあるジャングルの如き頭髪に童顔…なのに学生服の下にジャージを着込んでえらくおっさん臭い。左手の小指を怪我しているらしく、包帯でぐるぐる巻きになって親指よりも太くなっている。

仁とリコは、外見だけで判断するならばここにいる連中よりか「まだマシ」の部類に入ったが、リコは相変わらず紫の袋に木刀を入れて脇に携えているし、仁にいたってはこの集団の中心に位置しつつ、誰よりも大声で話し(図書室なのに)くるくると表情を変えている。見ようによっては一番あやしい。そんな連中にいっせいに見られたのである。司でなくとも一瞬言葉に詰まるに違いない。この人たち、何かが違う!!

その場に凍っている司にひょいっと歩みよって、仁が言った。

「あ、こいつがさっき話してた、西脇ね」

いままで「誰やこいつ」「部外者はカエレ」的な目で見ていた初対面の四人は、いっせいに表情が崩れた。

「あーこいつが」

「例の」

などと口々に喋りだす。それをたしなめるように仁が一回(わざとらしく)咳払いをすると、そこにいるリコを含めた5人は急に静かになった。その目は、最初の訝しげなものから、既に好奇の目に変わっていた。司は、一抹の居心地の悪さを感じながら、節目がちに五人を見る。一番端に居たリコと目が合うと、彼女は軽く会釈をした。司は苦笑いしつつそれを受け止めるが…いったいどうしたもんだろうか。

「えーと、西脇司クン。紹介します。彼らが俺たちの仲間――――ッ!」

異常なテンションの高さと共に仁が言った。なんだか司は、自分が宴会に遅刻してやってきた人になったみたいに感じた。

「ホラじゃーこっち来て座れば?」

あのワイシャツ角刈りが、荷物をどけて席を空ける。すると座っていた連中がひとつずつ席を移動しながら、ソファーの真ん中の席を開けた。

「はい、主賓!」

司はあれよあれよと言う間にその真ん中の席に座らされてしまう。

「じゃあとりあえず…自己紹介でもするか?俺と鳥羽はもう昨日で知ってるから…」

仁が取り仕切ると、さっきから気さくなワイシャツが立ち上がって言った。

「じゃ俺からな。えー、名前は天現寺悟と言いまして…柔道部主将やってます」

「白帯のくせにね」恰幅のいい社長がニヤリとしつつ言う。

「うるせーな!部員三人しかいないんだからしょうがねーだろッ!…っとまあ、こんな感じよ。よろしく!」

「はあ…」

柔道部…あったのか、うちの高校は。そんなことを考えていると、今度は隣に座っている寝癖がそのニコニコ顔を司に向けてきた。

「…僕はあの、島津尚志って言います…っと、特にこれといって言う事ないな。あ、得意技は書道です」

書道、といった瞬間に他のメンバーからクスクスと笑いが漏れる。

「とりあえずこいつは寺の息子なんだよな」仁がそう言うと

「まあこんなモサッとしてるけどねー。どうぞよろしく」

そう言いながら尚志は握手を求めてきた。黙って握り返すしかない司。それでも尚志はニコニコ。

「…次は私かな?あー二年七組の佐渡剛だ。以後、よろしく頼むよ。…ところでキミ、これ知ってる?」

と、言いつつ生徒手帳から一枚のラミネートカードを取り出す。そこには緑色の髪に耳からアンテナのようなパーツをのぞかせた女の子のイラストが…

「あの…堀江由比、ですか…?」

そのテの知識も実は網羅している司は、反射的に答えてしまう。瞬間、剛がしてやったり、と言わんばかりの笑顔で司の肩を抱くと仁へ向き直り、

「彼、なかなかいい人じゃないの!」

と言った。あーこの人たちとはなんだか仲良くなれそうだなーあはははは。司の思考回路はショート寸前であった。

「剛くん初対面なのに飛ばしすぎー」

背中あわせになった席からひょいと身を乗り出して、天パー少年が司と隣の尚志のあいだに割って入った。

「どもー。英祐介って言いますが。なんかすげーオタク集団だなーとか思ってるでしょ、特に剛くんとか剛くんとか剛くんとか」

一気にまくし立てるように喋る。

「まったく、健全な高校生に向かってなんてことを言うんだいキミは」

即座に剛が眼鏡をくいっと上げつつ突っ込む。

「またまた」

わッ、と談笑が辺りの空気を包む。司は、さっきからすごい形相でコチラを睨んでいらっしゃる「一般の利用者さん」が気になって気になって仕方が無かったんだが。これだけの集団の中に司がいる、ということは入学以来はじめてのことである。だから余計に周りが気になってしまうのだ。自分たちはどう見られているのか…。

「こらーーー!図書室はキミらのプレイルームじゃないんだぞー!他の人もいるんだから騒ぐなら表でなさい表―!」

司の考えを遮るように、綾乃が本を抱えて司書室から出てきた。

「綾乃さんだって十分声でかいよー」

「誰のせいだと思ってんの!」

ああ、この人たちは気付いていないのか…周囲からの「殺気」ともいえるようなこの視線に…。はらはらしながらも、司はどこかこの六人の中にある空気に、しっくりとした感触を得ていた。そんな感傷に浸っていると

