赤い星が落ちた日II
〜le myosotis〜 勿忘草〜
Forget-me-not
試写会の会場を後にして、私は貴緒の手入れの良いシルバーのフェアレディZに乗った。
「雅は一度、家に帰ってエマと花帆ちゃんを連れて来るそうだよ」
貴緒がアクセルを踏みながら言う。
「楽しみだなぁ・・・出産お祝いの時以来だよ。志季は?」
「・・・時々、雅が二人を連れて家へ遊びに来るよ・・・」
静かな車内から、流れる景色に私は視線を移した。それは、久しぶりに会った貴緒との時間を取り戻したいという、幼い魂のようなくすぐったいような切ない感情からであった。
「エマは必ず、あの森に咲いていた花と同じ藍色の小さな花を持ってきてくれるんだ」
貴緒はダッシュボードに手を伸ばしサングラスを取り出し、少年時代のあの柔らかな表情が残った顔に黒いサングラスをかけた。
彼も久しぶりの再会に騒がしくなる心にフィルターをかけたいのかもしれない。
「志季らしいね。まだ、花の名前が覚えられないなんて」
そう言いながらも、貴緒は花の名前などどうでよいと思っているに違いない。しかし、彼は彼のいない数年間の空白に起きた出来事を話したくとも言葉を詰まらせる私の為に、茶々という潤滑油を塗る。
「桜の森・・・今頃、咲いているんだろうな、勿忘草が」
貴緒が私の言葉にくすりと笑った。
「なんだ、ちゃんと覚えているじゃない」
忘れられる理由などない。あの場所で、勿忘草が咲く場所で出会ったのは、彼女の切なる思いがそうしたのだ。
「これでも作家だからな。無駄な知識だけは豊富にこの小さなおつむに蓄えているよ」
私はおどけて自分の頭を人差し指で小突いた。
「映画・・・あたるといいね」
貴緒はほんの一瞬だけ私のほうを向いて微笑んだ。
「あたるさ・・・事実は小説よりも奇なりってね。この調子なら2作目も作ってボロ儲けできそうだよ」
フロントガラスに広がる初夏の青い空に、サングラス越しに眉根を寄せる貴緒の表情が映る。
「志季らしくないよ」
「そう言ってくれるのは、貴緒・・・お前だけだよ」
「辛いの・・・志季?」
言いたいことが山ほどあるのに、言葉を発することが出来ずにいる私に貴緒は促す。
「桜の森だよ・・・。相変わらず開発が手付かずなんだな。降りよう志季」
私の気づかない間に、貴緒は車を桜の森へと走らせていたらしい。彼は車を舗装もされていない道の片側に止めて降りた。
「ここはあの事件が起きてから・・・真柴宇宙研究所で買い取った土地だったんだよ。ぼく等の理性と羞恥心を剥ぎ取り踏みにじった、あの真柴孝治のね・・・。皮肉にも彼らの利己主義な目的のために実験材料にされたぼくが結界を張り人を拒む土地にした。マリタとの出会いを守るために・・・そうしたんだ」
貴緒は私の事を忘れているかのように森の奥へと足を進めた。この森の一番奥には、マリタの宇宙船が落ちた場所がある。
そこは、宇宙船が焼けて草木が二度と育つことのない土地になっていた。
「志季・・・ごめん。君の辛い気持ちを受け止める力がなくて・・・今まで仕事を理由に君に近づかなかった・・・。僕は大事な友人が苦しんでいる時に・・・ずっと逃げていたんだよ」
貴緒の背中は小刻みに震えていた。その背中を見ているうちに自分がとても愚かである事を痛感せざる得なかった。
私は、貴緒の痛みを気づけなかったのだ。
わたしは貴緒の正面に回りこみ両肩を掴んだ。
それは、まだ少年のような身体だった。
「俺が・・・貴緒を攻めると思っていたのか?あの事件で傷を負ったのは俺よりもむしろ貴緒のほうだったじゃないか!それが分らない程、俺は駄目人間か?」
貴緒の体は震えていた。
「超能力のせいで・・・時間がずれてきたんだ。だから、両親とも会っていない・・・。この数年間での知り合いは気づかないからいいけど・・・・おそらく・・・もう、両親とは会えない・・・。僕は、日増しに怪物になっていく。この超能力は衰える事を知らないらしい・・・もしかして、僕自身に怪物になる才能があったのかも」
「貴緒・・・馬鹿なことを言うな!」
涙は流していないが貴緒が泣いているのが分った。
「貴緒・・・違う!君は俺やマリタ、地球の為にした事でそうなってしまったんだ!それに、人を傷つけるような行為をしない限りその超能力は、怪物の力とは違う!」
貴緒は地べたに膝を付き、空を見上げた。
