決戦前夜・完結編

 

 

「ばいきんまん!」

そのとき、森中にこだまするような、凛とした声が響いた。

「よくも、僕の大切な友達を殺したなっ!」

朝日を背に、逆光になって飛んでくるその姿は、アンパンマンであった。

「もう許さないぞ!」

アンパンマンの声が響いた。

眼下には、アンパンマンを先頭とする、村人たちがいた。手に手に武器をもって。

アンパンマンは、ばいきんロボの足元まで歩み寄ると、そこで変に体がゆがんだまま絶命したカバオの死体に向かっていった。

「カバオ君、きっと仇は取ってあげるよ。あんなにも幸せだった君の人生を他人のせいで失わなければならないなんて、そんな理不尽なことはこの僕が許さない。勇敢だった君の心は、僕がこの胸の中にしまってあげるよ。そしてみんなの中にも、君のその偉大な心は生き続けるんだ。だから君は死んでも、みんなの心の中に残る、価値のある存在になるんだよ。カバオ君、聞こえているかい?そして見ていてくれよ。その折れ曲がった首についている、さかさまの目で。僕が・・・」

アンパンマンが静かに立ち上がった。

「僕が、あのばいきんまんを大地に沈めるところをね・・・」

アンパンマンが飛んだ。拳をぐるぐる回しながら、一直線に彼の乗るコックピットへ向かってくる。

「あーん・・・」

ばいきんまんは、ロボの操縦桿を握り締めた。

「ぱんち!」

そして、狙いを彼に定めたアンパンマンの拳がコックピットのガラスに迫る。

 

刹那、彼は思った。

偉大な心?

カバオは、誰のために死んだんだ?村人のためか?いや違う。アンパンマンのためか?そうでもない。カバオは、認められたかったのだ。村人に。アンパンマンに。俺が死ねば、カバオは英雄だろう。誰もやつのことを弱虫扱いしなくなるだろう。やつは、俺と同じ側の人間だったのだ。勇敢なんてものじゃない。今の俺と同じ、自分勝手な心だ。それを、偉大な心だと?カバオは誰のために死んだんだ?何のための人生だったんだ?アンパンマンは、カバオのことを友達だといった。価値ある存在だといった。友達が死んで、価値ある存在が消滅して、なぜ、アンパンマンのやつは悲しまないんだ?涙を流さないんだ?なぜ、認められたがっていたカバオに気付かず、死んでいったカバオを都合のいいように英雄扱いするんだ?カバオの死さえも、アンパンマンが俺をぶちのめすための言い訳になるのか?

それが、友達なのか?

 

アンパンマンの拳によって、コックピットの窓ガラスが割れた。

ばいきんまんは叫んだ。

来いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

ばいきんまんは、アンパンマンの拳に向かって、己の拳を叩き込んだ。

パンッ!という音がした。

ばいきんまんが、目の前の出来事を理解するのに、一瞬かかった。僅かに逸れたばいきんまんの拳がカウンターとなり、アンパンマンの頭部を割っていた。肩に激痛が走っていた。一方の肩が、アンパンチを受けていた。折れているのか、信じられない方向に、肩から下が曲がっていた。

アンパンマンの体から、突如力が抜けた。アンパンマンは、貫通してドーナツのようになった頭部をばいきんまんの腕の中に残して、静かに落下していった。

集まっていた村人が静まりかえる中、下品な音をたててアンパンマンの死体が落下した。

直後、状況を理解した村人たちが声をあげ始めた。「アンパンマンが!」「おのれ、ばいきんまんメ!」「なにもここまで」「なんてことを」「俺たちの希望を」「死んだカバオが」「立ってくれ、アンパンマン!」「ばいきんまん、よくも!」「お前なんて死ね!」「殺してやる!」「生まれたことが過ちだったんだ」「何でこんなやつを今まで生かしておいたんだろう」「アンパンマンは手加減して懲らしめていたのに」「お前なんかいつでも殺せたはずなのに」「そんなアンパンマンを」「よくも」「よくも」「汚い」「憎い」「ばいきんの癖に!!

 

 

しかし誰も、ばいきんまんに向かってくるものはいなかった。遠巻きから、罵詈雑言を投げつけるだけだった。その中で、ひときわ通る声が聞こえた。

「みんな!みんなで力をあわせてばいきんまんと戦うんだ!みんなの勇気を一つにして、あの憎らしい、おぞましいばいきんまんを殺そう!」

声をあげたのは食パンマンだった。村人がざわめきだした。「そうだ!」「殺せ!」「やつを殺せ!」「改心すれば」「仲間に入れてやってもよかったのに」「友達になってやってもよかったのに」「そんなことも気付かずに」「ばいきんめ!」「恩知らずめ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺すんだ!」「今こそ正義を働くのだ!」

 

誰かが、彼に向かって石を投げた。彼の頭にあたった石は、地面にこつん、と落ちた。石には紫の血。彼は石を拾った。握った拳に力をこめて、彼は村人たちのほうへ向き直った。

「この・・・この俗物共がああああああああああああああアアアアアアアアッ!!!!!!!!

