約束。
約束があったんだ。
とても大事な約束。
大好きなあの娘と一緒にめいっぱい楽しんで回ろうって。
なのに、なのに……
ジュゥゥゥゥゥゥ……
何故だ、何故なんだ!?本当なら今日は天音と楽しく豪遊(?)のはずだったのに!
何で僕はこんな所でたこ焼きなんてモノを焼いているんだぁぁぁぁっ!!!!!
「お〜い水渚、たこ焼き追加……って、何泣きながら焼いてるんだ、お前?」
「西原……」
そうだ、そうだった。こいつのせいだったんだ。こいつのせいで僕は……。
僕は恨めしげに西原を睨んだ。が、西原は全く気にした様子もなく、言葉を続ける。
「おいおい、大丈夫か。しっかりしてくれよ、お前がいないと作れるヤツいないんだから」
「だったら最初から屋台なんて開こうとしないでくれよ!」
「仕方ないだろう、毎年恒例なんだから」
「二つ追加な」と、拷問のような台詞を吐いて、西原は接客へと向かう。僕は仕方なく、しぶしぶながらもたこ焼き製作に再び取り掛かった。
「さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!おいしいたこ焼きだよ!隠し味は今だけ限定、水渚かぎりの涙だよっ!さぁ、早い者勝ちだ、買った買った!」
……待てぇぇぇぇぇぃ!!
「西原、ふざけるなよ!何だよその呼びかけは!人を出しにするな!というか、そんなこと言ったら逆に客が引くだろうが!」
「ふっ、甘いな水渚」
西原がこちらを向いてニヤリと笑う。
「何が……」
「すいませ〜ん、たこ焼き一コくださ〜い」
「…………」
「こういうことだ」
西原が前に並んだ女の子を親指で指して勝ち誇ったように西原は笑った。
……いや、何かもうダメです。疲れました。
というか、あんな呼びかけで買いに来ないでくれよ、頼むから。借りにそうじゃなかったとしてもタイミング悪すぎ……。
「ハァ〜〜……」
何だかどっと疲労が押し寄せてきたが、とりあえず僕はたこ焼きを焼くことに専念することにした。
話は昨日の夜に遡る。
「は?屋台?」
学園祭を数時間後に控えたその夜、僕は西原から電話を受け取った。
『そうなんだよ。ウチの部でたこ焼きの屋台をやることになったんだけどさ、この土壇場に来て焼けるヤツが熱でぶっ倒れちまったんだ。』
「ぶっ倒れちまったんだ、って……普通そういうの開くくらいだから何人か出来るヤツがいるんじゃないのか?」
『いや、それがそいつ一人だけなんだ。去年も好評だったんで、今年もそいつのたこ焼きで行こうってことになってたんだが……』
西原の言葉がどんどん歯切れ悪くなる。おそらく本当に切羽詰ってるんだろう。今からじゃ変更も効かないだろうし。
それにしてもこういう事態が起こりうることを予想していなかったのだろうか。僕が昔高校の文化祭でやった時も一応何人かで分担してやってたぞ?大体作れる人間が一人しかいないんじゃそいつは学園祭中ずっとたこ焼きを作ってるってことになるじゃないか。僕は呆れを通り越してむしろ驚いてさえいた。
「……で、僕が作れるって事を思い出してこうやって頼みに電話を寄こした、と」
『そうなんだ!なぁ、何とかならないか?』
「ならないか、って言われてもなぁ……」
そんなことを急に言われても困る。明日は天音と一緒に学園祭を一緒に回って楽しもうと約束していたのだ。それも一週間以上前から。確かに西原が大変なのはわかるけど、やっぱり自業自得だろうし。
でも、何か後味悪いしなぁ……。
「う〜ん……」
『頼む!この通り!』
電話越しに西川の必死そうな声が聞こえる。きっと今、電話の向こうで手なんか合わせて拝み倒していたりするんだろう。
「う〜〜〜〜ん……」
僕はひたすら迷った。友情を取るべきか、恋愛を取るべきか。迷って迷って迷い抜いた末に───。
───結局手伝う事になってしまった……。
天音もきっと自分の方を優先されても西原が困っていたのを知ったらきっと心から楽しむことも出来ないだろうし、何より率先して手伝うと思ったから。
『サンキュー、ホント、恩にきる!!』と言って西川が電話を切るとすぐに僕は天音に電話を掛けた。天音ならきっと快く受け入れてくれるだろうから。
でも、そう思って安心して電話を掛けたのが運のツキだった。
『なんでそんなにあっけらかんとしてるのよ!』