「じゃあ最後は…」

六人の視線が司に集中する。

「あー…えっと。西脇司です。あの、昨日ちょっと、いろいろありまして…」

そこまで来て、なんと説明したものか戸惑ってしまう。そんな司を横目に見て、仁がいち早くフォローを出す。

「そう!いろいろあって我々『組織』の一員になったッ!七人目の戦士!七人目の同志であるッ!!」

言いながら、仁が小さく拍手をする。つられて五人もみんな笑顔で小さく拍手。ぱちぱちぱちぱち。周りのキツイ視線は、突如始まったこの「就任記念式典」の様子を見てザッと音を立てるように引いていった。そんな図書室の空気を微妙に感じつつ、司は小さく何度も「よろしくです」とくりかえしていた。

こうして、司の「スパイラル」メンバーとしての日々が始まった。

 

 

司にとってまったく意識の外に追いやっていた事だが、それでも期末試験はやってくる。環境のあまりの変化に、テスト勉強で出遅れた司は、試験前日の詰め込み物量作戦でなんとかテストをしのいだ。 そして、一気に神経をすり減らした五日間が終り、学校は冬休み前の試験休みに入った。私立である螺旋二高は、公立のように土曜が休みでないかわりに、こういった試験休みで文部省指定の休業日を稼いでいるのだった。部活をやっている生徒が来ているため人の声はするが、普段の喧騒からすればはるかに静かだ。そんな試験休みの初日。夕方になって、司は綾乃に招集された。

試験明けそうそうに居残りで練習していた生徒が、「あれ」に襲われた。しかも一人や二人ではない、集団で。試験明けで他の生徒が殆ど残っていなかった事と、例によって上からの圧力による隠ぺい工作で、事態はそれほど大きくならずにすんだようだった。その日の夜のうちに、綾乃を通してヴァカンスに心躍らせる「スパイラル」のメンバーに通達が行ったのであった。なぜ夕方に集合かといえば、「あれ」が出るのは決まって日が暮れてからだからだ。司が職員玄関から回って図書室に入った午後四時ちょうど。すでに集まった他のメンバーは、なにやらあわただしく準備していた。はじめて彼らにあってから約二週間。ずいぶんとお互いに親しくなった気がしていた司だったが、彼らの「仕事」の様子は初めて見るものだった。

剛が持参のノートパソコンを図書室内の検索用デスクトップと接続している。尚志は、これまたいつもの「習字セット」を広げてなにやらたくさん「書き物」をしている。祐介はソファーに座って、なにやら考え事をした風に動かない。悟と仁は着ている上着を脱いで学生服にわざわざ着替え直している。その傍らには、既に二高の女子制服姿になったリコが木刀を袋から取り出していた。

綾乃はそんな面々を見ながら言った。

「すぐに日は落ちるわ。今日は宿直の先生に頼んで五時までに来てる生徒を全員帰らせる手はずになってるから、それまでに臨戦態勢、整えておいて!…あ、西脇君、時間通りね」

その一言で今まで作業していた六人が司に気付く。その顔は皆、司が普段知っている表情に戻っていた。

「お、来たなー。司、例のものは持ってきたか?」

仁が学ランのボタンを閉めながら司の隣にやってくる。

「ん?ああ、もって来たよ…こんなのしかなかったけど」

司はそういって肩掛けのかばんの中からタオルで包んでいた「例のもの」を取り出した。司がゆっくりタオルを取ると、そこに現れたのは鈍い光をたたえた銃だった。もちろん本物であるはずも無く、司が今年の頭にお年玉を総動員してやっと買ったガスガンである。最近のガスガンはモデルガン並みの外見を持つものが殆どで、司のそれもご多分に漏れず丁寧なつくりをしていた。ピエトロベレッタM93Rセカンドモデル。それがこの銃の名前だ。普通のオートの銃よりもひとまわり大きく作られているその銃は、米海軍特殊部隊用に開発されたもので、フルオート、三点バースト(三連射)、セミオートと切り替えて使えるようになっていた。映画の中でジョン・トラヴォルタがカッコよく使っているのを見て、司は大枚はたいてそのガスガンを買ったのだった。もちろんガスガンでも切り換えシステムは再現されている優れものだ。

「おお!じゅうぶん!…お前見かけによらずゴツいもんもってるなー。えっと…弾のほうは今、尚志がやってるよ」

「いんや。もうできてるぞー」

相変わらずの寝癖のままで、机の上で習字セットを広げていた尚志が、ビニールの袋を投げてよこした。ビニールの袋の中には、なにやら凡字のような文字が墨で書かれた巾着袋が入っている。そのなかには、ガスガン用の6ミリBB弾がいっぱいつまっていた。

「怨霊調伏の印つけといたからー。それで撃てばたぶん『効く』と思うよー!」

まだ机に向かって筆でなにか書き続けながら尚志が大声で言った。

「あいつ、寺の息子だって言ったろ。だから御守とか御札とかに詳しくてな。こうやってあいつの作った『御守グッズ』で『あれ』と戦うわけよ。じゃあとりあえず、これ満タンに込めとけな、その銃に」

