「妹の憂鬱」

 

ううっ・・・・・。激しい頭痛と足腰の痛みで目が覚めた。こんな寝起きは初めてだ。珍しく昼寝なんかしたからだろうか。
昼飯を妹の由美と食った後、突然の睡魔におそわれた俺は服も替えずにベッドに倒れてしまった。それまで俺は昼寝などほとんどしなかったし、一日4時間の睡眠で十分活動できる人間だ。だから、昼食後に眠くなるなんて事は俺にとって病を煩った事を意味するのかもしれない。そうでなくとも明らかに異常なのだ。気を付けなければ。
カーテンからはオレンジ色の光が漏れて俺の頬を焼いている。街はそれまでの喧噪を忘れ静寂を取り戻そうとしていた。多分6時頃だろうか。今日は色々とやりたいことがあったのだがこんな形で予定が狂うとは。
頭痛も収まってきた。天井とにらめっこしていてもしょうがない。とりあえず水を飲もうと思い立ち、体を起こす。
・・・・・?。体は動こうとしない。何度やっても同じだった。ほとんど動かない。
力は入っているようなのに、なぜ?それが分かるまでそう時間はかからなかった。力を入れる度に感じるズキズキとした手首足首の痛み。かろうじて動く首をまわして目をやればその理由がはっきり分かった。
縛られている!
 ベッドの4っつの柱にそれぞれ手足を縛られ、俺は仰向けに大の字の格好をしていた。太さが1センチ弱の縄はきつめに縛られていてどう頑張っても俺一人じゃ解けそうにない。しかしなんでこんな事に気付かないんだ、俺は。恥ずかしささえ覚える。
なんでこんなことにきづかないんだ?
ん、まだ何か大事なことが・・・・・。
 そうだ!由美だ!由美はどうなったんだ。俺にこんなことをしたのはおそらく侵入者の仕業だろう。とすると由美は、由美はどうなったんだ!?
「由美ーーーっ!」
俺は大声で叫んだ。返事はない。
ああ、俺はなんて事を。親父もお袋もいないこの家で由美を守ってやれるのは俺一人じゃないか。由美・・・すまない。寝ていたとは言え、こんな形に縛られても気付かなかった不甲斐ない兄貴を。
キシッ・・・キシッ・・・。
涙がにじんできたときだった。階段を誰かが登ってくる。侵入者だ!
どうしよう。今の俺は首くらいしか動かない。このままでは俺は殺されてしまう。考えている今もどんどん音は近づいてくる。
そして、とうとうドアの前まできてしまった。おのれ、殺されたってタダでは死ぬものか。指の一本ぐらいは食いちぎってやる。
ガチャッ。
ノブがひねられ静かにドアが開いた。息巻いている俺の前に現れたのは・・・・・
「由美っ!」
恥ずかしそうな、困ったような、由美は少しうつむいて俺を見ていた。どうやら由美はなんともないようだ。とりあえず一安心。
「大丈夫か、由美。一体どうしたんだ。」
由美は肩をビクッと震わせる。様子が変だ。やはり何かあったのか?
「おい、なにがあったん・・・」
「あのね、お兄ちゃん縛ったの・・・・・あたしだよ。」
由美はそう言って俺の言葉を遮った。
「・・・・・由美? お前、なに言ってんだ?」
訳が分からず、間の抜けたことを言ってしまう。今の俺はおそらく顔も間抜けだろう。
「だから、お兄ちゃん縛ったのはあたしなのっ!」
何がじれったいのか、由美は少し声を張り上げた。大した音量ではなかったのだが、物音しない家の中では響くようにも聞こえる。
カーテンから漏れていた夕日は由美の顔にもかかり、頬をオレンジ色に染めていた。
克明に映し出された由美の顔は恥じらい、切なさ、悲しみ、そんな感情を含んでいるようで、由美のそんな表情を見て俺は胸の奥がにわかに締め付けられる感覚にとらわれた。
由美に何があったんだ?由美が俺を縛っただって?どうしてそんな・・・・・。
「本当にお前がやったのか?」
唯一動く頭を由美に向ける。由美はうつむいたままだ。
「そうだよ。あたしがやったんだよ。」
マジらしい。こんな大胆な嘘を付く由美を俺は知らない。しかし、何故だ?由美の恨みをかうような事をした覚えは・・・・・・・・・・・・無くもない。
もしかしたら、つるぺたの胸を馬鹿にした事かな、いや、学校ですれ違いざまスカートめくりをしたことか?あ、そうだ、お気に入りのシャンプーの中身を安いボディーソープと入れ替えたことかもしれない。あの時の由美は怒った怒った。正確にみぞおちを狙ってきたからな。その後、「髪がキシキシするーー」とかわめいたあげく、次の日学校休んじゃったし。
なーんだ。納得、納得。由美が俺を縛ろうとするのも無理からぬ事。万事解決・・・
・・って、なわけないだろ!こ、このままでは本格的にやばい。あの正拳をまともに受けたら俺はどうなってしまうんだ。それだけじゃない。精神的攻撃も忘れないだろう。顔全体に由美の前衛芸術をぶちまけ、後世に残るよう写真にもばっちり収めらて・・・・・。
ああ、もうダメだ。そんな事されたら俺は裏社会で生きるしか・・・・・。
さようなら。せめて大学くらい行きたかった。
「お兄ちゃん・・・・・。」
きたっ!由美がゆっくりと近づいてくる。ちょっと、まだ心の準備が。ああっ、せめてもう少し時間を。
すぅっ。
由美の手が俺の頬を撫でた。ゆっくりと、ゆっくりと。
「ゆ、由美?」
由美は手を添えたまま俺を真正面に見据えている。時折、長いまつげが上下する。
「あっ。」
俺はまた、胸を締め付けられたようになってしまい、顔が熱くなっていくのを感じた。脈はうるさいほど激しくなり、頭は混乱した。まともに由美を見ることが出来ない。つい目をそらしてしまう。
「お兄ちゃん、あたしを見て。お願い・・・・・・・。」
由美、おまえ、それってまさか。
「・・・・・・・・催眠術?」