「え、いや、そんなことは……」
『せっかく楽しみにしてたのに!』
「そりゃ僕だってしてたけど、仕方ないだろ?西原が困ってるんだし」
『何よ、私より西原君の方が大事だって言うの!?』
「そ、そんなことは……」
『かぎりのバカ!かぎりなんて大ッキライ!!』
プツッ、ツーツーツー……
「ハァ……」
思わず思い出してため息が漏れる。
大キライかぁ……付き合ってから初めて言われたな。
たこ焼きを焼きながらそんなことを考える。あの時の天音の言葉が頭の中をリフレインして、あ、いかん、また涙が……。
「何だ、お前、また泣いてるのか?」
「ううっ、ちょ、ちょっとゴミが目に入っただけだい……」
呆れたように尋ねて来た西原に強がりを言って、ゴシゴシと僕は目を擦って涙を拭いた。そうだ、天音との事は今はどうでもいい。そんなのは後でいくらでも挽回できる。今はとにかくたこ焼きを焼かないと……。
ジュゥゥゥゥゥ……
焼けて来たものにタコを入れ、ひっくり返す。ひたすらその繰り返しだ。毎年野球部のタコは中々に大きい。普通の学園祭などでは利益を先に考えてしまって小さくなりがちなものだが、このタコの大きさとその割に安い値段のおかげでここのたこ焼きは確かに結構ひょうばんになっている。おかげでウチの学校では他の部や同好会からは「たこ焼きだけはやるまい」と敬遠されている位だ。
しかし……これくらいの作業がホントに誰もできないのか?だとしたらかなりやばいだろ。
僕は密かに夜の『野球部、深夜のたこ焼き特訓!』について頭を巡らし、余りのタネとタコの量を考えながらどんとんと完成させていく。
「フゥ……」
とりあえず一段落。出来たたこ焼きを他の部員にパックに詰めてもらい、油を再びひいてたこ焼きのタネを専用の鉄板の中に流し込み、少しの時間、余裕が出来た。
顔を上げてそこから見える景色を見回す。屋台の中からでもかなりの人がウチの学園祭に来ていることが分かる。微笑ましげな子供連れの親子、数人で集まって談笑しながら歩いている女子高生達。周りの人を避けるようにしながら楽しそうに駆けているあの少年達は小学生か?そして、たくさんの仲睦まじげなカップル……。
あ、やば、また凹みそう。
フイにまた沸きそうになったネガティブな感情を振り払うように僕は首を振り、再びたこ焼きを焼く作業に入ろうとする。
が、
「……え?」
ふと視界の角に映った人影にもう一度顔を上げる。今、何か見たような……。
それが見えた方向に目を向けるとやっぱり、いた。回りを如何にも物珍しそうに見回している一人の女の子の姿。あれは───天音?
目を擦ってもう一度確かめる。……うん、確かにあれは天音だ。間違いない。てっきり今日は不貞寝してると思ったんだけど、来てたんだ……。
天音の姿を認めて、自然に僕の頬が緩む。何ていうか、ちょっと情けない。さっきまではあんなにイジイジしてたのに。
けど、一人で来たのだろうか?
ふとした疑問が浮かぶ。誰か連れがいるのかと回りに目をやって見たがどうもそれらしい人物はいない。もしかしたら僕に会いに来たのかもしれないとも思ったが、昨日アレだけ怒っていてそれはないだろうな、と思う。まぁ、そうだったら嬉しいけど……。
とりあえず、声を掛けてみよう。幸いこちらに向かって来ているみたいだし。
そう思ってボクは彼女に聞こえる位の大声で呼んでみることにした。
「お〜い、天……」
「おっ、河峰じゃないか。おーい、河峰―!!」
……西原、頼むから先越さないでくれ……。
「……?」
西原の声に天音が何事かとこちらに顔を向ける。天音が気付くくらいに「おーい!」と西原が大きく手を振る。
やれやれ……。
僕はそんな西原にやや呆れ苦笑しながらも、天音から見えるように西原の隣に立って小さく手を振った。
「!」
僕の顔を途端に天音の顔が弾けたように明るくなった。そのままこちらに走って来る。
やっぱり僕に会いに来てくれたのか……。
昨日の事は許してくれたのかも。天音のその様子から思わず嬉しくなって思わず顔がにやけてしまう。
天音を迎えるために僕は屋台の外に一度出る。遠くからでも分かるような大声で天音が僕のことを呼んだ。
「お兄ちゃーん!!」
「お〜、こっち───」
───って、お兄ちゃん!?まさか……
「わーい!」
「うわっ!」
ガシッ!ドカッ!!