そういうと仁は一旦司の隣を離れて学ランを着ている悟を呼んできた。

「とりあえず、チームの中でフォワードを務めるのは、俺と、この悟とリコ、そしてお前だ。やることはただ一つ。四人で連携して『あれ』を殲滅する事。フォワードと言っても俺と悟には『あれ』を祓う直接的な力は無いから…とどめはリコの木刀か、お前のその銃だ。…初めての仕事で前衛はきついかもしれないが…お前には俺が付くから。悟とリコもペアを組む。もし『あれ』とぶつかったら…俺があいつの動きを封じて、お前がトドメだ。いいな?」

一気にそこまで言うと、仁は司の肩をぽんと叩いた。今までにない緊張が、司の中をきりきりと締め付ける。フォワード、か。できるのか、俺に…。未だに脳裏に焼きつく、『あれ』の姿が一瞬浮かび上がった。

「だいじょぶだよ、ジンさんといっしょにいれば。最後にそれで「バン」ってさ」

仁は他のメンバーから「ジンさん」と呼ばれている。スパイラルの中でもリーダー的存在の彼は、同級の悟たちからも敬意をこめて「さん」付けで呼ばれているのだ。

「おーい、セットアップ終わったぞ。祐介ちゃん、そっち何かわかった?」

二台のパソコンを繋ぎ終わった剛が、さっきから一言も喋らないで目を閉じている祐介に声をかける。剛の前で立ち上がっているノートパソコンの液晶には、階層別に三次元CGで表された螺旋二高の校舎全体像が映し出されている。

「まだ完全に暗くなってないからな…いつもの『わだかまり』の周辺にしか、出てないな」

「…何のことを言ってるの?」

司がコッソリと仁に聞く。

「祐介はな、他の人間よりカンがいいところがある…というか良すぎるんだ。あいつは大体半径2メートル以内の誤差で『あれ』がどこにいるのか感じることができるのさ」

「…霊感…?」

「まあそんなところだ。その力を買われて、綾乃さんにスカウトされたって訳だ」

司はそれを聞いたとき、今まで普通に接してきた祐介が、一瞬何か違う人間に見えた。みんな、こういう風にそれぞれの「得意技」を持っているんだ。…自分はこのチームの中で、しっかり機能する事ができるのだろうか。仲間がいることで、迷惑をかけたりはしまいか。今まで一人だったからこそ、司はいちいち様々な事に不安の種を見つけてしまう。

「ひっしー先輩、私の分できました?」

リコが木刀を持って尚志の机に駆け寄る。

「おう、出来たよ。はい」

尚志はさっきから書いていた御札の束をリコに渡す。リコはそれを、すぐ隣の机に陣取って木刀に糊を使ってきれいに巻きつけていった。司のBB弾と同じように、尚志に「印」をつけられることによって、リコの木刀は怨霊を薙ぎ祓う力を持つ霊剣になるのだ。

「今日の天候、公転周期その他から、ここの地脈、龍脈のデータ更新しといたよ。これである程度は『あれ』の出現場所と動く経路が特定できるから、ジンさんも悟も見といてねー」

剛が液晶を司たちのほうに向けた。そこにはさっき表示されていた螺旋二高のCGが見取り図のように分割され、赤いマルがシミのように所々を被っている。その赤いシミが、三階の化学準備室の辺りと、一階の音楽室の辺りで一際大きく映し出されていた。

「昨日襲われたのって、吹奏楽部でしたよね?」

その図を見ながら仁が綾乃に声をかける。

「そうよ。練習終わった後に音楽室から出た途端に、まとめてやられてるわ。ちょうど音楽室の裏手には…」

「建設途中の中学棟。もうあの工事が元凶っての、確定みたいなもんだね」

後を引き継ぐように剛が椅子に座ったままゆるりと回転しながら言った。

「誰かの墓でもあったのかな」

御札を作り終わった尚志が、習字セットを片付けながら液晶の中の中学棟をのぞきこむ。

「来年には中学生入れるってのに、大変ですねえ…」

リコが自分の木刀を仰ぎ見るようにかざして言った。

 

「えー四時半になりました…今日は部活の残留届は出てませんので、部活動をしている生徒は速やかに帰りなさーい」

 

宿直の先生が、やる気の無い声で下校時刻を告げた。徐々に昇降口の方が騒がしくなってくる。司たちのいる図書室に、ぴんとした空気が張り詰めた。

「じゃあみんな、それぞれ最終確認急いで!」

綾乃の一言で、七人はまたあわただしく動き出す。司は予備のBB弾と補充用のガスの缶を上着の両ポケットに突っ込む。銃の中からマガジンをだして、手で冷たさを確認する。こうすることで、ガス圧がある程度分かる。BB弾はフルロードされている。再びマガジンをグリップの中に戻すと、司はガスガンのスライドを引いた。ばしゃ、と小気味の良い機械音がして、初弾がチャンバーの中に装填される。セレクタスイッチを「セミオート(単発)」に切り替えて、ガスガンをベルトの脇に差し込む。不安、恐怖と共に、司はある種の「昂揚感」を味わっていた。これから自分は、あの訳の分からない「何か」を倒す!