(沈黙)

あ、まずい。由美の拳が小刻みに震えてる。まさか、この構えは!
「お兄ちゃんの、ばかぁーーーーーーーー!」
どかっ。
「げふぅっ。」
お、お見事。どこが一番苦しいか心得ていらっしゃる。
「もういいもん。ホントに、ホントに、お兄ちゃんなんかだいっキライ。」
そう言うと由美はドカドカと部屋を出ていった。
なんか由美、泣いてたような。
いや、それより縄をほどいてちょうだい。うう、意識がもうろうと・・・・・・。
そして、夕焼けのオレンジはフェードアウトしていった。

 


教室の窓から見える雲を上目づかいに眺めながら俺は考える。
どうも由美の様子がおかしい!
今日の朝、食事当番だった俺は由美のご飯に箸を突き立てて食卓にだしてやったのだが、反応がない。更に茶碗を前にボケーッとしている由美に念仏(もどき)を唱えて
やったのだが、これも反応無し。ちょっとため息をつくと、悲しそうな顔をして・・
・・・・それだけだった。普段なら間違いなくアッパーが飛んでくるのだが・・・・・。非常にやりにくい!なんだか分かれる前のカップルみたいだ!
何故だ?やっぱり昨日のことが原因なのか?って言っても、俺は何にもしてないんだが。やったのは由美だ。なのに何で?手首に赤く残った縄の痕をさすった。まだひりひりしている。あれからかなり無理をして手首を縄から引っこ抜いたのだ。
まず、何故由美が俺を縛ったのか。これが重要だろう。
由美はモラルとか常識よりもまず感情が先走る人間だからなぁ。何かしら動機があれば俺を縛ることだってあるだろう。動機?何があったんだ?つもりつもった日頃の恨みを晴らそうとしたのか。でも、いつもその場で俺を殴り飛ばしているわけだし、大抵のことなら次の日には忘れてるしな。
しかし、あの時の恥じらった感じの由美。可愛かったな。頬なんか赤く染めちゃって・・・・あれは夕日か。さすがの俺もドキッとしちゃったぜ。よく知らんが、男子には人気があるらしいからな。特に上級生に。俺が泣かしたなんて言ったら誰か怒るのかな。
うーーーーん。確かに泣いてたよな、由美。
由美が泣いた理由も分からない。あいつが泣いたのはフランダースの犬の最終回(DVD)を見たとき以来だ。ああ、ネロ、パトラッシュ。
だいたい被害者は俺なのに何でこんなに気を揉まなくてはならないんだ。俺は由美の兄だが昨日の事についてはよく分からないな。これ以上考えるのは、家族だからといって人の心を無理矢理に推し量ろうとしていることかも知れない。何にせよ様子を見るしかない。俺にはどうすることもできん。由美が勝手にやったことだし。正直、由美の泣くところはもう見たくないが、なんかあれば由美のほうから言ってくるだろう。

