7巻のスネイプ先生

読了して10日ほど経ちました。まだまだ気持ちの整理がつかず文章もまとまりませんが、今の気持ちとして残しておきます。


7巻を読み始める前の私の願いは、スネイプ先生が最後まで生きのびること、先生が投げ遣りにならず自分自身を肯定していること、でした。

6巻では、人を殺して逃亡したのが最後の姿でしたから、最終巻の先生が穏やかに、いつも通りに描写されるはずがないことはわかっていました。
でも、主人公同様波乱に満ちた600数ページを過ごしはしても、最後はいつも通りの嫌味な笑いで締めくくられると期待していました。
ハリーと和解することとか、誤解が解けることなどは二の次で、とにかく先生の未来が開かれる道が示されることを望んでいました。そして、仮にハリーを助ける側にいなかったとしても、人間としてのスネイプ先生をずっと信じようと思っていました。
先生を好きになってから2年あまり語り続けてきて、先生への信頼は揺ぎ無いものになっていました。6巻で思いがけない事態に陥った時も、最終的には先生は信じるに足る人物だと明かされると思っていました。
全くその通りでした。私の考えたスネイプ先生像とは結構違うものがありましたが。

私の考えたスネイプ先生は、愛されたことはあっても人を愛した自覚のない人でした。
そこが7巻で明かされたスネイプ先生の実際との大きな違いだと思います。
むしろ、愛された自覚があったかどうかも怪しいことがわかりましたが、何より、一人の女性をあれほど愛していたとはとても想像できませんでした。

自覚はないものの実は生徒達を愛していた、と気付く先生を私は無意識で求めていたと思います。リリーが好きだった説もとても説得力があって、特に7巻発売前に読んだ「みんな集まれ!ハリー・ポッター7前夜祭(岩下慶一/森マサフミ:訳 出版文化社)という本は、一分の隙も無い説得力がありました。「そうかも」と思いましたが、私の中で「恋愛」は軽んじられる傾向にあったため、そこは認めたくありませんでした。
なので、記憶の最初にいきなりリリーが登場した時は正直、そんな小さな男だったのか、と幻滅したのでした。幼いセブルスの無邪気さに幻滅したのではなく、私が軽んじた恋愛を引きずっていたスネイプ先生に幻滅したのです。
が、33章を読み進むうちに、次第に私の気持ちも変わってきました。

先生のリリーへの想いは並大抵ではありませんでした。リリーの死後、「死にたい」と絶望しながらも、その息子ハリーを守ることを約束し、それを貫いたスネイプ先生。
ハリーへの愛ではなかったかもしれませんが、一人の女性をこれほどまでに愛することは幻滅どころかむしろ尊敬に値する、と思いました。そもそもなぜ自分が異性への愛を軽んじていたのかよくわからなくなりました。愛に優劣などないのに。恥ずかしかったです。

それに、実際のところ、スネイプ先生はリリーだけを愛していたわけではないような気もしています。ダンブルドアの致命傷を治療するスネイプ先生の憤り、結局ダンブルドアを手に掛けなけらばならなかった時の憎しみの表情、校長室への合言葉など、ダンブルドアのこともとても大切に想っていたと感じます。
また、各寮の先生方に攻撃されながらも、呪いをかけて来なかったこと、今まで守ってきたたくさんの生徒達の命を思うと、先生は自覚がないままやはり大きな人間愛に目覚めてもいたのではないかと私は思っています。

ひたすらリリーのためにと守ってきたハリーも、期が熟せば死ななければならない運命にあると知って、ショックを受けたスネイプ先生。それでもハリーに事実を伝えようと、必死に記憶を渡そうとしたその懸命さに、文字通り命懸けの様子に、とても胸を打たれました。先生が自分の想いよりも優先させたものの重みをこれからゆっくり考えていこうと思います。


私の願いのうち一つは叶いませんでしたが、もう一つは叶ったと思っています。
瀕死の状態でもハリーを認めるとローブを掴んで引き寄せ、使命を果たそうとした先生は、全く投げ遣りではありませんでした。そして、最期の言葉は、本当に素直な無垢な言葉だったと思います。自分を肯定しているからこそ出た言葉だと思います。
スネイプ先生が、報われないままに人生を終えてしまったことはとても悔しいのですが、最期にそんな素直な言葉が出たことに少し安堵してもいます。自分を無価値のように思ったまま逝って欲しくはなかったからです。
後にハリーがスネイプ先生の想いを受け止めてくれたと感じるエピソードがありましたが、スネイプ先生にもそれが何らかの形で伝わって欲しいものだと思います。
スネイプ先生がリリーにたくさんの愛を注いだように、先生にもたくさんの愛が注がれるよう、たとえ死後でも、注がれる愛を先生が感じられるよう、願ってやみません。


2008.1.3

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