「よしっ」

小声で、司はつぶやいていた。

その隣では、悟が空手で使うようなグローブをはめている。その手で、悟は自分の学ランの第一ボタンを軽く捻った。かち、と音がしたかと思うと、しゅっと学ランが身体にフィットし、肩、胸、腹、背中、肘、とつぎつぎに学ランの各部分がアーマーのように膨れ上がっていく。数十秒後、悟の着ていた学ランは、最初の形とは似てもにつかぬコンバットスーツに変形していた。その変形を目の当たりにして、司はただ口をあんぐりとしたままである。

「これは『ヴァリアブルスーツ』って言ってね。こうやって着る人によってカスタマイズできる戦闘服みたいなものね。スパイラルのフォワードが着るために上の連中の研究室で特殊開発されたの」

さらりと言うが綾乃さん…螺旋二高って、いや巻島グループって、いったいなにをやっているところなんだ?!そんなツッコミを許さないように、今度は仁が身につけている学ランのボタンを捻る。仁の学ランの裾が、垂れ幕でも落としたように足まで伸びて、以前司を助けたときの「ロングコート状」に変形する。

「はい、これつけて…西脇君も」

綾乃が仁、司、悟、リコのフォワード四人にヘッドインカムを渡す。司たちはそれをつけた。

「その無線機でこっちの指示や情報が逐一報告されるから。互いの連絡をこまめにとるのを忘れないでね」

実戦初体験の司に綾乃が言う。

「…はい!」

「がんばりましょー!」

インカムをつけたリコが木刀を一振りしながらそういった。これから化け物と戦うのに元気いいなあ、と司は内心ビビリまくっていたのでリコのことが理解不能であった。

「祐介、誘導よろしくな!」

悟が軽くウォーミングアップしながら、気を集中している祐介に言った。

「おー!まかしとけ!」

祐介が目をあけてニッコリ笑いながら答える。

「バックアップは万全ですよ、っと。祐介ちゃんの『スキャン』に基づいてどんどんデータ更新してくから」

剛がプログラムを別ウィンドウで立ち上げながら言う。

そのとき。五時を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。

「守衛さんに確認取った!もう校内には残ってる生徒はいないわ!…ぞんぶんに暴れてきなさい!西脇君も、がんばってね。それじゃ…『スパイラル』出動ッ!」

まるで戦隊モノか何かの隊長のように、綾乃が気合と共に言い放った。なんだか綾乃さんもみんなも、どこと無くこの状況を楽しんでいるふしがある。司はもちろん恐かったが、自分のどこかで「やれそうだ」という確かな自信もあった。周りの仲間達を見ると、そういう気持ちになってくる。腰のガスガンを引き抜くと、司は前を行く三人に続いて、もう暗くなった無人の校舎の中に走り出していった。

 

 

「いったぞっ!」

「一発は叩き込んだんですが…動きは今だ衰えていません!」

インカムを通して悟とリコの叫び声に近い「報告」が入る。図書館内。剛の前に並んだディスプレイが、校内の見取り図の中にフォワードの四人を淡い緑の点で映し出す。そのうち、音楽室に入る廊下の突き当たりにあった二つの点―悟とリコ―が動き出した。二分ほど前、二手に分かれて祐介の「スキャン」したポイントに向かった四人の内、音楽室に向かった悟とリコのペアが「あれ」に遭遇したのだ。

「オイ!『あれ』の行く先はたぶん…三階の化学準備室だ…今…東側の廊下を突っ切ってる!この経路だと…使われてない四番階段だ!」

剛の隣に座り、祐介が頭を深く抱えながら大声で叫ぶ。逐一それを剛がパソコンに入力していくと、何パターンかの「あれ」予想進路が赤い筋となって校舎内を走る。

「今の聞いたか!この調子で行くと、悟たちじゃ追いつかない!ジンさん頼むよ!四番階段は二階までしか続いてないからえーっと…『あれ』が化学準備室に行くには一番近い二番階段だ!」

剛がパソコンの前に設置してあるマイクに向かって叫ぶ。

「二番階段ってどこだったっけ?」

化学準備室を後に走りながら、仁が司に聞く。

「たぶんあれだ、オレンジ色のトコ!」

「よッしゃ!」

螺旋二高は階段をそれぞれの校舎に通じる場所によって壁の色を色分けしているのだ。オレンジ色に塗られた二番階段は化学準備室の廊下をまっすぐに抜けて最初に突き当たる階段だ。そこを抜けて二階の踊り場へ向かう。段を一段飛ばしに降りていく仁に追いつく事で、司はもう既にいっぱいいっぱいになっていた。

2½と黒字で書かれた壁を前に、仁は急に身体を反転させ、止まる。ぶわ、とワンテンポ遅れてコートの裾があとを追う。全力で階段を下りていた司は面食らってこけそうになった。辺りを一瞬にして静寂が被い尽くす。遠くで悟とリコの声が聞こえるが、なにを言っているのか分からない。

「来たぞ!実体化してる!気をつけろ!」

インカムから祐介の声が突き刺さった。ずごんっ!二人が身構える隙も無く、辺りの空気が一気に密度を増したような重たい衝撃が、司の体を押し戻した。思わず後ろに倒れ込みそうになる身体を必死に手すりで押さえて、右手に持っているガスガンを衝撃の方向に向ける。一瞬遅れて目線もそちらに移したとき、司は思わず叫びそうになっていた。