開けっ放しにしておいた窓から、不意に冬の冷たい風が舞い込んで、俺を強かに薙いだ。慌てて窓を閉めて、また椅子に座って雲を眺める。
「何故?」
俺にだけ聞こえる声で呟いた。
それを由美に言ったらとんでもないことが起こりそうな気がした。

 


帰り道、俺は無意味に落ち葉を踏みならしながら歩いている。なるべく時間を掛けて。家に帰りたくない。しかし、すでに日はだいぶ落ちている。何より、寒い。
はぁ・・・・・・・・。
若い身空でこんな大きなため息をつくとは。情けない。

「それは恋だね。」
さっきの道で別れた友人はそう言っていった。当然、俺が縛られたことは言っていない。
「女の子はね、恋している時と生理の時はそんな風になるんだよ。」
童貞のくせに何をほざく、と思ったが友人として黙っておいた。

恋ねぇ。あいつがねぇ。・・・・・お兄ちゃんとしては複雑な心境ですな、なんて悠長なことは言っていられない。
「んがぁああああああああああっ!」
頭を掻きむしった。頭の中がかゆい感じだ。
「ん?」
気付くと買い物かごからネギをはみ出させているおばさんが口に手を当て、珍妙な顔で俺を見ている。こんな俺でもあんな姿を見られては頬も赤くなる。しかし、見られては仕方ない。
俺は出来る限りのスマイルをおばさんに向けた。するとおばさんはそそくさと行ってしまった。
おのれ。百万ドルはくだらないスマイルの価値がわからんとは。
そんなことより・・・・・どうしよう。いい加減帰らなくちゃ。見たい番組もあるし。でも・・・・・・。
んがぁあああああああ、とまた頭を掻きむしろうとしたその時、冬の時期にはたまらない暖かくて芳醇な香りが鼻の先をよぎった。道の先に見えるのは特製の豚まんを店先で並べる中華料理屋だった。
豚まんの販売を始めたのは3年前のこの時期。当時はちょっとした列が出来るほどの人気だったが、時間とともに近所の連中は味に飽きたらしく、今は昔ほどの人気もなく、販売をするのも週に2、3日になっていた。
三年前・・・・・。中学生だった俺たち兄妹は学校が一緒だったこともあって、時間が合えば一緒に登下校していたっけ。
たかが三年、されど三年。あのころの由美は今よりもちっちゃこくって可愛かった。
俺も今よりずっと背が低かったけど。
・・・・・・・・・・・・・・・・ああああああっ!思い出した。
俺は大急ぎで中華料理屋の店先に駆け寄って、豚まんの置かれたテーブルを片づけ始めたおばさんを引き留めた。

 


「ただいまー。」
ドアを開けて家に入る。靴があるところを見ると由美はもう帰っているようだ。しかし、家の中がどうも暗い。いつもならこの時間、由美が台所で夕食の支度をしているのだが。うーん。リビングに由美がいないことを確認してから、俺は階段を上がって由美の部屋のドアをノックした。返事がない。
「おーい、由美ー。夕食はー?」
もう一度ノックしてからそう言った。
「今、そんな気分じゃないの。ゴメン。お兄ちゃん自分でつくって。」
うーん。重傷ですな。しかし、俺には秘密兵器がある!
「まぁ、しょうがない。取りあえずおみやげがあるんだが・・・・・・入っていいか?」
返事がない。こんな時はOKのサインと勝手に決めつけてしまおう。
「これ、おみやげだっていってるだろ。」
そう言いながらドアを開けた。部屋の中は真っ暗で、いつも気になっていた不細工なペンギンの目覚まし時計もどこにあるのか分からない。手探りで部屋の電気をつけた。由美は制服のまま、ベッドで壁の方を向いて寝ていた。ペンギンはその横にかしこまっていた。勝手に入ってきた俺に何も言わない。やっぱり変だ。
「おーい、由美ちゃーん。おみやげですよー。」
バカにした様な声を出されてようやくカチンときたのだろうか。由美はゆっくりと起きあがった。でも、いつもの調子には戻っていなかった。
「なに?」
由美の声は静かだった。目もこちらを見ていない。眠いというわけでもなさそうだ。
「ほれ、豚まんだ。」
冬の寒さですっかり冷めてしまった豚まんを袋から取り出す。案の定、由美は