「イテテ……」
考えている隙に容赦なく抱き突かれて僕は思いっきりすっころんだ。もちろん、天音も一緒に。
いや、天音じゃないか……。
「ダメだろ、あさひ。こんなところであんなことしたら怪我するぞ?」
「えへへ……ごめんなさーい、お兄ちゃん」
抱き付いたままのあさひが可愛く悪びれる。右蒼左茶のオッドアイが上目づかいで僕を見る。
うっ、かわいい……。
思わず抱きしめたい衝動が沸いたがぐっと堪え、代わりに僕は明るく笑うあさひの頭を優しく撫でてやった。
「たこ焼きいかがですか〜、美味しいたこ焼き、いかがですか〜?」
店の前で叫んでいるあさひの声が聞こえる。ここからでも一生懸命なのが感じ取ることができるくらいあさひは頑張っている。
「お〜い西原、できたぞ」
そんなあさひの声を聞きながら僕はたこ焼きを詰めた箱を二つ西原に渡した。
「お〜、サンキュ。それにしてもすごいな、あの娘は……」
「まぁね、僕もまさかこんなになるとは思わなかった」
西原が屋台の外に目を向けながら感心しているのに苦笑しながら同意し、僕も同じように外を見る。
列がある。それも生半可じゃないような列。全部ここのたこ焼き屋の客だ。
さっきあさひに遊ぼうとねだられた時に、「今はお仕事中だから無理なんだ」と言ったら、
「じゃあ、あさひ、お兄ちゃんのお手伝いしたーい!」
と言ってきたので、その様子を微笑ましく思いながらもとりあえず店の外で客引きをやらせてみたのがそもそもの始まりだった。一たび彼女が「たこ焼き買ってくださ〜い」と言ったと同時、彼女の声を聞きつけた人々がここに来てたこ焼きを買い始めたのだ。
元々最初からそれなりの評判だったが、それがあさひが客寄せを始めた十数分の間に誰にでも分かるくらいに明らかな長蛇の列になってしまっていた。というか今もまだ増え続けている。
「こりゃ、材料もうちょっと調達して来るしかないか……?」
「う〜ん、そうした方がいいだろうな」
難しい西原の呟きに僕も同意する。毎年ここのたこ焼きは盛況だが、この人数になるとさすがに材料が足りなくなってきた。
西原が元々明日のために取っておいた予備の材料を取りに行くのを見送り、僕も鉄板の前に戻る。たたでさえ盛況で僕一人では追いつかなくなって来ていたのだ。この人数を何とか捌くために、元々は三枚ある内の一枚しか使ってなかった鉄板を、今はフルに使い回している。もちろん、僕一人では追いつかないために、野球部の有望な一年生君たちにも当然働いてもらっている。まぁ個人的にはむしろ、こんなことに僕を巻き込んだ西原にこの役を受け持ってもらいたかったのだが。
それにしても、思う。
「美味しいたこ焼きいかがですか〜?」
何故、あんな普通の呼びかけでここまで人が集まったのだろう?不思議だ。もしかして魅了の魔法でも使っているとか?
「いや、それはないか……」
あさひを見ながら独り言つ。あの魔法はむしろ月夜とかが使うような魔法だ。あさひみたいな無邪気な娘が使えるような魔法じゃない、はず。
「あ」
ふいにこっちを向いたあさひと目が合った。
「お兄ちゃーん!」
その顔に満面の笑みを湛えながらこっちに向かって手を振ってくる。
うっ、かわいい……。
むしろ反則じゃないかとも思うくらいにクラッと来た。
「まさか、無意識で使ってたりしないよな……」
額を手で押さえながら僕はそう呟く。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「うわっ!?あ、あさひ?」
「うん、そうだよ?」
きょとんとした顔のあさひが不思議そうに僕の目の前で首を傾げる。
び、びっくりしたぁ……。急に目の前にいるんだもんなぁ。
「店の前はもういいのか?」
心のなかでは未だに動揺しつつも、とりあえず体裁だけは整えてあさひに尋ねると、あさひはうん、と嬉しそうに頷いた。
「もうこれ以上はいいって。あさひね、『すごいね』って褒められちゃった」
「へぇ。よかったな、あさひ」
「うん!」
そう言って「えへへ」と笑うあさひのあたまを僕は優しく撫でた。
ちら、と行列へと目を向ける。そっちはもうあさひがいなくても立派に機能しているようで、少しづつだが後からどんどんと人が並んでいるのが分かる。
本当に凄いな……。
僕は思わずこの目の前の体と心がバラバラな少女の偉業に感心した。まぁ、ついでに「本当に魅了の魔法使ってたりすんじゃないか?」とかいう疑問も一緒に出てきてしまったんだけど。
「ところでお兄ちゃん、さっき一緒にいたお兄ちゃんのお友達は何処に行ったの?」
「え?ああ、西原のことか」
あさひの質問にさっきまで考えていたことを放棄し、僕は撫でていた手を止める。
「あいつならさっきたこ焼きの材料を取りに行ったけど、あいつがどうかした?」
「うん、あのお兄ちゃんにも『お仕事させてくれてありがとうございました』って言おうと思ったの」
「なるほど」
納得。それにしても子供なのに何て礼儀が正しいんだろうな〜、あさひは。今頃天音野中で眠っているであろう何処ぞの姉にも見習わせてやりたいくらいだ。
「ま、そのうち帰ってくるさ。じゃ、それまで僕の手伝いでもしてもらおうかな?」
僕は軽くおどけた調子しで微笑みながらあさひに言う。ま、あさひもなんだかんだ言ってこういうことするのが面白いみたいだし。
「うん!あさひ、お兄ちゃんのお手伝いするー」
ほらね。
案の定あさひは楽しそうに笑い、目を輝かせて僕の後に付いて来た。
そう、この時はまだあんなことになるなんて予想も出来なかったんだ。
まさかあんな悲惨な事になるなんて……。
(後編に続く)