階段の踊り場に降りている仁が対峙しているもの…それははじめて司を襲ったものとはまったく別の形をしていた。そもそも今回は、陽炎のようなあいまいな形ではなく、しっかりした「姿かたち」がある。まず、異常に長い手。手が足の代わりに床についている。踊り場に張られているガラスから差し込む月光に照らされたその肌には、筋肉を剥き出しにしたような筋だった表面に剛毛が鈍く浮き立っている。身体は小さく、足まで含めても普通の人間の上半身くらいまでしかいかない。足は短く折りたたまれていて、その全体のシルエットは、切って伸ばしたハンガーに逆三角形がぶら下がっている様な形だ。そしてハンガーの引っ掛けの部分に乗っかっている顔は、人間のものと同じ形をしていた。しかし、形こそ同じだが顔を構成する「部品」はまったく人間からかけ離れている。口は耳まで避け、顎は獣の顎のように前にせり出しており、目のあるべき場所には縦になった人間の口が二つ。トカゲが瞬きをするように、くすんだ赤の唇がうねうねと開いたり閉じたりしている。そして、その口の中は、司が見たものと同じあの「虚無」が広がっていた。

ぐおふるるるるるるるる

その異形が、しまりきらない顎の奥からうめきに似た声を鳴らす。

「うわああああっ」

自分が襲われたときのことが一瞬にして蘇った司は、身を引きながら闇雲にガスガンの引き金を引いた。ばしゅばしゅばしゅ!という音と共に、6ミリBB弾が撃ち出される。弾丸に込められた尚志の「怨霊調伏の印」が射出と同時に発動し、BB弾を暗い廊下に青白く発光させる。殆どの弾は廊下や周りの壁にあたって盛大に跳ね返った後、虚空の切ってどこかへ飛んでいってしまった。

ぐおっふ!

せつな、異形が何か熱いものにでも触ったように、廊下についた片方の手を持ち上げる。その手の甲には、青白く光るBB弾がめり込んでいる。わずらわしそうに手を払う化け物。

「…当たったの、か?」

「バカッ!闇雲に撃ったってしょうがないだろう!俺が動きをとめてから、ちゃんと狙って撃てッ!!」

司が確認するよりも速く、仁の叫びが降りかかる。言い終わらないうちに仁はその場から化け物に向かって一歩、大きく踏み込んだ。ドシッ!という音が階段の土台を通して踊り場にこだまする。一瞬で化け物との間合いをゼロにした仁は、化け物の床についている腕と腕の間から自分の膝を入れ、思い切り真上に蹴り上げる。

ぐいイッ

化け物は妙なうめき声を立てて弾かれたように飛び上がりつつ蹴りをかわしたが、着地した一瞬の隙のうちに仁は跳躍している。化け物の頭上まで飛んだところでぐるりと宙返りをした。その瞬間、仁の回転する身体の軌跡を増幅するように、伸びたヴァリアブルスーツの裾が展開し、化け物を手前に弾き飛ばす。ちょうど、タオルの端を持って思いっきり縦に振り回したような感じだ。

バシッ!当たった瞬間に青白い火花が散る。化け物が大きく前にのけぞりながら、司の方に倒れこんでくる。

「うおおおおおっ!」

着地したかと思うと、仁は再び身体を捻り、スーツの裾を鞭のようにしならせて回転しながら、化け物の背中にラッシュを放つ。バシ!バシ!バシッッ!!化け物はうめきながらどんどん踊り場から司のいる階段側へ追い詰められていく。

「司…どけっ!」

攻撃の手を緩めずに仁が叫ぶ。

「うわっ」

急いで化け物と対角線を描くように階段を下りる司。

司が仁のすぐ横に転がり込んだとき、仁が渾身の一撃で化け物の手元…床についている「足元」である…を薙ぎ払った。

ぐえっ

化け物が階段にたおれこむ。同時に仁が司を前にグイッと押した。

「今だ…ちゃんと狙えよ!」

「わかってる!!」

ガスガンの銃口を即座に倒れたままの化け物の背中に照準。引き金を引こうとした―その時!倒れていた化け物がハンドスプリングの要領で勢いをつけ、後ろ向きのまま足を出して司に飛びかかってきた。

どっ!鈍い衝撃と共に司は仰向けに倒され、発射した弾丸は青白い筋を描きながら虚空に消えた。仁に向かって倒れこむ司の頭上を、化け物が擦過する。

「あっ…!」

 

がしゃあああん!!