「いらない。」
と言って、またベッドに横になってしまった。このまま放っておくとずっとこのまま寝続けて、明日には冷たくなってしまうのではないかという不安に駆られた。
「そんなこと言っても、お前朝だってほとんど食ってないだろ。あれ、俺が何年ぶりに作った食事だと思ってんだよ。」
由美は反応しない。本当に心配になってきた。
「これ食わないってんなら、あのペンギンにまた落書きするぞ。だから、ほら。」
無理矢理由美を起こして、手に豚まんを持たせる。
「レンジで暖めてくるか?」
「いい。」
由美はそう言ってからようやく豚まんを口に運んだ。小さな口で、ちょっとずつ食べている。
「あんまり見ないでよ。食べづらい。」
そんなにじっと見ていただろうか。
「まあまあ、いいからいいから。そんなみみっちい食べ方しないで、ぱくっといっちゃってよ。ぱくっと。」
一瞬、ムっとした顔を見せると、文字通り、ぱくっという感じで豚まんを頬張った。

 ガリッ!

俺にも聞こえる音でそう聞こえた。小さくガッツポーズをする。
「んんっ!」
由美は随分慌てた様子で、口の中の異物を取り出した。
「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん、何これーーー!」
由美の手の上で光るのは500円玉だった。
「ぷはははははははははははははははっ!」
慌てようがあまりにおかしかったので、久しぶりに大笑いをしてしまった。目尻に涙がたまってきた。
「いやー。豪快に噛んでくれたね。」
由美はきょとんとしている。
「ほら、中学の時帰り道に豚まん売ってる店があったろ。いつもは並んでるんだけどたまたまその時は誰も並んでなくて、二個買ったんだよ。でも、そん時、俺一人で二個食っちゃったろ?豚まん買った金は由美のなのに。それを思い出したもんで。で、豚まんと500円。あー、俺は偉いなぁ。時間はたっていても律儀に返す物は返すなんて。昨今、こんな若者はいないぜ。」
うんうん、と顎を撫でていると横から怒気?いや、殺気が!
「ぜんぜん偉くなぁーーーい!歯が欠けちゃったらどうするの?もう。まだ痛いじゃない。それにお金ってすごく汚いんだよ?おなか壊したらお兄ちゃんのせいだからね!」
「ははははは、ぬかりない。ちゃんと石鹸で洗った。三回も。」
「それでも汚い!」
もうっ、と言うとまた食べ始めた。怒りも手伝ってか、勢い良くぱくぱくと食べている。
「おまえ、食うのかよ。」
「いいの。おなか減ったの。お昼もあんまり食べてなかったんだから。」
それにしても・・・・・・もう全部口の中に放りこんでしまった。俺の手のひらに収まらない大きさだぞ、あれ。

 ゴックン
最後の一口を飲み込むと由美はベッドから立ち上がった。
「まだおなか減ってる。今日の夕食はカレーにからね。時間かかるけど。いいでしょ?お兄ちゃん。」
心なしか由美の顔は笑みを必至で隠しているように見える。
「ああ。肉を多めにな。」
「うん!」
由美はスタスタとドアに向う。
「由美。」
俺は由美を引き留めた。
「なぁに?ルーは甘口にするからね。」
振り返った由美の手を引き、抱き寄せる。口を思いっきり耳元に持っていって、そっと囁いた。

「エッチ、してやろうか?」

「・・・・・うん。あたし、お兄ちゃんとなら・・・・・・・。」
・・・・・・・おい、マジかよ。そんな、まさか・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・って、いうわけないでしょ!」
 ドグッ!
「ぬぐはぁっ!」
由美のはなった拳が、俺のみぞおちをえぐる。その場に崩れ落ちる俺。
「これでおあいこね。それから、ご飯出来るまでにお風呂入っておいてね。」
由美はそう言うと、なんだか嬉しそうに部屋から出ていった。
強烈に痛むみぞおちを押さえながら仰向けに倒れる。映るのは蛍光灯のまぶしいひかり。
俺はクスクスと笑った。
今日はカレーか。甘口だけど。

                                      
                    Fin