 

ばいきんまんは、飛んだ。コックピットから一直線に、村人に向かって。地面に着地すると、足首の骨が折れた。それでもかまわず、曲がったままの足でばいきんまんは村人たちの中へ突っ込んでいった。

 

そこからは、よく覚えていない。

 

殴った。

蹴った。

千切った。

潰した。

噛み切った。

砕いた。

裂いた。

捻った。

割った。

斬った。

蹂躙した。

喰った。

絞めた。

貫いた。

刳り貫いた。

折った。

自分のロボットは使わず、信じられないほどの力で、彼は人々をただの肉塊にしていった。

 

そして。

気がつくと、あたりは血の霧に覆われていた。

彼の周囲に、生きているものは存在しなかった。全てがただの塊と化していた。

 

彼、ばいきんまんは、生きながらにして死んでいた。

「そうだよなあ…」

ばいきんまんは、自分にだけ聞こえる声で独り言をいった。

何時の間にか、太陽は南中に差し掛かっていた。

「俺にはさあ、こういう結末しかないンだよなあ」

燦々と照りつける太陽が、むせ返るような死臭を包み込み、大気に浮いた血煙をきらきらと輝かせている。

「だって俺はさあ、悪役なんだもんなぁ」

静まり返った森から、狼が何匹か出てきた。騒ぎが終わるのを見計らっての、屍肉漁りだ。

「悪役がみんなと仲良くしちゃ、いけないよなあ」

ばいきんまんの周囲から、肉を屠る音が聞こえ始めた。

くち。にちゅ。みち。ばり。ぐしぐし。はふ。みり。ちゃく。こり。

「やめた」

突然ばいきんまんは、人に聞こえる声で言った。もちろん、その言葉を聞いたのは狼だけだったが。

「もう、やめた」

べき。

ばいきんまんは、足元でウサギの先生だった肉を食べている狼に、手刀を振り下ろした。狼は肉を口にくわえたままで首が折れた。狼の反射神経がついていかないほどに、ばいきんまんの手刀は速かったのだ。

ばいきんまんは、だらりと力尽きた狼のあごに手をかけ、思い切り捻った。スコッ、という骨の外れる音に続いて、ぽくぽくと小骨の折れる音が、ばいきんまんの手を通して伝わってきた。ばいきんまんは狼をひねった。何度もひねり続けた。狼の首と胴体は、まるでつながったボンレスハムの様になり、ばいきんまんが少し力を入れると、ぶつ、と音を立てて切れた。

「だいたいさあ、この俺様の何がいけないって、この顔だよね」

言いながら、ばいきんまんは狼の首から皮をはぎ始める。

みりみりみりみりと音を立てて、皮がはがれていった。筋肉質な狼の首の皮は、はがれにくく、ところどころ、内側の肉まで引きちぎりながら皮をはいでいった。

「こんな顔で、悪役ってのもねえ」

べろ、と狼の頭の皮が全てはがれた。

「だからさ、俺悪役やめた。」

筋肉剥き出しになった狼の首を、ばいきんまんはボト、と投げ捨てる。

「悪役が主人公殺しちゃったらこの話し終わりだもんね」

「だから俺は今から」

ばいきんまんは、はいだ狼の頭の皮を、自分の頭からすっぽりと被った。

「狼でいいや」

「血と肉の好きな狼、でさ」

そのとき。

「アンパンマン、新しい顔だ!」

声とともに、アンパンマンの新品の頭が飛んできた。生首だ。

ばいきんまんはゆっくりと声のしたほうを向いた。頭からジャムがはみ出た、瀕死のジャムおじさんが、瓦礫と血と肉の山の中に立っていた。

「ジャムおじさんかあ」

ばいきんまんはゆっくりとジャムおじさんのほうに向かって歩いていった。ジャムおじさんは、半身がちぎられて片腕しかない。片腕でアンパンマンの新しい顔を投げたのだ。われながらすごいことをしたもんだ、と、胴体の半分なくなったジャムおじさんを見てばいきんまんは思った。しかし、そんな体になってもまだ生きているジャムおじさんのほうが、今のばいきんまんには気色悪かった。