図書館の外から、大きなガラスの割れる音が響いた。二番階段のほうからだ。

「やりやがった!」

祐介が顔を上げて綾乃に叫ぶ。

「どうしたの?」

「『あれ』が二番階段の踊り場にある窓ガラス突き破って外に出ました!」

そう言いながら祐介がマイクに向かって叫ぶ。

「おいジンさん…西脇!無事か?!」

通信機が壊れているのか、ノイズしか聞こえてこない。

「おい!なにがあった!」

「今ガラスの割れる音がしましたよねえ?」

インカム越しに悟とリコが状況を確認してくる。

「さっき言ったとおりだ!お前ら二番階段までいってジンさんと西脇くん助けろ!」

「二番階段の外…には、あっ、地脈が走ってるよ!」

剛がディスプレイに映し出された赤いシミを確認しながら言う。地脈とは、その土地にある気の流れが通る道のようなものである。

「くそ、『遁甲』するつもりかよッ!」御札を束に持って尚志がディスプレイに駆け寄る。

「今の地脈の状態、どうなってる?」

「ちょっとまて…でた!」

剛が別ウィンドウから立ち上げたソフトで螺旋二高の敷地内の地図を読み込むと、そこに幾筋もの赤い線が走っていく。その線にはところどころ丸が打ってあるポイントがあり、そこが気の「溜まり場」を意味していた。尚志の言っていた「遁甲」とは、その気の溜まり場から地脈に入りこんで移動する術のことを言う。

「よっし、ちょっと行って来ますね」

尚志は地図上の赤い丸の位置を確認すると、持っていた御札の束をポケットに突っ込んで図書館を出た。

「島津君、ちょっとどこいくの!」

綾乃がその後姿に声をかける。

「『あれ』が地脈から出てくるポイント、結界はって塞いできます!次に出る場所を誘導できるかもしれない!」

尚志はもう闇に溶け込んで、外へ飛び出していた。

 

「…聞こえる?二人とも!どちらでもいいから返事して!」

インカムからノイズに埋もれつつ聞こえてくる綾乃の声で、司は目を覚ました。身を起こそうと手をついたとき、パキッという音がして床についた掌が急に熱くなった。思わず床に目を落とすと、そこには月明りを受け手小さく輝くガラスの破片が、床一面を覆っていた。そればかりか自分の身体の上にまでガラスは降りかかっている。安全基準にもとづいて丸く割れるように作られているガラスだが、そのひとつが司の体重がかかって掌に傷をつけたのだった。

「う…いて」

「…西脇くん?なにがあったの?そっちの状況は?」

インカムから聞こえる綾乃の遠い声。ずきずき痛む右半身を無理やり捻って後ろを向く。そこには散らばったガラスの海の中に仁が倒れこんでいた。後ろに向かって倒れた仁をそのまま受け止めて倒れたのだ。仁はまだ気を失っている。

「あ、ああの、古河君が…」

声がかすれて自分でも良く聞こえない。

「古河君がどうしたって?もしもし…聞こえてる?」

「古河君が、俺の事受け止めて、それで一緒に倒れちゃって、その…」

そこから先は言葉にならなかった。頼りにしていた人間が、自分のせいでやられた…?倒れたままの仁は動かなくなってしまっている。さっきの異形の姿が一瞬幻影に蘇る。

「うゥ…うう」

泣き声とも恐怖ともつかない嗚咽が司の口を出る。

「…西脇くん?!ちょっと、ちょっと一旦落ち着くのよ!今そっちに天現寺くんと鳥羽さんが向かってるから!」

その通信が終わらないうちに、二階の階段口から「大丈夫ですかっ!」というリコの悲鳴に近い声が聞こえた。

そして走り出したリコよりも速く、悟が階段を駆け上がってくる。一気に踊り場まで着た悟は、戸惑う司を一瞥したあと、すばやく仁の胸に耳を当て、脈を図る。手馴れた手つきだ。一通りの確認作業が終わると、こんどこそしっかり司の方に向き直った。その表情には、安堵が宿っている。

「…ジンさん、気絶してるだけだわ。ったくねー」

「あ…あの」

司が必死に言葉を探す。でも、今何か喋ったら全て言い訳になってしまいそうだった…

「西脇さー、こいつ運ぶの手伝ってよ。さすがに俺一人じゃ無理だから」

さえぎるように悟がいう。

「え…あの、うん」

司は黙って、悟の背中にぐったりと力の抜けた仁をおんぶさせる。手伝ってくれ、と言った割には、司が手伝う事が出来たのはそのくらいだった。悟は一人で仁をおぶったままひょいひょいと階段を下りていく。

「あの、西脇先輩は怪我とか大丈夫ですか?」

悟のことを黙って見ながらついて歩く司に、リコが声をかけた。司は「大丈夫だよ」と言ったつもりだが、その声は喉のかすれに吸収されて、リコまで届いたかわからなかった。ついさっきまでの、化け物を倒すという昂揚感はどこかへ消し飛んでしまっていた。俺のせいだ。おれのせいだおれのせいだおれのせいだ。恐怖と痛いほどの悔恨が、司を埋め尽くした。

 

「まだチャンスはある」

仁を背負いながら、足早に図書室に向かう悟は、そういった。

「お前らを押し倒してから、『あれ』は地脈に入ったらしい。それで形成を立て直してから河岸変えてもう一回出て来る。今度は獲物を探しながらの徘徊じゃない。明確に俺たちを狙ってくる。地脈の出口には、尚志が一個を残して全て結界を張った。だから…次に出て来る場所はひとつしかない。そこを一気に叩く。仁がつぶれちまったから、奴の足止めは俺一人で何とかする。あとはリコとお前でトドメだ」