「こうやって・・・変わっていく自分との戦いが辛い・・・どこまで大きくなるのか分らない超能力が怖い・・・。何度も自ら事故を起こしてはみたけど・・・傷ひとつ負うことも許されない。このまま、歳をとらず・・・皆が僕の前から姿を消していく日のことを考えると・・・気が変になりそうになるんだよ、志季。」
わたしは、自らを責める貴緒を抱きしめ泣く事しか出来なかった。
「志季・・・ぼくは・・・この土地に結界を張り続ける・・・。だから君は彼女を守るだけでいい」
この桜の森は、宇宙船が落ちた事実を隠すための禁忌の地。私たち以外、誰にも入ることは許されない。
後に、私は2作目の映画で貴緒が守るこの土地を買い、北欧から輸入をして手に入れた家をそこへ建てた。
桜の森から出ると貴緒は再びサングラスをかけた。
私は桜の森に咲き誇る勿忘草を両手一杯に抱えていた。
郊外の浜辺にある私の家に着くまで、私たちは言葉を交わすことはなかった。
貴緒は車を庭の端に止めると、サングラスをかけたまま降りた。
玄関の前まで行くと鍵が閉まっていることに気づく。
「姉貴は買い物みたいだ」
私は、ジャケットのうちポケットから鍵を取り出し、貴緒を玄関の前へ促す。
「はじめて来たけど・・・いいところだね」
貴緒の口元が緩やかに動く。
「だから、エマも遊びに来るんだよ。庭広いし・・・。バーベキュー三昧だ」
「本当は感謝しているくせに」
貴緒が小さく言い返す。
玄関で靴を脱ぎ、軋む木製の床の上をスリッパで歩き、一番奥のテラスのある洋間へ貴緒を通す。
今日は天気がいい。こんな日は、籐で出来た長いすで昼寝をするのがもってこいだ。
私は、藍色の花束を抱えたまま、籐の長いすの前で声をかける。
「ただいま」
そこに横たわる銀髪の少女がゆっくりと目を開けた。
いつもなら動くことのない瞼が開いたのだ。
「マリタ・・・?。」
少女の淡いピンクの唇がゆっくりと動く。
「・・・・ ・・・・・」
それは、私の名前の形をしていた。
「志季・・・?」
貴緒が私の異変に気づき近寄ってきた。
「貴緒・・・マリタが・・・」
貴緒が微笑んでいる。
「目を開けた・・・」
私たちが少年だった頃から成人になり今に至るまで、何十年の歳月が経ったのであろうか。彼女はその間、動くことも話すことも忘れただ、小さな花のように静かにこの部屋で佇んでいた。
そんな彼女の唇から声が漏れたのだ。
「し・・・・き・・・」
「マリタ・・・」
私に両腕を伸すマリタ。
私はその両腕を身体で受け止めた。
「マリタ!」
二人の身体に挟まれた藍色の花が舞う。
「志季!あぁ・・・志季!」
銀色に輝く柔らかい髪が、わたしの頬に触れた。
「マリタ。俺がマリタを守るよ。だから、ずっと、一緒にいよう」
私たちは長い時を経て3度目の再開を果した。
そんな私たちを見て貴緒が微笑んでいる。
「志季・・・よかったね。マリタが目覚めて」
「貴緒・・・まさか・・・君が・・・」
貴緒は黙って私たちに近づき、床に落ちた藍色の小さな花を拾い上げ、マリタに差し出す。
「マリタ・・・この花は君の花だよ。地球と同じ青い色の花。これは、forget-me-not・・・という名前・・・分るかい?」
貴緒の手から受け取った花をマリタは見つめた。
「ふぉ・・・げっとぉ みぃ のっと?」
マリタはそう言葉を繰り返すと首を横に振る。
「地球の言葉なの?」
マリタは腕を伸ばし青白い貴緒の頬に触れた。
「おかしいの・・・言葉が私の中でくっつかなくなってしまったわ」
貴緒がマリタの頬に手を当てる。
「それで・・・いいんだ」
貴緒は立ち上がった。
「もう、行くよ・・・」
「貴緒・・・俺は君に何をしたらいいんだ?」
貴緒は微笑む。
「また、会いに来るよ。何年先か何十年先か分らないけど・・・。今度はあの場所で会えるような気がする」
貴緒が玄関に向かうのを私が追いかけようとした時だった。いつものように雅とエマたちがテラスのほうから入ってきた。
「ごめ〜ん、遅れちゃった。花帆ちゃん。マリタちゃんと、志季おじちゃんと、貴緒おじちゃんですよ〜」
エマがようやく3歳になったばかりの花帆を抱きながら入ってきた。彼女は一瞬、目を見張った。
「どうした?エマ?」
エマの後から入ってきた雅も、いつも眠っている銀髪の少女に釘付けになる。
「その話は後で、ごめん!」
私はテラスの階段を裸足で下り、明るい色をした花一杯の庭から貴緒の車が置いてある表側へ回った。
「貴緒!」
私が駆けつけた時には既に車は去ってしまっていた。
ただ、その場所で勿忘草の藍色の花びらがくるくると踊っているだけであった。
fin