「おまえらの方がよっぽど化けもんじゃねーか」

狼になったばいきんまんは、ジャムおじさんを食った。ジャムは赤かったが、とても甘かった。

ジャムおじさんの投げたアンパンマンの顔はアンパンマンの胴体まで行き着かずに転がっていた。狼になったばいきんまんは、それを口にくわえて、食べようとした。すると、その「新しい顔」が突然しゃべり始めたのであった。

「そうやって自分の役割を放棄すれば、助かるとでも思ったのかい」

ばいきんまんは無視して一口目を食べた。

アンパンマンの顔の右半分が無くなった。

「こんな歌を知ってるかな?」

それでもアンパンマンの顔は喋り続ける。

「♪何のために 生まれて

  何をして 生きるのか

 解らないまま終わる

 そんなのは 嫌だッ

ばいきんまんは狼のあごでアンパンマンの顔左半分を食いちぎった。

ほほのあたりから下だけになったアンパンマンの生首。

口だけになってもなお喋る。

「僕もキミもさ、結局同じなんだよ。与えられた役割をこなすだけ。君はずっと悪役でやられ役のままだ。でも僕だってずっと正義の味方であり続けなけりゃならない。それ以外の生き方なんて、可能性すら残されてないんだよ」

ばいきんまんは食べるのをやめた。黙って、喋り続けるアンパンマンの顔(だったもの)を見つめる。

「だけど、僕は思うんだ。自分が生きていて、生きる意味が無いなんて感じるのは辛いことじゃないかい?何のために生きてるか。自分が世界に於いてなにかの『役割』を担っているのか。わからないまま人生終わるなんて嫌なんだよ。…例えばここらへんに転がってる肉の塊だって、『ばいきんまんにやられた被害者』って役割をきちんと全うしてるじゃないか。彼らは心のどこかで自分の役割を自覚してたのさ。幸せなもんだね。おめでたいともいうが。

僕が顔だけ入れ替わって何度でも蘇る理由はこれなのさ。

ピンチになることだってある。君の技術と執念の前には、むしろ僕なんぞ太刀打ちできないといっていい。でも僕はやられても蘇るんだ。顔だけが入れ替わってね。我ながら気持ち悪いと思うよ。だって一瞬前まで戦っていた僕は、もうそこら辺に転がってるふやけたアンパンなんだから。でも僕が生きる意味を見出せるのは、君の事を倒してるときなんだ。君が存在し続ける限り僕は君を倒し続けなければならない。僕が存在する限り君は僕にやられ続けなければいけない。でもそれが一番幸せなことなんだ。自分の生きる意味や存在価値、なんてことにいちいち苛立つ事も無い。楽な生きか」

ぐしゃ。

聞くだけ聞いてやったばいきんまんは、狼のあごと牙で最後の一口を食べた。

その塊を嚥下したあと、一呼吸於いて大きなため息を吐く。

 

ごおひゅうううううるるる。

 

その吐息は、既に狼のそれである。

生きてる意味なんて無い。

気が付いたらこの世界に放り出されてたんだ。

考える必要もない。迷う必要も無い。

生きてる意味も価値も理由もない。

ただ、己がそこにあるだけだ。

それを阻むものがあれば立ち向かうまでだ。

俺は蘇る事もない。死んだらそれで終り。

それでいいじゃないか。死ぬまで生きてやる。

幾万、幾億のアンパンマンを喰らってでも、な。

 

ぐあふ、ぐるるるるあああああああああああおおおおおおおおん

 

ばいきんまんのからだは今や完全な狼と化した。

肺の空気を全て振り絞って狼が哭く。

それは、この作り事の世界に対する宣戦布告であった。

 

 

日は沈み、そして再び夜が明ける。

朝もやが光を拡散し、あたりはさながら光の真綿に包まれたような世界。惨劇から一夜明ければ鳥達が囀る素晴らしい一日のはじまりだった。

 

見晴らしのいい丘に、一匹の狼が佇む。

日が少しづつ昇るにつれ、もやは晴れていく。

森の向こう、遥かな地平線の彼方にはアンパンマン。

アンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマンアンパンマン…

見下ろす狼の視野を埋め尽くさんばかりのアンパンマンの大群が、壁のように押し寄せてくる。

突如、狼のいる丘のすぐ下から地響きが起こる。丘のふもとからは、地面を這う蟻の大群のように、黒い絨毯と化した幾億人ものばいきんまんが現れる。

 

数億のアンパンマンはばいきんまんを目指し。

数億のばいきんまんはアンパンマンを目指し。

 

両大群は、今まさに、決戦のときを迎えていた。

 

高みから見下ろす狼が、一声吼える。

「どいつもこいつも、みんな喰ってやる」

 

戦いの中心部めがけて、狼は踊るように跳躍した。

 

終り。