淡々と、前を向く視線をそらさずに悟は語った。

「でも、さっきので古河君とか、…俺なんにもできなかったし」

司が堰を切ったように話し始めた。

「だから!」

司の泣き言を遮るような大声で悟が言った。司のほうをチラ、と見る。

「…だから、このままじゃやだろ?デビュー戦で負けっぱなし、なんてよ」

司の足が止まった。

「大丈夫、ですよ、きっと」

その司を追い越しざま、リコが小声でつぶやくようにいった。司はしばらくその場にとどまっていた。悟とリコはどんどん先へ行く。

「…っし」

大きく一回深呼吸をし、司は走り出した。ガスガンのグリップを握る手に、力がこもった。

 

その二分の後。職員玄関と食堂を繋ぐ、螺旋二高の中で最も広く長い廊下のど真ん中に、司は立っていた。その隣には悟、リコ。先制をかける悟を中心にして司とリコを左右に配する形になっている。

「尚志があけておいた『出口』は、ちょうどお前らの立ってる向かって右の柱のあたりに位置してる。『あれ』が入った入り口から中庭を通ってここに出る地脈しか、『あれ』の移動できるルートは無いはずだ。出現のタイミングは祐介ちゃんが教えてくれるが…あいつが消えてからもう十分たとうとしてる。何時くるかわかんないよ」

インカムを通して剛が言った。

通信が切れると、あたりは本当の静寂になった。空を流れる夜の雲の音まで聞こえるような、そんな静けさだ。遠くでサイレンの音が鳴っている。夜風が木々を鳴らす音が聞こえる。司は、ガスガンをゆっくりと両手で握り締める。汗が一筋、こめかみを流れた。隣にいる悟は、ゆっくりと拳を空中に配置して、八極の構えをとった。リコはゆっくりと木刀を掲げ、正眼に構える。

「…近い。もうすぐ、来るぞ…」

じっとりとした口調で、祐介が通信に入った。

「今移動中…ん…気配が動いた?…いや、もう出るか…」

イヤフォンの向こうの祐介の声が、急に不審の色に染まる。一拍おいて、つんざくばかりの祐介の大声が入った。

「二匹いる!」

 

ドガッ!!!

激しい音圧が三人を襲った。

祐介の通信が終わるか終わらないかの内に、左側の壁が大きく膨らんだかと思うと、その場の空間をゆがめるようにして、『あれ』がでてくる。しかし、司たちが今まで戦っていた化け物ではない。形が異なる…二匹目だ!

「くそっ!リコ、どいてろっ!」

確認するが早いか悟が身体を半時計に捻って、その反動を利用しながら新しく現れた化け物に中段の横蹴りを放つ。ドシッ!と音がして稲光が悟の足を包み込んだ。弾かれるように新たな化け物は後ろに避けると、態勢を立て直す。

右側にある柱が、突如燐光を帯び始めた。

「さっきの奴が地脈から出る!!」

インカムを通して祐介の声が聞こえる。

柱から出る光がいっそう強くなり、新たな化け物の全身を映し出す。

異様だった。

腕は異常に退化し、顔も首も胴体にうずもれている。その胴体も、ハンマーで上から叩かれたように醜くひしゃげている。しかし、腰から下に伸びる足は、獣のような剛毛に覆われていながら、それは間違いなく人のそれの形をしていた。アンバランスな前衛絵画がそのままでてきたような姿だった。

「どおっ!りゃああ!!」

態勢を立て直すのもつかの間、身を低く構えて突進していった悟の拳のラッシュが化け物にヒットする。拳は、化け物に当たるたびに稲光を放っていた。

ばん!何かがはじけるような音がする。

悟の身体が宙を舞った。強靭なあの化け物の足でひと蹴りされたのだった。

ドガ、と地面に落下した悟がうめき声をあげる。

「ええええええっ」

傍らにいたリコが一瞬悟を視界に確認した後、大きく踏み込んで化け物に突進しようとした、その時。柱の光が一瞬消えたかと思うと、一拍置いてもう一度、音の衝撃が走った。そこには、さっき司たちを倒して逃げた、手の長いあの化け物が柱の空間を突き破って出現していた。

「…!」

一瞬、目標を迷ったリコが、より近くに現れた手の長い化け物に木刀を一閃しようとした瞬間、足の長い方の化け物がばん!と床を踏み切ってリコに蹴りを放った。

「きゃッ!」リコはすんでのところでかわしたものの、構えていた木刀を薙ぎ払われていた。腕を押さえながら、その場にうずくまる。目の前でうずくまっているリコを確認し、手の長い化け物がリコの上に覆い被さろうとする。

「ずあっ!」

走ってきた悟の蹴りが、化け物の頭にヒットした。そのまま吹っ飛んだ手長は後ろにいる足長にぶつかって共に倒れこむ。リコの手を引いて、司がリコと後退させ、自分が前衛に出る。起き上がろうとした化け物に、もう一発蹴りを…と態勢を構え直した悟の目の前にガバ!と巨大な影が立ちふさがった。身長が、悟の二倍近くにまで達している。

司は息を飲んだ。足長の上に、手長が乗っかっている。小さい足長の手が、肩車のように手長の小さい足と結びついている。合体したのだ。一体になった化け物は、手と足の異常に長い巨人のようなシルエットになった。

