SENSITIVE
TEARS 4
センターと所員の住居専用のビルの東側にハード・クロスの本社ビルとハード・アートの開発研究所がった。
その中でハード・アートの研究者と主治医を兼ねている者が仕事場と住居を一緒にしていた。
彼らが他のハード・クロスの社員や家族達のように住居用のビルに入っていないのは、普通の社員たちと違い“特殊”な仕事を請け負っているという点で忌み嫌われているせいであった。
それは、狭い閉鎖空間に住む研究者と社員達にたいしてストレスを回避するための会社側の配慮であった。
社員たちが“人間”を“人間以外のモノ”へ改造させる事を平気でやれるような研究者達に対して嫌悪と例えようの無い懸念を抱かれていたからである。
バリーはハード・アートの主治医である広瀬要を訪ねるために、本社から研究所に繋がる通路へ向かっていた。
研究所に入れるのは、社員の上層部の一部とハード・アートとペアを組むペースメーカのみである。
誰でも受け入れるようなオープンな佇まいの研究所に入るガラス張りの自動ドアの横に備えてあるIDカードを照合する機械に、バリーは自分のカードを差し込む。
『名前をどうぞ』
女性の声がスピーカーから聞こえきた。
「バリー・ワーツ」
IDとセキュリティー・システムに記憶されたバリーの声紋を照合する為に数十秒、ガラスの扉が開く。
バリーは扉を抜けると先ほど受付の女性が支持した待合室に入っていった。
「バリー。遅かったな」
「受付嬢にデートに誘われていた」
バリーの冗談に広瀬要は笑う。
研究者というよりも健全なスポーツ少年のような広瀬要の笑顔はバリーをなぜかいつも心を和ませる。
「ここにいるとバリーの詰まらないジョークも笑えるよ」
「その程度か。おれの冗談は」
柔らかいソファに腰をバリーは身を沈めた。
「さて、ぼくのハード・アートに何か?」
「甲斐甲斐しく働いてくれるよ。文句一つ言わずに」
「それは、それは。じゃぁ、何故、こんな嫌われ者の巣に来たんだい?」
おどけた様子の広瀬の豊かな表情を見ていると、バリーにはあの無表情な青年の生みの親だとはとても思えなかった。
「ぼくは嬉しいけどね」
「最近、食事をあまり摂らないんだ」
広瀬の顔から笑顔が消える。
「食事か・・・。おかしいな。ハード・アートは生命維持を体内に内蔵された機械で計算されているから、動いたらその分、“腹が減った”という感情が生まれなくても自動的に食べるはずなんだ。でも、個人差があるから君が食べないと思っていてもフィリアスには十分な量ということもあるよ」
「見ていると、苦しんでいるように感じるんだ。まさかと思うけどなんか・・・食欲がないって感じがする」
広瀬は目を伏せた。
「苦しいって・・・」
「とにかく、問診だけでもいいからしてやってくれ」
「もちろん。じゃぁ、久し振りに外出だ」
広瀬は勢いよく立ち上がった。
「要・・・フィリアスのことをどう思う?」
バリーの問いに広瀬は微笑む。
「フィリアスはぼくの芸術作品なんだよ、バリー。自分の作品を愛さない人間がいると思う?」
広瀬は踵を返すとバリーに背を向けた。
ハード・アートの部屋は通路を挟んだペース・メーカーの部屋の向かいに面している。
ペース・メーカーは自分の相棒であるハード・アートの部屋に自由に出入りできるようになっていた。
それはハード・アートが自己管理を出来ないという事と、いつ薬の副作用で故障をするか予測ができないせいであった。
しかし、バリーは相棒の部屋のインターフォンを必ず押す。
「相変わらずだね、バリー。ペース・メーカーがハード・アートの扉の前でインターフォンを押すのは君だけだよ。殆どのペース・メーカーがハード・アートを“人”とは思っていないからね」
広瀬の目がとても嬉しそうに輝いていた。
インターフォンを押してから、少し間を空けてフィリアスが扉を開いた。
「フィリアス、ドクターだよ」
バリーの言葉に青白い顔が頷く。
バリーと広瀬は飾り気の無い空色の部屋のソファに腰をおろした。
「さぁ、フィリアス。君もそこに座りたまえ」
広瀬は自分達の向かい側の椅子にフィリアスを座らせた。
「フィリアス、身体の具合はどうかい?」
「具合・・・?ですか・・・」
広瀬は腕組んでない空を仰ぎながら唸る。
「う〜ん。調子っていうのかなぁ。どこか動きが鈍くなったところはあるかい?」
「いいえ」
広瀬はソファから立ち上がりハード・アートと自分達の間にあるテーブルに腰をおろす。
「顔色が悪いなぁ」
小柄な広瀬の細い指がフィリアスの頬に触れる。
「やっぱり、食事の量が少なすぎるのかな?」
フィリアスの深い青い目を広瀬は覗き込む。
悲しい・・・と広瀬は思った。
「センシティブ・・・ティアーズ・・・ほ、本当だったんだ」
広瀬は口の中で呟く。
広瀬の言葉をバリーは聞き逃さなかった。
「要?」
肩越しに振り向いた広瀬の表情は困惑していた。