春が待ち遠しくて 

                      azure ☆ 青樹 星

 

春が待ちどおしいのは、寒さのせいだけではなく、

凍えそうな心が暖かさを求めているからなんだ。

 

ハルは空を飛ぶことを諦めた若い鳥のように生きていた。

いわれのない言い掛かりをつけられて会社を解雇されてから、この冬のような社会からはみ出して何もせずに何かを待ちながら、ただぼんやりと生きていたのである。

 

ハルは毎朝、パンとミルクをダウンジャケットのポケットに入れ、人気の無い時間をみはからって公園に行ってはベンチに座って茶色くて小さな小鳥たちと分け合いながらそれらを口にした。 

 

今朝はとても寒かった。

口からこぼれる落ちる息が凍りつくようなくらい寒い朝。

ハルはいつものように公園で小さな小鳥たちと一緒にささやかな朝食をとっていた。

 

「おはようございます。今日はとても寒いですね」

ハルの目の前にいつのまにか見たことのない茶色いコートを着た若い女性が立っていたのである。

「隣に座ってもいいですか?」

ハルは黙ったまま身体を気持ち右側に動かした。

「毎朝、小鳥と一緒に朝ごはんを食べていますよね」

きらきらした春の朝のような目でハルを覗き込みながら女性は言う。

「やっぱり、寒いから小鳥たちのご飯になるものも少ないんでしょうね」

女性はハルの目の前に2つの缶コーヒーを差し出す。

「やさしんですね・・・この子たちきっと喜んでますよ」

目の前に差し出された缶コーヒーに困惑するハルに女性はその一つをハルの冷たくなた手に乗せる。

「これ、飲んでください。あったかいですよ」

そういうと、残った方の缶のプルタブを開けるとこくこくと飲んでみせる。

「美味しいですよ。上手く言えないけど寒い時に暖かいものを飲むと幸せになりますよね!まるで待ち望んでいた春が来たみたい!」

生き生きとした女性の笑顔にハルもようやく微笑みかえす。

「面白いなあ・・・」

ハルもプルタブを開けてコーヒーをいっきに飲み干した。

「本当だ・・・なんか生き返ったような気がする」

「でしょう!」

ハルに食い入るように女性は言う。

「この子たちもきっとそう思っていますよ!」

「でも、どうして?」

「え?」

怪訝そうなハルの表情に女性は目を逸らした。

「どうして?こんなぼくに声を?」

「か、感謝です。毎朝、ご飯もらってうれしいから・・・」

「え?」

ハルは女性の言葉に唖然とした。

「き・・・きみはあのすずめ?」

「はい・・・と、言ったら信じてくれます?」

ハルは言葉を失った。

「毎日、寒くて寒くて・・・どうしていいか分からなかったんです」

女性は顔を上げてハルを見つめた。

「わけもなく・・・泣けて・・・でも、心の奥では何を求めているか分かっているのに・・・」

ハルは女性から目が離せなくなっていた。

「何もない自分を哀れむ自分がいて・・・忘れようとすると、心の中を冷たい風が吹き抜けて行く毎日の繰り返し・・・」

彼女の口から生まれては消えて短い一生を過ごす白い息を見ながらハルはふと思い出した。

「あ・・・あの時も泣いていたね・・・」

ハルは女性の肩にそおっと手をおく。

「辛い理由が分かるのに、辛い原因が分からない・・・ぼくにもわかるよ」

 

大きな街。

大きなビル。

ビルの中にいくつものテナントが入っている。

共同の洗面所や廊下そしてエレベーター。

 

ハルが解雇された夜、エレベーターに乗っていた若い女性。

彼女は泣いていた。

むしろ仲間に裏切られて傷ついて凍えていたのはハルの方かもしれないのに、震えて泣いていた彼女を見て無意識にエレベーターを止めてハンカチを差し出していた。

 

「きみは・・・あの時のすずめだね」

女性はこくんと頷いた。

 

「次の日・・・ハンカチを返そうと思って、あなたがエレベーターに乗った階で降りたんです。運がよかったんです・・・あなたの降りて来た階には会社が一つしか入ってなくて・・・でも、名前もわからなくて・・・」

「わからなくて・・・どうしてこんなところで・・・」

女性はハルを見上げた。

「あきらめて引き返そうとしたところ、あなたの同僚だった・・・人が声をかけてくれました・・・。ハンカチを見せたら・・・会社を辞めてしまった事を教えてくれました。でも、どうしてもハンカチを返したかったら・・・と住所を教えてくれたんです」

ハルの顔が強張った。

ハンカチは同僚の妻が2月14日の行事に独身のハルにくれたものだったので、同僚はハルのだと気づいたのであろう。

「それは・・・どんなやつだった?」

「名前は教えてくれませんでしたが・・・おまえを信じているからと言えば分かるって」

凍りついたハルの顔がゆっくりと春の日差しに溶け出す川のように柔らかな表情に変わってゆく。

「しっかりやれよ!おまえならきっと復活できるぞって・・・また、笑って会える日を待っている・・・そう言ってくれって・・・」

ハルが小鳥たちに最後のパンを投げる。

「ありがとう・・・すずめさん。あの時、きみに会えなかったらぼくが凍えていたかもしれない」

女性は慌てて頭を振る。

「え?お礼を言うのはわたしの方です!ハンカチ!!ありがとうございます!」

差し出されたハンカチを受け取りながらくすりと笑うハル。

「きみ・・・どれぐらい前からぼくを見てたの?」

女性は寒さで赤くなった頬よりも耳を赤くして答える。

「あなたが・・・その、会社を辞めてから・・・3週間ぐらい前から・・・その、あの、声をかけるきっかけが・・・つかめなくて・・・」

赤くなった女性から食事を終えて飛び立つ小鳥たちに目を移すハル。

「そ、そんなに・・・。ごめん。ありがとう・・・ところですずめさん・・・きみの名前は?」

気づけば、暖かい冬の日差しが明るく笑う二人を照らしていた。

 

ハルは何かが分かったような気がした。

それは、理由でもなく原因でもない、沢山の答えのうちの一つ。

胸の芯が暖かくなるのを感じた。

 

春が待ち遠しいのはきっと、冬が寒いせいだけではなく、希望に満ち溢れているせいかもしれない。