「何…?」

言った瞬間、上半身の手長が振りかぶった手刀が、悟の肩に落ちる。ぬがっ!と悟るがうめいてその場に倒れこむ。下半身の足長が大きく一歩を踏み出す。一歩で、司の目の前に移動した。

「おおお!」

司が構えたガスガンの引き金を引く。バシュッ!青い光の筋を描いてBB弾が発射されるが、化け物はその巨体に似合わず恐ろしい俊敏さでその弾を避けた。

「!」

ほぼ同時に、手長の大きな掌が司に迫る。まるで子供が人形で遊ぶときのように、司の脇腹を片手でつかんで、軽々と顔の高さまで持ち上げる化け物。またしても、司の目の前にはあの「虚無の穴」があった。化け物の口と、目に位置する二つ、計三つの口が同時に開いていく。もうだめか。また同じオチかよ…!「だってこのままじゃやだろ」「七人目の戦士!」「負けっぱなし」「仲間に」…くそ、くそくそくそくそおおお!こんなところで、終わりたくない!!

司は渾身の力をこめて、宙吊りになったまま化け物の腹を蹴った。グイ、とした嫌な感触が伝わる。

ごおうあ!

下半身の足長がうめき声をあげた。

ドン!!

一瞬、なにがこったのかわからなかった。自分がたった今蹴ったあたり…手長と足長のちょうど境目の腹部から、御札の巻かれた木刀の切っ先が生えている。木刀を拾って化け物の股の下をくぐり後ろに回ったリコが、ちょうど二匹が合体している境目を狙って木刀を突き刺したのだ。

「早くーーーッ!」

誰にとも無くリコが叫ぶ。

「セイヤッ!」化け物の後ろで倒れていた悟が、倒れたままの姿勢で思い切り低い位置から「足払い」をした。ズカッ!司を掴んだままの化け物が、ゆっくり仰向けに倒れていく。

司は、つかまれたまま必死に空中でもがいて化け物の腹のあたりを蹴り続ける。

どさ!

鈍い音がして、司と共に化け物が倒れこむ。半ばまで刺さっていた木刀が、床に押されて完全に化け物を貫通する。

ぐるるるるるるええええええええええ!!!

上半身の顔の位置にある三つの口と、下半身・足長の顔にある口が大咆哮をあげる。

その脇につかまれた手ごと落下した司は、化け物の手を振り解いて頭に馬乗りになる。

叫ぶ化け物の咆哮が、正面から襲う。頭蓋骨がビリビリ言うくらいの音圧だ。叫んでいる化け物の口に、司はガスガンの銃口を深々と突っ込んだ。

「消えろおおおおおおおお!!!!」

バシュ!バババババババババババンッ!!

セレクタをフルオートに切り替えて、印のこもったBB弾を全て化け物の口の中に叩き込む。弾が放つ燐光がすさまじくなり、化け物の頭は電球のように光りだした。

おべべべべべべべべべべべ

化け物がそれでも断末魔の叫びをあげる。

ガシン!硬い音がして、ガスガンのスライドが後退したまま止まった。ホールドオープン…弾切れだ。

一瞬の後、化け物の顔にあった光が前進を駆け巡ったかと思うと、轟!と言うすさまじい音と共に化け物の身体が吹き飛び、虚空に四散した。

 

「はあ、はあ、はあ」

司は、なにが起こったのか理解するのに一瞬時間が掛かった。

 

…勝った。俺の手で、倒したのだ…

 

ふと顔をあげると、尚志、剛、祐介に綾乃といった司令塔のメンバーがこっちに向かって走ってきている。司はぐったりと力尽きて、冷たいリノリウムの床に倒れこんだ。目線だけ動かして横を見ると、悟もまた倒れたままで、天井を見ながら声にならない笑い声を上げている。リコは、化け物が「あった」場所に転がっていた木刀まで這いつくばって動くと、木刀をツエ代わりにしてゆっくりと立ち上がった。

「大丈夫…?」

遠くで綾乃の声がする。駆け寄ってくる綾乃を視界の隅で捕らえながら、司の意識はゆっくりと深海のそこへ沈んでいった…

 

 

朝の光で目が覚めた。ソファに寝ているが、身体が痛くて身を起こす事が出来ない…あの時と同じだ。結局泊り込みか。司は思った。散々な試験休みだ。

ふと、顔に覆い被さる影があった。

「起きたか…どうだ?少しは良くなったか?」

仁だった。

「…古河く…ジンさんは大丈夫なのかよ?」

司が小さく答える。

「…へへへへ。クライマックスは見れずじまいだったけどな」

「よく言うよ」

スパイラルのメンバーは皆、図書室の思い思いの場所でザコ寝していたが、起きているのは仁と司だけだった。朝の冷たい空気が鼻腔をつーんとつく。遠くでは鳥のさえずる声がする。

「…もうちょっと寝るわ」

司は目を閉じた。

「ああ。…な、司。今度のときも、頼りにしてるぜ、おい」

閉じたまぶたの上から、仁の声がした。

司は黙って、笑顔でそれに答えた。

 

「螺旋の7人・第二話」おわり。

次回をお楽しみに。